あぱかば・ブログ篇

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2007年 05月 13日

愛を言葉で伝える

体調が悪く、家から一歩も出られなかった。
一日中、少し本を読んでは眠って、また少し読んでは寝てをくり返し、どうしてこんなに眠れるのだろうと自分でも不思議になる。

子供たちは「母の日母の日」ときのうからひそかに盛り上がっている。
長男は朝早くからサッカー部に行き、帰ったらそのまま伸びているが、下のふたりは晩ごはんのあとにプレゼントをくれた。
ふたりそれぞれに、花束とチョコレートと手紙。
長男も、昔はよくいろいろやってくれようとしてはりきっていたものだ。

次男「アキタコマチ」からの長い手紙は、私の心を見透かすようなものだった。

自分も中学生になり、これから忙しくなってなかなかこういう機会が持てなくなると思う。
今日が人生で一番嬉しく、楽しい母の日になることを祈っている。
……という内容だった。

人生では、“今日”が一番死に近い日のはずなのだが、大きくなっていく子供のそばにいると、本当に、今日が一番楽しくて幸せな日だと感じることばかりだ。
今日も、そう。
寝てばかりの半日を過ごしたけれど、お昼に「コシヒカリ」がフレンチトーストを作ってくれて、夫が晩ごはんのスパゲッティーを作ってくれた。
だめな母親を大事にしてくれる、ありがたい家族だ。

「アキタコマチ」の手紙に、男らしさを感じる。
毎日、顔を合わせる親子でも、恥ずかしがらずにきちんと言葉を伝えることは、とても難しいことだ。
あの子は大きくなって好きな女の子ができても、ここぞというときには力のある言葉を使って、はっきりと思うことを伝えていけるだろう。
“ロゴス”に依っていけ。
それが君の強さだ。

by apakaba | 2007-05-13 22:11 | 生活の話題 | Comments(11)
Commented by ogawa at 2007-05-13 23:19 x
親を大事にする気持ち、
人を大事にする気持ち、
それをちゃんと表明できるようであれば大丈夫。

それがハッキリ言うことのできるのが眞紀さんの子供達の良いところだ。
眞紀さんの育てかたは正しかったね。


Commented by apakaba at 2007-05-14 00:06
どうなんだろう。
子供って、よくも悪くも「こんなふうに育てた覚えは、ないなあ……」と思ったりしませんか。
いつの間にやら育っています。
私はわりと、言わせるばかりで人に気持ちを言葉で伝えることがないタイプです。反面教師ですかねー。
Commented by のこらくだ at 2007-05-14 00:22 x
母の日完全スルーのラクダ家です!
一応私もラクダ家の中では「母」なはずだが、ラクダ夫よ。 (私自身は実母と義母にちゃんと花を贈りましたよ)

「愛を言葉で伝える」かぁ。

私ねー、独身の頃は愛を表現する言葉なんて信じられなかったのね。そりゃ私だって何人かとつきあったけど、その彼らに「好きだ」とかいわれたことなかったしさ。

「好きだ」とか言われたったねー、別に。口ではなんとでも言えるし~。そんな言葉いらないよー。それよりたま~~~に思いがけなくふっと抱き寄せてくれるほうがよっぽど信じられるわよ、
って思ってたわけだ。その頃は。

でもそれって結局ホンモノの愛じゃなかっただけだったのねー、と結婚して思った。

人間、ホントに好きなら好きといえるのねー。
言葉にするって大事!って今はココロの底から思うわ。照れたりヒネたりしちゃダメよね。
Commented by 花子 at 2007-05-14 00:32 x
いい話ですね。

言葉って本当に、人を活かしもころしもする。
節目節目のその時々に、きちんと感じて、その感じたことを言葉で伝えられるって大切ですよね。

で、マキさん。 はやく元気になってくださいね。お大事に!!
Commented by apakaba at 2007-05-14 09:47
母の日レス。
のこラクダさん、花子さんありがとうございます。

母の日って、夫はスルーで当たり前なのでは?
だって「妻だけど、あんたの母じゃないし」
母の日は子供が幼稚園とかに行くようになるといきなり盛り上がり始めるのです。
まあ、行事として無理矢理盛り上がらされるんだけど(だったよね、花子さん)。

きのう、愛を言葉で伝えることについて、ラジオでちょうど福山雅治が言ってた。
まあヤツみたいなゲーノーの人がなに言っても真実味ないけど、「年と共に、伝えたい気持ちを言葉に出すのが簡単になってくる」のだそうで、それには少しナットク。
「うわーうれしいなあ」とか、「よし!君のためにがんばるぞー!」とか、若いころは恥ずかしくて言えなかったことがすらすら言えるようになってくる、そんな自分がうれしい……と。
Commented by K国 at 2007-05-14 11:56 x
若い頃は絶対言えなかった事が、多少言えるようになりました。
(自分を褒めてやってるのですが時代に遅れ気味)
日々精進してますが、長い目で見てやってください(寿命が先に来るかも)あの世に行っても課題は残る。
Commented by apakaba at 2007-05-14 13:36
K国さんも苦労なことで。
でも口に出す男が、やはり時代にはいいらしい。
でも「アキタコマチ」は舌先三寸で世を渡っていく危険性大。
どうか重しになってやってください。
Commented by 満腹ボクサー at 2007-09-17 12:14 x
>人生では、“今日”が一番死に近い日のはずなのだが、

そういわれてみれば、そうなんだが、そうは考えたことがなかったな。
しかし、哲学的な言葉だな。オレの中では、年をとるごとに死から遠ざかるような論理的には矛盾した感覚がある。
俺の場合、幼いころ、若いころに命を落とすことの多かった昔の感覚を受け継いでいるのかもしれない。危ない時期を乗り越えてきたのだから、あとはもう大丈夫だろうみたいな。
Commented by apakaba at 2007-09-17 12:48
その感覚もわかる。
私の場合、トラウマになっている年を越すともう大丈夫のように思ってしまいます。
Commented by 満腹ボクサー at 2007-09-19 11:54 x
オレも30過ぎぐらいのころは、人生の折り返し地点を過ぎて、あとは坂道を転げ落ちるだけのように思っていたから、「今日が一番死に近い日」という発想もわからなくはない。ただ、そういう言葉が思い浮かんだことはなかったので、新鮮な気がしたんだけどね。
でも、オレは神木隆之介君の話を読んでから、考え方が変わったんだ。
神木君は、生まれてすぐに重い病気になって、助かる可能性が1%、もし助かっても脳に障害が残るって言われたらしい。でも、奇跡的に助かって、お母さんが、いつ神木君が死んじゃうかわからないなら、元気な姿を雑誌とかに記念に残しておきたいって、履歴書を事務所に送り、それで役者になったんだそうな。
神木君にとっては、生まれた日が一番死に近い日だったんだ。
Commented by apakaba at 2007-09-19 12:55
ナルホド。
死を近くに感じることって、ふつうに暮らしていると、ないものなあー。


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