2007年 06月 18日

光の教会——“イメージ”を獲得するための結晶として

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歩き回る。
いくら歩き回っても、飽きることがない。
1000㎡にも満たない敷地を、いつまでも回遊していく。
一歩進んで天井を見上げ、建物に切り取られた空を見上げ、鋭角に交差する壁を眺め、壁に触れ、また一歩進んで床に響く靴音を楽しみ、“内”と“外”を曖昧に隔てるガラスの引き戸という意匠におどろき、また一歩進んで二棟の建物の間を吹く風の通り道を知り、C字型のベンチ以外になにひとつ装飾品のない中庭の風情にまた驚く。

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風情、という表現はそもそも正しいのか。
たしかにここには、いわゆるニッポンの風情を思い起こさせるものはなにも配されていない。
第一、ここはキリスト教会だ。
けれども、私は、この建築に日本人の美を強く感じる。
安藤忠雄という、現代の日本を代表する建築家の骨にしみこんだ、日本人の美——風情を解する心から発せられるメッセージを受け取る。
だからこそ、ここは世界でも比類のない“キリスト教会建築”たりえるのだ。

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大阪府茨木市にある、茨木春日丘教会へ行ってきた。
安藤忠雄さんのファンのつもりだが、大阪をホームグラウンドにして活動している安藤建築を東京で見る機会はあまりない。
上野公園の国立こども図書館、表参道ヒルズ、東京ミッドタウンのデザインスタジオ21-21、それくらいしか廻っていない。
茨木春日丘教会は数年来のあこがれの場所だった。
とくに、昨年末にU2の来日公演へ行った際、ヴォーカルのボノが見学に訪れたとMCで語っていたのを聞いて(そのときの記事はこちら)、あこがれの気持ちはますます高まっていた。
先日、大阪へ行く機会に恵まれたので訪ねてみることにした。
行くのなら、教会がもっとも教会としての本来的な機能を果たしているときに訪ねたい。
もちろん、日曜礼拝だ。

この教会は、通称“光の教会”と呼ばれている。
“光”は、キリスト教でもっとも重要なファクターである。
長大な旧約聖書も、「はじめに、光ありき」から始まる。
安藤忠雄は、光をどうとらえ、どう表現したのか、そのことになによりも興味があった。

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教会ホールの中は、暗い。
写真で内部を見たことはあるので、暗いということは知っていたが、まるで劇場のような暗さだ。
ヨーロッパの教会も、暗いところが多い。
一瞬視覚を失い、そのあとで浮かび上がってくるステンドグラスやキリスト像の美しさ。
求心的な視覚のトリック。
だがここにはステンドグラスもキリスト像もなく、かわりに、コンクリートの壁を十字に切り取って差し込んでくる光だけが、正面に在る。
人はホールに入り、必然的に正面の十字架を見る。
いや、正しくいえば、十字架さえ存しない。
あるのは壁なのだ。

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暗さが光を作る。
照明をつけても照らしきれない、ぬぐいきれない闇があるから、光の十字架はいよいよ輝く。
本当は“ここにない”十字架の姿を、これ以上なくはっきりと誰もが見て取る。
十字架が等号で光と結ばれる。
実際には“ない”十字架が、光の像となって心にインプリントされる。
これが、自らはキリスト教徒ではない安藤忠雄が、地元の信者さんたちの「新しい教会ホールを建てたい」という熱烈な要望と向き合って、出した答えだ。
著書『連戦連敗』の中で、安藤さんは光の教会についてこう語っている。

意図していたのは、自然を抽象化することで得られる人間の精神の根源に触れるような深遠な空間の実現、つまり要素を切り捨てていくことで逆により奥深い空間性を獲得することでした。

まさに日本的な感覚ではないか。
茶の湯や石庭の、極限まで自然を簡素化・抽象化した果てに現出する、“この世の何処にもない、調和に満ちた平安の世界”、実在しないが故に、その場にいる人間だけがくり返しくり返し、心の中に像を結ぶことを逆説的に許された、“イメージ”のたゆたい……
私が、初めてこのホールに足を踏み入れたときに受けた感覚は、彼のこんな信念に通じていたのだ。

