あぱかば・ブログ篇

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2015年 06月 27日

キャリア教育授業報告——旅が突きつけてくるもの

キャリア教育授業の講師になる」という話をおととい書いた。
今日、その小学校へ行ってきた。
だいたい、書いたとおりの内容のことを話せた。
予想通り、6年生たちは世界各国を旅する私の写真を見て盛り上がり、影絵のDVDを見せながら同時に実演すると、目を丸くして拍手。
おかげでしっかり集中してくれた。
質問コーナーではいろいろな質問があったが、最後に当てた男の子がこう聞いてきた。
「ぼくも、ISとかのニュースを見ているとやっぱりなにか感じたりすることはあって、自分もなにかしたいと思うんですけど……世界をまわって、なにかしたいと思っても、なにをしていいのかわからないとき、どうしたらいいと思いますか。旅をすることと、どうつながりますか。」

「あなたが今いきなり、直接的に世界の不幸を救うことはできない。
たとえば貧しい国へ行って、寄ってくる物乞いにお金を恵んでも、きりがない。
旅行者がちょっとお小遣いをあげた程度では、その人やその家族、その国の巨大な貧困を救うことにはまったくならないから。
でも世界を見て、なにかを感じるということは、決して無駄ではないと思うのです。
テロから少し離れますが世界の不幸ということについて。
私がインドに行ったとき、大学生の男の子と一緒に旅行をしていたんですが、彼とこんなことを話しました。」

15年前、インドヒマラヤから帰って来る夜行バス。
私は日本人学生のNさんという人と二人でバスに乗っていた。
そのときのことを、昔、旅行記に書いた。
その文章を思い出しながら紹介した。
帰宅したら旅行記を見つけたので、長くなるが貼り付けておく。


 ――大道芸だというのに、その一家のサーカスは、観客に「見るな見るな」と請うているようだった。


 カーラチャクラ初日の法要が済み、聴衆が身体の疲れと充足感を抱えて家路につく。

 そこを狙い、人々が必ず通るテント村中央の広場で、芸は始まっていた。

 四肢のどれかが欠けたインド人の物乞いが這いつくばる。

 流浪の芸人が、芸よりもみすぼらしさを売り物にして日銭を稼ぐ。

 人の集まるところにはいつのまにか彼らがいた。

 チベット仏教もダライ・ラマも、彼らの知ったことではない。


 並んで突っ立った私たちは、傾きかけた陽射しをまともに受け、しかめっ面でしばらく家族でやっていたサーカスを見物していた。

 やがて私は、「先に帰る。」とだけ彼に言い残して、ひとりで自分のテントに戻った。

 2歳にも満たないような男の子が、泣きさけびながら、座長である父親に棒でせかされて、腰を振ったり、土埃の立つ地面を転がったりしている。

 10歳くらいの姉が綱渡りをしたりアクロバティックな踊りをしたりする合間に、小さいほうの子が出てくる。

 まだ芸とはとても呼べない、痛々しいだけの見せ物だ。

 周りのチベット人を見まわすと、誰も笑っていないし、喜んでもいない。私と同じしかめっ面で眺めている。

 私の顔もみんなと同じだとわかると、よけいに気分が悪かった。


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真ん中の緑の服が男の子。大声で泣きながら踊る。
鳥の羽で作ったかぶりものをかぶっているのが姉。
周りのお客が嫌な顔で見ている。


 あれを見ているのは、つらかった。

 でも、自分にできることは、とにかく芸を最後まで見届けて、拍手して、見物料を渡すこと、それしかないと思って、そうした――ゆうべ、食事休憩のあと、彼はまったく突然に、前日見たそのサーカスの話を始めた。

 その唐突さと、いままで聞いたことのなかった口調に驚いて、隣に座る彼の顔をそっと窺ったが、夜行バスの車内は暗くて、表情までは見えなかった。

 共に暮らしたこの旅行中、さんざん冗談を言い合っていたが、私はこれまで本当にはこの人と話をしていなかった、とそのとき急に気がついた。

 彼は、私が帰ってしまったあと、サーカスの父親が子供を使ってさらに悲惨な見せ物をやっていたことを、とぎれとぎれに、しかしつぶさに語った。

 「小さい弟のほうは、ますます泣きわめくだけで……、お姉ちゃんがお客から見物料を順々に集めていって……。あの、俺を見たときの女の子の目が、忘れられない……。」

 闇に声が消え入る。

 自分があの親子にできることは、他になかったのか。

 本当ならどうすればよかったのか。“本当”なんてあるのか?

 女の子の目に苛(さいな)まれ、彼は出口のない問いにはまりこんでいるようだった。


 私は、こんなことを彼に答えた。

 「あなたが明日いきなり生まれ変わってマザー・テレサになることは不可能だけど、あなたがあれを見た、そしてなにかを思った、ということは事実だし、それでひとつ世界を知ったことになるとは思う。

 直接的には、あの親子にしてあげられることがないとしても、あなたはもう確実にひとつの世界を知っているんだし、それが自分の、これから生きてなにかを考えるときの方向づけとなっていくにちがいないし、それに、身のまわりの大切な人たちにすこしずつ話して、自分の考えたことを知らせていくことはできるはずだと思う。」

 「たとえば……自分の子供、とか……?」

 「そう、家族や親しい友だちとか。」

 「自分の子供がいるって、いいですね……。自分のとこで途切れない、っていうか……語れる相手がいるのって羨ましいなあ……。」

 「そうね。子供はいいものだよ。子供が大きくなってきたら、私もいろんな国で見たことをちょっとずつ話していくつもり。

 旅をすると大人になる…世界を知る…旅がいろんなことを、自分に突きつけてくる。

 私は、世界地図をひろげて見たり、新聞の国際面を見たときなんかに、この世界を、すごく近しく、愛しいものに感じることができる。

 その感じを、子供に、押しつけじゃなく、伝えようとは思っているの。

 これって自分の旅行癖を正当化してるのかな?とも思うんだけど、まあ実際、それがお土産、かなあ……。」

 気恥ずかしいからいままで誰にも言ったことのない、けれどもいつも心の中では考えている、旅についての正直な気持ちを、並んで座って顔が見えないことに力を得て、しゃべった。


この、大道芸と大学生のエピソードを語ると、6年生たちはいよいよ静まり返って聞いてくれた。
大人が真剣にしゃべると、子供は居ずまいを正してくれる。
そうはいっても子供が相手なので、あまり悲観的なことは言わず、「考え続けることで、今すぐにはなにもできなくても、未来はよくなります。そう信じてます。」としめくくった。
帰宅して自分が昔書いた旅行記を読んだら、「気恥ずかしいからいままで誰にも言ったことのない、」と書いてある。
そうだったのか。
私は、この当時はまだそう思っていたんだなあ。
今日は、大学生だったNさんに語ったことを、見知らぬ子供たちにしゃべってきちゃった。
私も変わったんだな。
このあともたくさんのことを知って、やっと、人に話せるだけの自信がついてきた。
偶然ながらそれをたしかめることができて、うれしかった。
私のほうこそキャリア教育ですよ。
見知らぬ6年生の子供たちよありがとう。


by apakaba | 2015-06-27 18:22 | 子供 | Comments(0)


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