あぱかば・ブログ篇

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2011年 09月 27日

旧姓、の夢

何日か前に発表されたある芸能人の結婚のニュースは、それ自体には興味がなかったのだが、名前だけは無意識のうちに目に留まっていたらしい。
私の旧姓と同じだったからだ。
今朝、起きる直前に夢を見ていた。

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あるときから、自分のフルネームを書くときに、まちがえて旧姓を書いてしまうようになっていた。
いろんな書類に、なぜか旧姓でサインしてしまう。
次々にその失敗を見つけて、焦る。

家ではなくどこかわからない温泉町の集会所のような場所で、私は父の遺品を整理している。
司馬遼太郎の直筆を焼き付けた絵皿が出てきて、父は生前、司馬遼太郎が好きだったなと思い出している。
父は私が幼いころに亡くなったので、父の口から司馬遼太郎が好きだという言葉を聞いたことは一度もないままだったが、立派な全集が書架にならんでいたことから“お父さんはきっとこの人が好きなんだな”と幼心に判断していた。

その絵皿の一文に、明らかに字がまちがっている箇所があった。
それはたとえば、「たとえば」と書くところを「たとれば」と書いてしまっているような、実にくだらないミスだった。
なんでこんなまちがえたものを、絵皿にするんだろうと一人でいぶかしがっていた。

そこへひょっこりと私の姉が来た。
姉とは離れて住んでいて何年も会っていなかったが、形見分けで来たのかもしれない。
ずっと昔に死んだということと、今ごろになって遺品の整理と形見分けというのが矛盾しているが、夢なので気がつかない。

姉は「このお皿はお父さんが司馬遼太郎記念館に行ったときのお土産よ。」と、私の知らないことを言う。
ちょうど段ボール箱の中から父の原稿のような紙(生前は新聞記者だった)が出てきて、そのうちの一枚を何の気なしに引っ張り出すと、父のものではなく司馬遼太郎の直筆原稿だった。
目の前の絵皿と同じ文章だった。
この原稿を絵皿のデザインにそのまま使ったのだということを理解した。
くだらない字のミスがまったく同じだった。
なるほど。ミスをそのまま用いることでリアリティーが生まれ、司馬遼太郎の存在を親しみやすく感じられるというわけか。

自分なりに納得してちょっと気分がよくなったところで、姉が父の遺品を分けろとねだってくる。
姉は風来坊で、私に遺品の整理を全部任せていたくせに、いよいよ整理が大詰めとなったらこうして戻ってくる。
なんていまいましいんだろう。
私が不機嫌になったのを察してか、姉は聞こえよがしに、私の知らない父との思い出などを語り始める。
どこへ連れて行ってもらったとかなんだとか、幼かった私の記憶にはないことばかり。
「お父さんはスマップが好きだったからねえ。」得意げに言う。
「えっ!お父さんって、スマップが好きだったの!?」仰天する私。
「そうよ、知らなかったの?」
姉と7歳の年齢差があれば、持っている思い出の数も段違いだとは、頭ではわかっているが、それでも私は父のことをぜんぜん知らないままだったんだ……(スマップのファンだったなんて……)と、くやしさに涙があふれる。
ふと目を上げて見ると、その集会所の壁には、私の字で書かれた、またしても旧姓でまちがえた名前が、でかでかと額に入って掛けてある。
前の私の名字、姉の名字、父の名字だ。

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そこで目覚ましが鳴った。
枕は濡れていなかった。
たまに、夢での涙が本当に流れていることがあって、起きたとき気まずいのだ。

*司馬遼太郎記念館に行ったときのレポートはこちら→大阪滞在24時間 第6話 司馬遼太郎記念館
こちらは夢じゃありません。ほんとに行きました。

by apakaba | 2011-09-27 09:08 | 生活の話題 | Comments(8)
Commented by minmei316 at 2011-09-27 20:22
apakabaさんの夢はいつもリアルな感じですね

