人気ブログランキング | 話題のタグを見る

あぱかば・ブログ篇

apakaba.exblog.jp
ブログトップ
2014年 10月 14日

落ち込んでいるばかりではだめで、工夫をしないと

落ち込んでいるばかりではだめで、工夫をしないと_c0042704_1737661.jpg
練習中。台本と目がすごく遠いのは老眼だからではなく、スクリーンの高さに目を合わせているのですよ

きのうから難聴の具合がグッと悪い。
台風で気圧が変化しているからだろうか?
今日、目前に迫った影絵の公演の練習に行ってきたがまるっきりだめだった。

きのう今日と、咀嚼音がやたら響くようになったので悪い予感はしていた。
サラダを食べればバリンバリン!
麺類をすすればズルズルズルーッという音が、脳天に大反響して、おいしく感じられない。
ものを食べるだけで疲れきってしまう。

長らく劇の声の出演をやっているが、劇団を始めて以来のピンチに今いると感じる。
吊り鐘の中でわめいているみたいに(吊り鐘の中に入ったことないけど)、自分の声がわんわんと響きまくって、自分でなにを演じているのかぜんぜんつかめない。
命が削られていくような感覚がする。
それでいて、まるっきり命には別状ないんだから馬鹿馬鹿しい。

自分の演技がうまくいかないことは大目に見てもらうとしても、人の声の聞こえ方も変なのだ。
わかりにくいとは思うが一応たとえてみると、巨大な薄いゴムの袋に人々の声が入って、ぼよんぼよんと私に向かって押し寄せてくる感じ。
なにを言っているのかよくわからないくせに、ボリュームだけは耐えがたいほど耳をつんざく。
薄いゴムの袋を通して、人の声がパンチを繰り出してくるような感じだ。
人の声のパンチが頭を殴りつけてくる。
当然、頭が混乱して、たくさん殴られたあとのようにぼーっとして(たくさん殴られたことないけど)、今までの私なら絶対にありえなかったことが……「出番が、わからない」

何度も失敗してしまい、苛々が高じて、そこらへんのものを蹴っ飛ばしたり、投げつけたりしたいくらい、頭に来た。

激しく落ち込んでいることを夫に言うと、
「もしかしてこれを使ってみるといいかも。」
と、ノイズキャンセリングヘッドホンを貸してくれた。
すると、急に、自分の声も人の声も脳天に響かなくなった!すごい!
その代わり、自分の声も人の声も遠くに感じるけれど、ガンガン殴られ続けているような感覚よりはよほどマシだ。
ナルホド。
落ち込んでいるばかりではだめで、工夫をしないと。

ベートーベンが聴力を失った病気の原因は、耳硬化症だったという説が今日では有力だ。
ベートーベンは、聴力が弱くなってからは「歯に指揮棒をくわえてピアノに押し当てて音を拾っていた」という。
耳硬化症の診断を受けたばかりのころは、そのさまはなんとなく遠い話に思えた。
創造へのアプローチの壮絶さだけを感じた。
しかし、今はその逸話を身近に感じられる。
必要に迫られれば工夫するしかない。
18世紀にベートーベンが生み出した工夫は指揮棒だったけど、21世紀に同じ病気になったら、ノイズキャンセリングヘッドホンが役に立つんだよ。
しばらくこれで乗り切るしかない……

by apakaba | 2014-10-14 18:38 | 健康・病気 | Comments(0)


<< 難聴が進んでも社会貢献したい      正しい就労支援を! >>