2004年 04月 17日

「打刃物職人」を評してみる

「いま取材している本が出版されたら、キミは義務として一冊買いなさい」
とまで言われていたら、買わざるを得まい。
ナイフマガジン(←注:刃物が苦手な人には卒倒しそうなページです)という隔月刊誌で連載を持っていたカメラマン氏から、新刊の案内がきた。
きのうの本欄で紹介した、『打刃物(うちはもの)職人』というムックである。

明日の朝日新聞書評欄に載るというので、一足はやく、朝日の書評子の向こうを張ってみましょうかね〜。ナンテね。

鑿(のみ)・花鋏・鉋(かんな)・鋸など、さまざまな道具の写真は、本当にきれいだ。
じっさいに肉眼で見るよりもっとピントが合ってるんじゃないかと思ってしまうくらいに、美しくいとおしい。
でも、眺めるための美術品ではなく、これらは実用のための「道具」。
人の手に渡って、大切に使われていくことを前提として、形を与えられているものだ。
それを生み出す職人たちの写真がまた渋くて、これらの伝統工芸が衰退の一途をたどっていることに、心がずきずきする。
自分の家を見まわしてみても、刃物はたくさんあるけれど、そのほとんどが工場で作られた大量生産品だ。

刃物の写真もきれいだったが、それと同じくらいに目を惹かれたのが、職人たちの仕事場の“暗さ”だった。
刃物を鍛えるための道具がいっぱいの仕事場は、決まってとても暗い。
体を伸ばすこともできなさそうな空間で、火花と、真剣勝負の表情だけが、暗がりに浮かぶ。
なぜ、こんなに暗くするんだろう。
蛍光灯や太陽光のもとでは見えないなにかが、彼らに見えるのだろうか?
暗さの理由は私にわかるわけがないけれど、暗い場所で物と向き合うと、よけいなことに考えが飛ばず、集中力が高まるということはわかる。
刃物という、ひとつ扱いをまちがえれば自分も人も傷つけかねない、危険な魅力を持つ道具を生むのに、あの暗さは必要なのかもしれない——と、写真の暗がりを楽しみながら想像する。

職人と道具を解説する文章部分も多いが、ストイックななかに想像の余地をじゅうぶん残してくれている写真を楽しむことができる本になっている。


……と、まあ、こんなんでは如何、三原さん。
朝日の評と、どっちがいい?うひひ。
いやいや、お礼に裏話のひとつでも持ってきてくれればいいんですけどねえ……あれ?もう次の取材?
嗚呼、行ってしまったようです。

by apakaba | 2004-04-17 00:04 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)


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