2010年 11月 09日
この大観衆を前にして、いよいよダライ・ラマさんが登場したら、この丘はどんなことになるのだろう。 周りの人々をいくら眺め回していても、まるで予想がつかない。 今日はまちがいなく、11世紀のキー・ゴンパ建立以来最高の人出だと言い切れる。 スピティ最大・最古といわれるキー・ゴンパが、揺れるほどのどよめきが起こるか? まるでロックコンサートみたいに、興奮のるつぼと化し、泣きさけんだり失神する者が出たりするのか? 群衆は、一瞬にして、ひとつの大きな“幸せ”に統括されるのだろうか。 だとすれば、この厳しい暑熱と、清濁がまさに隣り合わせに押し込まれた会場の喧噪も、活仏の前にひれ伏す瞬間へと向かう、予定調和なのか……。 私はその瞬間が見たい。 けれども、その気持ちが強まるにつれ、同時に“なぜ、信仰を持たず、無目的な自分が、こんなところに居合わせているのか”という後ろめたい気持ちも、頭をもたげる。 (中略) 風は止んでいたはずなのに、さーっという衣(きぬ)ずれの音を、木の葉の擦れる音に聞きまちがえ、私は、またいつもの風が吹いてきたのかと思った。 ダライ・ラマさんが、説法開始予定時刻の午後一時より10分ほど早めに現れ、高座のお坊さんたちが一斉に立ち上がったのだった。 彼らは合掌しつつ頭を下げ、海老が泳ぐような姿勢で、お尻から後ずさっていく。 ダライ・ラマさんがそのひとりひとりに笑顔でみじかく言葉をかけると、順番に海老スタイルをやめて直立に戻る。 私たちのほうは、皆あわてて傘をたたみ、会場全員で立ち上がって手を合わせた。 とうとう、法王が登場したのだ。 音楽も銅鑼も鳴らなかったし、人々も歓声など上げなかった。 ただ静かだ……、とてもいい!と思う。 こういうことだったのか、とも思う。 活仏は、ロックバンドのようにでも煽動政治家のようにでもなく、笑顔のみで、この大群衆を黙らせた。 ちょうど10年前のことだ。 インドヒマラヤの奥地スピティで、カーラチャクラ法要に参列し、初めてダライ・ラマさんに拝謁した。 このインド旅行は、あちこちへ出かけている私にとってもとりわけ思い出の深い旅であり、なかでも偶然が重なってダライ・ラマさんとお会いできたことは生涯忘れられない経験になった。 2003年11月に来日されたときにも、講演会に行った(ダライ・ラマさんの講演会)。 2000年も、2003年も、彼の印象は同じだった。 闊達な動作、張りのある声、もし周りの僧侶たちがみんな疲れて伸びてしまっても、あの人だけは疲れ知らずでいつまでも説法や読経をつづけられそうな……、まさしく活仏。 しかし、今回、東大寺大仏殿の後堂(裏庭のようなところ)に現れた法王を見たとき、“あれから10年経った。お年を取られた”とはっきり感じた。 体の張りがしぼんだというのか、ひとまわり小さくなったように思われた。 そればかりか、だいぶひどく風邪を引かれているようで、声が、以前の凛々としたお声ではなく、年寄りらしい声に変わってしまっていたことに、激しく動揺した。 風邪だから、声の変化は一時的なものだと思いたい。 だが、絡むような咳がしばしば出て(咳き込むというより、しわぶくといったほうが似合う)、聴衆に遠慮しながらも我慢できずに幾度となく鼻をかむ様子を見ていると、「あれではこのあと熱が上がってきそうだ」と心配になった。 75歳という年齢を考えても、14世の時代がこの先そんなに長く残されているとはいえないだろう。 もしかしたら、私が生きて法王に拝謁できるのは、これが最後か……10年前、7年前の拝謁のときにはまったく浮かばなかった考えが浮かんできて、手を合わせながら自然と涙がにじんでくる。 それでも、聴衆からの質問コーナーも含めて2時間を、びっしりお話してくださった。 午前中から法話をしていたというし、もしかしたら風邪と疲労で途中で退場してしまわれるのではないかと気を揉んだが杞憂に終わってなによりだった。 ダライ・ラマさんが昔から一貫して言っていることは、「自分はあくまでも、ひとりの人間だ。皆さんとまったく同じ。」ということである。 自分に人を助けたり、今風にいえば“癒し”を与えたりなど、できるはずがない。 ちかごろ流行りのヒーリングパワーなど信じちゃいないし、第一、わたしにそんなパワーがあるならまず始めに、自分のこのしつこい風邪を治してしまえるでしょう? 風邪のことは冗談としても、インスタントに“癒し”や“救済”を求めたがる衆生を、そんなわかりやすい表現で戒めてくれているように思えた。 客席には、名門男子校の東大寺学園の生徒さんたちも一角を占めていた。 ダライ・ラマさんは、この学生さんたちに向かって、とりわけ熱心に語りかけていらした。 わたしは20世紀の人間ですが、若い皆さんはまさに21世紀を生き、つくっていく人たちです——末席の彼らに、しばしば体をねじって向かい、話した。 政治的なことについては決して言及しないダライ・ラマさんだが、万感の思いで次の世代の人たちに相対していたのだろう。 そう想像するだけで、また胸がいっぱいになった。 伽藍の内と外で、ちょうど背中合わせに、毘盧遮那仏とダライ・ラマさんが座っていた。 だからなんだというわけでもないが、そのことがうれしく、心強いものに感じる。 早く風邪を治して、お元気に、少しでも長く、生きていてください。 がんばってください。 会が終了して、去っていく後ろ姿を合掌して見送りながら本気で祈った。 彼が亡くなってしまったら、チベットはもう……