礼拝の間、光の十字架を見ていた。
牧師の肩を、朝の陽射しが照らしていた。
斜め後ろから牧師を差す光は、温かく、親密で、説教や賛美歌がいっそう連帯感のあるものとして感じられる。
やがて斜めに入ってきていた光は中央の通路に向けてまっすぐ伸びてきた。
時間が経ったのだ。
賛美歌をいくつも唄うたびに立ったり座ったり、プロテスタントの礼拝はなかなかに忙しい。
ふと気づくと、十字架からは光が差さなくなっていた。
“曇ってきたんだ……”
天気を知る。
これほどまでに外をシャットアウトしているように見えながら、実は外とのつながりが密になっている。

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安藤建築のエッセンスが、ギュッと詰まった結晶体のような建物だ。
小さい建築だけに、いっそう凝縮感=意志を強く感じられる。
一歩、歩を進めるごとに刻々移り変わる空間を経巡る幸福感を、久しぶりに味わった。

by apakaba | 2007-06-18 22:40 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(20)
Commented by K国 at 2007-06-19 07:26 x
安藤忠雄は小さな建物を際立たせるのが上手ですね、発想が素晴らしい、工事をする者にとっては難工事ですが、やりがいのある仕事ですね。
弟が淡路島にいて、屋上が蓮池のお寺の工事を担当してました。
現場の職人には優しい人だといってました、自分の職員には厳しかったそうです。
その後、淡路夢舞台の工事でも係わってます、羨ましい限りです。

アメリカの美術館にモニュメントとして柱を数本建てただけで、日本を表現してた。テレビで見ましたけど、その感性にしびれました。
威張ってなくて謙虚だし、先日のNHKの討論も見ましたが、ますますファンになりました。
Commented by 満腹ボクサー at 2007-06-19 12:21 x
>12. きとら
 歌のことは解りませんが・・・。
 ××さん、将来、大物になるのではないですか。
 安藤忠雄さんも元ボクサー。
 教育界の大物ですよ。芸能界の大物ではありません。

歌舞伎町オーディションの時に、『金子勝の仕事道!』を読んで私のことをネットで書いてくれた見ず知らずの人に、あつかましくもオーディションの宣伝をしたら、こんなことを書いてくださいました。
恥ずかしながら、建築や美術についてはまったく分からないので安藤さんについて何も書くことができないのですが、安藤さんに負けぬよう、大物にならなくてはと思った次第でありました。(教育界に戻るつもりは、さらさらありませんが。)
Commented by 満腹ボクサー at 2007-06-19 12:37 x
今、久しぶりに「きとら」さんが私のことを書いてくださったブログを見ようと思って自分の名前をグーグルに入れて検索したんだが、残念! 行方不明になってしまった。

しかたなく、今度は「きとら 金子勝」で検索したら、「きとら」さんが「カルロス」さんとやり取りしているブログを見つけました。
ひょっとして、つながっているのかな?
Commented by apakaba at 2007-06-19 16:06
光の教会レス。
K国さん、コメント待っていました。
光の教会は超絶オススメです!
もしまだ行かれていなかったら是非行ってください!
出世作「住吉の長屋」も行きたかったけど、時間がありませんでした。
ここへ行く前に、著書『連戦連敗』を急いで読んだのですが、文体がK国さんとそっくりで驚きました。K国さんじゃないかと思いましたよ。
K国さんが影響されているのか、たまたま似ているのか、建築のヒトは似ているのか……(いや、黒川紀章の文章などはぜんぜん雰囲気がちがうし)。
とにかく驚きました。
次は直島に行くのが夢です!

満腹ボクサーさん、安藤さんは元ボクサーで、まったくの独学で建築を学んだ人です。
世界を旅していろんな建築を見て回ったそうです。
あーカルロスというハンドルはよくあるので。
Commented by K国 at 2007-06-19 21:52 x
文体が一緒とは、光栄というか今度読んで見ます。
独学といえば、私も叩き上げって奴でしょうか、現場人間です。
勉強の方を後からしました、一生のうちで一番勉強したのが一級を
取る時でした、今は燃え尽きて勉強などする気力はありません。
Commented by ogawa at 2007-06-19 22:05 x
ひさしぶりい眞紀さんのキレのある文章読ませてもらいました。
影があるから光が映える教会。

