あぱかば・ブログ篇

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2009年 12月 12日

心はなにによって動くか・・・聖地チベット —ポタラ宮と天空の至宝—

上野の森美術館でやっている聖地チベット —ポタラ宮と天空の至宝— 展には、行くべきではない。来場者がいればいるほど、中国政府が儲かってしまうから」と、何ヶ月か前にニュースなどで見聞きしていた。

チベット美術が大好きなので、是非とも行きたいと開催前から思っていたが、この展覧会は中国政府機関が名を連ねているから、たしかに入場料や土産物の売り上げで中国政府が潤うことになる。
それに加え、展示される“天空の至宝”はほぼ中国がチベットから略奪してきたものであるにもかかわらず、そのことにはまったく触れず、あたかも、古くから中国がチベットに敬意をもって接し、今はチベットの理解ある保護者であるかのように印象づける解説内容である、という指摘を知るにつけ、二の足を踏んでいた。

2004年からアメリカやヨーロッパ各地を巡回しているこの展覧会には、行く先々で抗議行動が起こされ、主催者からの謝罪が発表されるなど、物騒な話題がついて回ってきた。
「行かないことが、抗議になる」と思って、我慢していた。
しかし、会期が残り一ヶ月となってくると、「やっぱり、どうしても見たい!」という気持ちが抑えられず、中国政府が私のチケット代で潤うのはイヤだけどもうそれはしかたないと割り切って、行ってきた。

やっぱり、チベット文化が大好きだよーッ!
出口で叫びたくなるくらいの美術品がそろっており、“至宝”の看板には偽りがなかった。

よほど図録を買おうかと思ったがやめた。
このすばらしさは、写真ではまったく伝わってこないからである。
ほんものでないとダメという芸術作品は、たとえばルノワールの油彩画でも東大寺の盧遮那仏でも同じことだが、チベットのタンカ(仏画)や仏像を前にすると、美術的な巧拙よりもまず、自分の体に“ルン”が強く吹いてきて、呼吸が止まってしまうほどの胸苦しさを覚えるのだ。
“ルン”とはチベット語で“風(象徴的な意味を含む)”という意味である。
2000年にインドのなかのチベット世界を旅行したとき、つねに強い風が吹きつけていた思い出に因るのだと思う。

インドの山奥で、幸運にもダライ・ラマさんにお会いでき、チベット人に囲まれてカーラチャクラの法要に参列できたことが、私がチベット世界に胸苦しいまでの思いを持ち続けることとなったきっかけなのだ。
学生のころから興味はあったしあこがれは持っていたけれど、実際に行くことで、チベットへの感情移入はそれまでとは比べ物にならなくなった。
この展覧会が、中国政府のプロパガンダに利用されていることは承知だ。
ほんとうに、評判どおり、中国にとって都合のいいことしか解説文に書かれていなかった。
それでもなお、ほんものを見に、上野へ行くべきだと敢えて言う(来年は大阪と仙台も巡回するという)。
超一級品のチベット美術を見て、その力に胸を打たれたら、きっと誰でもチベットに関心を持つはずである。
そうすれば、おのずと中国政府のチベットに対する非道は知れていく。

中国は、この展覧会に関して、決定的なことを見落としている。
チベット“族”(“人”ではなく)と良好な関係を築き、「庇護者」としてふるまうことに汲々としている中国政府には、あのチベット芸術そのものの「力」が、見えていない。
あの、ほんものだけが発するとてつもないエネルギーは、見に来た人間すべてを虜にしてしまうのに。
これを見せれば見せるほど、彼らの思惑とは逆に、チベット支援を後押しすることになるのに。

タンカや仏像を、長い時間をかけて眺めるほどに感じるのは、チベット人は「ここに、なにもかもすべてを表したかったのだな」ということだった。
タンカに目を近づけて仔細に見ていくと、一日かかっても足りないと思う。
地獄や極楽の様子や、高徳の僧の生涯を描いた絵には、よーく見ると「こんなところでこんな悪鬼がなにかやってる!」「な、なんか動物がまぎれてる……」「こんな小さい枠に、まだもう一つ、仏さんの顔が描いてあるー!」と、新しい発見を隠してあるからだ。
その小さすぎ詳しすぎる絵を見ていくと、自然と「よくやるね……」と笑いが込み上げてきて、すぐに「よくやるね……」と涙が出そうになるのだ。

カーラチャクラ父母仏立像(ぶもぶつりゅうぞう)や十一面千手千眼観音菩薩立像(せんじゅせんげんかんのんぼさつりゅうぞう)などをはじめとする、銅製の仏像は、美しくてこわくて、見れば見るほど発見があって目をそらせず、おおげさでなくて呼吸を忘れる。
それにしても、チベット人がイメージする仏の条件は、完璧な容貌を有する、ということか?
顔は、どれもこれも皆、美しい。
カーラチャクラの像など、ダルビッシュみたいにハンサムだ。
体格も、いかにも頑健そうな美しさ。
女性尊ダーキニーのくびれたウエストと大胆に開いた脚、カーラチャクラ像の長い脚と引き締まったヒップ、弥勒菩薩立像のくねった腰つきとがっしり張り出した筋肉質な肩。
インドの仏像とも、中国の仏像とも、日本の仏像ともまるで異なるその魅力。
ないものがない……肉体のすべての魅力が、備わっている。
我を忘れて見とれ、頭のどこかがびーんとしびれたようになってしまう。

