あぱかば・ブログ篇

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2011年 01月 20日

同級生

おそらくAはクラスで一番背が低い男だった。
ずば抜けて背の高い夫(当時は友人)と並ぶと、双方とも身長差をもてあましているように見えた。

私と夫が在籍していた大学の国文科1組は、4年間クラス替えをすることがない。
40〜50名ほどのクラスメイトは、まるで高校までのクラスのようにこぢんまりまとまっていた。
Aとは、そんなクラスの仲のいい遊び仲間だった。
たびたびみんなで旅行に行ったり、同じ短期のバイトをしたり、家に泊まりに行ったり来たりしていた。
Aは関西出身で、たまに混じる関西のアクセントが当時の私の耳にはめずらしく響いた。
私は彼を「A」と名字呼び捨て、彼も私を「I」と名字呼び捨てにしていた。
私に向かって、
「あのな、I、俺、前から思っていたんだけど。お前な、T.REXのマーク・ボランに似てる。」
などと突拍子もないことをたまに言った。

彼は音楽をやっていて、ライブハウスでギターを弾いていた。
ライブにもみんなで義理で行ってみたら、意外にもステージでの彼はカッコよく見えた。
夫(当時は友人)は、
「あいつ音楽やってるときだけすげえカッコいい。ミック・ジャガーに似てる。」
と言って写真をたくさん撮っていた。
夫は当時、我々のグループ内では“記録係”とされていて、友だちの写真を撮る係だった。

小さなクラスの中で、男子と女子はつきあったり別れたりをくり返していた。
私もそうだったし、夫(当時は友人)の片思いも、Aの交際そして別れも、クラス中に瞬時に知れ渡るという環境だった。
Aはある女子と破局してから、しばらくヤケクソだった。
ある年の初めには、
「I、俺の今年の抱負聞いてくれよ。“暴飲暴食”。」
「暴飲暴食ー?」
また次の年の初めには、
「I、俺の今年の抱負。」
「今年はなによ。暴飲暴食を超える抱負があるわけ?」
「ん、ふふふ、驚くなよ、“何でもあり”だ!」
「何でもありー?だんだんひどくなってない?」
と呆れたこともあった。

根が真面目な人間なので、国語国文学の発表のときなど予想外の大演説をぶったりして周囲を驚かせていたが、卒業すると、就職せず「小説を書く」と言い出して、東京に残ってバイトで肉体労働をしながら、しばらく執筆活動をしていたようだった。

私はその後、クラスメイトと結婚して子供が生まれて、自分の生活が忙しくなってしまったから、Aがどうしているかよくわからないままという年が続いた。
一度、「ササニシキ」が2歳、「アキタコマチ」がお腹に入っていて臨月というくらいに、スイカをぶら下げて家に泊まりに来た。
そのとき彼は、白いTシャツに真っ赤な総バンダナ柄のズボンという異様に目立つ服装をしていて、数年ぶりに集まったメンバーも「あいかわらずAは……」と苦笑していたのだが、それを最後に会う機会がなくなった。
学生時代のように飲み明かして雑魚寝して、それっきりだった。

半年くらい前、家から二駅の駅前で、ばったりAに再会した。
東京の西の地域で展開している個別指導の塾の先生をしているという。
のみならず、その校舎の校長だという。
肉体労働者はやめて、塾の先生になったという噂は聞いていたが、うちのすぐ近くで、そんな出世していたとは。
やはり根が真面目な男は巻き返しも速い。
そのときは急いでいたから挨拶だけして別れた。

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娘の「コシヒカリ」の成績がよくないことが気になり、塾をさがしていて、Aを思い出した。
あそこに入れるか。
はじめは「おかーさんとお父さんの友だちなんて、なんだか恥ずかしい」と嫌がっていた娘だが、
私が
「でもね、塾の先生ってひとくちに言っても、いろんなレベルの人がいるんだから。勉強がたいしてできない大学の学生とかを使ってるところも多いんだよ。
勉強を教わるからには、勉強のできる人から教わらないとダメなの。これだけははっきりしてる。
まあホラ、その点、Aくんはおかーさんの同級生でもあることだし、学力的にはさして問題ないわけだよ(私も昔は勉強ができたのです)。
なにより、人柄がわかってるから安心でしょう。
塾の先生って、そう言ったら悪いけど変わり者でおせっかいで社会の落後者みたいな人がいっぱいいるんだよ。だったらおかーさんたちの友だちのほうがいいでしょ?」
と説得すると、気が変わったようで「やっぱり、入る」と言い出した。
まあ、Aもじゅうぶん変わり者で人情家でしばらく就職もしないでいたヤツなのだけど。

