2009年 04月 11日

安藤忠雄ギャラリートーク@21_21 DESIGN SIGHT sanpo



陽光と、幸せ満ちる土曜日。

東西の安藤忠雄建築をあれこれを見てきたが、ここは自宅から近くにありながら建物の中に入ったことがなかった。
東京ミッドタウンのアネックスとして2007年にオープンしたミュージアム「21_21 DESIGN SIGHT」(サイトこちら)は、三宅一生らをディレクターに擁し、さまざまな企画展を打ち出してきたが、どうも私には「行きたい」と強く思わせる企画がこれまでなかったため、建物の外側だけを眺めるにとどまっていた。

安藤建築(に限らないが)は、建物の中に入って歩き回ってこそ真価を身体的に知ることができるということはわかっているのだけれど、「まあ、近いし、そのうち魅力的な企画展が来たら入ろう」と思っていた。
今年の2月から、「U-Tsu-Wa うつわ」展が開催され、3月に行ってきた。
数日前、そのことを書こうと思って特設ページを見ていたら、たまたま、今日の午後に、安藤忠雄氏のギャラリートークがあるということを知り、再び行ってきた。




企画展のチケットを提示すれば、整理券や予約などの手続きなしに自由に聞くことができるというラフなイベントのため、かなり早めに行ってみたのだが、受付の人が「十分に入れますし、お近くでお話を聞けます」というので、やや拍子抜けした。
もっともっと、山ほどファンが訪れると思っていたのに、のどかなものだな。




時間があまったので、あちこち撮影してまわる。
「21_21」を、私はずっと「にーいちにーいち」と読んでいたのだが、本当は「トゥーワントゥーワン」と読むのであった。

3月に初めて中に入ったときの印象になるが、「うつわ」展は、3人の制作者たちの器を展示してあるもので、それぞれ悪くはなかったけれど、私にはやはりうつわのうつわ、つまり建築を体感できたことがなによりの収穫だった。
安藤建築の内部を歩き回るときいつも感じることだが、視点の移動に合わせて、刻々と印象が変化することには胸躍る思いがする。
第一印象では似たような建物だと思っても、いざ歩き回ると、ふたつとして同じなものはない。
この建物はここにあるのがもっともふさわしいのだ、という必然性を、最終的にはどれも感じさせる。




美術館であるため、内部を撮れないのがかえすがえすも残念である。
半地下、というか展示スペースはほぼ地下に埋まっている。
建物が建っている土地自体も、ゆるやかに傾斜している。
これは裏手に回って撮ったのだが、この細長い窓は、中にいる人からするとちょうど顔の高さになり、体は地下に潜った状態で、首だけのぞかせて、外(左手の遊歩道)を眺めることになる。
そしてその眺めている首を、遊歩道にいる人間は見下ろすことになる。
そんな視点の仕掛けが、この建築には至るところに仕込まれており、自分がまるでキリコの絵の中の、あの濃い影を落とす登場人物になったかのような気分になってくる。
展示スペースの仕切り方が、閉じているような開いているような微妙な区切りになっており、それによって他の見学者たちの姿が、ふっと見えたり見えなくなったりする。
安藤氏のにんまりした表情が見える。




にんまりした表情が見える、と思いながら2度目の鑑賞チケットを求めて入場すると、なんと安藤氏が座っていた。
トークまで出てこないと思っていたら、去年上梓した新刊にサインを入れているのであった。
『建築家』という本は、うちにあるよどうしよう、と一瞬迷ったが、やっぱり記念になるのでもう一冊買い求めて、「Maki」とサインを入れてもらった。
ちょうど行列の途切れたときだったので、
「関西の建築作品、ほとんど見に行っています。“日没閉館”にも行きました(ブルーメの丘「日没閉館」にてとして書いた)。」
と話しかけてみた。
「渋谷駅でも見に行ってみてください!」
と答えてくれた。(昨年、東京メトロの渋谷駅を設計した。)
これまで建築はさんざんまわってきたが、まさかご本人と直接お話ができるとは夢にも思っていなかったので、ぺらぺら話しかけている自分に驚いた。
それにしても、このエントランスからぐーっと傾斜している屋根、見事でしょう。
閉塞感と解放感のせめぎ合い。




外だけでも、と必死の撮影。
トークは、地下の暗いギャラリー内で行われた。
この光あふれる戸外がうそのように、照明を落とした室内で、コンクリートむき出しの床に、お尻をつけてしゃがんだ。

安藤さんの声と話を初めて聞いたが、大阪弁であることに面食らった。
話が進むに連れてどんどん大阪弁率が上がってくるのが可笑しい。
石原都知事、橋下大阪府知事、京都府知事、など、有名人の名前が次々と出てきて、自由自在に持ち上げては落とす、落としては持ち上げる。
建築家として、権力者と向き合いながら意のままにはならないというのがおもしろい。

当然、録音や撮影は禁止なので、簡単にメモを取って聴いていた。
中でも、「建築家は、たくらむ者。“企画”とは企みのことだから、設計でなにかをたくらまなくては。」という言葉が印象的だった。




企みという言葉は“良くないことを”計画するという意味合いが強いけれど、たしかに魅惑的な言葉だ。
それは子供のころの純粋なワクワクする気持ちの延長上にある。
安藤建築の内部に入って歩くときの快感は、まさに彼の企みに落ちる快感だ。

