あぱかば・ブログ篇

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2012年 01月 26日

押し寄せ、あふれ出す“イメージ”〜〜ジャン=ミシェル・オトニエル MY WAY

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原美術館にガラスの作品を見に行くなら、晴れの日の昼間がいいなあと思っていた。
雪がキラキラ光る昼下がり、館内には期待通りに光が差していた。



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まず併設カフェに直行して腹ごしらえをしてから、ゆっくり展示を見てまわった。

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ジャン=ミシェル・オトニエルという芸術家のことを、聞いたことがなかった。
原美術館は都内でもとりわけチャーミングな美術館である。
ここを会場にして日本初の個展を開きたい、と、氏が熱望したそうである。

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予備知識がないだけに、もっと“明るく楽しげで美しい”展覧会だと勝手に思い込んでいた。
だが見学し始めてすぐに、真冬の陽光を受けて輝くガラスは明るいばかりではないのだとわかった。
“イメージ”がどの展示室にも水のようにあふれかえっていた。
歩きまわりながら、押し寄せたイメージをあつめようと、目と、撮影をする手がフル回転となる。

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構図しだい。
ひとつの作品をどこから見るか・どこを見るか、で、いくつもの作品を見たような気分になる。

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明るく撮るか暗く撮るかでも、がらりと変わる。
これは、写真を撮る人間にとっては汲めども尽きぬイメージの宝庫だろう。
「ハピネス ダイアリー」というタイトルから、このそろばんみたいな赤い球がハッピーな一日一日を表しているのだと推測する。

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幼いころ、見飽きているはずのジャングルジムが、見る角度によって不意に平面的に見えたり、棒の数が減ったり増えたりして見えることに、おどろいたものだ。
「ラカンの結び目」とはフランス人らしいタイトルだが、精神構造を可視化してみせたということだろうか?

大きな作品のまわりを少しずつ動いて、ひとつひとつの鏡面ガラスに写り込んだ小さい自分の姿を認める。
絵画や写真作品にはない、造型作品ならではの偶発的な美の可能性が、無数に供される。

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「ここに吊り下げたから、撮影は好きな構図を考えてくれ。べつに全体を入れなくてもかまわないよ。ほんの一部分だけ切り取っても、ぼくの作品だということはすぐにわかるから。」
しずかな螺旋階段の途中、オトニエル氏の声が響く、気がする。

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急な階段をさらに上がり、白い壁に浮かんだ四角形の光の連なりを、黒いガラスの連なりが見上げているようなポイントへ。
原美術館はかようにチャーミングだ。
この個展はパリのポンピドゥーセンターで記録的な動員数をたたき出したというが、パリの見学者たちをみんなここへ連れてきてもう一度見てもらいたい。

チケットとともに配布される作品目録には、短い解説文の中に「装飾的で官能的な作品」「生と死、自由と苦悩、美と官能など、さまざまな思いや概念が結集」……と、2回も“官能”という語が出てくる。
目録のタイトルに目を通すと、「乳首の絵画」「リングと乳首」とあり、“ははあこれが官能的作品なわけだね”と予想する。
しかし乳首の作品は、少しも官能的には見えなかった。

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むしろ幼い子供のつくったもののように、邪気がない。
私がしきりと性的なイメージを受けたのは、他の作品だった。
会場には、性的な雰囲気が充ち満ちていると私はたしかに感じた。

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食虫植物のような赤い袋は、陰嚢のようでもありペニスのようでもコンドームのようでもある。

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これのほうがもっとコンドームのように見えるが、顔を近づけると事務用品の指サックだとわかる。

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蝋でつくられたこの抽象的な作品群から、強烈にエロチックなメッセージを受け取る。
人間の体のどこかにこういう部分があったような気がしてくる。
なんだろうなにかに似ている。
荒木経惟の、一連の植物を撮った作品を思い出す。
花弁などが女性の陰部を連想させるような荒木の写真は、私はあまり好きではないが、よく考えてみれば種の保存を目的として生を受けている者同士が有機的に似るのは当たり前だ。
オトニエルからはもっとシリアスな、人の体という性的な存在への飢えを感じた。

