あぱかば・ブログ篇

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2009年 11月 15日

サヨナラ、K国さん

しばらく更新が止まってしまった。
とても大切なお友だちであった、大分に住むK国さんが、ゆうべ亡くなってしまった。

昨年の5月ごろから具合が悪くなって、私も入院中の病院へ昨年8月にお見舞いに行ったのだが、それが最後となってしまった。
しかし、お見舞いのときの様子はまさに元気いっぱいで、がっちりとした逞しい体躯は以前と変わらず、「この病院はええよ!おすすめ!」とパンフレットを見せながら説明してくれたりして、いっしょに連れて行った子供たちも「なーんだ、元気だったね。退院したらまた泊まりに行こう。」と、すっかり軽い気持ちになっていたのだった。

そんなふうに明るいお見舞いをしたため、それきり、完全な回復を信じて疑わずにいた。
だから、11月に入ってから、友だちから「K国さんが危篤」だという話を聞いたときは寝耳に水であった。
ついこの前も、「アキタコマチ」が
「オレ、高校受験が済んだら久しぶりに大分に遊びに行こう。K国さん驚くだろうな。オレが大きくなったから。早く行きたいなあ。」
などと話していたのに。
「アキタコマチ」の言葉を思い出したら、どうしても危篤のことを言えなくなってしまった。

私にとっては、K国さんは、年の離れたお友だち以上の人だった。
「アキタコマチ」は、4年前の、5年生のときに不登校となり、1学期をほとんど出席せずに家で過ごしていた。
夏休みに入って、ネットの知り合い同士で集まったときに、K国さんと初めてお会いした。
K国さんは、初対面にも関わらず「大分に、子供連れでいつでも泊まりにいらっしゃい。」と言ってくださった。
その言葉に甘えて、学校に行きたくてもなかなか体がついていかない「アキタコマチ」を泊まりに行かせたのだった。
私は1泊しただけで帰ったが、「アキタコマチ」は、初めて会ったK国さんとそのご家族と、そのあと数日間いっしょに過ごさせてもらい、2学期からはちゃんと登校するようになった。
(そのときの報告は大分に行った話に書きました)

K国さんが、息子のいいところをたくさん見つけてくれて、子供扱いせずに個人としてつきあってくれたことが、息子の心と体の調子が戻る突破口になってくれた。
だから、私の家にとっての恩人なのである。
その翌年は「アキタコマチ」と「コシヒカリ」、その翌年は「コシヒカリ」だけ、と、3年つづけて泊まりに行かせてもらってきた。
いつも子供ばかり行かせて、任せきりにして悪いなという気持ちもあったが、それを喜んで引き受けてくれるのがK国さんのご家族だし、子供たちにとって、家族から離れて人の家に泊まりに行くのはとても心躍る体験なのだった。
子供たちはしょっちゅう大分の話をするし、まるで自分の親戚のようにK国さんのご家族の話をしては、「また行きたい!」と言うのだった。

危篤のことを知ってから、どうしても、子供たちにそのことを言い出せなかった。
だからといって亡くなってしまってから「亡くなったんだよ」と言うのも、つらい。
どうしたらいいだろう。
11月の1週間ほど、ずるずると悩みながら過ぎてしまった。
そしてその間、K国さんが私にかけてくれた言葉、とりわけ子供たちについてのコメントをひとつひとつ思い出しては、毎日、毎日、人のいないときに涙を流していた。

「『アキタコマチ』は才能がある、いつでもおもしろいことはないかとさがしてる。目がキラーンと光ったときが悪巧みを思いついたときです」
「『コシヒカリ』ちゃんは静かにしているときでもシッカリ大人を観察してます、大人は見抜かれてる、あぶないあぶない」
などというふうに。
子供にとって、自分の存在を全肯定してくれる大人が遠くで見守ってくれていることは、どれほど心強いことか。
それは、長く生きていて知り合いが数多くいる大人たちには実感できないほどの励み、いやそれ以上に、“絆”になっているのである。
だから言えない、でも……

