あぱかば・ブログ篇

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2014年 04月 08日

「栄西と建仁寺」展と「観音の里の祈りとくらし」展

上野で開催されている美術展をまわってきた。

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最近、あとでブログを書こうと思ってもすぐに感想を忘れてしまうので、長崎旅行記でもやったように現地からTwitterでなんでもかんでもツイートをしておくことにした。
そうするとあとでつなげるだけだからとっても手軽!
今日の感想もそれでいく。

まずトーハクの「栄西と建仁寺」。
「えいさい」じゃなく「ようさい」と読むのが約束だそうだが、これだけ「えいさい」で通っているのに今さらそういわれてもねえ。

栄西禅師800年遠忌のための特別展という大型企画展ながら、なんとなく冗漫な展覧会という印象を受けてしまう。
点数だけはすごいのだが、長く足が止まるものは少なかった。
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」だけが傑出しており、その他はまあまあ。
新しいところでは若冲がずば抜けてきれい。
入場してすぐ、建仁寺に伝わる「四頭茶会」の再現というコーナーは大掛かりで期待したのだが、そのあとが飽きた。
なんだろう、キュレーターが今ひとつなのか?
東京でいろんな美術館に行くが、ここ10年ばかりの印象では、私設美術館のほうがいいキュレーターがいるように思う。

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首をひねりながら早足でまわってしまったが、最後の風神雷神で一気に盛り返した。

屏風絵の左側に浮かぶ白い体は「雷神」。
人間が、憧れ続けた“飛翔”の体現。
体の重さから完全に自由になって空(くう)へ舞い上がる。
右側の暗緑色の体は「風神」。
白い「雷神」よりやや体重を感じさせ、足元の黒い雲に“乗る”。
雲を踏みしめて空(くう)を駆ける。
互いの足の曲線から、そんなイメージを受け取る。
さらには、風神雷神ともに両手を順手と逆手で描くことでさらなる躍動感と力強さを表す。
自由な四肢。
自由が二体から横溢する。

ふつうのレベルのアートをいくら眺めていても、なんにも心に言葉が浮かんでこないのに、風神雷神を見たとたん、バシバシとインスピレーションを受ける!
これがアートの非情なまでにおもしろいところだな。

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次は東京藝術大学大学美術館の展覧会へ。
「観音の里の祈りとくらし びわ湖・長浜のホトケたち」という長いタイトルの展示だ。
タイトルのセンスは今ひとつながら、展示は予想以上のすばらしさだった。

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滋賀県長浜市は、国内でも有数の、観音菩薩像の遺品の宝庫だという。
展示場内はあまり広くなくて展示方法もひたすら観音像を並べるだけというシンプルさなのに、一体一体に付された解説がていねいだ。
なかでも思わず足が長く止まっていたのは、安念寺というお寺から来た二体の像だった。
「いも観音」と呼ばれるというが、ぼろぼろに朽ちてしまい、痛みがきわめて激しい。
たしかに虫食いだらけのさつまいもに見えなくもない。
だが、その痛々しい体に身がすくみながらも目が離せない。
この像はこんなにぼろぼろになっても、人間を救済することをやめない。
祈ると皮膚病などに効果があるといわれているのも、この朽ちた肌が身代わりになってくれるように思うからだろうか?
初めギョッとし、それから動けなくなり、最後には泣きたくなるような感慨が押し寄せる。

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腕を失った千手観音といい、人は損なわれたもの、朽ちたものに、より強く惹かれてしまうのか?
こういう姿になるまでの時の重みを想像するからだろうか。

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盛りを過ぎた上野公園の桜を見ながらそう思っていた。
人々は紙吹雪のように降りしきる桜の花びらを見ては、思い思いに楽しそうにしていた。

by apakaba | 2014-04-08 22:31 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)


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