2009年 05月 06日

追悼、キヨシロー

夫と追悼飲み。
彼はあまりにつらくて、テレビのキヨシロー番組を見ない。
曲を聴かない。
「悲しすぎて聴けねえよ!テレビなんか見ていられない。」
ニュースやワイドショーでキヨシローのことが出るとすぐチャンネルを替えてしまう。

私: ソロになってからはほとんど聴いてなかったし、ここ15年くらいは、曲もほぼ聴いてなかったよね。でも、中学・高校・大学時代にあれほど聴いて、彼の詞が人生の一部になっていると、聴かなくても身体的に自分のものとなっているんだよね。

夫: 親戚でもない人でこれほど悲しいとはなあ……(泣く)親友って、フジハラさん(藤原和博さん)が言ってたけど、何年会っていなくても、また会ったときになんの違和感もなく、まるできのうも会っていたかのようにスッと話せる奴だと。
キヨシローってそういう感じなんだよ。

私: まあ彼はこっちを親友とは思っていないだろうけど、こっちはそういう感じだよね。そういう人がいっぱいいるんだろうなあ。

夫: 『covers』(RCの反戦的な替え歌集)が今バカ売れしてるらしいけど、coversから入るところが小僧だよな。ちがうんだよな。メディアじゃ反骨精神のロックアーチストみたいに祭り上げてるけど、あれは彼のほんの一部分であって……わかってねえよな。
なんか俺、若いヤツらに説教しちゃいそうだよ。
「オマエらわかってない!」とかって。ヤな親父だな俺。

私: それは同時代ということで、しかたないことだよ。それがある世代にとってはジョン・レノンの死であり、ある人にとってはジョン・ボーナムの死であり……いかりや長介が死んで涙する人もいたし。
彼の詞は、小市民の幸せや不条理に細やかな愛情を注いでいるところがいいんだよね。
あと、東京の、美しいガ行鼻濁音づかいといい、「ナニナニさ〜」とか「ナニナニだぜ〜」とか、「さ」とか「ぜ」の使いこなしの見事さね。
あれはきっと、トータスが「なにもいわんでもええねん!」とか唄うときの「ええねん!」という感覚が、我々よりも関西の人間にはグッと身体的に感じられるように、我々には「さ〜」や「ぜ〜」の感じがぴたっとくるよね。

夫: なんでも自分に引きつけて考えちゃうけど……自分も東京の西に住む人間となって……息子が国立(くにたち。RCの歌詞に出てくる)の学校にかよって、「吉祥寺あたりでゲロ吐いて……(『いいことばかりはありゃしない』)」とかよう。
多摩蘭坂とか。そういう歌詞にいちいち、感じちゃうんだよなあ。(泣く)

私: その時代時代の人間にとって、言霊のように降ってくるものって、きっとあるんだよね。たとえば中原中也の詩、だとか、小説の一節とか。
我々にとっては、キヨシローの詞が、ふだんは忘れているようでも、なにかの拍子にふっと降ってくるんだよね。
というか、青春の、心がもっとも敏感だったころに聴きこんでいるから、もう自分のつぶやきと同化して、自分の中の言葉になっているんだよね。

夫: 好きな人(音楽)はたくさんいたけど。でも俺にとっては、やっぱり、キヨシローなんだよ!あの、詞なんだよ。ちくしょう飲まなきゃやってられないぜ。
あのさー和泉式部の、「はるかに照らせ山の端の月」ってあるじゃん。

   (註:「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端(は)の月」という、和泉式部の歌。暗い恋の道に迷い込んでしまいそうな自分を照らしてね……という歌。)