えと、ちょっと変な話をしますけど・・・・いいですか?
もしかしたら亡くなられたお父様、既に早くも生まれ変わっていて
apakabaさんのお傍にいらっしゃるかもしれない・・・
なぁんてね、考えた事はないですか?
そしたらお姉さまよりもずっと幸せかも・・・
Commented by apakaba at 2011-09-27 22:18
文章化するとやたらリアルっぽくなるけど、ディテールはどれもこれも、(自分の中では)種明かしの必要もないほどに単純なのです。
「私って本当におつむがおめでたいわ」と、毎朝呆れながら起きます。

生まれ変わり!というのは、なぜかこれまで一度も考えたことがありませんでした!
そうか〜どうして今まで思い至らなかったんだろう?
近くにスマップのファンがいたらもしかしたらその人が!(この夢の中で一番の衝撃でした)
Commented by 那由他 at 2011-09-30 10:09 x
中学か高校か定かでないのですが、学校から帰って一休みと、テレビをつけてチャンネル回していたら教育テレビで「リリー」という昔の映画をやってました。いろんなキャラの人形が出てくるんですが、操っているのは、1人の男性なんです。それと同じで、夢の中の登場人物も、夢を見ている人の作り出したものでしょうね。

お母さんは、お父さんのことを、お姉さんより知っておられる存在だし、キーワードの旧姓、「前の私の名字、姉の名字、父の名字」と同じ苗字(もしかしたら今は、お義父さんの苗字に変わっておられるのかもしれませんが)なのに、お母さんが登場されないことには、興味深く感じました。
Commented by apakaba at 2011-09-30 11:42
おそらく時間の都合で母を登場させて操ることができなかったのですね。
登場しないので最後にも出てこないんですねえ。
そして親とは何十年も年代が違っていて、父の思い出の数を張り合う存在にはならないけど、きょうだいというのはその辺はシビアに張り合いますよねー。
親ときょうだいってやっぱり全然ちがうスタンスですね。
Commented by 那由他 at 2011-09-30 16:01 x
カインとアベル、エサウとヤコブ、海幸彦と山幸彦…昔から兄弟(姉妹も、かな?)、張り合う関係なんでしょうね。
私も、妹とは、子供の頃は、親を挟んでライバル関係だったと思いますが、お互い、大人になってみると、子として親の思い出話を語り合えるのは、やっぱり妹だけかなぁと思います。(私の場合、「義理と人情の板ばさみ」みたいなちょっとした事情もありますしね・・・
内緒♪(b^ー゜)

お互いに、そんな話、知らんかったわ~なんてことも発見したり。
眞紀さんとお姉さん、それぞれの持つお父さんの思い出話を共有する機会があるといいですね。
Commented by apakaba at 2011-09-30 18:12
ほんとにそのとおりですね。
うちの夫は一人っ子なので、誰ともそういう話はしないままなんだなあー。
でも一人っ子はそれに慣れているからとくになんとも感じないそうです。
成長して、仲よくなればいいけど「きょうだいは他人の始まり」に突入してしまうのなら、一人っ子のほうが幸せだなとも思います。
そのかわり(そのかわり?)義母があれこれと息子のオモヒデバナシを私にしてくれます。
Commented by 那由他 at 2011-10-02 17:21 x
一人息子さんだけだったお義母さんにとっては、娘ができたみたいで嬉しいお気持ちなんでしょうね。

子供たちのオモイデバナシは、気が向くと子供たちに話したりしますが、我が子たちがする、私のオモイデバナシは、どんな内容になるのか想像すると面白いです。
「お母さん、おっちょこちょいやから」と失敗談ばかりになってたりして・・・トホホ

Commented by apakaba at 2011-10-02 19:09
自分は死んでしまっても、みんなの記憶の中に残る、と思うと、あんまりさびしくないです。
自分が死んだら、思い出してくれる人がいないだろうなあ……と考えることは、死そのものを耐えがたいものにしそうな気がしますね。
トカナントカ悠長なことをいえるのも、それなりに幸せだからでしょうね。


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