質問タイムがあったので、私も質問をしてみようかと思った。
前から、聞いてみたいことがあった。
一つは、とくに光の教会で強く感じたことだが、日本的な美の感覚をどれくらい意識しているのか、ということ。
「茶の湯や石庭の、極限まで自然を簡素化・抽象化した果てに現出する、“この世の何処にもない、調和に満ちた平安の世界”、実在しないが故に、その場にいる人間だけがくり返しくり返し、心の中に像を結ぶことを逆説的に許された、“イメージ”のたゆたい……」
こんなことを探訪記に書いたとおり、あのキリスト教会に日本的な美を感じたのである。

もう一つは、日本的な美ということにも通じるのだが、安藤建築は周囲の景観をまるで損ねず、含羞さえ感じさせるほどに奥ゆかしく、その地の人に愛される建物として存在する、その意志の強さはどこから来るのか。
このことは、司馬遼太郎記念館の探訪記で触れた。

しかし他の質問者がたくさんいたので時間切れとなってしまった。




帰り道のベンチにて。
今日は、安藤さんご本人とお話しできたし、サインもいただいたし、トークも間近で聴けた。
そしてもう一つ、思いがけない体験をした。
トークイベントの1時間弱の間、コンクリートの床にお尻をつけて座り込むことで、いかにコンクリートが底冷えして住居としては住みにくいのかを、嫌というほど体験できたということである。
屋外ではTシャツ1枚という人もいるくらいの陽気なのに、体がきしむほど冷え切った。
しばらく、外のベンチで陽に当たって温まらないと、お尻が冷えでしびれてしまっていた。
なるほど安藤建築は、個人の住居として住む場合、そうとうの覚悟が必要なんだね!

by apakaba | 2009-04-11 22:35 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(6)
Commented by sora at 2009-04-12 08:51 x
この建物は、ここの広場との調和が絶妙ですね。

たまにココにきて、ランチして噴水を見ながらブラブラするんですが、いいですよね。この中には入ったことないんですが。

一度新大阪駅でお見かけしたことあります。バリバリの大阪弁で携帯で電話してました(笑)。

企み。いいですね。いい響きです。「くわだて」。違いが無いようであるような。
魅惑的な言葉だと思いますよ。

「企み」の心が無いと無から価値あるモノは生み出せないと思います。安藤さんのお言葉はなるほどと思わせてくれますね。

で、本物のプロは「企み」を作品から感じさせないところですかね。
Commented by apakaba at 2009-04-12 13:58
soraさん、そちらの休日はいかがでしたか。
東京ミッドタウンはだらだらと傾斜した広場がいいね。

安藤さんは東大での講演録『連戦連敗』は読んでいたけど、話し言葉だと印象がちがうのね……と。
トータス松本を年とらせたような大阪シャベリで(まあ、トータスのほうがずっと美声ですが)。
講演録からはうかがい知れないけど、お一人で意外なほどこまめにボケやオチをはさむところがおもしろかったです。

作品から、「どうだ、どうだ、俺を見ろ見ろ」という自己主張があまりにもプンプンしていると嫌ね。
仕掛けにはまっていく快感というのは、やっぱり小手先の仕掛けではなくて、そのどこかに正統な筋が通っているから得られるのでしょう。
Commented by ogawa at 2009-04-12 16:45 x
安藤氏の建築物って、このぐらいの大きさのほうがデザインが隅から隅まで破綻無いので、氏の設計意図がよくわかりますよね。

大阪海遊館のように大きくなってしまうと、それを感じるこことができないですし。

コンクリートが冷える。
というか安藤氏の設計した家は住みにくそうだ、光の教会の駒込牧師が自宅を安藤氏が設計してあげるろいうのを断っているのもわかります。

それにしても緑の芝と青い空でとても気持ちよく感じられます。
Commented by apakaba at 2009-04-12 17:38
ogawaさん、天保山は私も期待して行ったわりには、大きすぎてなにがなんだか……したいことはつねにはっきりした人だけど、それが体感できるかどうかは別なんですねえ。
そういう意味では、京都の商業ビルTime'sは高瀬川ゼロメートルという仕掛けもとてもおもしろかったのに、施設として成功していないのがガッカリでした。

光の教会は軽込牧師ですねえ。
駒込は夫の実家です。
その駒込の実家は、まさにコンクリート打ちっ放しの見た目しゃれた家です。
でも冷えるししけっぽいし、私には全然ダメですわ。

きのうは天気が最高で、楽しかったですよ。
Commented by 子ヤギ at 2009-04-13 12:53 x
安藤忠雄さんの建築物は、夢と現実のバランスの調和を、心地よく感じます。何年経っても心に残る建築物を考える企み「アイデア」・・
は、すばらしですよね。
建物は建てるだけでは、つまらない。そこに暮らす、訪れる人達との対話を大切にされているようで、私は好きな建築家です。

そこで暮らす人達の価値観を大切にされているのでしょうね。

アイデアでしょうね。
Commented by apakaba at 2009-04-13 15:40
子ヤギさん、ぷちご無沙汰です。

>夢と現実のバランスの調和を、心地よく感じます。

わあ、とても素敵な表現ですね!
それは私も、上野の「こども図書館」や、表参道ヒルズで感じました。
もともとあったものやその場所に敬意を表し、できる限りもとのよさを残しながら、そっとその場に寄り添いたいという意志ですね。
歴史的建造物に手を加えれば必ず反対意見は出るものだけど、おそれずに意志を表明する態度も潔いなあと思います。

ご本人はおもしろい大阪のおじさんという雰囲気ですが、作品には奥ゆかしい日本的な美的感覚を感じますねえ。
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