2013年 04月 25日
5.サヨナラJJ-Wホテル〜三地門へのつづき。(初回は台湾2013からどうぞ) 台湾の原住民の中でもとくに興味を惹かれたルカイ族に会うため、屏東(へいとう/ピンドォン)からバスで三地門まで来た。 三地門からさらに奥地へ入りたいが、どうしていいか手段がわからない。 というのも、ルカイ族の村「霧台(むだい/ウータイ)」は山地管制が敷かれており、外国人は入山許可証がないと入れない(ことになっている)。 「ことになっている」というのは、実際に警察署へ行って許可証を取得して入ったという話が、いくら探してもひとつも見つからず、「屏東の警察署で賄賂を払って一般の車をチャーターした」「タクシーに乗りさえすれば、運転手がどうにかしてくれる。現地の人間と一緒なら入れる」といったまちまちの情報が飛び交っているだけだからである。 だが、こういう手続きは現地に行くと意外とテキトーだったりするから、なんとか突破できるような気がする。 それより心配なのは霧台へ行く交通手段だ。 ネット友人に相談してみると、バスは崖崩れで道路が壊れたため運行を休止しており、今のところ方法は次の3通り。 1 屏東からタクシー ・・・屏東駅前にはたしかにたくさんの客待ちタクシーが停まっていた。 しかし屏東から三地門までも1時間ちかくかかるのに、屏東から乗っていったのではかなりの金額になるだろう。それ以上に、霧台までの長い山道を、運転手が知らない可能性が高い。 2 三地門からタクシー ・・・三地門はすでにそうとう山奥の田舎であり、タクシー自体がほとんど走っていない。 3 三地門からヒッチハイク ・・・トホホ、これしかないのか。 三地門を盲滅法に歩いてみたら、ここもなかなかに風情があってよい。 だが不思議な朝食(5の写真参照)のため早くもお腹が空いてきて、屋台で青ねぎのたくさん入ったムルタバ(アラブからシンガポールなどの東南アジアにかけて広く食される、折り畳んだパンケーキ状の軽食)のようなものを食べる。 そこのおばさんは、しわくちゃだが大変美人だ。 一緒にいたおじさんも、若いころは精悍だった感じ。 二人とも英語はまるでできないがものすごく明るくて、やさしい。 ちょうどムルタバ(のようなもの)を買いに来ていた若い女性は、目の大きな美人で、おばさんは私に 「彼女はパイワン族(原住民のひとつ)よ!」 と教えてくれる。 私が原住民に興味を持っているとなぜわかったのか? 顔に書いてある? こんなところまで一人でのこのこやってくる日本人は、原住民が目当てだとわかっているのだろう。 おじさんは、 「ああ、日本人はいいね。細いし!」 と(いうようなことを)、私とぽっちゃり美人のパイワンの彼女とを、プロポーションを示すジェスチャー付きで見比べながらニヤニヤし、パイワンの彼女は 「やあね!もう!」 と、おじさんの腕をはたく。 さらにおじさんは、ムルタバが焼けるのを待つ間に椅子を二脚持ってきたが、私に勧めた椅子の座面が濡れているのを見て、さっと彼女のと取り替える。 濡れた座面を手でちょっとぬぐって「ほれ」と彼女の前に出す。 パイワンの彼女は、大きな目で大笑いしながら、 「おじさんたら、日本人にばかりやさしくして!座らないわよ!」 と(いうような)やり取りをしている。 なんか、三地門、いい感じだ!期待できる! そこで、「霧台に行きたい」と切り出してみる。 だが、おじさんもおばさんも、どうしていいかわからない様子。 意外なことに、二人ともけっこう真面目に「やめたほうがいい」と(いうようなことを)言う。 そこへまた、赤ちゃん連れの若い女性が来たので、この屋台とは別の店に連れて行ってもらう。 その女性も、店で料理をしていた女性も、はっきりした顔立ちの美人である。 三地門に来たら、いきなり美人率がアップしてビックリする。 原住民は顔がいいとは聞いていたが、本当なのね。 ところが、麺の店からぞろぞろと人が出てきて、そこの皆さんも「霧台はやめておけ」と(いうようなことを)真面目に言ってくる。 しかし誰も英語ができないため、その理由を教えてくれる人がいない。 誰かがどこからともなく日本語を話せるおばあさんを連れてきてくれた。 その人と、しばらく話をした。 日本語を話せるおばあさんと話すのは、なかなか感動的な体験であった。 観光地によくいる、商売の必要から話せるようになった物売りではなく、日本統治下で日本語を覚える必要のあった人の言葉は、なんだかもうそれだけで重みがあるような。 そして、ああ、おばあさんまでが、本気で「霧台はやめろ」と言うのである。 歯のない口で、教え込まれた“正しい”日本語を語る口調は、真剣そのものである。 