あぱかば・ブログ篇

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2012年 02月 19日

Brian Adams東京公演に寄せて、おもひでの数々

ブライアン・アダムスを聴いていたのはおもに高校生のころだ。

あのころはデュラン・デュランを筆頭に“ニューウェイヴ”が全盛で、周りはみんなカルチャークラブやカジャグーグーなんかに夢中だった。
今になるとあれはあれでなつかしいものの、当時は好きではなかったから、“アメリカン・ロック!”な雰囲気(カナダだけど)を持ったブライアン・アダムスは希望の星だった。
「Kids wanna rock!」と彼が唄うのを爆音で聴くたびにスカッとしていた。

音楽雑誌を手にした友だちが、アルバム『Reckless』からのシングル『Somebody』がヒットしていたブライアン・アダムスの記事を私に見せては「眞紀の好きそうなタイプだよねえ」と言ってきたのもよく覚えている。

白いTシャツにブルージーンズ、鉄壁のソボクさは、厚化粧のポップロックな人々とは対極にあった。
放課後、教室の窓を開けると、階下の「音楽研究部」の部室から、後輩バンドがヘタクソに『Summer of '69』を演奏しているのが耳に入ってきた。

当時つきあっていた男子と、
「『Run to You』ってさ、一晩中キミのもとへ走りつづけるよ……とか言ってるけど、ものすごい体力よね。一晩中走るなんて。」
「……クルマで走るんでしょ……足で走るわけないじゃん。」
「えええー!そうなの!私ずーっと、ランニングする歌だと思ってた!」
とばかみたいな会話をしていたのも覚えている。

大学2年生のとき、我らが横浜文化体育館で(横浜市民はコンサートといえばここに行くものだ)来日公演があったが、大学の友だちは誰もブライアン・アダムスを聴かず、娯楽のお金もない貧乏学生ばかりだった。
一人だけ、誘えば行ってくれそうなクラスメイトの男子がいたので、チケットを買って「いっしょに行ってよ。」と頼んだ。

「ブライアン・アダムス……?『Cuts Like a Knife』しか持ってないな……」
「じゃあそのLP貸してよ。かわりに『Reckless』と『Into the Fire』のCD貸すから(当時はLPとCDが混在していました)。」
おたがい貸し借りして、予習も万全。
その友人と見たステージの最後に、アンコールにこたえて一人だけ袖から出てきたブライアン・アダムスは、ギター一本で『Into the Fire』をきわめてオーセンティックに唄いあげた。
もちろんステージ衣装は、白いTシャツとブルージーンズだった。
友人の男子は、にやにやしながら「浪花節だよなあ。」と言っていたが、楽しんでいたようだった。

その3年後、その男子と結婚した。
いっしょに住むようになって聴く音楽も幅がずっと広がり、ブライアン・アダムスはワン・オブ・ゼムになっていったが、『MTV Unplugged』はふたりとも気に入っていてよくかけていた。
その影響で、息子ふたりもいつの間にかブライアン・アダムスを聴いていたようだった。

去年の10月、来日公演があるとラジオで言っていたので、先行予約で日本武道館のチケットを二枚買った。
居ても立ってもいられないほど行きたい!と切望するほどでもないけど、行けば感慨深いだろうな……と思ったからだ。
ちょうど今の次男の年ごろにヒットを飛ばしていたこと、ちょうど今の長男の年ごろにコンサートに行ったこと、横浜中華街で友人としょぼい中華をお腹に入れてから文化体育館に向かったこと。
やっぱり、芸歴の長い人の歌というのは、いろいろと胸に迫るものがあるからねえ。

ところが夫はここのところ仕事が非常に忙しくて、開演時刻にはどう考えても間に合いそうにない。
すかさず次男の「アキタコマチ」が、
「もしお父さんが無理だったら、代わりにオレが行きたい。人生初のライヴ。」
とねだってきた。
息子と行くとは、トホホ……というより息子は母親と行くのはさらにトホホじゃ、ないのか?
「べつに気にならない。タダで行けるなら行きたい。第一、もったいないよ。」

