2006年 03月 24日

1990年の春休み.15 パキスタン篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
パキスタンのラホールで、日本語で声をかけてきた二人組とともに、親戚の家に上がったりして仲よく過ごす。でも私の風邪が悪化してダウン。

2月8日(木)晴
 私たちの泊まっているY.W.C.A.は、入り口を入るとすぐに二十畳ほどの広さのホールがある。宿泊客はそこでおしゃべりをしたり新聞を読んだりしていた。
 古いピアノがあったので、ちょっと弾いてみた。ここ50年ばかり誰も触っていませんとでもいうような代物だった。音はめちゃくちゃに狂ってるし弾くと上がってこない鍵盤はあるし、たちまち指も真っ黒になってしまった。
 Y.W.C.A.と同じ敷地の中に小学校があるのだが、そこにあったピアノもやはり似たようなものだった。なんか考えてしまったよ。あんなに音が悪いという事実を体験しちゃうと。ホールのピアノはともかく、小学校の音楽の時間にはあのピアノを使って合唱したりしないんだろうか。ここの子供らには、私のうちの古いヤマハでさえ、素晴らしすぎる音色に聞こえちゃうんだろうな。

 ところで私の風邪は一進一退を遂げ、ちっとも全快しそうにないので、とうとうY.W.C.A.を引き払ってセリームの家にお世話になることに決めた。初めて会った日から「ボクの家に泊まるといいと思いマス。」と誘われてはいたが、そのころは彼らを信用しきれなかったし、家の人に迷惑をかけたくなかったのだけれど、今となってはもうセリームの人柄もよくわかってきていたし、連日の家庭訪問攻撃で家の人々は私たちを心から歓迎してくれていることもよくわかった。第一Y.W.C.A.のじめじめした棺桶のようなベッドではいくら寝ていても風邪が治りそうになかった。

 セリームの兄夫婦の部屋を空けてくれたのでありがたく使うことにした。十畳近くある部屋で、シャワールームも付いている。ダブルベッドがどかんと置いてあった。
 「今夜から私たち、夫婦のようにこのベッドで一緒に寝るのね。」
 「なんだか恥ずかしいわねえ。」
 掛け布団が一枚なので、夜中に引っ張り合いにならなければいいがとも思ったが、やっと腰を伸ばして眠れるのはうれしかった。
 セリームの兄の名前は聞かずじまいで、私たちはずっと「お兄さん」と呼んでいたが、その奥さんはフェルドーサという名で弱冠二十歳であった。彼らはいとこ同士だ。パキスタンでは結婚は親同士が話し合って決めるのが普通だという。恋愛結婚は異例中の異例だ。日本人の奥さんがいるセリームはこの異例に入る。
 フェルドーサは英語はできないが気さくな人で、身振り手振りでよく私たちを笑わせた。しかしお兄さんとしゃべっているところは滞在中一度も見なかった。
 「ほんとはあのふたり、愛し合ってないんじゃないのオ」
 などと勘ぐってしまうほどのよそよそしさであった。

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左が兄嫁フェルドーサ、右が親戚のシャバナ(後出)。


 セリームのお母さんとフェルドーサが、パキスタンの衣装を持ち出し、これに着替えなさいと言う。説明しにくいのだが、ポリエステルでできたパジャマのようなスタイルのものだ。
 ヒロは黄色と青の派手派手しい衣装を、私はグレーの上下という地味なものを選んだ。
 ちょうどそのとき、近所に住む親戚の女の子ふたりが遊びに来た。
 シャバナとガザラという姉妹で、シャバナは二十歳、ガザラは十六歳。私たちよりずっと年上に見えたのに実はずっと年下だった。きっとこっちはガキっぽく見えていることだろう。
 私たちは彼女らの格好のオモチャになってしまった。
 キャーキャー言いながら私たちの顔にものすごいメイクアップをした。それはもうまるで仮面ライダーやガッチャマンに出てくる、悪の星から来た邪悪な宇宙人のようであった。
 ふたりとも開き直って、みんなを楽しませることに徹した。
 パキスタンの衣装の上にかけるショールのような布(*1)を頭でリボン結びにして「踊り子よ(これはヒロがやった)」、両手でひらひら振りながら「あたし天女なの(これは私だ)」、ぜんぜんおもしろくないのにみんな大爆笑だった。

*1・・・女性たちはパジャマ風の服の上から必ずこの布をかける。形は長方形。その中心部で胸を隠すようにし、両端は肩から後ろに垂らす。せっかく服にきれいな模様があってもこの布で隠れてしまうし、動くたびにずるずる落ちてくるのでしょっちゅう肩の後ろに戻さなくてはならない。実にうっとうしい。イスラム教では女性が性的魅力を発揮することを厳しく禁じている。このため、身体の線を隠す服を着て、うっとうしい布でバストを隠す。