老いのために濁った目でまっすぐ私を見て、 「霧台へは、行くべきではない。それは……適切ではない。」 とか言うのだよ。 老婆が少女だったときに、“適切ではない”という言葉を教えた日本人がいた。 その日本人はとっくに死んだだろうし、このおばあさんもどう見てももうすぐ死ぬだろう。 そうしたら、無鉄砲な日本人旅行者に向かって、「それは、適切ではない」という言葉を発する人間は、台湾には永久にいなくなるだろう。 たまに宙に目をやって、記憶をたどって適切な日本語をさがしながら話すおばあさんと対面していると、「歴史の生き証人」という手垢のついた言葉がぴったりと当てはまって、浮かれた旅行気分がこのときだけは厳粛な気持ちになった。 「霧台は、とても遠い。山の中です。道は、こわれています。車は通れない。あなたは一人ですか。一人は……よくない。なぜ、一人で来たのですか。(すべて日本語)」 おばあさんが真面目に私を止めようとしているのがひしひしと伝わるので、言うことを聞くことにした。まだあきらめてはいないが、埒が明かないので、とにかくこの場を去ることにする。 ムルタバ(のようなもの)の店を通りかかると、おじさんが 「霧台まで行くことないよ、“文化村(三地門にある原住民族文化園区のこと。展示館やショーがある、充実した観光スポット)”へ行け。ここからこの道を歩いていけば着くぞ。」 と(いうようなことを)言う。 霧台なんてそんな遠いところへ危険を冒して行かずとも、三地門で十分だぞと言いたいのだろう。 人々がみんな心配してくれるのがありがたい。 「たしか文化村は月曜休館だが……」と思いながらも、とりあえずおじさんたちに見送られて文化村に向かって歩き始めた。 このときが一番きつかった。 道を間違えたのかなんなのか、文化村にはぜんぜん着かないし、ずーっと登り坂だし、トイレにも行きたいし。 私はトイレが本当に近くて、観光よりトイレ探しというか、旅行に行ったのかトイレに行ったのかわからないくらいにトイレ問題が切実なのである。 教会ならトイレを貸してくれるかもしれないと期待して、十字架が見えると目指してみるが、ふたつあった教会はふたつともまるでひとけがなくてダメ。 そろそろ外でしようかというところで、「ナントカ衛生署」と看板の出ている建物があり、中にひとけを感じたので飛び込んだ。 小さな診療所のことなのか?(追記:「衛生署」は日本の保健所にあたるものだそうだ。) よくわからないが切羽詰まったときの野性の勘で、無事入り口のそばにあったトイレを使うことができた。 入り口にいた女性は根岸季衣のような顔をしている。 「霧台へ行きたい(まだあきらめてなかったのか)」と聞いてみるが、彼女は英語ができず、奥から男性が出てきた。 彼はどうにか英語ができるので、霧台への行き方を聞いてみた。 すると、やはりあのおばあさんと同じことを言うのである。 曰く、とても遠いし、山の中だ、道も悪いし、一人で行くのは危険だ。 なんなの〜〜〜。 ルカイってそんなに危険な民族なの? 彼は、そうではなく、ルカイはとてもいい人たちだが、なにしろ言葉がまったく通じないので、行ってもあなたはどうにもできないだろう、と言うのである。 なるほど。 言葉なんかどうせここにいてもみんなわからないんだし同じことじゃん、どうにでもなるよと思ったが、万が一、今日は霧台から戻れず宿泊しなければならないとなったりすると、この短期間の旅行では大変困るので、やめることにした。苦渋の決断。 霧台に行ってきたというネット友人の旅行記では、ヒッチハイクで行くのはいかにも簡単そうに見えたが、彼の場合は男女何人かの旅だったようだ。 女が単身ではだめか……。 女の一人旅はたいていいいことばかりだと私は思っているが、このときばかりは、真に無念であった。 クソー!いつか霧台でルカイに会うぞ! 彼も「文化村へ行け」と言う。 だって月曜は休館じゃないの?と聞いても、大丈夫だと言う。 「それなら行ってみる」と、心細いながらもてくてく歩き出すと、彼が走って後を追ってきて、バイクに乗せていってくれると言う。 とっさに、入り口に立つ根岸季衣の表情を確かめると、「しょうがない人ね、行ってらっしゃい。」と言いたげな笑顔で見送っているので、彼はいい人だと信じることにして、ありがたくバイクに乗せてもらった。 彼は30代半ばくらいに見えるが、すでに中年太りをし始めている。 しかし顔立ちは明らかに漢人とはちがって南国調のかわいい顔をしている。 目がぱっちりしていて、色が黒い。民族を聞くと、パイワンだと言う。 東南アジアの顔なのだな。 「ええとバイクの二人乗りは、したことある?大丈夫?」 と聞いてくる。 