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行ってみたら、それはそれで、感慨深かった。
ブライアン・アダムスは、目を疑うほどに年老いていた。
あれでほんとに、まだ50代前半?
顔や首のしわが、まるでヨーダみたいだよ!
どう見ても70代後半のしわの深さと量だ!
それなのに……、ああ、あの声の衰えのなさ。
プロポーションも、ギタープレイも若いころと少しも変わらない。
アップテンポの曲では20代当時さながらにステージを駆け回って、すぐ次のバラードで少しも息が上がらずにぴたりと唄える。
首から上だけがグシャグシャに年をとっていて、首から下はまさしく“18 TIL I DIE”を地で行く永遠の若大将っぷり。

なにしろ人生で一番勉強ができた時代に聴いていたから、アルバムまるごと唄うことができる。
声を限りに、生ブライアン・アダムスと合唱し、飛んだりはねたり両手を振り回したりして暴れても、心の片隅で高校生だった自分が「なんという年月だろう。」と、呆然と立ち尽くしている。
かたわらの息子は、その自分と同い年だ。

『Straight from the Heart』などの何曲かでは泣いた。
異様な感慨深さに囚われた夜だった。
なんだろうね、こういう感じ。
彼のしわの深さには負けるけど……ライヴの間、自分の人生をふり返らずにはいられなかったね。
彼のつくる歌が、いってみればどれも似たような曲で、だからこそそういう力を持っているのだろうな。

by apakaba | 2012-02-19 00:43 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(6)
Commented at 2012-02-19 00:57
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by apakaba at 2012-02-19 01:13
あれ本当だ、訂正しました。
ありがとうございました。
ただのタイプミスです。
Commented by ぴよ at 2012-02-21 07:40 x
ブライアン・アダムスは特化して聞いた事がなかったな。
私の中では常にone of themだったよ。
自分思いっきりミーハーだったから、中学時代はカルチャークラブとマドンナにハマってたし。
後はQUEENね。フレディは別格。

私達の世代って世界中の音楽シーンが一番「乗りにノッてる(死語)」時代だったと思うの。これは間違いないと思う!
だって今でもしょっちゅう「70~80’sコンピレーションアルバム」が制作されるし(曲被りまくり)、ドラマや映画の主題歌に器用されるし、日常様々なシーンでBGMとして流れて来る音楽のかなりのパーセンテージをこの年代の楽曲が占めてると思うワ!

イマドキ高校生のアキタコマチにはブライアン・アダムスはどういう風に受け入れられてるのかしら?
「親世代のナツメロ」扱いなのか、それとも現代っ子が今聞いて新鮮な感動が得られる、影響を受ける音楽なのかしら?
Commented by minmei316 at 2012-02-21 11:44
自分達の結婚披露宴での定番キャンドルサービスで
BGMにブライアンアダムスの「Heaven」を流しました
これはダンナからの強い要望でした
当時どんな意味合いの曲なのか聞いたら
天にも昇るほど嬉しいっていう喜びの曲だと言われて
あっさりOKしたのですが、改めて先ほど歌詞を検索して調べたら
あれま、顔から火が出るほど、こっぱずかしい・・・
Commented by apakaba at 2012-02-23 10:50
ぴよさん、特別入れ込むって感じの人でもないけど、よく思い出すといろんな場面に出てくる……という位置づけにしている人は多いでしょうね。
『ロビン・フッド(ケビン・コスナー)』や『三銃士』で、感動的な歌をつくっていました。
きっと聴いたことあると思うわ。区別つかないかもしれんが!

今になってカルチャークラブとかを聴くと、ほんとにステキだと素直に思う。
あのころは自分に素直さが足りなかったのかも知れない。

うーん、息子たちはあんまり「古い」とか「新しい」とかは考えてないみたい。
70〜80年代の洋楽や、大滝詠一、佐野元春、山下達郎なんかまったく抵抗なくバンプなんかといっしょに聴いてるのね。
Commented by apakaba at 2012-02-23 10:51
minmeiさん、ワハハー!
なんていいお話ーーー!ぜんぶ持って行かれたわ。
というかボスはステキな人だ。


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