2006年 11月 30日

川のそばの夫婦

久しぶりに、あの二人連れを見かけた。
夏と着ているものがちがうので、はじめはそれと気づかなかったが、二人の醸し出す雰囲気を、追い抜きざまにふっと、たしかに、感じた。

夏の間、夕暮れどきに犬の散歩に出ると、川沿いの遊歩道でたまに行き会った。
40代後半か50代前半くらいの夫婦だろう。
旦那さんは、外見はごく普通で、やさしそうな男性だ。
奥さんは中年の女性にしては贅肉もなく、昔は美人だったというような風情である。
しかし、この奥さんが、どことなく、……心を病んでいる人のように感じられた。
夏の盛り、旦那さんの服装はたいていTシャツに短パン。
奥さんはこの上なく野暮ったい柄物のワンピース。
二人はゆっくりと、仲よく並んで歩いているように見えるが、よく見るといつでも奥さんのほうが先を歩いている。
奥さんの足取りは、風にゆらいでいるようにわずかにふらついていて、連れがいることなど忘れているかに見える様子だった。歩いていることがちっとも楽しくなさそうだった。
旦那さんは奥さんの歩調を気遣い、奥さんのそばにいるようにさりげなく近寄っていて、頃合いを見て、持参している食パンの耳を渡す。

奥さんと旦那さんは、浅い川に向かって、並んでパンくずを投げはじめる。
鯉やカモが、川面を蹴立てて寄ってくる。
奥さんはアンダースローで、また次はふりかぶって、機械のような一定の間隔でどんどんパンを川へ放っていく。
その様がまったく楽しそうではない。
奥さんの目は、水を湛えているように、彼女の眼下の川面のように無表情だ。
無数のしわに縁取られた大きな目が、なにも映していない。
にぎやかなのは川の生き物たちだけで、奥さんは、旦那さんに話しかけられて初めて一言二言言葉を交わし、またゆらゆらと歩き出す。
少し歩いては、またパンを投げる。
パンは弧を描いて落ちていき、傾いてきた陽に二人が照らされる。

あの、生き物にパンをやるという行為が、なにかを損なっているらしい奥さんの、回復へのメソッドなのかな……勝手に想像した。
それとも、夫婦二人で歩くことが、とか。
旦那さんがいつもさりげなく寄り添っていて、さりげなくパンを手渡してあげていることもみんな含めて。

今日見かけた二人は、夏の軽装と変わって、二人とも黒い革の上着だった。
奥さんは黒いブーツを履いていて、旦那さんはウールの帽子をかぶっていて、二人とも夏に較べておしゃれに見えた。
夕暮れどきではなくて朝の明るい光の中だったし、服装の変化もあったので、パンを取り出すまで気が付かなかったのだ。
でも、やっぱり、様子は夏と同じだった。
奥さんの大きな目にはなにも映っていなかった。

ゆっくりゆっくり進む二人を追い越し、犬を連れて遠ざかりながら、私は胸が痛くなった。
奥さんの姿を未来の自分、旦那さんを自分の夫になぞらえていた。
私が、心のなにかを損なってしまったら、もしくは心になにかを抱え込んでしまったら、夫はあの人のように私に寄り添って、パンを渡してくれるだろうか。
私の歩調に合わせて、糸の切れたたこのように漂う私に、さりげなく寄り添ってくれるだろうか。
そんなことを想像しただけで泣きそうになった。
もしも逆になっても、もしも夫の目がなにも映さなくなっても、私は今と変わらずに彼を尊敬し、愛していくだろう、とも考えて、その考えにいくら「本当か?」と自問を加えてみても心が動かないことを確認すると、またなぜか泣きそうになった。

by apakaba | 2006-11-30 23:23 | 生活の話題 | Comments(11)
Commented by ogawa at 2006-11-30 23:39 x
固い心を癒すのは、やはり身内でしょう。
私の友人でも、奥様がそのような人がいます。
彼女の尊敬がなくても愛情の見返りがなくても
彼は彼女を愛し慈しんでます。
「無償の愛」その言葉は彼のためにあると思っています。

じゃあ、振り返って私は・・・その局面になってみないと
わからない・・・という逃げをうつのかな。
Commented by apakaba at 2006-12-01 10:22
ogawaさん、ゆうべ琥珀ヱビスもそこそこにして書いたのに、意外とコメントが立たなくてガクリなんですけどありがとうございます。

