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2015年 08月 03日

蔡國強展「帰去来」

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横浜美術館で開催中の「蔡國強展:帰去来(特設サイト)」へ行った。
4年前、たまたま入った香港大学美術博物館(私の書いたエイビーロード内の案内記事はこちら)で、初めて蔡國強の作品を見た。
まったく知らなかったアーティストだが、彼目当てで来たわけではないのに、不思議と強い印象が残った。
それから3年して、名古屋市美術館でも、またたまたまこの人の作品が一点だけあったのだ(名古屋市美術館探訪記)。
そのときこうメモを取った。
・ツァイ・グオチャン(蔡國強)「葉公好龍」
香港大学の美術館で、この人の企画展を見た。大判の紙を火薬で焼いて、龍を表現するという発想のおもしろさ以上に、東洋的な美がはっきりと現れている。作家のことを何も知らなくても、一目で東洋人とわかるのだ。」

2回とも偶然見かけて、知識がまるでないのに強く惹かれた。
私は、絵画展などに行っても有名な画家の絵をとりあえず熱心に見る、典型的な素人だ。
素人の目から見ると、さして有名ではない画家の絵は、ほとんど琴線に触れてくることがない。
もちろんそれが作品の力によるという理由が大きいのだろうが(だからこそ有名な画家になるんだし)、蔡國強を見たとき、予備知識がまるでない状態でも「この人はもしかしてとんでもない人なのでは。私だけが知らないのでは」としか思えないほど惹かれた。

初めて個展に行ってみて、やはり自分の4年越しの勘は当たっていたとわかった。

中国福建省泉州市出身の蔡は、日本に9年間住んでいた。
現在はニューヨークを拠点として活動しているが、日本にもひとかたならぬ愛情を示してくれている。
火薬を使った独特の手法を用いることで知られる。
中国は昔から花火の技術が発達しており、それが日本にも持ち込まれて、西洋にはない繊細で芸術的な花火に発展した。

蔡の作品を見るとき、もう火薬のにおいはどこにもしないのに、どこか鼻腔をくすぐる火薬のにおいをさがしてしまう。
それは中国と日本に共通する、花火の記憶だ。
以前、蔡の作品を見て、作者を知らないのに「東洋的」と直感したのは、これによるのだろう。
同じ東洋人の血を、強く感じた。

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「人生四季」という4連作は、なぜか僧侶と尼僧に見える一組の男女の性行為を、四季を表す風景のモチーフの中に描き、火薬の爆発で彩る。
夢の中の一場面のように美しいが、どこか禍々しさも宿る。
とくに火薬の「赤」に。
蔡は、この作品で初めて色鮮やかな火薬を使うことを試したという。
「赤」は、結合する陰部と求めあう唇の上で爆発する。

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「春夏秋冬」は、蔡の故郷である福建省泉州市にちなんだ作品だ。
泉州市は磁器の生産地だという。
白いタイルに、四季を表す植物や生き物をかたどったレリーフを作る。
それを火薬で爆発させ、真っ白だったタイルはところどころが黒く染まる。
四季がある国はいいなあとつくづく思う。
その、四季を表す、本物以上に繊細な極薄の花びらの美しさに、目を近づけて見とれる。
しかしところどころが火薬の爆発で黒ずんでいる。
もしも真っ白のままだったら、どんなにか心洗われる美しさだっただろうに……、黒ずみをまとったことで、レリーフはまったく別の表情となる。
不吉さ、逃れがたい死の影、流れていく大気、流れていく時間、レリーフに刻まれる黒ずみが、見る人によりさまざまなイメージをかきたてる。

この「春夏秋冬」と合わせて、同じ部屋の中央に、「朝顔」という作品がある。
藤蔓にテラコッタ製の朝顔をつけて吊り下げる。
朝顔は火薬で焼かれ、黒ずんでいる。
この部屋はそのまま中国の五行思想と重なる。
「木(春)」、「火(夏)」、「金(秋)」、「水(冬)」に加えて「土(季節の変わり目)」という五元素がそろっている。
中国の偉大な思想が、創作の根底にある。
自分のルーツを深く見つめている表現者だとよくわかった。

