2006年 05月 02日

1990年の春休み.23 パキスタン篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
長距離バスでラホールを出て、いよいよ二人旅の再開へ。ラーワルピンディーに宿を取る。

2月12日(月)曇後雨
 首都イスラマバードを観光するためにリキシャで駅へ向かう。
 ここラーワルピンディーの街の様子は、ラホールに較べて決定的に見劣りする。あまりおもしろみのない街だなと思った。特徴がないのである。天気も冴えないし、安ホテルのシャワーは水同然で寒くて体が洗えなかったし、なんとなく今日は下降気味の気分でスタートした。

 駅前のチキンスープ屋でまた一杯飲んだ。するとそこにいた客のおじさんが私たちの分のスープ代も出してくれた。パキスタンのゲストだから歓迎しているのだ、という。ありがたいと思いつつ、しつこくされたらヤだなーと心配していたが、お金を払うとあっさり去っていった。

 駅前のバスターミナルに行くと、たくさん停まっているバスのうち、どれがイスラマバード行きのバスなのかちっともわからないので、通りすがりの若者に聞いてみた。
 すると奴は親切に案内してくれたのはいいが、一緒に乗り込んで私たちの隣に座ってしまった。もともとイスラマバードに行く予定などなかったはずなのに、私たちと共に行くことにしたという。そして案内をしてくれると言うのだ。面倒なことになった。
 明るくて悪い奴ではないのだが、私はゆうべ寝不足で果てしなく不機嫌であったので、ひどく冷たい断り方をした。
 「アイ ドント ニード ユー。アイ ドント ウォント ユー。」
 と繰り返したのである。すると奴はあっさり引き下がっていった。悪いなとは思ったがほっとした。
 たしか私はそのとき、その若者に私の着ていたジャンパーがあまりにボロなので驚かれたのであった。裏地がびりびりに切れていて、中綿がどんどんはみ出してきているのを平気で着ていたら、眉をひそめて
 「トゥー オールド。」
 といって、自分の服の方がずっとしっかりしている、というふうに上着を私に見せたのだ。きっと金満国の女性にしてはしけた格好をしていると思ったことだろう。

 バスは発車し、私はうとうと眠っていた。
 周りがやけに騒がしい。ヒロの周りを大勢の若い男が取り囲んでいるようである。ヒロは愛想がいいので、すぐいろんな奴が寄ってきてしまう。私はちっともにこにこしないのであまり好かれない。普段はうるさくなくていいけれど、こっちが好感を持った人がやはりヒロのほうに付いてしまうと少しチェッと思って損した気分になる。自分が悪いんだけどさ。
 うるせーなアと思い、寝たふりをしていた。そのうちに観光の目的地シャー・ファイサルモスク(*1)に着いた。

*1・・・世界最大規模のモスク。サウジアラビアの援助で造られたもので、ロケットみたいな形をしている。

 ふたりでバスを降りると、ヒロを取り囲んでいた若者どもも、私たちにくっついてドヤドヤと降りてきてしまった。どこまで暇なんだ。私はケッテー的に不機嫌になっていた。どいつもこいつもみんなしつこいいやな奴、と思いこんでいたのだ。今さらヒロが怒って追い返すこともできないだろうから、この場は私が怒りの日本人になって立ち向かおうと考えていた。
 しかしヒロは、
 「そんなにつんけんしないでよ。」
 と言い、私の態度にかえって困っているふうである。まずかったと反省し、私は急に愛想のいいにこやかな日本人になった。

 それにしてもシャー・ファイサルモスクにはがっかりした。
 白い近代的な建物だが少しもありがたみがなく、扉は閉鎖されているし周囲を取り囲んだ噴水は全部止まっているし、おまけに一雨きそうなものすごい寒さで、気を許せない若者どもはぞろぞろついてくるし、もう私は果てしなく荒涼とした気分になっていた。

 しかしさすがに観光地だけあって、パキスタン人旅行者もぼつぼつここを訪れている。
 私たちは、そんな旅行者たちに頼まれて何度も何度も記念写真を撮られた。取り巻き軍団はそのたびに、俺らがエスコートしているんだぜ!という誇らしげな様子で通訳を買って出た。パンダじゃないぞと思いつつも、仕方なくにっこにこで撮られてあげた。
 こんな小汚いなりでも、日本人女性だとめずらしくてうれしいんだろうか。
 そういえば、私たちもパキスタン入りしたばかりのときに、ラホール・フォートで美人のパキスタン女性に頼んで大喜びで写真を撮ったりしたもんなあ。

 イスラマバードは都会、というイメージがあったので、モスクのすぐ背後に丹沢かどこかのような山が連なっているのを目にして驚いた(*2)。

*2・・・イスラマバードは、パキスタンが独立して10年ほど後に、山麓のなにもない原野に現代的な都市計画に基づいて建設された新首都。


 取り巻きの内で唯一まともな若者は、イブラル・マリックという、頭を抱えるほどインチキくさい名前の19歳の学生である。お肌がつるつるで髪はさらさら、顔立ちもあっさりしたハンサム君だ。みんながそうしているように口ひげを生やしているがいやらしくない。
 周りの若者がギトギトベタベタジトジトモサモサした感じなのに較べて一人だけいやに爽やかなのである。
 ヒロはバスの中からずっとしゃべってきていたので、けっこう和やかに会話している。
 でも彼は目の前のビッグサンダーマウンテンのような風景(前回も使った貧困な比喩)を指して、「beautiful scene」などとぬかす。英語の語彙が乏しくて言っているのかもしれないが、いくらなんでもこの茫漠とした山々をbeautifulとは言わないぜ。
 ヒロが彼と親しくしているのでおもしろくないのか、私は反抗的な気分でそう思った。

by apakaba | 2006-05-02 17:41 | 1990年の春休み | Comments(4)
Commented by ミケ at 2006-05-02 18:42 x
また新たな男性が登場なですね(^^) 
どんなふうに関わってくるのか今後の展開が楽しみです♪
Commented by apakaba at 2006-05-02 22:18
そうなんです、次々とオトコの陰が。
でもこれってワタシの力じゃなくて美人の相方の力なのですよ。
それにしても、今回、ひがみな女の文章ってイヤですね……と、つくづく。
Commented by ぴよ at 2006-05-06 22:51 x
学生時代、コンパで常に「フィーリングカップル5vs5」の5番を演じて来たぴよには
恐ろしく共感出来る今回の旅行記でした(笑)

いや、ひがむでしょ。普通。
この旅行記読んで、延々ヒロさんという美女にひがんでいたのは
絶対にぴよだけじゃないと思う!!(苦笑)
Commented by apakaba at 2006-05-08 09:23
1990年へレス。
はい、帰宅しております。
はなまちさん、ただいま〜(香港から)。
アスタリスクマークの中身が気になるところですが、帰りました。近いですわ。

ぴよさん、フィーリングカップルっていうたとえがすでにアレだなぁ……同世代を感じるなあ。
このあと、ず〜〜〜〜〜〜〜っとワタクシひがみ続きです。
見苦しいですとにかく。
ちなみにヒロという人は、ぴよさんのお友だちのヒロさんとは似ていませんので(なぜ、そんな宣言)


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