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あぱかば・ブログ篇

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2003年 03月 06日

お節句の片づけに考える(イラク攻撃と世界情勢)

否応なしに、時代の生き証人にさせられようとしている。
見たくなくても、もうすぐ、もっともあたらしい戦争を見せつけられ、しかも戦争当事国の追随者である国の国民にさせられてしまう。
ただ平穏な日常を送っているだけで、無責任な傍観者という自責の念まで背負いこまされる--もうたくさんだ。

幼稚園のひな祭り行事も終わったので、すこし遅くなったが、娘といっしょにひな人形を片づけた。
なにも言わなくてもきちんと正座して、小さい手でそっと人形のお顔に薄紙をかぶせ、袋に詰め、箱に並べていく。もう40年以上前のひな人形を、丁寧にやさしく扱って、来年また会えることを早くもたのしみにしている。

どうしても理解できないのは、戦争を始めようとしている人間たちには、こういう、かけがえのない人と過ごすかけがえのない時間というものがまるでないのであろうか?ということだ。
逆に言えば、いつ爆弾が降ってくるかわからない状況にさらされている人たちひとりひとりにも、こんなかけがえのないひとときがかならずあるのだということに対して、彼らはひとつの想像力も働かないのであろうか?

アメリカでは、イラク攻撃に反対するフランスを敵視し始める風潮が高まり、フランスワインを割ったり、フランスパンを踏みつぶしたりしている・・・などという、目も当てられないニュースも入ってくる。
かつては、日本製の工業製品をたたき壊したりしてたヤツらだもんなあ。モノに罪はないのに、そんなことをして本当に溜飲が下がるのだとしたら、恐るべき想像力の欠如としか言いようがない。だってこの世のどんなモノでも、それはどこかのだれかが一生懸命作った物ではないか。手でさっと払い落とされる糸くず一本だって、だれかが作った物なのに。
私がフランス小麦のパンと、ワインの香りを胸に吸いこむときには、フランスの穀倉地帯の美しい風景に思いを馳せずにはいられない。
美しいフランスの、愛すべき人たちが作ったモノたち。言うことを聞かないからといって、その国のモノを壊すなんて、自分の愚かさを宣伝しているようなものではないか。

これと同じ理屈で、いくらアメリカが愚行を働こうとしているからといって、アメリカ製品不買運動などするのも、私は意味のないことだと思う。それは対立の文脈の履きちがえだ。
いま欲しいのは、反戦“ムード”でも厭戦“ムード”でもない。
ムードで動く大衆は、情報戦略の罠にもっともはまりやすい。
欲しいのは正しい情報、そして自身の情報選択能力だ。

つい先日も、フィリピン・ミンダナオ島空港でテロがあったらしい。
これを知った瞬間、私は「いまこの世界情勢の中で、イスラムがテロするかなあ。なんの得にもならないのに。アメリカ上層部のタカ派が仕掛けた“次の戦争理由へと、一コ置いてみた駒”じゃないのかなあ」と想像したりした。
イラクをつぶしたらつぎは北朝鮮、それからフィリピンにも・・・と、つねに戦いを続けたいアメリカなら、考えられなくはないなあ、と思ったのである。
もちろん真相はいまのところわからない。
ずっとわからないままかもしれない。
実行犯も逮捕され、事件はすでに過去のことになりつつある。
だけど、情報立国アメリカなら、実行犯一人仕立て上げるなどたやすいだろうし・・・とも思ったりする。
とにかく、この国際情勢下では、なにもかもウラがあるかもと疑ってかかってしまう。

子供に、この時代のなにを語ろうか。
だけど私はあきらめないぞ。
自分の幸福/他人の幸福に想像力を働かせることのできる人間を育てている者の義務として、この、いまにも始まろうとしている戦争のことを、ことばを尽くして語るつもりでいる。

by apakaba | 2003-03-06 18:05 | ニュース・評論 | Comments(0)


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