2012年 11月 15日

戦きへ誘い込む——小瀧達郎写真展 「VENEZIA」

お茶の水のギャラリー・バウハウスで開催中の小瀧達郎写真展
「VENEZIA」
に行ってきた。

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この赤いマントの写真を、送られてきた案内状や画面上で何度も見ていた。
ところが、大型プリントになっているのを見たら、赤の色がまるでちがっていた。
印刷や画面では、暗く沈んだ色合いに見えており、もっと暗い写真なのかとばかり思っていたが、プリントでは目が痛くなるほどのあざやかな赤だった。
小瀧さんの写真は、当然プリントこそが身上だから、見る者の目を射抜くこの輝く赤が、真に見せたかった赤なのだろう。
やはりここまですばらしい写真はプリントを見なければだめだ、いつも小瀧さんのブログ画面で写真を見た気になっていたけれど、見に来てよかった……と、最初に見た赤で実感した。

私は、前に横谷宣さんの作品をこちらで買ったことがあり(レビュー「横谷宣写真展「黙想録」——置換への断念/共有する感懐」)、それ以来、展覧会の案内状が届く。
その案内状はいつも、紙の質もすぐれているし、そのまま壁に貼って飾りたいすてきなカードなのだが、今回の案内状は豪華さが段違いだった。
故・辻邦生氏が小瀧さんの写真集「VENEZIA(筑摩書房)」について書いた長文が掲載されている。
格調の香り高さに、読むだけで酔いそうになる。
案内状から、この写真展への気迫のほどが窺えた。

ヴェネツィアに行ったことがないままに作品を見たことがひどく悔やまれる。
フランス以外のヨーロッパを知らない私には、写真が見せてくれるヴェネツィアの姿は、“この世ならぬ姿”だ。
世界のどこにも存在しない街、あるとすればヴェネツィアにしかないだろう街であるヴェネツィア。
見ていると、魔法にかけられたような(といっても魔法にかけられたことがないからふつうに言うと「酔ったような」)感じがしてきて、頭にはこんな出口のない言葉遊びしか浮かんでこなくなる。
見たことのない世界を次々と見せられると、人の目は処理能力を超えてしまう。

だが、ヴェネツィアに行ったことのある人なら皆、このプリントをたのしめるのか?
「ああ、ここ行った行った。」
「そうそう、仮装してカーニバルやってたね。こんなふうに!」
笑顔で話しながら、旅を懐かしめるのだろうか。
そうではないような気がする。
行ったことのある人こそ、“自分の歩いてきた旅先のあの街とは、まるで別の街が写真の中に現出している”ことへの驚きと不安感がいや増すのではないか。
その心の戦(おのの)きを書き表すことは、私にはできない。
このプリントの前に立って、言葉を使って相対するのは、辻邦生さんレベルの方でないと無理なのだと思う。
けれども、逆説的だが“言葉にすることのできない心の戦き”は、いつまでも体の中に余韻として残り続ける。
それは、ほしいもの(たとえば水や食べ物でもいい)をストローやスプーンで得るのではなく口移しで与えられるような、官能に響く快感だ。

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いきなりヘボ写真に変わってすみません。
ギャラリー・バウハウスに来るといつも真剣に見すぎて頭がくらくらしてしまうため、すぐそばの神田明神に立ち寄り、甘味処の天野屋で甘酒を飲んでクールダウンすることにしている。黄金パターン。


私のようなカメラ音痴の人間が言う資格などないけれど、ヴェネツィアを撮影したカメラはそこらへんの普及品であるはずがなく、大判カメラの解像度があってこそのあの諧調であることは間違いない。
人間の目で識別することができないくらいの色まで写っているから、写真を見たときに、なんとも言いがたい不思議な感覚にとらわれる。
こんな写真を、撮れるわけはないけれど、せめて、その不思議さ——色と色のあいだの色合いまでも表現し、その間(あわい)にこの世ならぬ世界を現出させる写真——を見分けて心打たれるだけの目は持っていたい。
雑な目を、持ちたくない。
それが、写真家に応えることのできる、鑑賞者としての誠実さだ。

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会場では稲田敦人形作品展「CARNEVALE」も同時開催されており、ヴェネツィアのカーニバルの写真とちょうど呼応している。
この作家のことを今まで知らなかったが、この人形作品も、とてもよかった。
小瀧さんの写真で陶酔したようにふらふらして、ふと目を移すと、極彩色のチープな素材でつくられた、諧謔的なたたずまいの人形に囲まれていて、はっと我に返る。
人間の苦しみを蹴飛ばしあざ笑うような、ふざけているような人形、でも眺めているうちに現(うつ)し身の分身に見えてくる。

神社というのは、古来より、最高の“気”の流れる場所をロケーションにしているという。
ギャラリー・バウハウスという場所そのものが、(神田明神のすぐそばということが証明しているとおり)、どこかこの世……というよりこの世間の塵埃から切り離されたムードを持っている。
そこに収められた幾体もの人形は、ますますギャラリーを世間から遠ざけ、写真のヴェネツィアへと誘い込むための格好の案内役となっていた。


※ 会期2013年1月31日まで。
※ 前回訪れたときの記事はこちら 真・善・美への問い——W・ユージン・スミス写真展「楽園への歩み」

by apakaba | 2012-11-15 12:18 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)


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