2014年 03月 11日

震災後3年たって、やっとつかんだこと

小学校のボランティア活動で参加している影絵の公演を通して、気づいたこと、考えたことがある。
私は影絵の人形に声を当てる担当なので、その視点からである。

劇で役を演じることは、基本的に“照れくさい”ものだ。
照れを持っている限り、役は演じられないし、聞いている方にも演者の照れが伝染する。
自分を捨てきれない人に演技は無理だ。

反対に、役にのめり込むと、自分の体の中に、その役が“入ってくる”感覚がある。
それが高じると、陰惨な役などを演じる俳優の精神に異常を来したりすることにもなる。
同じセリフを、心の底から振り絞って口に出すということを、何度も何度も何度も何度もくり返す。
そのうちに、自分と役の人物に境がなくなり、誰が言葉を発しているのかがわからなくなる感覚。
役の中で、驚き・怒り・恐れ・感動などの強い感情を表すとき、私自身の体がカッと熱くなり、心拍数が上がり、ズキズキ頭痛がしてきたり、毎回同じ瞬間に涙が込み上げ、声が震えたりするのだ。
役が体に影響を与えるのである。
そして、演じ終わったあとも、その凝縮された身体感覚がいつまでも消えないのである。

3月の初めに演じた『たつのこたろう』は、1年前にも公演をした作品で、私は前回と同じく、主演のたろうの声をやった。
たろうが生まれる前に謎の失踪をして龍の姿になってしまった母親を探し、とうとう初めて親子が対面して「おっかさん、おら知ってる。おっかさんは、おらを育てるために、二つの目をつぶしてしまったんだね。でももう、おらが来たから、大丈夫だよ!」と励ますシーン。
1年前には、異形の姿になってしまった母を思いやり、力づけようとしていた。
だが、1年たって同じセリフを読み続けているうちに、
「そんな単純な感情ではなかったはずだ。生まれて初めて会う母親の姿がこれだったら、恐れや悲しみや怒りが込み上げたはず。通常の子供が母親に対して決して持ち得ない理不尽な感情。それを超えなければならない。『大丈夫だよ!』は、母親へと同時に、“自分に”言っているのだ。」
というところにまで思い至ったのである。
くり返すことで、役が本当に自分のものになったのだ。

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本文と関係ないけど吉野ケ里遺跡。広すぎたー

演劇は、教育的な活動に応用できるのではないか?と、練習の最中にずっと思っていた。
私が経験した「たろう」のように、自分とはちがう人生を生きる登場人物(陰惨な役とかじゃなくて)を演じることによって、その人にとってよい効果をもたらすのではないかと。
それには、演じる側にも見る側にも照れがあってはだめ。
役に本気でぶつかってセリフを言い、本気で指導してもらい、ひとつの作品に作り上げて上演したら、そのときその人の心は必ずや浄化されるだろう。

たとえば、犯罪者、中毒者、社会や学校生活に適応しづらい人など、何かしら生きることに困難を抱えている人たち。
演劇は彼らを変える力を持っているはずだ。
たとえば服役中の囚人が正義のヒーローのセリフを熱演したら……
引きこもりの人がコミカルな役を演じて、観客が爆笑したら……
いじめられている子がアドベンチャーの主人公を演じるとか……
これは、セラピーになるんだ!!!!

だが私たちはただの主婦で、できることとできないことがある(刑務所で演技指導に当たるわけにもいかない)。
そこで思いついたのが、影絵を被災地支援に役立てたいということだ。
具体的には、私の住んでいる杉並区と南相馬市は友好都市として交流しており、災害時相互援助協定も結んでいる。これを活用できないか。
区の教育委員会を巻き込めば、一度きりの慰問ではなく、影絵を通じて南相馬市の子供と長く交流を持てるかもしれない。

さっき震災特集のラジオ番組を聴いていたが、被災地の小中学校からの声で
「子供たちの心のケアはこれからも続く問題。むしろいま始まったばかりと言ってもいい。3年たって、ようやく子供たちはあのときのことについて(苦しかったことや悲しかったことを)口を開いて語り始めた段階」
というのを聴いて、ますますその思いを強くした。
東日本大震災について、風化風化と言っているのは、遠くの人間の思い上がりなのだ。
子供の心のケアが“いま始まったばかり”なら、準備が整ってから現地に乗り込んだって遅すぎるということはない。
公演やワークショップのような活動を、1回こっきりの自己満足に終わらせないために、入念な準備をしたい。

