あぱかば・ブログ篇

apakaba.exblog.jp
ブログトップ
2013年 09月 05日

武田尋善さんの個展「とりのつえ」

目が合って居竦まる。
この絵の中で唯一、カラーで塗られた目玉と。

c0042704_21415491.jpg



c0042704_214811.jpg
「いもり島」

ただ黒く塗られているように見える顔の部分には、実はびっしりと葉が生い茂っている。
黒を塗り残しているように見える口のなかの白い粒は、実は輝く星。
それなら点々が散りばめられた舌は、銀河?
いもりは島、いもりの背に森、なごやかな海、いもりの鼻先で釣り、舌が銀河、黒い口のなかが、宇宙……?
大きなものと小さなもの、この世の共通認識、宇宙になぞらえるなら“cosmos”は、解体されぶちまけられ、そしていもりの形をとって新しい調和が立ち上がった。
いもりの新しいコスモスを美しいと感じる人間だけに、見える世界。
古い秩序から逃れられない人間は取り残され、ただ一点のカラーである目玉を見つめては混乱するばかり。

武田さんが、パワーアップして帰ってきた!

c0042704_15412980.jpg
「ジャングルの河」

武田さんは大人気インド料理ユニット「マサラワーラー」の一員にして、ありふれた文房具だけでこんな異彩を放つアートを生み出す、正真正銘のアーティストだ。
1年前、「茸帽子道中見聞録」で茸の帽子をかぶって旅をしていた旅人さん(武田さんの姿か)は、今年は“とりのつえ”に導かれて旅をしている。
一足先に個展に出かけた次男の「アキタコマチ」は、「武田さんの絵は、少し変わったね。」と言う。

「前は遠近感をなくした平面的な絵が中心だったけど、今回は、遠近法を使った絵が増えたというか。これ(「いもり島」)もそうだし、これ(「ジャングルの河」)なんかは特に。奥行きがあって、河に向かって進んでいく一点透視図法。これが、武田さんの進歩なのか、それともたまたま今回はそうなったのかは、オレらにはわからない。
ただ、言えるのは、武田さんには自分のやりたいことがはっきり見えているということ。
ダメな奴は迷いがあって、自分のやりたいことが自分でわかってないくせに作り始めちゃうから、できあがったものが自分にも見えず結局見てるほうにも見えない。
でも武田さんの絵は……武田さんには明確に見えてる、やりたいこと、作りたいことが。
オレらに見えなくても、武田さんにはわかってる。
だからあとのことはもう、見る側に投げられてるんだよ。」

c0042704_10231371.jpg
「象の記憶」足にまでびっしりといろんな生き物が

c0042704_10265147.jpg
「森の王」ライオンの背で踊っているところまでは見えても、隠れた鳥や木を這うアリが見えるかな

色調はポップになっているものの、たしかに、この2点などは前回の個展とつくりが似通っている。
平面に、遠近感を排除してフラクタルな永続性を感じさせるつくり。
「アキタコマチ」に言われて初めて、私も気づいた。
真のアーティストが感性を目覚めさせてくれる。

各作品に添えられた、詩のような短文がまた凄い。
前回の個展のレビューにこう書いた。

文章は飾り立てていなくて平易なのだけど、まるで絵のような別の世界を開いてくれるというか……そこに掛かっている彼の絵と、ビリビリと共鳴しあって、その場にボワッと旅世界のホログラムが立ち上がってくるような感覚だ。
魔法使いみたいな人だ。
茸帽子をかぶった魔法使い。
異次元な音楽とともに、別の世界へ連れていく。


今回も、胸に迫る言葉がたくさん書かれていた。
とくに武田さんの絵の世界と響き合っていると感じたのは、上に載せた「象の記憶」の分だ。

象の記憶は受け継がれ、古代の想い出を忘れない。

わたしはあの森の子象
そしてあの眠る虎。
象に乗る人間。

そして
とりの杖。

わたしはこの森のすべてであり
その中の一頭の象。

そして
一羽のことり。


すべてのなかに、すべてが遍在している。
かたちの大小や美醜にとらわれることは無意味だ。
まさに武田さんの描き出す、“解体後の世界(=新しいcosmos)”だ。

また、岩と鳥が一体となったような作品に添えられた短文には、感動して涙が出そうになった。

昔から気になっていた
あの山に登った。

岩でできているあの山に
子供のころは行けなかった。

大きくなればどこにだって行ける
だれにだって会える

岩山の頂上でとりに会った。
岩山の壁に描いてあった
大きな大きなとりに会った。

大きくなったからどこにだって行ける
大きなとりにだって
会うことができたんだから


「大きくなる」、大人になることを、私やあなたはこんなに素直にすてきだと思えるだろうか。
大人になると、どこにも行けない?
決まりきった生活に追われるだけ?
それは心が自由でないだけ。
心が“とり”のように自由なら(=“とりのつえ”を手にすれば)、大丈夫なんだ。
たとえば、決まりきった生活をしている大人の私は、武田さんの絵と文章を見て自由になった!

個展最終日の夕方に滑り込んだから、こんなレビューは今さら遅きに失しているのは重々承知だが、どうしても今年の感動を書き残しておきたかった。
また次回にも期待している!
見られなかった皆さんも、次回は是非!

*昨年の個展で書いたレビューはこちらです
異彩はホログラムとなり、旅路を照らす——武田尋善さんの個展「茸帽子道中見聞録」
併せてどうぞ。
なんか展開が今回とまるで同じだが。
(私が感動して、次男がうまいことを言う)

by apakaba | 2013-09-05 11:18 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(4)
Commented by kaneniwa at 2013-09-05 12:03
おお、ティンガティンガの絵を初めて見たときの
衝撃がちょいとよみがえった。

BYマーヒー
Commented by apakaba at 2013-09-05 12:24
おお、ちょっと似てるかも。
インド先住民(ヒンドゥー以前)のアートとも似ています。
これを大きく「ポップアート」とくくるのは乱暴だけど、水性ボールペンや蛍光ペンで描いてしまうから、やっぱポップアートか!
Commented by 武田尋善 at 2013-09-05 13:40 x
個展きていただいて、ありがとうございます!
絵は、色の部分もすべてボールペンなんですよ。
細かい粒や要素も全体で全体もまた細かい粒の一つで…ということをどうしても考えちゃいます。
こうやって書いていただいて、自分でも気づかず、あ!無意識だったのか!と気づく部分があって、とても面白いです!
まだまだいろいろ描きたくなってます。どんどん描くので、また見てくださいね!
Commented by apakaba at 2013-09-05 14:53
武田さん、こんなに感想が遅くなってしまってごめんなさい!
すぐにも書きたかったのだけど、とにかくあまりにも感動しちゃって、ぜんぜん言葉が出てこなくて、酔っぱらいみたいに何日かが過ぎてしまいました。
え、蛍光ペンじゃなくてボールペンだったの!
ポストカードだけしか買えなかったけど、やっぱホンモノはきれいだったなあ……(またうっとり)


<< 同じものを選ぶ      直島・犬島・豊島 瀬戸内へ家族... >>