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あぱかば・ブログ篇

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2008年 01月 26日

1990年の春休み.77 ネパール篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
カトマンズから飛行機に乗って、ヒマラヤが近くなるポカラへ移動。
レゲエ風出で立ちのネパール人ミュージシャンのイスルと出会い、いっしょに機内へ。

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3月5日(つづき)
 イスルとしゃべっているうちにわずか40分のフライトは終わってしまった……なんてもったいないことをするわけがない。なにしろ生まれて初めての、ヒマラヤである。

 感動で、胸が震えた。
 白い山々に、ただただひれ伏すような気持ちだけが湧き上がってきた。
 インド平原の人々は、ヒマラヤを“神々の座”と呼ぶという。活字と写真のみでそれを知っていてもまるで現実感が伴わなかったのに、こうしてひとたびこの目で見てしまえば、もうそれ以上の呼称はありえないと思えるほどばっちりびったりはまっていた。
 神々の座、神々の座……と、幾度もくり返しその名を口の中で呼んだ。
 「あそこに、神がいる。」と傍らの誰かにいわれたら、そうですね、となんの疑いもなくうなずけるような、素直にいろんなことが信じられるような、言いしれぬ興奮で、心臓がどきどきした。ことばで表現しようとするほど空回りしていく感じは、ガンガーを見たときと同じだ。

 やはり旅はいいのう。としずかに感動にひたりたいのに、私の傍らにはなぜか先ほどの日本人オババ、オババの山なのである。あーあ。皆さんすでにコーフンの極みにあり、きゃあきゃあ叫びながらせまい機内を右往左往し、窓際の私の体にすっかり乗っかって写真を撮りまくったりしている。まあいいんだけど。コーフンの仕方がはた迷惑なのよね。

 空から見下ろす風景が、また、おもしろかった。
 畑を作って人が住んでいるところは、まるで山羊が皮を剥がされたやつみたい(バザールでよく売っている)だなと思った。鳥瞰図のようなせまい段々畑である。
 畑より標高が高くなった、緑の山々は、生きているそのままの山羊みたい。
 空から見ると、あからさまにちがう。人の手の入っているところは。
 皮のない山羊、そのままの山羊、遠くに神々の座。
 川が思いきり蛇行して流れていた。
 その取り合わせがおもしろかった。空からの景色って、理屈抜きのおもしろさだ。ただ単純に喜べる。

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 飛行機は、原っぱにザザザと簡単に着陸した。なんてせまい空港でしょう。せまいというより小さい小さすぎる。空港の建物はバンガロー程度の大きさ。国内線にも乗ってみるものだなー。
 空港のトイレに入って戻ってくると、ヒロがいつの間に知り合ったのか、学生風の若い日本人と仲よくしゃべっていた。この青二才は誰なのと考えながら近づいていくと、ふたりは「高峰三枝子がいる!」とか言っている。
 振り返ると本当に、例のオババ軍団に囲まれて、高峰三枝子がいた。同じ飛行機に乗り合わせていたのだな。ずいぶん小柄な人であった。お化粧をすんごく厚くしていたが、やはり一般人とちがって美しい。なんだってこんなとこに来ちゃったんでしょう。あのとりまきとともにトレッキングするのだろうか。想像するだけでげんなりしてきた。もう二度とあの騒がしい人たちに会いませんように。

 日本人の青二才(失礼!)はサイトーくんといって、他のホテルにするつもりだったらしいが、イスルと我々がホテルパゴダへ向かうと聞いて、「オレも同じとこにしようかなー」とついてきた。
 まったくサイトーくんはサイトーくんというだけですべてを言い表せるような人である。久しぶりに会った、なんとなく友だちになれそうな日本人だ。
 4人で空港からホテルまでの道のりを歩いた。
 ポカラは、聞きしにまさる田舎だった。
 ぽかぽかした陽射しがいい気持ちだ。野っぱらの真ん中のような田舎道を、ぶっとんだカッコのイスルが歩いていくのは大変異質な感じがする。でも彼は、ポカラが大大大好きなのだ。グルン族の伝統的居住地域がポカラ周辺なので、愛着もいっそう深いのだろう。

 のんびり歩くうちに、いよいよホテルパゴダに到着した。さてどんなところなのだろうか?

by apakaba | 2008-01-26 22:56 | 1990年の春休み | Comments(0)


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