私は旅行が大好きだが、東北には3年前から一度も行っていない。
「震災ボランティアなどでなくても、ただの観光旅行でいいから東北旅行をしてお金を落とそう」という言葉はさんざん聞いたが、あまりにもショックが大きすぎて、とうてい平常心を保って東北に向かうことはできないと思っていた。
諸々の感情が押し寄せ、行こうという気持ちに達することができなかったのだ。

3年間、娯楽としていろいろなところへ旅行に行くたびに、後ろめたい気持ちもあった。
誰に責められたのでもないが、「旅行なんてぜいたくをできるなら被災地に募金しろ」「被災地へ旅行しろ」と言われているような感じがあった。
お金、は、無論とても大事なものだけれど……募金しても使い道がはっきり見えるわけでもないし、それよりも自分の中で「これなら私にも被災地に貢献できる」と確信できるものがないうちは、安易なことはしたくなかった。
今、やっと堂々と被災地の子供に会うために「これだ」と自信を持てるものをつかんだ。

私は逃げていた。
去年の今日、どうしても震災の日の日本にいたくなくて台湾旅行に逃げた(台湾2013いまだ連載途中)。
2年前の今日、ただ苛々し、無力を感じてこんな日記を書いていた(1年前の日記)。
それは、「私は被災地に、これを持って行ける」と確信できるものを、なにも持っていなかったからだった。

これは私が思いついたことで、まだメンバー全員に言ってはいない「夢」の段階だが、いつか実現させたい。
何年かかるかわからないけれど、何年かかるかわからない大きな「夢」があるって、すごくいいなあ!

by apakaba | 2014-03-11 13:52 | 生活の話題 | Comments(4)
Commented by Akiko at 2014-03-11 14:07 x
震災関連でよく、「自分ができることをやりましょう」「何ができるか考えたいですね」などといいますが、よくわからない。できることが明確にあって(見つかって)、自分の得意分野を活かせるってとってもいいですね!
そして、私は人前に立って喋るのがすごく苦手なのでその意味でも羨ましいです。
Commented by apakaba at 2014-03-11 14:23
震災関連について何か言おうとすると、なにを言っても「きれいごと」っぽくなってしまうのがつらいですねー。
うるせーうんざりだよ!って思っちゃう。
海外旅行に行くのだって私の勝手なのだけど、なんだか責められているような感覚があってつらかったです。
でもあたし、もう泣かないっ

人前に立ってしゃべるのと演技をするのは別物!
人前でそのまんましゃべることがうまくできなくても、「うまくしゃべれる」人物を演じるのは大丈夫、というすごい矛盾も、演技でなら実現できます。
Commented by ぴよ at 2014-03-12 11:34 x
実現するといいわね…きっと実現出来ると思うわ!
震災関連では、ご近所のスタバで震災の翌秋に「被災地に手編みのマフラーを送ろう運動」というのをやっててよっぽど自分も参加しようかと思ったんだけど…こんなド下手クソな私の手編みマフラーなんて送られた相手に逆に迷惑を掛けてしまうのでは…等々思い始めるとどうしても手が動かせなくて、結局何も出来ず終いになってしまった。

その点演技するっていいよね!やりながら目の前で反応が見れるもん。
物を送る・金を送るって結局やりっ放しで相手の目が見れないから不安になっちゃうんだ。
影絵芝居、自分が演じて子供達に見せてあげるのも勿論、子供達が演じたい物語の影絵を一緒に作ったり、演技指導をしてあげて一緒にお芝居を作ったりするのも楽しいかもね!
色んな可能性があると思うわ。ステキなライフワークだと思います。本当に頑張って!
Commented by apakaba at 2014-03-12 14:30
ありがとう。
まだ、ほとんど私一人が夢想している段階です。
でも一人では決してできないし思いつかなかっただろうな。
人と一緒にやれるのはいいな。
手編みマフラー運動だったら、とんでもなく凝った柄にしたらよかったのに!
そして現地の人に巻いてもらったところを写真にして送ってもらうの。
そしたら一方通行の善意じゃなく、リッパな交流の出来上がりだわ。


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