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この布の作品「グローリー ホールズ」はきわめて肉感的だ。
この部屋では同名の3分間のビデオ作品もエンドレスに上映されている。
布に空いた穴から、目や口などが何秒かずつのぞく。
へその穴もちらりと布の穴に重なる。
布に空いた穴は、人間の体に空いた穴に気付かせるフィルター=のぞき穴になっていたのだ。
人間の肉体は、すこしも堅牢なものではない。
ふだん自覚していないだけで、無数の穴がある。

「穴があったら」……入りたい。のぞきたい。突っこみたい。ひろげたい……
穴には欲望が際限もなく吸い込まれていく。
穴は外界からの侵入をゆるす、まさしく(象徴的な意味でも)“穴”なのだ。
でも“穴”があるから、人の体はいとしい。
このことは、可変性の素材を好んで扱うというオトニエル氏の志向にも沿うものであっただろう。

眠っている直感を覚醒させるような、暗示に満ちた作品展であった。
最後に、入口の受付の横にあった、ポップな彩りのガラス作品を撮ってから帰ろうと思った。

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入るときは横目でちょっと見ただけだったが、あらためて見上げるとカラフルでかわいいな。
ところが、数歩下がって正面から撮ろうとしたとき、初めてこれが、「MY WAY」と書いてあることがわかったのである。
いや、実は撮影しても気がつかなかった。
ちゃんと撮れているかを液晶画面で確認したときに、MY WAYという字が浮かび上がっていてぎょっとしたのだった。

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ちょっと角度がつくと、もう字だとわからなくなってしまう。
最後の最後に、幸せな体験をした。

by apakaba | 2012-01-26 23:14 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(4)
Commented by Morikon at 2012-01-27 01:19 x
撮影OKとは、何とも太っ腹な作家ですね。
しかも、撮影意欲をかきたてる、刺激的なオブジェばかり。

後半の画像や文章を読んでいて、以前ラジオで
黒鉄ヒロシ氏が語っていた言葉を思い出しました。

「人間って、粘膜系を刺激することが快感なのよ。
セックスはもちろんだし、食事や会話もそうでしょ?」
Commented by apakaba at 2012-01-27 08:21
写真・映像作品の展示は撮影禁止で、ガラスなどの造型作品は撮影自由でした。
ただ漠然と見ていくよりも、撮影をしようとしながら見学すると、見え方が刻々変わってくるというか、造型のすごさがわかってくる……ということを作家自身がよくわかっているんじゃないかな。
会期は長いので、是非、撮りにいってください。
昼と夜、晴れかそうでないかにもだいぶ印象が左右されそう。

後半部分の記述はあくまでも個人の感想であり、どなたにも同じ効果があるとは保証できません!
Commented by Akiko at 2012-01-27 10:22 x
マキさんの文章で追体験しましたよ!!おもしろいな。
曇っていて、「晴れた日だと違うだろう、夜でも」と思ったのでした。
写真では、ポンピドゥーの空間は白い壁の広いギャラリーのようで、「こことは別の見え方をしていただろう」とも。
そして、私はガラスの玉が絡み合い大小のガラス細工が連なる様を見て、視覚的にきれいという一歩先、感覚的で感情や官能に訴えると感じましたよ。解説の「官能的」はそんなふうにとりました。
Commented by apakaba at 2012-01-27 11:05
Akikoさんのツイートのおかげで、この作家と展覧会を知ることができました。
最近、寒くて引きこもりがちでねえ!

ほんとに、思っていたよりもずっとよかったです。
ここまでイメージを喚起するとは思いませんでした。
見るほうに向かって、解釈・感想・イメージ・連想などいろんなことを提起してくる作品がいい作品なんだと思いますね。
その意味ですばらしい体験でした!
これからも、デブショウな私にいろんなツイートよろしくお願いします〜〜。


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