あぱかば・ブログ篇

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2013年 03月 14日

逃げたわけじゃないんだ

3月に入ってから、漂泊のおもひやまず、台湾に行くことにして大急ぎであれこれ手配し、10日から13日まで旅行してきた。
夫が仕事でNZに長期滞在しており、「ササニシキ」はマレーシアに行くし「アキタコマチ」は上海に行くし「ササニシキ」と「アキタコマチ」は鹿児島に行くし「ササニシキ」はスノボに行くし「アキタコマチ」もスキーに行ったし3月末には夫と「アキタコマチ」と「コシヒカリ」とで台湾に行くし(もうなにがなんだかわからないでしょ)、私だけ完全に留守番なのがつまらない、という気持ちはもちろんあった。
でもそれ以上に私は、3月11日に、日本にいたくなかったんだ。
それを、いま白状します。

俗称かもしれないが、こういうのを“メモリアルシンドローム”と呼ぶと聞いた。
つらい節目の日が近づいてくると、苦しくなること。
家の人間は全員無事で、それどころか2階の本棚の棚がひとつだめになっただけで、お皿一枚も割れなかったくせに、なにをすっとぼけたことを言っているのかと言われることはわかっている。
気楽に旅に出られるなら、募金しろ、被災地に行ってボランティアをしろと言われるかもしれない?
そんなふうに、個人の楽しみすらはばかられる雰囲気。とてもつらい。
でも、現に今日の明け方だって、けっこうグラグラと強く揺れたので目が覚めた。
横になっているときに揺れると、心臓がドキドキして、そのたびに震源地付近の人はもっと怖かっただろうと思ってからまた目をつぶる。
この2年間、しょっちゅうだ。
毎回、ちょこっとした揺れなのだが、2年続けばじわじわダメージとして効いてくる。

“メモリアルシンドローム”なるものがあるとすれば、私のピークは実は「アキタコマチ」の卒業式の日、3月8日に来た(「アキタコマチ」高校卒業)。
この日、一時帰国中の夫は風邪で寝込んでいて、「ササニシキ」は大事なバイトで、「アキタコマチ」は高校の卒業式で、私はそれに出席して、「コシヒカリ」は中学の卒業遠足で東京ディズニーシーに行った。
しかもこの日は、軽くだが2回揺れた。
東日本大震災も同じ3月2週目の金曜日、2年前も多くの学校で卒業式があっただろう。
そして2年前も、「コシヒカリ」の中学の3年生は、やはりディズニーシーに行っていたのだ。
帰りのバスに生徒が乗って発車してすぐに地震が来て、帰りは夜中になったという。
「コシヒカリ」の2学年上の子たちはバスに閉じ込められて疲れ果てて帰宅したらしいし、親御さんたちはさぞ気を揉んだだろう。

「もし、今日、今、大地震が来たら」晴れの席で、何度も考えた。
夫は布団の中……「ササニシキ」は大手町……私は地下2階のこの会場……振り袖やコスプレではしゃぐ卒業生たちも……そしてディズニーシーの「コシヒカリ」は、どうなるだろう……千葉震源は十分ありえるし(今朝の地震も千葉震源だった)。
幸福が一瞬で消えることを、ずっと考えていた。

それで私は逃げることにした。
いや、逃げたわけじゃない、いや、逃げたんだけど、別の場所から日本を見たかった。

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11日はテレビで日本のことを大きく取り上げていた。
この画面は、震災の津波でだめになった陸前高田の農家が台湾の支援で生産を再びし始めたというニュース(多分そんな感じだと思われる)。
脱原子力エネルギーのニュースも多かった。

私は……献花もデモ参加も募金も復興ボランティアも、なんにもしなかったけど、台湾でずっと震災のことを考えていたし、台湾が日本にしてくれたことや、日本と台湾の交流のことを考えていた。
これも一つの追悼の形だと、無理矢理納得することにする!
メモリアルシンドロームから逃げた弱い人間だと思う人は、思ってくれていいです。
ボルネオ旅行記がまだちょっと残っているので早く終わらせて、台湾を連載するからね!
読んだら台湾のおもしろさに驚くよ!

*3年前に、台湾に関連してこんなことも書いていた→親世代それぞれの旅行
このころは、台湾に行くつもりがさほど強くなかったのだけどねえ。

by apakaba | 2013-03-14 23:07 | 旅行の話 | Comments(0)


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