光の十字架は、信者さんたちにとって、
神があたえたもう、信心なんでしょう。

異教徒である安藤氏だからこそできた教会でしょうね。

すばらしい建築と、それを的確に表現する文章に拍手。
Commented by apakaba at 2007-06-19 22:47
光の教会つづき。
K国さん、いやホントに似てますよ!
『連戦連敗』そうとう感動しました。今年のBest10入り決定です。
K国さんなら、私とはまたちがって、さらに深いレベルの感動があると思います。

ogawaさん、カメラマンありがとうございました、しかもノンクレジットで……まるであたしが撮ったかのようにいけしゃあしゃあと……アハハ。図々しいわね。
さて文章を褒めていただいて感激です。
かなーり難産でした。
すごく、感動して「なにか書きたい」と思ったのだけど、ちっともいいフレーズが来てくれなくて。大スランプでしたよ。
あんなにステキな写真をくれたのに私の文章がヘボヘボでは申し訳が立たないとか思うと、またプレッシャーだし。
以前、写真展の感想で、ogawaさんのブログに「表現は、置換のくり返し。」と書きました。
あれは自分でも気に入っているんですが、すばらしい建築を訪ねて、安藤さんの表現を、なんとかして自分の方法で置換したい……と苦しんでいたのです。ogawaさんはささ〜っといいカットをモノにしていましたが……
いただいた分を全部出せなくてすみませんでした。
Commented by のこのこ at 2007-06-19 22:51 x
文章はたしかにすばらしいんだけど。

私、コレ、ダメだわ。
写真見るだけで息苦しくなるような・・・異常な圧迫感!!!
ななななななんでアナタ平気でこの建物に入っていけるの?というくらい息苦しいんですが。

教会なのにコンクリート打ちっぱなしってのも許せない。
この中で平安な心で祈ることができるのだろうか。
ココの中で働く人、精神的に健康を保てるのだろうか。

まぁこういう感想の人がひとりぐらいいてもいいでしょう。
Commented by apakaba at 2007-06-19 22:56
のこのこさん、この教会が建つまでの経緯とかを知ると、またさらに感動しちゃうんですよ。
地元に根ざした教会をつくりたい、でも予算がぜんぜん足りない……というところでの悪戦苦闘がねえ。
安藤忠雄という人の思想が好きなので、著書を読んだりいろんな作品を見に行くと、またさらに、彼のやろうとすることや作品の必然性にもすごく共感できます。
ただまあ、個人の家ではコンクリート打ちっ放しの家は住みにくい。
夫の実家がそうなんだけど、木造育ちの私にはかなり辛いですわ。
Commented by K国 at 2007-06-20 07:38 x
コンクリート打ちっぱなしは、塗装、内奏するよりコストがかかる。
セパレートという金具で枠を固定していくのですが、割りを決めて
穴を開けていく、中には鉄筋が入ってるので邪魔になる。
それでも割を崩さずに施工しないといけない、コンパネの継ぎ目も
計算に入れて綺麗に割り込んだ工事、見事ですね。
コンクリートを流し込むのも一発勝負で、打ち継を見せないように
途中で止めないで打ち上げたのでしょう。
十字架の途中に目地がある、そこまでで一回打ってそれから上が
2階部分に当たる、天井が高いため2回に分けて工事をしてる。
難しい工事は職人を育ててくれます、神経は張り詰めますが出来た時の喜びはひとしおです。
Commented by apakaba at 2007-06-20 08:37
K国さん、専門家から見ると写真もこんなふうに読み解けるとは……うーむ専門というのは素晴らしいことだ。
K国さんといっしょに名建築を巡る旅!なんていうことができたらいいなあ。
私には見えない部分が読めて楽しいと思います。
解説ありがとうございます。
また建築への興味が深くなりました。
Commented by Kay at 2007-06-20 13:14 x
のこのこさんの勇気に拍手です。私も安藤さんの建築物好きですが、この教会はだめですね。建物としてはすばらしいの一言ですが、この教会に毎日曜日礼拝に出かける気になるかというと疑問ですわ。威圧感、ありますね。教会は威厳がありながらも威圧感があってはいけないと私は思うのです。小さくてもいい、入りやすい教会がいいなと思うのはクリスチャンの目でしょうか。でもK国さんの解説、本当に的を得ていて切れがいい!
Commented by apakaba at 2007-06-20 14:17
Kayさん、写真では照明のついていない状態ですが、照明を全部つけるともうちょっと明るくなります。
でもやっぱり暗いですよ。
暗さ、というのは集中力を高める働きはあると思います。
パリのノートルダム寺院とか、お化け屋敷みたいに暗いですよね。
私は、フランスとイスラエルのキリスト教会しか入ったことがありませんが、「こんなに暗くしてどうするのよ」というところが多かったことに驚きました。
仏教でも、比叡山延暦寺の根本中堂とか、トホホな暗さです。
暗さをどうとらえるか、人によって(その人の精神状態によっても)ちがうのかなあと思いました。

