あぱかば・ブログ篇

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2010年 11月 21日

イエス様がプレゼント

「わたしが思うにね。これは、聞いたこととかじゃなくて、わたしが思っていることなんだけど。」

きのう、アフタヌーンティールームでケーキを食べながら(きのうの話)、「コシヒカリ」がいきなり真面目くさって切り出す。

私 :え、なあに?
コ :ずっと前から考えていたことなんだけど、クリスマスツリーのてっぺんのスターって、あそこでイエス様が生まれましたよっていう目印でしょう?(このことを3年前、ブログに書いた。「スターあっての、クリスマスツリー!」なかなか感動的な話)
東方の三博士が、その星を目印にして祝福に来たっていう。
私 :うん、うん。

3年前のことを思い出すと、言葉遣いがだいぶ大人びてきて微笑ましい。

コ :その、光っていたスターのふもとに、イエス様がいたでしょう。
それで……ほら、クリスマスツリーの下に、プレゼントを置くでしょう?あのプレゼントは、イエス様のことなんじゃないかと思うの。
私 :んんんーー?
コ :つまりー、イエス様がプレゼントで……クリスマスのプレゼントは、イエス様の代わりっていうか……イエス様がプレゼントだったの。プレゼントがイエス様なの。

私 :ああ、クリスマスプレゼントはイエス様を象徴しているということ?そういう意味?
コ :うん、そうそう!
私 :イエス様が、私たち人間に贈られたプレゼントということだね?
コ :うんうん、そうそう!

私 :ナルホドー。すごいねよく考えつくね、そんなこと。思ってもいなかったよ。
コ :え、そう?わたし、昔からクリスマスツリーの下のプレゼントってイエス様を表してるんだと思ってた。


本当にごくたまになんだけど、“この子には敵わないなあ”と思うときが、あるんだよね。

by apakaba | 2010-11-21 22:48 | 子供 | Comments(6)
Commented by グッドバランス at 2010-11-22 01:47 x
すげーぞ^_^; コシヒカリちゃん。
確かに、イエスさんは、生贄(犠牲的プレゼント)的役割を通じて、教えを説いたもんなぁ…
聖書100回読むより、コシヒカリちゃんに解説してもらったほうがイイねぇ。
Commented by ぴよ at 2010-11-22 01:53 x
うん、うん、覚えてるよ、
ツリーの上に☆がないのは云々・・・
実言うと、ここに「毎年てっぺんに☆を飾ってたけど今年はやめた」
と書いたものの、その後やっぱり復活させて今もずーっと
ツリーのてっぺんには☆を飾るようにしてますよ。

そしてプレゼント。
正しくコシヒカリちゃんの言う通りでしょう。
人類全てに対するプレゼントとして生を受けたイエス・キリスト

んな事はどーでもいいから、とっととヒカリモノ貢げや!というのが
ここ最近の正しい(謎)クリスマスの形になっているんじゃない?^^;
Commented by apakaba at 2010-11-22 08:08
イエスレス。
グッドバランスさん、子供がクリスマスプレゼントの本来の意味合いを考えていた、ということに、まずけっこう感動しました。
フツー、子供にとってクリスマスなんて、なにか買ってもらえる日でしかないもんねえ。
やはりキリスト教会付属の幼稚園に行っていたのが、大きく影響しているんだなーと思ったわ。教育の成果だな。
うちはクリスチャンではないけど、そうやって、キリスト教とか仏教とかの大きな宗教を、曇りのない心の間にしっかり学ぶことはとてもいいことだと思います。
心が曇ってからだと、「宗教」というと知ろうともしないで、アレルギー反応を起こす人、多いでしょ。あれは残念だ。

ぴよさん、3年前にもコメントありがとうでした。
あの3年前の憤慨は、「かわいいなあ」という気持ちとともに、子供に星の意味を教わった体験でした。
娘も大きくなったら、ヒカリモノをもらうようになるでしょう(なるはずだが)。
でもきっと子供のころに「イエス様は、わたしたちにもたらされたプレゼント」と考えたことは忘れないだろう。そうだといいな。
Commented by 那由他 at 2010-11-24 16:09 x
上の子は、聖公会系の幼稚園、下の子は、引越ししたのでプロテスタント系の幼稚園に行ってました。
どちらの幼稚園でも、「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」(伝道の書 12:1)は、よく見聞きする暗誦聖句だったと思います。
新共同訳では「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」(コレヘトの言葉 12:1)ですが。

コシヒカリちゃんの心にまかれた、キリスト教の種が、芽吹いたのかもしれないですね。
なぜ、イエスが地上に送られたか(贈られたか)わかる時も、備えられていることでしょう。

幼稚園で読み聞かせしてもらった話に、「もう一人の博士」(ヘンリー・ヴァン・ダイク)がありました。
cf. http://butapenn.com/christmas/story1.html
もう一人の博士、アルタバンは、誕生の場に間に合わず、33年間、探し求める人生を送り、最期の時、救い主から言葉をもらいます。
Commented by 那由他 at 2010-11-24 16:10 x
続き

幼稚園での聖誕劇では、東方の三博士も羊飼いも一緒にいますが、星に導かれて来たのは東方の三博士(マタイによる福音書 2:1-16)で、天使に導かれてきたのは羊飼いたち(ルカ2:8-17)
ですから、イギリスなどでは天使をツリーのてっぺんに飾るのかもしれません。
ちなみに、共観福音書の中で一番古いマルコによる福音書では、
イエスの誕生の場面は書かれていません。

誕生、受難、復活は、つながりのあるワンセットのものだと思います。
Commented by apakaba at 2010-11-24 17:32
那由他さん、とても詳しいんですねえ!
那由他さんはクリスチャンでしたか。
そうでないとこんなに詳しくいろいろと出てこないものですよね。
私も、娘が幼稚園に行っていたころは母の会というものに出て、聖書を読んで勉強していました。
私の聖書は傍線だらけで甚だ汚いです。
でも印象深い文は線を引きたくなるんですよね、あの小さーい文字を見ていると。

降誕劇もやっていました。毎年、まったく同じ演目を。
羊飼いや天使の役もありましたねえ。
聖書もバージョンちがいで書いてあったりなかったり、理解は難しいですが岩波新書『聖書の読み方』をこの前読んで、「それでもいいんだ」と開き直る気になりました。


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