あぱかば・ブログ篇

apakaba.exblog.jp
ブログトップ
2008年 03月 03日

女心には、ロートレックよりルノワール(か?)

六本木のサントリー美術館で開催中の、ロートレック展に行ってきた。
先日、ルノワール+ルノワール展(レビュー)にも行ってきたので、たてつづけに19世紀フランス絵画展を見てきたことになるが、両者を較べてみるとつくづく画風がちがうものだなあと今さらながら感じる。

ルノワールのほうが15年ほど年長だが、ルノワールは長寿、ロートレックは短命だからルノワールはロートレックの没後20年近くも生きていた。
両者の画風は異なるけれど、ふたりとも、好んで美しい女性モデルを描いた。

女だったら、モデルになるとしたら、ロートレックのモデルになるのはきついだろう、と思った。
ルノワールのモデルになったら、裸になって、実際より肉付きよく、細面の人も丸顔に、首もがっしり太く描かれることになるのだろう。
「あたしこんなに太ってない!」
と、今のモデルなら不満に感じるかもしれない。
けれども、ルノワールの筆にはそんな豊かな女性の体への、惜しみない礼賛が捧げられているのが一目でわかる。
瞳は明るく輝き、口元に微笑をたたえ、ふっくらした頬は上気して旺盛な生命力を思わせる。
実物より太っているかどうかという問題はさておき、モデルは自分の絵を見せられたらきっと皆喜んだことだと思う。
現実には体調の悪い日もあれば、辛いことがあって笑顔を忘れている日もあるだろう。
でもルノワールの描いた自分は、女らしいみずみずしさがいまにもこぼれ落ちそうだ。
女でよかったと感じられる肉体を永遠にキャンバスに閉じこめてくれる。

ロートレックの描く女は、ちょうどその反対だ。
彼の絵には、自分の見たくない自分の姿が映し出される。
よく知られているとおり、彼はキャバレーの歌手や踊り子や娼婦たちをモデルにした。
売れっ子歌手は、ポスター芸術家として名を馳せるロートレックに、一度は自分を描くように依頼しても、出来を見てキャンセルし、他の画家に依頼し直したということもあったらしい。
彼の視線は、モデルへの愛ゆえに残酷なのだ。

芝居や写真を趣味にしている人ならわかると思うが、昼間の強すぎる太陽光や舞台のトップライトは、顔を実物よりも老けさせる影をつくる。
下からの光、舞台でいうならフットライトは、その影を消し、表情をやわらかくしてくれる。
ところがフットライトが強すぎると、今度はかえって、顔に不自然で不気味な影ができてしまう。
極端な例が、誰でも一度はしたことのある、懐中電灯を顎に当てて下から照らす悪ふざけだ。
ロートレックの描いた舞台女優や歌手たちは、皆この“下からの強すぎる光”によって、禍々しさを孕んだ表情を浮かび上がらせている。
華やかな舞台に立ち、人々の目や耳を魅了するのが仕事の彼女たちにとって、この容赦ない描写は、時に“通常の生活をするだけの女なら知らないままで済んだはずの、自分でも知らない自分”の意外な姿を見せつけられることとなり、正視に堪えないと思わされることもあったのではないか。

第三者として、鑑賞者として見ればたまらなく魅力的に見えることもありうるこの“意外な顔”は、女にとっては過酷だ。
ロートレックは男も描いたが、やはり描く対象の性が変わると、視点もちがうように見える。
赤いマフラーがトレードマークの男性歌手アリスティド・ブリュアンのポスターなどは、洒脱ながらも力強く安定感があり、揺るぎないお互いへの信頼感が感じ取れる。
それに対し、女性を描くと、線は華奢になり、スリムな女性はことさらスリムになるものの、彼によって描き出された女性像には、ルノワールのそれのように「わあ、こんなにきれいに描いてくれてありがとう」とはとうてい言えないような、なにか意地悪なカリカチュアを見るときのような割り切れなさを覚えるのはたしかだろう。

でもそれが愛なのだ。
おそらく、彼はこんなふうに容赦ない形でしか、目の前の魅惑的な女性に愛を表現できないのだ。
美術解説でいつも出てくる決まり文句——「ロートレックは、自らも身体障害者だったゆえに、娼婦や踊り子のような、社会的に報われない女性たちに同調的な視線を投げ、愛情を込めて描き出した」これは非常に優等生的な解説だが、果たして描かれた彼女たちのほうは、自分らの姿を素直に「うれしいわ。こんなにステキに描いてくれて」なんて、思っただろうか?
私がモデルだったら、嫌だね。
「なにもこんなふうに描かなくてもいいのに。もっとフツーに美人に描いてよ!」

でもそれが愛なのだ。
彼の素早い筆致と大胆な構図は、迷いも憂いもない対象への愛情だ。
表現者は、時に描き出された対象の心をズタズタに引き裂く危険を承知で、制作をやめない。
気に入りのモデルをつづけて描く点数の多さがそれを想像させる。

by apakaba | 2008-03-03 23:16 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(6)
Commented by ぴよ at 2008-03-04 01:48 x
あら、珍しい。
美術展って東京から先にやって地方を回るものだとばかり思ってた。
この美術展は名古屋で去年の年末から年始に掛けてやってましたよ。
前売り券買ってたのに・・・忙しくて見に行けずに終了~(をい)

ぴよは個人的にルノワールの描く女性よりもロートレックの描く女性の
方が圧倒的に好きなんですよ。
彼の描く女性は冷ややかな視線でつまらなそうな表情で、時々怖い。
でもそれがいい。生身の女性の人生の表と裏の表情が見える。
確かに自分がモデルにされたらたまったもんじゃーないけど(苦笑)
似非評論家気取りで楽しむ分にはロートレックの描く女性は魅力的。

昔は(と言ってもぴよが中学生の頃の事だけど)今程ロートレックは
日本人に人気の画家じゃなかった。
「所詮はポスター画家。油絵の点数も少ないし」という評価だった。
いつからこんなに人気の画家になったんだろう?
でも中学時代からずっと好きでしたね。初めて彼の作品を見た瞬間から
今もずっと魅了され続けている画家の一人ですよ。
Commented by apakaba at 2008-03-04 08:58
ポスター画家ってなんか不当に評価低いよねえ。
まあ、コピーを量産しやすいからね。
油絵はコピーにするととたんに色が悪くなるから「ホンモノを見なきゃ!」って思うもの。
私も、昔から大好きで、結婚するまで部屋にポスター貼っていたわ(王道、ディヴァン・ジャポネですが)
フランスでは、レンタカーでアルビにも行ったんだよう。
追っかけだよ十分。
Commented by ogawa at 2008-03-04 22:21 x
ルノワールの豊満な女性の美しさ、ロートレックのカリカチュアされた女性・・・どちらも美を追求した結果ですよね。

写真だと長くても何分の1秒から数秒で撮ってしまう世界、絵画だと数時間から数日の時間を閉じこめる・・・それがこの世界なんですね。

ルノワールもロートレックも「良い女のモデルはいないのか!それが私の絵の源。」が創作の力となった・・・まるで、私の写真と同じやん(^^;;
Commented by apakaba at 2008-03-04 23:10
見つかったかーい?
Commented by ogawa at 2008-03-04 23:27 x
>見つかったかーい?

もっちろーん!
Commented by apakaba at 2008-03-04 23:29
ははあ……わかった。
それは、わたしだろう。


<< 「トイレの便座を下げる夫は妻を...      ガイシャオーナーの悲喜こもごも >>