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あぱかば・ブログ篇

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2006年 03月 06日

1990年の春休み. 8 インド〜パキスタン篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。
文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
インドのアムリトサルで“誇りのリキシャマン”に一日の行動を任せてみる。

2月2日(つづき)
 夕方の寒さがキビシクなる中、リキシャマン推薦の中華レストランに行ってみた。(食事中、彼は外で待っていた。)
 これがまたスゴかった。高いのなんのって……のみならず、そこは緊張感あふれるところなのでした。ボーイだかなんだか店のもんが最初から最後までずっっっと見張ってるし。コワかった。その中で食事するんだからネー。
 しかも、私の頼んだGinger fishはモーレツにspicyだったのです。いやーからかった。トマトソースを混ぜてみたけれどもうダメ!だった。ああ残念。ヤツ(ボーイ)もどうして食べないのか理解できないらしく、ムッとしたみたいだった。悪かったなあ……食べ物を残すのはつらい。
 誠意(?)を見せて、大量に出たライムティーを全部飲んだ。緊張した食事だった。
 しかしそこに流れるBGMはちょうどなつかしい時代の音楽ばかりだった。Take on meとかね。
 ビックリするような高額の食事をしちまったゼ。

 宿に帰る途中は二人とも風邪が本格化して、もうダメ!であった。寒すぎるのだ。
 しかし二人の胸にはリキシャマンにいくら払えばよいのかという問題ががっちりとくいこんでいたのであった。リキシャマンはなにも言わずに黙々とペダルをこいでいたが、なんだか日本語がわかっているかのような気さえする奴なので、なんとなく小声になってしまう。
 ホテルの前で、値段の交渉をしたが、as you likeという。てめーは炎のリキシャマンじゃないんだからそんなセリフ言うなっ!と内心思いつつ、30ルピー出すと、冗談はよせ、と言いたげ。あとで宿のオババにきいたら、1時間8ルピーが相場なので、信じられない値切り方をしてしまったのだ。全くハズカシイ。
 結局50払った。
 ヤツは
「学生なんだからカネのないのは当然。日本に帰って、もっとお金をかせいだらまたインドに来て、たくさんおカネを払え」
 と、全く最後までソツのないことを言う。本当のいいリキシャマンなのであった。寺島悠もそう思ったことだろう(*1)。

*1・・・誇りのリキシャマンが持っているノートに、この日本人の名前があった。自分への推薦文を書いてくれと頼まれることはよくある。それを見せて、新しいお客の信頼を得ようとする。

 部屋に戻り、二人とも風邪がひどくなっていたのでわかめスープ(*2)を飲み、かぜぐすりを飲んでネタ。
 うーん長く書いた。疲れた。

*2・・・日本から持ってきていた。


2月3日(土)曇のち晴
 パキスタン入りした。
 アムリトサルから列車に乗る。パキスタンのラホール(*3)への距離はほんの短いものだが、国境越えのチェックのため、チェックポストのあるアターリー駅にやたら長く停車し、結局7時間乗りっぱなし。

*3・・・インドとの国境に近い、パンジャーブ州の都市。

 二等車の車内ははじめ人がほとんど乗ってなくて、こいつあーイイ!貸し切りじゃんと思っていたら甘かった。遊園地みたいな座席であったが満員になると座席の存在すら忘れてしまう混み方なのであった。
 赤ん坊というのはなんだってあんなに泣くんだろう。そして彼らはヒジョーにたくましいのである。腕一本をつかんで放られても平気なのだ。
 赤ん坊のころからしっかりと手足はキタナイのである。全く人々は洗濯とか入浴という単語を知らないのかと思うほどキタナかったのであった。
 しかし我々のキタナさも少しもひけをとらないのであった。顔つきはちがうけれどキタナさにかけては同じなのである。