危なかった状態を脱したタイミングに、ちょうど友だちがお見舞いに行き、「口は利けないけど意思の疎通は十分にできる。でも行くなら一日でも早く。」と報告してくれた。
ベッドに横になっている写真を見ただけでも涙が止まらず、自分がこんな調子ではお見舞いに行ってきちんとしていられることはできそうにない。
そうだ、「アキタコマチ」に行ってもらおう。
K国さんにかわいがってもらっていた息子なら、私の顔を見せるよりももっと励みになるはずだ。
息子に、とうとう話した。

「えっ。」
と言ったきり絶句し、なにが起きたのか理解できない様子だった。
「どういうこと?去年会ったとき、あんなに元気そうだったのに。」
しばらく困惑し、私が「お見舞いに、行く?」と聞くと、はじめこそ放心しつつも「うん、行く。」と答えたが、何時間か経ってから
「オレ、やっぱり(お見舞いで正気を保つのは)無理かも……」
と言ってきた。
翌朝、起きてきたとたんに
「おはよう。オレ、きのうのことが全部“どっきりでしたー”っていう夢を見た。K国さんが病気なのもウソで、K国さんのブログに出ていた病院の写真とかも、おかーさんが作って適当に貼り付けたウソで……っていう。
……どっきりだったらよかったのに。」
と、今にも泣きそうになりながら話した。
それを聞いて、「やはり子供には重すぎたか。私は、ひどくつらいことを子供に押し付けようとしていたのだ。自分で行かなければ。」と、後悔し、考え直した。

日帰りで大分に行ける日を考えて、奥様の美幸さんに電話をかけ、連絡をやりとりしていたが、12日になったばかりの深夜に「今、亡くなってしまった」と電話が入った。
ところが、12日の早朝に「あのあと、息を吹き返して、戻りました」と……!
聞いてみると、お医者さまが「もう間もなくご臨終なので、あとは親族の皆さまでお過ごしください」と部屋を出ていき、みんながお別れをしているとき、「眞紀さんはお見舞いに来ると言っていたから、一刻も早く知らせなければ」と美幸さんが急いで連絡してくれた、ところが皆で呼びかけているうちに、完全に冷たくなっていた体がだんだんと温かくなり、呼吸も戻ってきた……というのである。
いつまでも泣き笑いが止まらなかった。
だっておもしろいじゃないか……おもしろいなんて失礼だけど……K国さんらしい、としか言いようがない。
「奥方を喜ばせるためには、体を張ってもうひとふんばりします」ってことよね。
そう、あの人はどんなときも絶対にあきらめないし、最愛の奥様を笑顔にするためなら、いまわの際からでもよみがえってきちゃう。
このあと、K国家では何十年と語り継がれるだろう。
「あのとき、亡くなったって連絡をしたりしているうちに、生き返ったんよ!あれはびっくりしたわ!」
「ほんとに最後まですごいじいさんだったなあ。」
親族が集まってそんなことをわいわいと言い交わしている様子が、目に浮かぶ。
想像するだけで、その場に列席しているような気分になって、涙と笑いがいっしょにつきあげてくる。
K国さんが病気に斃れて、いってしまう前にみんなに残してくれた、最後のプレゼントだろう。

K国さん、知り合って4年という短い間、本当にありがとうございました。
痛みと苦しみのない世界に旅立っていき、安らかに眠ってください。

今から、子供たちに話さなければならない。
子供たちは、きっと泣くだろう。
このあと、何回も思い出しては泣くだろう。
でも最後には同じことを言うだろう。
「また大分に行きたいな。早く行きたいなあ。」って。

by apakaba | 2009-11-15 20:13 | 生活の話題 | Comments(14)
Commented by タカモト at 2009-11-15 21:18 x
子供にとっては試練だなぁ。
でもきっと乗り越えられるよ、両親がサポートしてあげて。