by apakaba
| 2010-11-09 23:43
| 国内旅行
|
Comments(9)
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のこのこ
at 2010-11-10 07:12
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なんか、泣けます。
活仏といえども人間かあ。彼の葛藤や焦りもいかばかりか。大きすぎるものを背負った彼の真摯なパワーに圧倒されます。 すごい文章力だわ。
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たがめいぬ
at 2010-11-10 12:25
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apakaba at 2010-11-10 17:49
ダライ・ラマさんレス。
のこのこさん、どうもありがとう。 もうねー私ができることなんて一つもないんだけど、せめて少しでも多くの人に読んでほしいです。 チベットのことは。 だから真面目そのものに書いてしまうの! twitterでも読んでくれた人がたくさんいるみたいで、うれしい。 たがめいぬさん、人間があんなふうに人間や土地を蹂躙していいはずがない! 許せない、って気持ちだけはあるけど、具体的にはなにもできない。 だから高いチケット代(S席9000円でした)も払います。 このお金が少しでも役に立てれば。
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那由他
at 2010-11-13 18:18
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チベット仏教のことは詳しく知りません。
ただ、パンチェン・ラマとダライ・ラマとが、転生した人物を相互に認定しあう(そのため、中国政府が、ダライ・ラマ14世が認定したパンチェン・ラマ11世とは別のパンチェン・ラマ11世を擁立した)と聞いていましたし、チベット仏教徒にとっては、転生した、観音菩薩の化身として信仰の対象だと思っていたので、「自分はあくまでも、ひとりの人間だ。皆さんとまったく同じ。」と一貫して言っておられたと知り、池上彰さんの言葉ではないですが、「そうだったのか、ダライ・ラマさん」と、新しいことを教えてもらった気がしました。
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apakaba at 2010-11-15 11:25
那由他さん、いえいえもう十二分にお詳しいです!
ダライ・ラマさんは、「自分は人間であり、不思議パワーなんか持ってない。一介の修行僧だ」ということを、ずーっと言いつづけています。 あの人にお会いすると、たちまち魅了されて、周りが勝手に癒されちゃって、勝手に元気になってしまう、という感じです。 「いつかもしも自由の身になったら、ひとりの人間、ただの僧として旅をしたいです」と、インタビューなどでよくおっしゃいます。 それを聞くだけでも涙が出るし、怒りとやるせなさを覚えます。
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那由他
at 2010-11-16 14:41
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先月「高僧と袈裟」展を観たところだったので、「一介の修行僧」ダライ・ラマさんの袈裟(というのか法衣というのでしょうか)こそ、ダライ・ラマさんの生き方を示しているように思いました。
ダライ・ラマさんが、チベットで自由に生きることが許されるよう、願います。
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apakaba at 2010-11-17 07:43
そうですね。
絶望を先回りしても仕方がありません。 映画『クンドゥン』の、若きダライ・ラマがチベットからインドへ脱出していくシーンを思い出すと反射的に涙が出てきますが、また戻れるようになるといいな……と思います。 しかし袈裟ってあまりにも薄いですね。 防寒にはちっとも役立っていないなと思いました。
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apakaba at 2010-11-21 00:14
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以前はエイビーロード「たびナレ」や「一生モノ https://issyoumono.com/」などでウェブライターをしていたが今は公立中学校学習支援教員のみ。 子供のHNは、長男「ササニシキ」(弁護士)、次男「アキタコマチ」(フランス料理店料理人)、長女「コシヒカリ」(ライター・編集者) by 三谷眞紀 カレンダー
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