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2014年 02月 23日

食の文化シンポジウム2014「料理すること」

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公益財団法人 味の素食の文化センターが主催しているシンポジウムに参加してきた。
「食の文化シンポジウム」という公開シンポジウムで、参加費はなんと無料。
毎年開催されているらしい。
今回のテーマは「料理すること」。
パネルディスカッションに、森枝卓士さんや関野吉晴さんなど、以前からファンだった方たちが登壇されるので、ミーハー心のみで行ってみた。

第1部では基調講演があり、京都大学大学院農学研究科教授の伏木亨氏から「味わいの社会性」というサブテーマに沿ったお話を聞いた。
なかでも、“人間は、「油(脂)」「砂糖」「だし」のうまみから未来永劫抜け出せず、その三者を追求していくことは、食の唯一最大の目的であった「生命の維持」とは別次元で大きく目的化していくことである”というお話には感銘を受けた。
また、“家事としての料理がイコール(家族や近しい人間への)愛情表現と見なされ、たとえレトルト食品などの便利なものを使っても家庭料理ということへの規範は今も昔もさして変わらない”という話も、主婦として生きている身には興味深かった。

第2部のパネルディスカッションでは以下の方々が登壇した。

森枝卓士氏(フォトジャーナリスト)
川崎寛也氏(味の素㈱ イノベーション研究所研究員)
関野吉晴氏(武蔵野美術大学教授、探検家、医師)
伏木亨氏(京都大学大学院農学研究科教授)
村瀬敬子氏(佛教大学社会学部准教授)

それぞれのご専門の分野から「料理すること」を分析していったが、村瀬氏の“「家事時間の短縮」と「家庭料理の規範(=料理が愛情表現として存在する)」は、対立するようでありながら、実は両者が支え合っているのではないか”という提言には活発な議論がなされた。
村瀬氏は
「(料理や食に関して)日本人は、消費者としては自由になったが、作る者としては簡略化を罪悪であるかのように感じる気風が色濃く残っている。」
ということを強調なさっていた。
つまり、「毎日コンビニ弁当を家族に食べさせている主婦がいたとしたら、彼女は後ろめたくて、そのことを他人には言えない。たとえ買ってきたポテトサラダでも、お皿に盛りつけて、主菜は手作りして一緒に出したりする」といったようなことだ。

なかなか痛いところを突いてくる。
が、私は、もしも聴講者にも発言の機会を与えられたら、挙手して以下のようなことを言おうと思っていた。

食は生物として生命を維持するための根源的な活動であるから、すべてを人任せにすることには、生物としての恐れがあるのではないか?
ほんの一部分でも、自分が食べるものの料理に関わることで、自分の生命を自分が直接管理しているという気持ちが担保されるのではないか?
家族や恋人のような、“他者”との関係性を表象するモノとしての「料理」である以前に、自分を愛すること。
自分の健康な生命を維持するための「儀式」のような行為。
自己愛を純化した形としての料理。
議論ではひたすら他者との関係性に焦点を当てていたが、私は料理することをそのような行為と感じてきた。

まあ発言する時間は用意されてなかったんだけど。
ふだんあまり考えない物事を考える時間となった。
そしてあいかわらず、森枝さんはかっこよかった。

by apakaba | 2014-02-23 22:54 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)


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