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あぱかば・ブログ篇

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2015年 08月 14日

“コロール、ソンソル、トコベイ”

夫の祖父は医者で、第二次世界大戦当時は軍医(少尉)として南洋に行っていたという。
夫はおばあちゃん子で、子供時代は祖母にべったりだったらしいが、意外と祖母の話をよく聞いていなかったようで、嫁に来てからは私の方が、よく祖母の話し相手になっていた。
祖母は2008年に他界した。

まだ元気で、私ともよくしゃべっていた時代、
「おじいさんは兵隊に付いて南の島にあっちこっち行ったのよ。手紙が来たけど、ええと、“コロール、ソンソル、トコベイ”って書いてあったわ!」
と、くりかえし言った。
夫はなぜかその地名をまったく聞いた覚えがないと言うが、私は呪文のようなその言葉をずっと覚えていた。
コロール、ソンソル、トコベイ?
太平洋の島々にまるで詳しくない私は地名を聞いてもどこだか浮かばず、地図を見てやっとわかった。
この辺りでは「トコベイ人形」という民芸品がお土産の定番らしいというのも知った。

“コロール、ソンソル、トコベイ”_c0042704_12310602.jpg

うーん、素朴だ……。
夫の祖父は、兵隊さんの治療の合間に、現地の人たちのこともちょいちょい診てあげて、感謝されて果物や魚などの食べ物をもらったという。
そのため、敗戦して日本に帰ってきた祖父は予想より元気そうだったという。
なんかハートウォーミングな話ね。
この素朴な人形のような人々が、夫の祖父のもとを訪ねていたのだね。
そんなふうにして痩せこけもせず無事に帰ってきた祖父は、50代で病気になりあっけなく他界してしまった。

義母は医者ではないが、父親(夫の祖父)の産婦人科医院をずっと手伝っていた。
私にこんなメールをくれたことがある。
「夜中に一人で未熟児の保育器を準備していたり、お産の手伝いをしていると、父がそばについていてくれるような気がします
父がしてきたことをきちんと受け継いでいると思うと、夜中に起きていてもちっともつらいともさびしいとも思いません」

きのうは仕事で、ボルネオ島唯一の鉄道路線の記事を作っていた。
「その鉄道はイギリス植民地時代に敷かれた歴史のある路線だったが、1944年、第二次世界大戦末期に日本軍によって壊滅的に破壊された」と書いた。
あとちょっと、日本軍が上陸するのが遅かったら、そこまでメチャクチャに壊されることもなかっただろうに。
戦争中、日本人はいろんなところへ行っていろんなことをしていたんだな……
何が正しかったのか、それは後の時代になってわかってくること。
さなかにいた人々は、皆それぞれに自分のすることをやっていた。

“コロール、ソンソル、トコベイ”でしたことを聞かされたから、義母は父親の死後もがんばって医院を守り抜いてきたのではないか?
自分を保つことは、平時ですら大変だ。
大酒飲みで、女性によくモテたという夫の祖父は、それでも根源的なやさしさや正しさを持った人だったのだろうと想像する。
苦しんでいる人は助けたいという医者の本能。
会うことは叶わなかったが、夫の祖父の心は、義母に受け継がれているのだろうな。


by apakaba | 2015-08-14 13:07 | 生活の話題 | Comments(0)


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