2012年 04月 23日
W・ユージン・スミス写真展を、「マグナムにいた人」というくらいの甚だ乏しい予備知識しか持たないままで見に行った。 たんに、開催している会場が好きなギャラリーだったという理由だ。 お茶の水のギャラリー・バウハウスにはこれまでも何度も行っている。 本ブログでも二回、関連記事を書いた(是非!なんかやたらとがんばって書いてるわ!)。 横谷宣写真展「黙想録」——置換への断念/共有する感懐 gallery bauhaus 3周年記念特別展「The Collection II」 予備知識も先入観もなかったことで、無心に見ることができた。 見ながら、写真という表現手段での真・善・美について、頭の中にさまざまな言葉が浮かんでいった。 ピッツバーグと日立で労働者を撮ったシリーズは、まさに本人のいうとおり「『芸術』と『ジャーナリズム』は対立するものではなく、両者は対等」だと感じさせられる。 鉄鋼業の街で立ちのぼる煙は、幽玄と最もかけ離れた土地に幽玄をもたらす。 肉体労働に従事する下層労働者の表情は哲人であり賢者であり、黙りこくって汗にまみれた顔の皮膚には長編の物語が刻まれる。 言葉でないやり方で、我々はそれを読む。 久々に目にするゼラチンシルバープリントの美しさには、毎度陶然となる。 なんてきれいなんだろう。 まるで、中国青磁のとろりとした肌合いを愛でるときのような気持ち。 だがなんといっても構図だ。 構図の完璧さには、幾度となく喉の奥で「ウウッ」と唸った。 スペインの村を題材にした「スペインの村のパン」の構図。 石造りの貧しげな路地、女が焼いたパンを大きな台に載せて家の裏口に入ろうとしている。 大きな台を頭上に掲げているため、女は完全に陰になっている。 円形のパンに陽が当たり、石造りの家や道にも陽が当たり、道の奥に犬がぼんやりと写り込んでいることで、視線は路地の奥へと誘導される。 「World War II」シリーズ、「硫黄島 海兵隊による382高地の爆破」の構図。 黒煙と白煙のコントラストは、モノクロならではの力強さで、悲惨をきわめた戦争写真であるにもかかわらず、思わず「美しい」と感じずにいられない。 破壊の瞬間に魅入られてしまう。 同シリーズ「レイテ野戦病院」の皮肉に満ちた構図。 教会を臨時の病院として使っているらしい。 広々とした空間の最奥部には荘厳な祭壇、その手前のベンチに黒衣の女性たちが並んでいる。 一番手前には、顔と両手を真っ白な包帯でぐるぐる巻きにされた裸の男が寝かされている。 覆面プロレスラーのようになってしまった包帯の隙間から、両目がこっちを見ている。 これも、(包帯の下の顔を想像すると)悲惨なのに、まるでフタユビナマケモノみたいな外見になってしまった男の寝姿に思わず吹き出してしまう。 思わず笑ってからあらためて包帯の隙間の目と見つめ合う。 聖と俗ってなんだ? 善と悪ってなんだ? フタユビナマケモノみたいな男が問いかけてくる。 人物を中心に撮った作品では、当たり前のことながら、内面が出ている。 「カントリー・ドクター」シリーズのセリアーニ医師は、まるで映画俳優のような優男だ。 一見カメラの前でポーズを決めているかのようだが、その目は完全に放心しており、ユージン・スミスのカメラなどないかのようである。 「シュバイツァー」のシリーズには、「アフリカの聖人」と讃えられた偉大な男は写っていない。 トレードマークの眼鏡の奥の目は、決してカメラを見ない。 無表情なその姿は、希望や意志の強さよりも、悩みと孤独を感じさせる。 背景となっている、色彩にあふれているはずのアフリカは、モノクロのプリントのなかではひたすら茫漠として寒々しい。 見事な描写なのに「アフリカの聖人」らしさが表れていないという理由で『ライフ』誌と対立し、これをきっかけとしてスミスは『ライフ』を去る。 そして大きな目がかわいらしい、小さい娘のワニータ。 「私の娘ワニータ」では、ネズミの死骸をきれいな箱に入れて花を飾り、その死を悲しんでいるワニータのあどけない表情をとらえている。 長いまつげにふちどられた目は残念そうにネズミを見つめ、唇が動いているので、なにかしゃべっているのだろう。 愛らしい声も聞こえてくる……音や声が聞こえてくる写真とは、撮っている人間がその瞬間を楽しんでいる証拠だ。 笑顔だけじゃなくて、悲しんでいるキミもほんとにかわいいよ。 もう少し成長したワニータのアップの写真もあった。 これはただ顔だけを大きく撮ったもので、背景などもいっさいない。 それによって純粋に娘の美しさに惹かれていることがありありわかる。 すてきな愛情の表現……と見とれていると、なんとその一枚は、私の見ている前で売れてしまった。 私より一足先に見学に来ていた女性が、 「これ、とってもいいわね!買って行こうかしら。サイン入りだし……」 と、60000円くらいだったサイン入りのプリントを、その場で買って持ち帰って行ったのだ。 だから、あのかわいらしいワニータのアップは、もうなくなってしまった。 私もその人に負けじ、と思ったわけではないが、展示即売をしているのを知って自分もほしくなってしまった。 有名な「ボブ・ディラン」のポートレイトを、オリジナルプリントではなく印刷ということでなんと10500円!しかもかなり立派な額装込み! 「これも最後の一点なんですよ。」 と、受付の方に言われたときの、えもいわれぬ優越感よ。おほほ。 というわけで、会期はまだ長いが、即売品はどんどんなくなっていくので、一刻も早くお茶の水へどうぞ。
by apakaba
| 2012-04-23 13:48
| 歌舞伎・音楽・美術など
|
Comments(10)
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ogawa
at 2012-04-23 22:49
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ユージン・スミスをそれほどご存じなかったとは意外でした。