俺、あれを読んだとき「ああこれは、『ハイウェイのお月様』(RCの歌。仲井戸麗市がリードボーカル、キヨシローはコーラス)だ!と思ったよ。

私: ニッポンの心だねえ。アハハ、あのさー婚約時代に、私が、『ハイウェイのお月様』をマスターしろと無理強いしたことがあったよねえ……アハハ……

夫: ああ、ハモれとか言っちゃってな。「おーつーきーさーまー」とか。

私: 私がキヨシロー(のパート)よ!とか言って特訓したじゃん。バカだね……

夫: (泣く)ああいう人は、俺にはもう出てこないだろうな。今の若いヤツにはわかるのかなあ?それがすごく気になるよ。自分が高校大学くらいに聴いて、『トランジスタ・ラジオ』の出だしなんかまさに昔のニッポンの高校生なら誰でもああ!と感じるじゃん、ああいう感覚は、来るのだろうか?

私: それはしょうがないんじゃない?自分が最も感じやすかった時代に、彼に触れていられたことは幸せなことだったと思うしかないでしょう。

夫: 後悔のない生き方をしたいなあ。

by apakaba | 2009-05-06 14:16 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(4)
Commented by ぴよ at 2009-05-06 15:32 x
心よりご冥福をお祈り・・・したくない。
まだ本当に逝ってしまったとは信じられなくて。信じたくなくて。

キヨシローのあの歌・この歌が、全て自分の青春時代の思い出と
見事なまでにリンクしていて。
私達の世代ってみんなそうなんじゃない?
我が家でもダーと2人でひとくさり語り合いましたね。
「もうあんなカッコイイ人は出てこないだろう」ってうちも言ってたよ。
最期の最期までシビれる程カッコイイ人だった。
今もまだシビれてるよ。キヨシロー、永遠に。
Commented by apakaba at 2009-05-06 15:38
ぴよさん、そちらのご夫婦談義とおんなじことをしていたのねということを知って、あはは。やーね。世代だね!
彼は、がんにかかってから自身のブログに「この新しいブルースを楽しみたいと思っています」と書いてた。
こんなこと、言えるか他のヤツが?!
どの瞬間も、すべて受け入れて楽しく生きようとしていたんだね。
私ががんになったら、絶対にパクらせてもらうよ!
Commented by MusicBlog at 2009-05-06 21:36
apakaba さん、こんにちは。

今日は忌野清志郎さんの話題が多いですが、ただ生きていているだけで何の役にも立たない人よりも、体は消えても作品として心の中に残っている人の方が素晴らしいのではないでしょうか。

私がブログで紹介しているミュージシャンの中には既に死んだ人たちも何人かいますが、その人たちの音楽は今でも私の心の中で鳴り続けています。

私は優れた作品を創ることは出来なくても、そうした人たちの作品を紹介したくてブログを始めました。 英語の苦手な人でも対訳を添えることで、理解の手助けくらいは出来るかな・・・と思ったからですが。

コメントどうもありがとうございました。
Commented by apakaba at 2009-05-07 08:00
MusicBlogさん、ご訪問ありがとうございます。

昔、読書をよくしていた時代に(今は読書量がすっかり落ちまして)、好きな小説家の作品を読破してしまうことが寂しくてならず、どうしても完全読破ができなかったことがあります。
もう亡くなっている作家だと、読み終わってしまったら新しいものは読めないから。
キヨシローが亡くなったのはそれに似た感覚があります。
ほとんど聴くことがなくなっていても、たまーにテレビに出ていて、にこにこしながらギターをもてあそんでいる姿を見るだけでうれしかったから。

まあ、生きているだけで役に立たない人間なんてほんとはいないんだけど、人により多く求められる人間というのはいますね。
そういう方でしたね。

貴ブログのご紹介されている曲は、私にとってとても、とてもインタレスティングです。
(あくまで基本路線は)痩せても枯れても洋楽派……だし世代的にもうれしいチョイス。
今日は「ヒア・カムズ・ザ・サン」でしたね。

http://apakaba.exblog.jp/659094/

ビートルズつながりで、6年前に書いた記事ですがレット・イット・ビーの歌詞のことを。


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