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「壁撞き」は火薬を使わず、狼のレプリカを99体使った壮大な立体作品だ。
ガラスの壁に次々に突進しては倒れ、また壁に挑戦していく。
メッセージがややストレートすぎるように私には感じられた作品だが、99という数が中国の道教では永遠を象徴する数だと知った。
やはり、蔡は中国人というルーツを見つめるアーティストである。

なによりも感動したのは、むしろ2本のビデオだった。
ビデオ「帰去来」では、この個展のための制作風景を、「巻戻」では蔡のこれまでの作品と半生を、現在から誕生まで時間をさかのぼって自らの語りで紹介している。
この2本は繰り返し見てしまった。

「帰去来」では、蔡は日本語を使って語りかけてくる。
母語を使わず、あえて(十分にうまいとはいえ)少したどたどしさのある日本語で日本人に語ってくれることで、真剣さが伝わる。
彼のアートへの情熱と、中国人として日本と関わることの使命。
「(中国)政府だけが中国の姿ではない。アーティストなら、“秩序”の中と外を往復できる。」

「巻戻」は、感動で何度か涙が出た。
火薬を使った大仕掛けのアートを次々と紹介していくが、壮麗なイリュージョンは、蔡の強靭な意志があって初めて思想性を帯びる。
広島の原爆ドームから打ち上げた、「黒い」花火。
青空に真っ黒な爆発が起こる(これにはグッときて泣いた)。
911後のニューヨークに打ち上げた、虹色の花火。
ニューヨークを第2の故郷と言う蔡が、悲嘆に暮れるニューヨークの空に虹をかけた。
ブラジルの未成年者に向けた、教育プログラム。
彼らに大砲を作らせ、「火薬は危険なもの。人を傷つけるもの。しかし使い方を変えれば、アートになる」と、爆発物の新たな可能性を示す。

蔡はいわきにも住んでいた。
原発事故後、蔡はチャリティーで集めたお金を、復興のために寄付しようと考えた。
いわきの人々は、そのお金を「いわき万本桜プロジェクト」に使いたいと言ってきた。
「最初、私にはその意図がわからなかった。けれど、一緒に植樹してみて理解した。ここで暮らすと決めた子供達のために、いつか、桜色に染まった大きな海のような山が、遠くからでも見えるように……」
ここでまた落涙。
世界を股にかけた派手な活動のために批判も多い作家だが、この語りだけはともかくほんものだと思った。

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大量の火薬を爆発させるイリュージョンを、映像ではなくこの目で見られたらなあ……
どんなに興奮するだろう!
次々に映し出される爆発の映像を見ながら、もくもくと湧き上がる煙も、鼻を打つ火薬のにおいも、腹に響く爆発音も、皆、たった一度の芸術なのだと思っていた。

映像を見ながら無意識にメモしていた。

「一緒に煙のにおいを吸い込む。
音を聞く。」

どうしてこう書いたのか、思い出せない。
アーティストでありイリュージョニストである蔡は、自由自在に火薬をあやつる。
だが、火薬は常に偶発性と隣り合わせだ。
大掛かりなものほど、成功するかしないかは不確かになる。
爆発に向けて、たった一度の芸術に点火するときの、蔡の鼓動が聞こえる。
うまくいくか?
蔡はすべてをあやつるが、点火したらあとは観客と一緒に、見守る側の立場となる。
だから、私たちは、蔡と「一緒に煙のにおいを吸い込む。音を聞く。」のだ。

個展としては点数が少ないが、火薬の爆発という作品の性質上、仕方がない。
2本のビデオ映像は必見。
本人のウェブサイトで当展覧会の作品の写真を見られる。


by apakaba | 2015-08-03 18:26 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)


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