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男性の来客中なので、キッチンで衣装替えごっこ。


 まあなんというか、女性はヒマだ。こうしてフツーの家庭に泊まってみるとよくわかるけど、本当に女性隔離という戒律は生きている。
 たとえば家族以外の男性が家に上がってくると、挨拶もしないで台所に引っ込み続けている。他人の男に顔を見られちゃいけないからだ。外出もできる限りしてはいけないという。
 家から出ないで甘いチャイばかり飲んでいるから必然的に太る。お母さんもフェルドーサもものすごく太っている。単調な毎日なんだろうなー。
 働く女性というとTVのアナウンサーか銀行くらいでしか見かけないけど、やっぱり身なりも髪型も、きれいだよね。
 普通の女の人は、会ったこともない男性といきなり夫婦になって毎日同じことやって……、うーん、日本も少し前まではそうだったけど、女性のためにやっぱりその点は変わるべきだと思う。

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シャバナの妹、ガザラは16歳。まるでおばさんのように見えるが……キッチンでおちゃらけています。


 そして私は左手を使えない食事が予想外にものすごくつらかったのでした(*2)。
 最初のうちはあまり気にしていなかった。しかし、昼の食事中にヒロがコップを何気なく左手で持っていたとき、厳格そうなセリームの父ちゃん(なれなれしくもこう呼んでいた)が突如無言で彼女の手を摑み、そのコップをパシッと右手に持ちかえさせたのを見てから、一気にテンションは高まってしまったのである。
 左手ならもっとうまく食べられるはずなのに、ボロボロこぼしてジーンズの右膝ばかりが汚れてしまった。
 でもセリームのうちのごはんはどれもとてもおいしかった。特にチャパティーは絶品だった。

*2・・・イスラム・ヒンドゥー教では、左手は不浄の手なので。私は子供のころに字とお箸だけは右手を使うように特訓されたが本当は左利きなのだ。コップ、トースト、その他手づかみで食べるものは左手でないとうまく持てない。パキスタンのごはんは手を使う食べ物が多いんだなまた。

by apakaba | 2006-03-24 18:46 | 1990年の春休み | Comments(6)
Commented by K国 at 2006-03-24 19:24 x
ソフィアローレンみたいな顔してますね、素顔でも濃い
化粧の必要なしだわ、兄嫁はうちの近所のカラオケで工藤静香ばかり
歌うオバちゃん(私より年下ですが)にそっくり、太さまで
右手だけで食事、、、、経験したくないな~

やっぱセリームは良いヤツだ
Commented by apakaba at 2006-03-24 22:10
さっそくありがとうございます。
彼女たちは見知らぬ男のところへ嫁いでいきます。
それがイスラームだから……と、疑問とか感じていないようでした。
クリケット選手で好きな人がいるの!とかは、言っていましたが。
Commented by カルロス at 2006-03-25 00:11 x
海外旅行のときに風邪引くと、日本にいるときより不安になりますよね。
本当は寝てるのが一番なんですが、その時間がもったいなくて(笑)
余計に悪化させてしまったりして
Commented by apakaba at 2006-03-25 00:26
だいじょうぶ、このあととうとう病院に行くから(もっと心配じゃ!)
Commented by 紫陽花。 at 2006-03-25 07:16 x
14年前のパリの旅の時、ルーブルで出会った母娘、近くお嬢さんが結婚するので、お父さんが母娘旅をプレゼントしてくれたという涙ものの幸せな母娘でした。ところが、お母さんが熱を出してしまって、パリ滞在の6日間、ホテルに缶詰だったとか、その日は「明日帰るので、大分体調がよくなり、せめてルーブルだけは見ないと」と出かけてきたのだそうです。日本にいるお父さんには、電話がある度に、元気を装って「楽しいよー。」と報告していたとか。。
Commented by apakaba at 2006-03-25 12:22
この旅行記では、だいたいどっちかが風邪ひいてるか下痢していますね。養生するしかないんだけど。
私も、家で待っている人には心配かけたくないから元気元気と電話してしまいます。お気持ちわかります。

でも母と娘で旅行、は、どう考えてもしたくはないなあ。
旅行に行って周りを見ると、この組み合わせはとても多いですが。
私の母ともしたくないし、自分の娘ともしたくないって、冷たいかしら。
でも夫の母とはホイホイ旅行やスキーに行ってしまったりする。


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