2015年 12月 16日

見た夢をそのまま書いてみる(影絵本番)

台本が配られてからまだ一度も練習をしていないのに、突然「今日、これから影絵の本番です」と言われる。
しかも、今日は歌を歌う担当の人が休みなので、私が劇中の全部の歌を歌えと言われる。
場所は学校の体育館か講堂だが、その学校はまるで大型ホテルか郊外のショッピングモールのように入り組んでいて、どこがどこなのかさっぱり把握できない。
急な予定変更に驚きながらも、団員は自分の台本を取り出し、スタンバイを始める。
私は、自分の台本をなくしてしまった。
当然、セリフはひとつも覚えていない。
台本に細かく書き込んだメモも、まだ頭に入っていない。
自分の台本を探すために、その迷路のような巨大な生き物の腹わたの中のような学校の廊下を、早足で突き進む。

この学校の廊下はまっすぐではなくて、中国式庭園にかかる橋のようにジグザグになっている。
永久に続くように思われるその廊下は、ひとけがなく静まり返った箇所もあれば、白衣の学生(高校生くらいか)がどっとあふれかえっている箇所もある。
その群衆の中に栗原類がいる。
栗原類は感情のない目で私を見て、さっと消えてしまう。
台本のありかを知っているか聞きたかったがだめだった。

泳ぐように人をかきわけたり、なんのための教室かよくわからない部屋を通ったりしながら、結局校内を一周してしまい、むなしく団員の控え室に戻ってくる。
するとまっさらな台本の余りがまだ残っていて、私は仕方なくどさくさに紛れてそれを一部取り、なにもメモがないけれどこの台本でやることにする。
息を整え、いい声が出るか喉の調子を確認。
でも今回はうまくいかないと、やる前からもうわかっている。


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テニス部が練習をしていた


どうしてこんな夢を見たか、あまりにも簡単。
きのう、娘の学校で三者面談があり、久々に高校へ行った。
週末に映画をレンタルして、音楽大学が描かれている映画『セッション!』を見た。
しばらく公演がなかった影絵人形劇団だが、来年の2月と3月に立て続けに公演があり、ちゃんとできるのか不安を抱えている。
不安を抱えているのは、声がつぶれないかという不安と、難聴が少しずつ進んで、ますます聞き取りが悪くなっているのではないかという不安だ。
不安だから『発声と身体のレッスン』という鴻上尚史さんの本を買って、毎日熟読を続けている。
読み終わったらトレーニングを始めるつもり。

そんなふうに、学校や学校生活や影絵のことを考えていたから、こういう夢を見てしまうわけ。
いつもながら単細胞ね。
わからないのは栗原類だが、彼のインタビュー記事を読んだからかも(発達障害だったという記事)。

中学と高校のとき演劇部にいたから、しばしばこういう夢を見たなあ。
本番の幕が開くのに、セリフをひとつも覚えていない! 全部忘れた! そんな夢。
「テストの夢をよく見た」という人は多いだろう。
やっぱりプレッシャーを強く感じている証拠だな。


by apakaba | 2015-12-16 19:11 | 生活の話題 | Comments(0)


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