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あぱかば・ブログ篇

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2003年 10月 19日

伯母の思い出

ここひと月ばかりの間に、友人のご家族やお友だちが亡くなるという知らせを、たてつづけに聞いていた。
やっぱり、寒暖の差が激しいことが、お年寄りや病人には負担になるのかな・・・と思っていたら、とうとう我が家にも、訃報が届いてしまった。
私の伯母が、急死したという。
亡父の姉にあたる人で、朝、お嫁さんが勤めに出たときはふつうで、夕方帰ってきたらすでに事切れていたらしい。
解剖の結果、脳出血ということだった。

父は、私が9歳のときに、やはり脳出血で急死した。
幼かったから、父とよく手をつないでいた私は、もう二度とお父さんと手をつなげないことがさびしかった。
母の手は、すらりと指が長くていい形であるが、父の手は小さいくせに肉厚で不格好だった、けれども私は、肉が付いた父の手の感触のほうが、好きだったのだ。

父の死後すこし経ってから、どこかへ出かけたときに伯母と手をつないだら、
「あ、お父さんの手にそっくり。」
と気が付いた。
それからしばらくの間、「伯母ちゃんと手をつなぎたいな。」と心密かに思っていた。


とびきり口が悪く、言いたい放題のわがままで、下町そのものの伯母ちゃんだったが、一度、私の前でとってもとまどった顔をしたことがあった。
それは、私が最初の出産をしたあと、里帰りをしていたときだった。
母はまだ勤めが忙しかったので、代わりに伯母ちゃんが来ていろいろ手伝ってくれた。
掃除やおむつの洗濯あたりはよかったのだが、私が胸を出して
「伯母ちゃん、私、おっぱいが痛いのー。揉み出すの、やってー。」
と情けない声を出した。
初めての授乳が思うようにいかず、母乳がおっぱいにたまってしまって、乳腺炎直前という状態になっていた。
そうなると、自分でしこりをほぐすのは難しくなってしまうのである。

私のおっぱいは、ガチガチに固まり、ずきずきと痛んでいた。
それを見た伯母は、
「ウワーお前こんなに腫れあがらしちまって。うぅ痛そう〜〜。だけど、伯母ちゃんだってひとりしか生んでないんだしこんなのずうっとやってないから、忘れちまったよ。うまくできるかどうだか・・・」
と、たいへん自信なさそうにいわゆる“乳揉み(変な話だが、授乳が軌道に乗るまでは必ずこれをやるものなのです)”をやってくれたのだった。
最初はかなりおっかなびっくりだったが、やがて調子が出てきて、しこりがどんどんほぐれていった。

「ひゃー、乳揉みなんて何年ぶりだろう!伯母ちゃん緊張しちゃったよ!うちは孫もいないし、そんなこと頼んできたのお前だけだもの。」
私が「ありがとう。楽になった。」と言うと、伯母はからからと楽しそうに笑った。

12年前、そういうふうに手当てしてもらったおっぱいのおかげで、長男も大きくなったというわけだ。次男・長女のときは、苦労なく乳管が開通した。
明日のお通夜に、はじめは私一人で行くつもりだったが、やはり長男以下子供全員、引き連れていくことにした。

by apakaba | 2003-10-19 14:58 | 思い出話 | Comments(0)


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