俺は、K国さんとは直接のやり取りは無かったんですが。
やっぱ悲しいよなぁ。
でも、実際は悲しんでるみんなを見てて悲しいのかもしれませんが。

K国伝説
そそ、身内では語り継がれるだろうなぁ。(笑)

俺もそんな逝き方がいいなぁ。
あー身内さんにとっては死は悲しいことでありますが。
一瞬は悲しんで・・・後に笑って語られる。。。。。

ご冥福をお祈りします。
そして家族の方々、お体ご自愛くださいませ。
友人知人の方々、K国さんを心に残してください。
Commented by apakaba at 2009-11-15 22:14
タカモトさん、悲しみも喜びも、「感染」するものだと思いませんか。
へんな表現だけど。
直接知り合いじゃなくても悲しい感じがする気持ちって、とても大事だと思います。
人間しか、そういう感染する力を持たないものな。
それで人を思いやる気持ちも出てくるわけだし……大きくいえば世界平和の一歩は気持ちの感染だなあって思います。

さっき、奥様と「アキタコマチ」が電話で話しました。
「アキタコマチ」は暗かったけど「いつか、行くぞ」って思っているはず!
Commented by ogawa at 2009-11-15 22:20 x
K国さんとは、なんどか別府でお会いして、最後にお会いしたのが昨年9月に別府に行った時でした。
あの時も「ogawaさん、もうすぐ酒飲めるようになるからね。」という言葉を信じてました。
最後「生き返った」伝説はこの後も語りつがれるでしょう。
ほんとK国さんらしいや。

悲しいけど、それが現実だよね。
奥様を含めて、みなさんお疲れの出ませんように。

仕事の関係でお通夜や葬儀に行くことが出来ないのが残念です。
気持ちだけですが弔電は送っておきます。
Commented by apakaba at 2009-11-15 23:24
私が泊まりに行ったとき、赤ワインを一本持っていったら「これは高級な味がするねえ」(そんなでもないのだけど)と言いつつあっという間に一本空けちゃった。
しかも外のお店で、いっしょにさんざん飲んできたのに……次はなんの瓶をぶら下げていこうかって思っていたの。
Commented by カルロス at 2009-11-15 23:43 x
K国さんと知り合ってから約3年、実際にお会いしたのは2回しかありませんでしたが、相当に印象深い方でした。
私には眞紀さんのような文章は書けないので、お悔やみだけを言っておきたいと思います。
心残りは今年の3月に九州へ行ったときに無理にでも大分へ行けばよかったな、ということですね。(贈り物しただけなんで)
Commented by ぴよ at 2009-11-16 00:29 x
私はネットでも全くお付合いがなく、お名前だけは眞紀さんのブログや方々で見聞きしていたけれど・・・という状態だった。
お会いしたのがogawaさん同様昨年の9月の別府撮影オフ。
あっと驚くような大病をされたのに、明るく精気がみなぎっていて
本当にお話していて楽しい方でした。

誰からも愛され、誰からも惜しまれる人ですね。本当に。
アキタコマチ君、コシヒカリちゃんがこの事実を受け入れて、乗り越えて、そしてまた大分に行ってK国さんのご家族とK国さんの思い出話が出来るようになる事を信じていますよ。
それが一番K国さんが喜ぶ供養になるでしょうから。
Commented by キョヤジ at 2009-11-16 00:43 x
病気だったから仕方ない、とは言いたくない・・。
あまりにも残念だよねぇ。

一度しかお会い出来なかったけど、それだけで充分、人柄が伝わってきた。
陳腐な表現だけど(そして、世代限定)「マンダム」な人だったよなぁ。
Commented by のこのこ at 2009-11-16 20:02 x
九州の最終日に書いた絵はがきを出しそびれて、静岡から病院に出したけれど、ちょうど届くはずの日にご臨終&復活劇があったのです。