K国さんの目はぜんぜんちがうレベルで見ているのでほんと、うれしいことです。幸せなブログだわ。こんな解説もらえるんだから。
Commented by ぴよ at 2007-06-20 15:33 x
ああなるほど・・・プロテスタントの教会なんですね。
カトリックは偶像やステンドグラスを多用した派手な装飾が多いですが
コレは凄く工夫されていてステキです♪
信者ではない人が教会の設計をするのは、さぞかし苦労されたでしょうに。
ここに来ると、信者さんも心がホッと落ち着くんじゃないかしら?
建物が人を優しい気持ちにさせるって、スゴイ事ですよね。
Commented by apakaba at 2007-06-20 16:04
ぴよさん、一度は行ってみてください!!
大阪だからちょっとわざわざになるけど、行く価値大です。
安藤さんが世界を放浪して、フランスの片田舎の教会とか、スペインの大聖堂とか、いろーんな建築を実際見て回っていたから、答えが出せたんだと思います。
建築は、そこへ行って、歩き回らないと。
私も世界の建築探訪の旅に出たい!!
Commented by sora at 2007-06-20 20:40 x
ここは一度行ってみたいところです。
どんなところなんだろうって思ってた。

安藤さんだったんですね。知らなかった。
超プロテスタント。ただキリスト教会とは別次元に位置づくようにも思えます。もっと高いステージなのか。。

近所に安藤さんのアパートメントが建設されてます。生まれ変わった街のイメージに沿ったデザインで一層美しい街になりました。が、生まれ変わる前から「その街」を知っている私にとっては、目障りで馴染めない・・。

今月のCoyoteで出ていたル・コルビュジエのロンシャン教会は強烈でしたね。

頑張って書きましたね。流石。
Commented by apakaba at 2007-06-20 22:06
soraさん、褒めていただいて光栄至極でごじゃいまちゅう。
文章を褒めてもらうのが、他のあらゆるところを褒めてもらうよりず〜っとうれしいです。つーか人に褒められる生活してないし。

soraさんのいうアパートはどこのことだろう?むむ?
メールでこっそり教えてください。
メルアドは、メインサイトのBBSを開いて、私の名前を見つけてくださればわかります。

いま、ル・コルビュジェ展をやってるでしょ。
あれに行きたいんだわ。
建築っておもしろいですよね〜。
Commented by kaneniwa at 2007-06-21 01:36
K国さんの最初のコメントを拝読して、その淡路島のお寺
(屋上が蓮池)というものに関心をもちましたね。

大阪では、生野区の韓国人牧師さんの教会というものに
お邪魔したことがあります。
こちらの方は実用本位の造りでしたが、非常に、そのいい意味で
のカジュアルさに感銘を受けました。

BYマーヒー
Commented by Kay at 2007-06-21 12:11 x
きっと教会を建築物と見るか、信者が集まる家を見るかで違うのでしょうね。私の場合、伯父叔母夫婦がバプティストの牧師だったので信者さんと一緒に身を粉にして始めての教会を立てたのが米軍の払い下げのかまぼこ兵舎だったのが、あまりにも強く印象に残っていて、斬新なデザインの教会というと建物はすばらしいけど、ここで礼拝を続けるというのは違和感がありますね。コンクリート打ちっぱなしのほうがコストが安いというのならわかるのですが、逆にコストがかかるというのは。。。。。でも安藤さんの感性、すばらしいと思うし、好きな建築家です。
Commented by apakaba at 2007-06-21 15:42
光の教会レス。
マーヒーさん、淡路島のお寺行ってみたいですねぇ。
でも直島にも行きたいなあ、日本もいっぱい行きたいところがあります。
教会でもお寺でも、地元に愛されていれば愛の雰囲気は満ちてくると思っています。
立派な建物でも、なんにも感じられないところもありますね。
そちらの松田デミ男くんバナシも楽しく拝読していますよ。

Kayさん、私も娘のかよっていた幼稚園が教会の幼稚園だったので、礼拝に行っていました。素朴〜な木の建物で、あたたかい場所でしたね。
牧師さん(=園長)の説教も説教というより、時事を取り入れて話をされていて、お話として聴くのも楽しく、しかも毎回ちょっと感動できて、よかったですねえ。
光の教会は、二棟が並んで建っていて、ひとつはこの暗い教会ホールなんですが、もう一つは木を多用した、子供の日曜学校になっています。
そちらはとてもかわいらしく、明るさいっぱいで、うまく対を成していますよ。


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