 発車前、ヒロがクッキーを買いに行ったので、私は座席で一人で待っていた。
 人々の異常に無遠慮な視線に、一人で耐えなければならない。インドの街なかで、人々のジロジロ光線にはかなり慣れてはいたが、この狭い空間の中ではパワーがちがう。頭を掻いてもアクビをしても見られている。この圧縮ジロジロ光線を逆利用することにした。
 「歩き方」に載っていた、ウルドゥー語(パキスタンの言葉)の単語・会話集を大声で読み、周囲のウケをねらってみる。
 「アッサラーム・アレイクム!(こんにちは)」
 「ビス・ミルラ!(いただきます)」
 「シュックリア!(ありがとう)」
 「ムーアーフ・キージーエ!(ごめんなさい)」etc。
 人々はちょっとびっくりしたような顔でやはりジロジロ見ている。
 やがて、とりかこんだパキスタン人たちがてんでバラバラに話しかけてきた。
 女性は字が読めず、英語のできない人が多いようだ。ウルドゥーを教えてもらおうと思い、こっちが一生懸命話しかけても一方通行。向こうはかまわずウルドゥーでまくし立てるので、やっぱり一方通行。おまけに、ヒロが買ってきたクッキーは一瞬のうちに向こうの手に渡ってしまった。窓からヒロが私に差し出したクッキーを受けとるか受けとらないうちにひったくられ、次々と女性たちの手から手へ回され、ひるんだすきにばりばりと包装紙を破かれ、周囲の老若男女に一枚ずつ行き渡ったかと思うともうなくなってしまった。一枚も。早業であった……ショバ代だとあきらめよう。
 飢えのための行動という印象ではなかった。
 「いいじゃないアンタ、この子にも一枚もらっとくよ!」
 とでも言っているようなオバちゃんノリ。場は一気に和んだ。

by apakaba | 2006-03-06 11:40 | 1990年の春休み | Comments(6)
Commented by K国 at 2006-03-07 19:13 x
うちの子供が小中学校の頃、毎年正月休みに都会で生活してる留学生を大分のボランティアの人達が150人ほどホームステイを募ってたので5年程続けて参加した
台湾、フランス、韓国、ブルネイ、韓国と引き受けた、ブルネイの20歳の子がイスラム教で最初は何を出しても肉が入ってるとか、ハムが入ってるとかで料理に苦労しました、その点近くの歯医者にホームステイしてた
パキスタンの男性は「郷に入っては郷に従え」と格言も知っていて
ビールも飲んでました、パキスタン人はしたたかだなと思った記憶がある

しかし子供が高校受験の時期になってホームステイ辞めましたが
実際子供がいないと間が持たない気がして、もう出来ませんね
Commented by apakaba at 2006-03-07 22:29
こんどは某カルロスがステイするらしいですが、いい酒を出す必要はありませんからね(きっぱり)。
パキスタン人は、日本では飲酒もするという人もいますね。
イスラームは「人間、もともと弱いものだ」という「性弱説」とでもいうような考えをとっているそうで、飲酒をしてしまうダメな自分もまあ、人間だもの(相田みつを)ってことなんですかねえ。そう考えると、イスラームも寛容だな。
ただまあ、それって酒が「ダメなものイケナイもの」という前提があるからで、それは、うーむ、賛同しかねますねー。
Commented by はなまち at 2006-03-07 23:57 x
>(きっぱり)
思うのですが、貴女程の文才のある方がこれいつも使いますが、
蛇足のように思うのですが。
きっぱりなら、きっぱりと感じさせるようにと言うのが文章の作法に
思います。
Commented by apakaba at 2006-03-08 13:29
文章に関してですが、気を抜いて書く場面と、気合いを入れて書くときにかなりはっきり分けています。
気合いを入れて書いたものについては、出すときに「さあどうだ!」くらいの気持ちは入れます。
なので、(きっぱり)とかトホホとかそうですか〜〜〜〜〜の「〜〜〜〜」など、こちらもリラックスして書いているから読む方もリラックスしてくださいという合図としています。
気合いを入れて文章を書くときとはちがうということで見逃してください。
Commented by 満腹ボクサー at 2007-05-12 12:15 x
>と、全く最後までソツのないことを言う。本当のいいリキシャマンなのであった。寺島悠もそう思ったことだろう(*1)。
>*1・・・誇りのリキシャマンが持っているノートに、この日本人の名前があった。

グーグルで検索したら、ひょっとしたらこの人か?というのが出てきたよ。違うかもしれないけど。
Commented by apakaba at 2007-05-13 17:00
うーん、わりとよくある名前なので、なんとも……よくある名前だからフルネームでも出しやすいんだけど。


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