2003年 04月 17日

××中毒、ありますか

ゆうべから、とつぜん“禁煙”の話題が掲示板で交わされている。

レスにも書いたとおり、私は「××がないと生きていけない」ということに、生理的に非常な恐怖感がある。
“中毒”ということばは勿論、“病みつき”ということばすら、おそろしくて仕方がない。
どうしてなのかはわからない。
幼いころに、亡父に「ちゅうどくってなーに?」と言葉の意味を尋ねたとき、父があまりにも鬼気迫る説明をしてくれたことが原因かもしれない。
祖母がアル中で入院をくり返して死んでいったということも、或いは関係しているのかもしれない。

私を知る人は、私をアル中だと思っているようだが、私が選ぶ旅先はアルコールのない国が主だし、飛行機の中でも決して飲まない。
普段から、陽が高いうちも、基本的に飲まない。
「よく子供をおいて旅行に行ったりできるわね、私は子供の顔を一日でも見ないと、もうダメ。私の腕の中で寝つかせないと、ダメ。私のほうがつらくなるの。」
と言いきるおかあさんもいる。
それはそれで、いいことだと思う。
でも私は、私がいなくてもまったくの平常心で生きていられる自分の子供たちが好きだ。

コーヒーや甘いもの・タバコ・買い物・恋愛・ネットなど、単純に「好きなものが多い」のは日常生活をたのしくするものだけれど、「それがないとイライラし、不安定になる」というのでは、本当のやすらぎからは遠ざかる一方のような気がする。
“それ”を得たつかの間だけ、精神が安定するなんて、想像しただけでもぞっとする。

男もそうだ。
「君が好きだ」と言われるのはうれしいことだが、「僕は君がいないとダメだ」「君なしでは生きられない」とかいうセリフが出ると、ウゥ、ご勘弁を・・・とたんに気持ちが離れる。
夫は、私と結婚するときに、
「君がいなくても、生きられる。君がいなくても、支障なく生活できる。たとえば先に君が死んでも、べつに俺はそのまま淡々と生きていくだけだろう。でも君がいるほうがたのしい。」
というようなことを言った。
私は、なんて安定した人だろう、と感じ入って結婚を決めた。
(そしてそのお言葉に甘え、たまに彼を放り出して遊びに行っているのだが。)

なにものにも縛られたくない。なにものからも自由でいたい。
っていうことなのかなあ。
いろんな物事にたいして、執着心が、すくないのよね・・・
とにかく私は、依存症にはきっとこの先も無縁なので、禁断症状に苦しむこともないだろう。

薬物中毒から脱するときの苦しみを描いた映画で、秀逸だったのは「トレインスポッティング」だ。
なにかの依存症気味だったら、ご覧ください。
ユアン・マクレガーがやってくれます。

by apakaba | 2003-04-17 17:25 | 生活の話題 | Comments(0)


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