20世紀を代表するカメラマンですよね。 「楽園」の子ども二人が手をつないで歩いていく後ろ姿は、誰もが見たことのある写真ですよね。 それと代表作のひとつ「ミナマタ」、当時、水俣を撮影来ていたユージン・スミスを案内したのが、高校生であった、現在の写真家であり美食家である森枝卓士でした。 彼は、ICU卒業後、ユージン・スミス氏の元で修行写真家になったのでした。 今日のブログを読んで、そのような事を思い出しました。 バウハウスも横谷さんの写真展以来行っていませんし、ユージン・スミスの写真展とあらば行きたいのですが、最近はなかなか東京に行く機会が無いのですが・・・いつまで開催しているのですか? 一枚欲しいですね。
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apakaba at 2012-04-23 23:39
さすがに、「知らない」というのは謙遜ですよ。
森枝さんはfacebookでフィード購読してるし。 会期は、バウハウスのHP(本文のリンク参照)に書いてあります。 まだしばらくやっていますよ。 ユージン・スミス本人が焼いた、ほんとのオリジナルプリントは42万円でした。
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枯枝亭卓庵
at 2012-04-25 11:25
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その本人ですが、スイマセン。ひとつだけ。わたしが、ユージン(とアイリーン)に会ったのは、水俣の時。私の高校生の時でした。なんでしたら、『私的メコン物語』という講談社の文庫に書いておりますが、ともあれ、大学生のころはNYに訪ねていったりしていたのですけど(もっと、オリジナルプリント、もらっておけば良かった……)、大学を出た頃に亡くなったのでした。
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apakaba at 2012-04-25 13:40
森枝さん、なんという枯れたHN。
すでに山奥に隠居していそうですよ。 ogawaさんは私以上に森枝さんの大ファンなので、感激してくれると思います!(いつも新刊持ってますから) ありがとうございました。 また写真展に行って、こっちにレポート書くので読んでくださいね〜。
よもや、当人がコメントを書かれるとは驚きです。
こういう展開は予想もしていませんでした。 一番最初に買ったのが「東南アジア食紀行」でした。 「海外」と「食」と「写真」の組み合わせがとても新鮮で、それ以来のファンです。(あ~あ、言ってしまった。) 現地で著書に載っていた料理を求めて歩いたことは何度もありました。 20年以上前は、東南アジアの料理は日本ではよく知られていなかったので、パッタイや鼎泰豊の小籠包など、森枝さんの著書で初めて知った料理は数知れず。 「私的メコン物語」で森枝さんとユージン・スミス氏との関係を知りました。 ちょっと記憶が曖昧のままコメントを書いたので、一部間違えてしまったことは申し訳ありませんでした。 雲の上の人と繋がるのはネットのおかげです。 支離滅裂になってしまいましたが、一ファンとして書かせていただきました。
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apakaba at 2012-04-26 08:57
よかったですねー!
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枯枝亭卓庵
at 2012-05-04 15:13
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ogawaさん。今ごろ気付きました。失礼。まったく、書かれているように、今はなんでも日本で手に入るけどっていうことを若い人たちはご存じないのですよね。ともあれ。なんでしたら、FBで。
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apakaba at 2012-05-04 17:09
がってん。
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saltyspeedy at 2012-06-07 03:03
どうにか最終日前日に滑り込みました。
この写真展は見にいくつもりだったので、それまであえて眞紀さんのレビューは読まないようにしてましたが、素晴らしいレポートですねえ!文字で追体験させていただきました。 ワニータのアップの写真見たかったです。これからは早めに行かねば。
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apakaba at 2012-06-07 07:52
ayaさん、行けたのですねよかったよかった!
小瀧さんへのコメントを読んで「もしかして、行こうとしていて間に合わなかったのでは?」と思ってしまいました。 写真展では、ひさびさに心から感動しました。 最初の、労働者のシリーズを数枚見て「これは、メモをとらないとダメだ」と思って、受付の方に許可をとって必死でメモりながら見たんですよ。 バウハウスは、会期が長くてもやっぱりできるだけ早く行った方がいいと思います。 いつか予定が合えば、是非ごいっしょしたいです! |
アバウト
以前はエイビーロード「たびナレ」や「一生モノ https://issyoumono.com/」などでウェブライターをしていたが今は公立中学校学習支援教員のみ。 子供のHNは、長男「ササニシキ」(弁護士)、次男「アキタコマチ」(フランス料理店料理人)、長女「コシヒカリ」(ライター・編集者) by 三谷眞紀 カレンダー
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