私と娘で、その塾に行ってみることにした。
なにも連絡しないでいきなり行くから、もしかしてAはいないかもしれないと思ったが、中に入ってみたら、いた。
私が「よう」と声を掛けると、バンダナ柄のズボンではなく小柄な体をスーツで包んだ彼は、一瞬ぎょっとしていた。
それはそうだろう。
ふつう、予約もなくふらっと入ってきた母子連れの母親は、校長に向かって「よう」という呼びかけはしない。
A校長はビクッとして目を見張って私の顔をまじまじと見てから、「おわあああー!」というような叫びを上げた。
「なんだよビックリしたよ!お前か!俺、俺、……ああびっくりした!……え、こちらは……お嬢さん。うわあ!え、そうなの?来てくれたの?」
「うん、成績悪くってさあ。」
「そうなのかー。あっ!申し遅れました。校長の、Aと申します。」
「よろしくお願いします。」
「それにしてもなあー。いやありがとうね来てくれて。うれしいよ。」

かようにして、「コシヒカリ」の体験入塾が始まった。
帰ってくると「よくわかった」と言っている。
あとでAから、報告の電話が来た。
実力は問題ないので、あとは学校での様子次第で内申は上がるだろう、というような話。
電話の会話が、とても不思議な調子だ。
「わたくし、ナントカ塾のAと申します。」
「お世話になっております。」
「本日、『コシヒカリ』さんの数学を担当させていただきましたが……Iから見て、どうなの学校での様子とかって?」
などといきなり口調が砕ける。
「うん、そうだよねー。」
「ふんふん。お前はそう思ってるわけね?」
となるかと思うと、再びあらたまって
「わかりました。それでは、次回は英語ですが……」
と、先生と母親に戻ったり、
「ところでミタニはどうしてんの?元気なの?」
と同級生に戻ったり。
もしこの会話を傍で聞いている人がいたとしたら、混乱するだろう。

今、私のことを、Iと旧姓を呼び捨てにする人はいないし、「お前」と呼ぶ男もいない。
卒業してから、あんなに長く離れていたのに、その声を聞くと、昔に戻るね。
我々が一番、バカやったり騒いだり悩んだり泣いたりしていた時代に。
まだお互いなんにも人生が始まっていなかった時代に。
夢だけ語り合ってた時代に。

たったひとつ変わったことは、彼の言葉から、関西弁が完全に抜けていたことだった。
これだけは年月を感じたなあ。

「コシヒカリ」の成績が上がって、ちゃんと高校に入ったら、昔のように家に招いて一杯やるか。

by apakaba | 2011-01-20 22:58 | 生活の話題 | Comments(5)
Commented by kaneniwa at 2011-01-20 23:13
前から思っていて、言い出せなかったことを
Aさんはずいぶん前に言ってくれていたのですね。

両者とも写真を見た限りなんですが、
私も実は以前からちょっと思っていた。

マーク・ボランに似ています。

BYマーヒー
Commented by apakaba at 2011-01-20 23:24
あははははははっははははははっは
Commented by apakaba at 2011-01-20 23:24
話が、堂々完結してしまう……
Commented by ogawa at 2011-01-20 23:33 x
ええ、話やなぁ。
私も、最近、高校時代や大学時代の友人と20年ぶり30年ぶりに再会しすることがあります。
それって、とても嬉しいことです。

なんていうかな、自分の若い頃を知ってる友人て、時が経っても当時に戻れる大切は関係ですよね。
「敬語」と「ため口」が混じるのがいいですね。
Commented by apakaba at 2011-01-21 08:08
あのころはまったく気づいていなかったけど、学生時代、ほんとに、人生は始まってなかった。
パドックで疾走を待っている馬たちのように。


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