二人乗りするのは思い出せないくらいに久しぶりで、汗だくで登り坂をのぼってきた体には風が心地よく、ついのんびりした気分になる。 しかしノーヘルだしもしも何かで振り落とされたら頭を打ってしまうと思い、あわててしっかりとつかまった。 だが知らない男性の体に抱きつくのはためらわれるので、肩につかまってみる。 のろのろ走ってくれているので大丈夫だろう。 「出てきちゃって、仕事は大丈夫なの?」 と聞くと、 「大丈夫。今日はほんとは非番なんだ。」 というようなことを言う。教育のある人のようである。 文化村は、やっぱり休みだった。 住民はこんな観光地に入ることはないから、かえって定休日など知らなくて当たり前だが、彼は申し訳なく感じたようだ。 受付の建物にたまたまいたおばさんも、はっきりした目鼻の美人だ。 まったくなんなんだ原住民は。 霧台のルカイの村には行けず、文化村さえ休館でがっかりするが、三地門では美形に圧倒されっぱなしである。 気を取り直して、とっとと屏東に戻ることにする。 パイワンの彼(首からさげたIDカードには、「梁」という名字が書いてあったが、原住民は現地名と漢語名と二つ有することができるという)は、お詫びにと思ったのか、屏東まで戻るバス停留所へ送ってくれ、ぜんぜん来ないバスを一緒に待ってくれた。 「一人で待てるし帰れるから大丈夫よ、職場に戻って。」 と言っても、 「いいよいいよ。」 と言う。 こういうとき、お父さんや旦那の職業は何かとか、なぜ一人旅をしているのだとか、立ち入った質問をずけずけとしてきて相手をするのが面倒になったりすることが多いが、彼はあくまでもやさしくていい人だった。 彼は日本に遊びに来たことがあると言う。 でも日本人は英語ができないでしょう?と聞くと、 「たしかに英語はできないけど、みんなすごくやさしくしてくれた。」 と言う。 うーん、それは台湾から来たからじゃないかな。 日本への旅行は「2年前の桜がきれいだったころ」と言うから、それならちょうど震災直後だし。 どこに行ったのと聞くと、「チュージー」と「サン、ナントカ」という。 さっぱりわからない。 大きな魚がいっぱいいて……と言うから、筆談で「水族館」と書いてみると、「ちがうちがう、“築地”と“上野”」と書いてきた。 そういうことか。外国人の行く東京は、そうなのか。 やっと屏東行きのバスが来ると、彼は私のバス代を払ってバスが出るのを見送ってくれた。 なんだか、やさしい人にしか会わないのだが。 ルカイには会えなかったけれど、人情あふれ、美人率の高さにビックリした三地門だった。 (7.屏東の慈鳳宮〜高雄シングルインにつづく) *本文とは直接関係ありませんが、「適切ではない」と言ったおばあさんの言葉から連想したのが、村上春樹『1Q84』について夫婦で語り合った記事です。 村上春樹『1Q84』 夫婦放談 この本の中に、何度も「適切」という言葉が出てきて引っかかったのですが、それを三地門でしきりと思い出していました。 追記:「原住民」は台湾の中で使われている呼称であり、日本人の考える差別的な意味合いは含まれない。
by apakaba
| 2013-04-25 15:17
| 台湾2013
|
Comments(8)
Commented
by
池彼方
at 2013-04-26 13:28
x
「適切ではない」ということばを知っている日本語世代は、女学校レベルの教育を受けた方かもしれませんね。
また三地門や霧台を訪れる機会はあると思いますよ。
0
Commented
by
apakaba at 2013-04-26 17:48
Commented
by
池彼方
at 2013-04-26 18:38
x
もし可能なら一泊できるといいですね。
また日曜日に訪れて教会のミサを拝観するのもよいかもしれません。
Commented
by
apakaba at 2013-04-26 19:42
Commented
by
ぴよ
at 2013-04-28 00:43
x
だからアレほど一人旅せずに私を誘えと…^^;
まあ、いい。それはそれで一人旅で楽しい思いをしているようだから。 台湾の方々ってかなり親日ですよね。 自分は10数年前に1度だけ台北にツアーで行ったきりなんだけど、そんなクソツアーで行っただけの自分でも、当時の台湾の皆さんの対応には感動を覚える程の親日ぶりでしたね
Commented
by
apakaba at 2013-04-28 09:33
ぴよさん、すんません。