結局ご本人が読むことはできなかったと思うけれど、最後の一行に「私もK国さんみたいに楽しくカッコ良く生きなくちゃ!」と書いたんです。
本当に、あれ以上素敵に生きた素敵な人は他に知りません。
全く惜しいとしか言いようがない。

でも早く逝った分、あの世でもずっと変わらず素敵に過ごすんだろうな、と。

私の旦那も今頃再会を喜んで、味のわからない焼酎を美味いですねえ、なんて適当なこと言いながら二人で奥さん自慢でもしてるかも。

全く、残された方はたまったもんじゃないわよね。(苦笑)
Commented by apakaba at 2009-11-16 22:58
K国さんレス。
カルロスさん、だいぶウマイもの食べさせてもらっていたようですねー。
あっちは魚がおいしいのよね。
心残りは、誰でもあるよね。
それは亡くなった方に対して、決して悪いことではないと思います。

ぴよさん、どこかにも書いたけど、あの人とは、1回会っても10回会っても同じで、一度会えばみんな好きになっちゃう。
まだ娘には話せずにいます。
2ヶ月前のお通夜に、「行きたい。絶対」というから連れて行ったけど、結局はショックで具合が悪くなって倒れちゃってたでしょ。
まだ、人の死を受け入れることがなかなか難しいのね。
息子も毎日、ひとことくらいだけどK国さんの名前を出します。
けなげです。

キョヤジさん、まだまだこれから会って飲めるような気がしてたでしょ!
私もそう。
完全に冷たくなっていたのが生き返ったとき、お医者さんが「こんな症例は見たことがない。きっと、ご本人は希望を捨てていない。ご家族になんとしてもそれを伝えたいと思っているんだ」と話したそうです。
もうさーそれだけで満足よ。
Commented by apakaba at 2009-11-16 23:02
K国さんつづき。
のこのこさん、息子が「どっきりでしたーって夢を見た。」と言うのには、ノックアウトでした。
楽しく生きましょう!
これは本当に、ホンネだよね!
Commented by みさキング at 2009-11-18 23:28 x
初めまして、福岡のみさキングと申します.K国さんの記事を拝見させていただきました.我々バイク乗りはバイク以外のK国さんをあまり知らないので大変感銘を受けました.
つきましてはバイク仲間にも知ってもらいたいのでこのページをリンクさせていただけませんか?
よろしくお願いいたします.
Commented by apakaba at 2009-11-19 00:00
みさキングさん、コメントありがとうございます。
かなり長く、シニアバイクマンには書き込みをしていなかったのに、よくおわかりになりましたね!
みさキングさんのお名前は、コメント欄で拝見していましたよ。

逆に、私からすると、K国さんはバイクに乗っている姿を写真でしか知らない……というのも、不思議な話です。
みんなが少しずつ、自分の思い出を持ち寄って、亡くなった方を悼むのはとてもいいと思います。
リンクもちろん歓迎です。
本文内にある「大分に行った話」も、ぜひごらんになってください。
K国さんのおうちも出てきますよ!

人の死は、いろんな人を結びつけてくれるものでもある、と思いませんか?
私は最近、とくにそう実感します。
それが先に亡くなった方が最後にしてくれることなのかなって。
Commented by みさキング at 2009-11-19 13:14 x
ありがとうございます.私もapakabaさんのお名前をシニアバイクマンにて存知ておりました.これもK国さんが結んでくれたご縁ですよね.
まったくおっしゃる通りと思います.
仕事が忙しいときは気がまぎれていますが,まだまだ何かにつけて思い出しては涙がにじみそうです.
せっかくご縁のある方々がいらっしゃいますし,ネットもありますので思いを共有させていただきたいと思います.自分たちの知らなかったK国さんをもっとよく知るためにも...
Commented by apakaba at 2009-11-19 22:14
みさキングさん、こちらこそ、見つけてくれてありがとうございます!

ひとりのときに、毎日、少しずつ泣きます。
無理に気持ちを抑え込むことはないと思っています。
そして「さあ、がんばろう」と思えるので。


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