ダライ・ラマ14世が亡くなったら、チベットの未来はそうとうに暗いだろう。
だからこそ、ほんもののチベット美術を見てほしい。
「見に行ってはいけない」という批判は、政治的には正しいが、やはりまず、チベット文化の物凄さを知ることのほうが大事だと、私は思う。
人の心を最終的に動かすのは、プロパガンダを論じることではなくて息を呑む文化体験だと思うからだ。

by apakaba | 2009-12-12 00:37 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(6)
Commented by ぴよ at 2009-12-12 08:11 x
私の友達でチベットに心酔して何度も彼の地へ足を運んでいる友達も同じ事を言っていました。
「この展覧会だけは見に行って金を払ってはいけない」と。
それが言えるのは、やっぱりその友達が彼の地の素晴らしさ、チベット仏教を深く理解しているからこそなんだろうと思いますよ。
つい先月ですが、ダライラマさんが東京にいらっしゃって説法会がありましたよね。友達は参加してダライラマさんとお近くでお話が出来たと喜んでいましたよ。

この展覧会に行って中国の非道を知るのもあり。
この展覧会に行かない事で中国の非道を世間に知らしめるのもあり。
どちらにしろ、私は中国のチベット弾圧を非難する者の1人です。
Commented by apakaba at 2009-12-12 10:38
行くのと行かないのとどっちが絶対にいいのかは、わからないよねえ。
自然保護とか世界遺産の観光とかも同じで、「最後の秘境」とかいわれているところは、みんな行ってみたい。
でも人が来るほどに荒らされてしまう。
でも実際に行けば、その場所とは一生、愛情で結ばれる。
(行かなければ、そこが破壊されてもどこかひとごとだし。)

チベット人がまったき善で、中国がまったき悪だ、とは思ってない。
一人一人で見れば、両方にいい奴と悪い奴がいるもの。
でもとにかく中国政府の少数民族へのふるまいは非道だというのは事実でしょう。
ウイグルや、山岳民族に対しても。
ダライ・ラマさんはその少数民族のアイコンだもんな。
ほんと、健康に気をつけて1日でも長く生きてほしい。
Commented by キョヤジ at 2009-12-12 13:10 x
この展覧会には興味があって、チケットプレゼントに応募したけど当たらなかった。
きっと呼ばれていないのだろう、と。

以前、某公共放送でチベット・ラサについてのドキュメンタリーを見たのだけれど、酷いものだったなぁ。
鉄道開通により漢資本が流れ込み、古きよき物が急速に失われ(破壊され)て居る事実。
ポタラ宮の前なんかだだっ広い舗装道路だったのには幻滅したなぁ。

あと、漢人小成金ホテルオーナーが日本人観光客向けの土産物として、村々を回り、仏像やタンカなどを金に物を言わせて買い捲っている。
年寄りは売りたがらないのだが、若い世代は、ほんの少しの金が欲しくて、先祖代々受け継がれてきたものを簡単に手放していた。
そして、ホテルではそれを数~数百倍の値段で売っている。
バカな日本人がそれを買い、漢人だけが益々潤っていくという腹立たしい事実。

嘆息・・・そんなドキュメンタリーだった。
Commented by apakaba at 2009-12-12 13:29
それは私も見ました。
あれはつらかった。
もう、ラサをあこがれの地と考えることに違和感があるものね。
そうなるとインドやネパールの山奥に暮らしている亡命チベット人のほうが、なんだか幸せそうというか……でもそんなはずないし。
チベット人の幸せは、法王が生きてポタラ宮に帰り、自分たちはラサそしてチベットに住むこと、なのだからね。

あのドキュメンタリーで美術品を下品に集めるホテルオーナーを見て思ったことは、本文にも書いたように、漢人からすると、あの(古)美術は人の心をゆさぶる力を持つ、と、わからないのかな?ということ。
そんな、ちっぽけな良心に訴えることは無意味なのかなあ……あまりにもいいモノがそろっていた展覧会だったから、感動もひとしお、同時に悲しみややるせなさもひとしおでした。
Commented by のこのこ at 2009-12-14 12:30 x
力作ですね。
チベット美術への愛情がヒシヒシ伝わってきました。
私がイランのイスファハンのモスクを見てるときと同じような感情なんだろうな。
中国政府云々なんてどうでもいいんだよ。
好きなもんは好き。それが一番強い。
Commented by apakaba at 2009-12-15 13:04
いろんなトコが好き……なのよねえ。
でもやっぱり、行ったところは好きだよね。
直接に触れないと、その場所への愛情って育たないものね。
イスファハンはあこがれではあるけど、行ったことないから「愛情」というのとはちょっとちがうな。
行けばイチコロの予感がひしひしだけど!


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