>その局面になってみないとわからない・・・という逃げをうつのかな。
それを「冷たい」とか言うのはたやすいですが。
でも正直な気持ちなのだと思う。
他人が、「冷たい」とか安易に責めることはできませんね。私なんか絶対、夫に捨てられるだろうし。嗚呼悪かったよ。
人は、偽りの気持ちで本当の気持ちを隠しても、それなりに日々を生きていけるものです。
でも、たとえば人生の伴侶が極限的な状況に……などということになった場合、なによりも自分を支えるのはそのときそのときの正直な気持ちだと思うのです。
私は20年にわたって、夫から友情や愛情や笑った思い出や、知に拠る精神などいろいろなものを受けています。
夫の目に私が映らなくなっても、そうしてもらった私の尊敬は変わらないだろう。というのが今の正直な気持ちですね。
Commented by たがめいぬ at 2006-12-01 12:08 x
どうだろうなぁ。

そん時じゃないとわからない っていうのは本当に正直な気持ちだとおもうな。

偽善者でいられなくなるかもしれないな。

でも ずっと側にいたいな。
Commented by ミケ at 2006-12-01 12:33 x
眞紀さんの文章を読んで胸が詰まり、自分のことも考えて胸が詰まりました。
私もその時になってみないとわからないけれど、
お互い寄り添って最期まで助けあっていられる関係でありたいです。
Commented by apakaba at 2006-12-01 13:52
夫婦レス。
たがめいぬさん、ミケさん、ありがとうございます。
そう、やっぱり正直にならざるをえないと思います。

今日は、またちがう一組の夫婦とすれちがいました。
男性の方は川沿いでよく見かけていたのですが、どことなく変わった雰囲気で。よく地べたに座り込んでいました。
今日、初めて奥さんらしき人がいっしょに歩いているのを見ました。
どうやらその男性は、少年のような心になっていたみたいです。
私が犬を連れていると、その男性は、サンタクロースみたいなものすごいひげ面なんですが、ひげ面がたちまち少年のようになって、「えへ、えへ」と笑って、躊躇なく犬の頭をなでたのです。
私は「えええっ。」と内心でちょっと驚きました。
すると奥さんが「ダメよ、あんまりうっかり触るとガブリッとやられるのよ。」と男性を制しました。
私は通り過ぎながら「大丈夫ですよ。」と声をかけました。(続編風)
Commented by ぴよ at 2006-12-01 14:39 x
とても難しい問題だなぁ。少なくともぴよにとっては。
模範解答は「たとえ相手の目に自分が映らなくなっても、一生そばにいてあげたい」というのは判ってる。
でも実際にそうなった時、自分は過去の彼の姿を今の姿に重ねて
愛情を保ち続けられるのか?
一緒にいる事が、ここで見捨てたら世間から何を言われるか判らないから
・・・という「義務」だけになりはしないか?
自分でもその時になってみないと判らない。

でももしダーではなくて私の瞳が曇ってしまったら、きっとダーは
私を見捨てないで一緒にいてくれる。ような気がする。
理由はないけど、何となくダーなら私を見捨てないで一緒にいてくれそう。
私はダーを見捨てるかも・・・と不安になってるのに、自分だけは
見捨てられないだろうなんて、スゴイ傲慢な考えですよね(苦笑)
でも何となく見捨てられない自信だけはあるんだなー。不思議だわ。
Commented by apakaba at 2006-12-01 15:27
私もぴよさんのように見捨てられない自信があると言ってみたいが……そこまでは言えないなあ。トホホ。
私はやはり模範解答ですね。
心も体も言うことを聞かなくなって、ヨレヨレになって、たとえばウンも一人ではダメだということになっても、変わらないという自信はあるな。
やっぱり今の(これからの)私があるのは彼のおかげですから。
Commented by K国 at 2006-12-01 21:08 x
無表情でも旦那からすれば、自分の腕の中で生きていてくれてる
見捨てれば生きていけないとすると、余計にいとおしいのでは
Commented by apakaba at 2006-12-01 21:17
カンゲキ……
Commented by satomi at 2006-12-04 22:34 x
あ~せつない。。。
お久しぶりです。satomiです(^^;;
なんだかこの記事を読んでてせつなくなってしまいました。
K国さんのコメントが感激です。
Commented by apakaba at 2006-12-05 09:40
satomiさんご無沙汰。
こっちも読んでね。
日々更新中ですよ。
皆さんのコメントもおもしろいし……


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