もし二人だったら…… ・私が切羽詰まって野ションをしなければならなくなったら、アナタが見張りに立ってくれてた ・しかしかわいいパイワン男子と二人乗りできないじゃん ・そもそも二人ならみんなを困惑させずにサクッと霧台に行けてたかも むむー。 このあとも続くので、是非読んでください。
はじめてコメントさせていただきます。
こちらのご体験や他の方のblogを拝見して「日本人が個人で霧台まで行くのは困難」と考え 台南に住む知人に「連れてってぇ」とリクエスト(知人とは、彼女が我が家の近所にある 流通科学大学に留学していたときに知り合いました)。 今年8月は台風来襲直後で「道が通れるかわからない」とのことで中止。 Peachのバーゲンセールで関空-高雄往復が安くゲットできた10月に 「今度は行けそうだよ」との連絡をもらい、10月18日に高雄から 彼女の運転で日帰りドライブ、念願の霧台観光が実現できました。 ■入山許可 三地門から10kmほど上ったところにある、三徳派出所=三德檢査哨で取得。 知人は国民身分証を提示してから名簿に記入。 わたしたちは知人の同行者としてパスポートNo.など必要事項を記入。 ただパスポートの提示は不要で、記入=許可となり少々拍子抜けでした。 ■推測 2013年10月に、谷川大橋という川面からの高さが99mある橋が開通。 その後は入山許可が簡単になったそうです。 交通の安全が確保されたから・・・ということでしょうか。 ただし、外国人が単独で行って許可がもらえるかどうかについては 確認できませんでした。やはり、タクシーをチャーターし 運転手と交渉して「同行者扱い」してもらうなどの準備が必要な気がします。 ■余談・・・交通の便 12月1日から屏東客運バス・8233線[屏東~三地門~霧台]が 3往復/日で運行を再開しました。 上述の「外国人単独での入山許可取得」問題は解決しませんが 公共交通機関での往復そのものは可能になりました。
Commented
by
apakaba at 2014-12-04 17:15
kyon2さま、コメントありがとうございます。
早速4トラベルのページを拝見しました!!! すごいじゃないですか!!!!! 私の理想の旅をされていて、とてもとてもうらやましいです。 食べ物も謎チックな建築物も最高。 お知り合いがいらして、本当によかったですね。 いい体験をされましたね。 私も絶対行きたいです。 いつの日か、再訪できる日をねらっております。 |
アバウト
以前はエイビーロード「たびナレ」や「一生モノ https://issyoumono.com/」などでウェブライターをしていたが今は公立中学校学習支援教員のみ。 子供のHNは、長男「ササニシキ」(弁護士)、次男「アキタコマチ」(フランス料理店料理人)、長女「コシヒカリ」(ライター・編集者) by 三谷眞紀 カレンダー
ご案内
直島の旅行情報 blog links (エキサイトブログ以外) 彼の地への道すがら 三毛猫日記 ムスリムの女たちのインド 王様の耳そうじ 細道 紀行地図へと続く道。 「いい子」をやめたら人生がきらめく! greenmanbaliの日記 すきなものだけでいいです Avance(アヴァンセ)でいこうっ ライオンシティからリバーシティへ カテゴリ
全体 映画・ドラマ 歌舞伎・音楽・美術など 生活の話題 子供 国内旅行 旅行の話 ニュース・評論 文芸・文学・言語 健康・病気 食べたり飲んだり ファッション ベトナム2023.3 ソウル2022.11 思い出話 サイト・ブログについて 1990年の春休み 1990年の春休み.remix ver. 香港・マカオ2006 シンガポール2010 直島旅行2010 バリ&シンガポール2011.1 香港マカオ2011 香港2011夏 バリ&シンガポール2011.11 台北2012 家族旅行香港マカオ2012 ボルネオ 台湾2013 ヨルダン・シリア1998 イスラエル1999 エッセイ フランス インド2000 香港2013 スコットランド 大腸がん闘病 ソウル2023.1~3 シンガポール2023 台北旅行2023 未分類 最新のコメント
ライフログ
お気に入りブログ
Tatsuo Kotaki 草仏教ブログ ガタム ( ghatam ) 子供部屋 紅茶国C村の日々 梟通信~ホンの戯言 みんなのヒンディー語教室 勝手に僻地散歩 Atelier Kotaro SALTY SPEEDY シニアバイクマンⅡ FC2ブログに移転しました 旅行・映画ライター前原利... 塩と胡椒 いいあんべぇブログ 折原恵のニューヨーク写真... ブログパーツ
以前の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||