あぱかば・ブログ篇

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2008年 09月 03日

大往生

7月後半、夫の実家から「お盆のお墓参りと、『コシヒカリ』の誕生日ということで会食に行こう」と誘われた。
いっしょにお墓参りをして、新宿のレストランでランチにした。
そのとき、祖母が危篤だということを聞いた。

私は
「うちの家族が全員そろうことなんて年に数回しかないんだから、このあと直接病院に行こうよ。」
と言ったが、夫は例によって嫌そうにしている。
義父母も、前日の入院手続きなどで疲れたからといってそのまま帰った。
私は家族を引っ張るようにしてクルマに押し込み、運転して病院へ直行した。

祖母を見舞うのはこれまでに何度もしてきたが、ひとめベッドに寝ている祖母を見たとたん、“これは”とピンと来た。
“戻って、子供たちの喪服をそろえなければ”

子供たちは
「やせたねえ。赤ちゃんみたいに小さくなっちゃったね。」
「痰がからんで苦しそう。唾とかを飲み込む力がないんだね。」
「このチューブ、なんの薬だろ?」
「この数字が上がったり下がったりするのはどういう意味?」
など、それなりに盛り上がっていた。
そして、ナースコールをして看護師さんに痰の除去をしてもらったら、
「なんだか楽そうになったね。」
「こんなに注射の痕がある。かわいそうー。」
「でも手があったかい」
「ふふ、すごいシワ、ぶよぶよ」
などと、それぞれに祖母(子供たちにとっては曾祖母)の体に触っていた。

今度は逆に名残惜しそうな子供と夫をせかして、家に戻った。
家に着いてすぐ義母に電話をすると、「たった今、亡くなってしまった」と言われた。
家に上がる間もなくまたとって返して、クルマで病院へ。
「畜生、こんなことならランチで飲まなければよかった。」
道中、夫は悔やんでいた。
「でもお義父さんが付き合ってほしそうだったから、それはそれで、親孝行ということで仕方ないじゃん。べつに私が運転するから大丈夫だよ。」
「まあな。今言ってもしょうがないもんな。」
「でも、やっぱり今日行っておいてよかったじゃない?私が強引に連れて行ったようになったけど、生きているちゃーちゃん(祖母の愛称)にぎりぎりで間に合ったんだからさ。」
「本当に、君には感謝してる。俺だけだったら絶対、今日も行かなかった。間に合ってよかったよ。」
「でしょ。私ね、父のときもまるっきり間に合わなくて何年もそれが心残りだったから、気が進まなくてもできる限りお見舞いはしようと思ってるの。」

ほんの1時間前には温かかったのに、戻ってみたら死んでしまっている祖母と再会して、子供たちは泣いた。
でもひとしきり泣いたら吹っ切れたようで、けろりとして親戚の子と遊んでいた。
お通夜と告別式の日取りを相談したら、残念なことに夫の学校の宿泊行事と日程が重なり、夫は両方とも出席できなくなった。
おばあちゃん子だった夫は気を落としていたが、帰宅してから長男の「ササニシキ」に
「しっかり見送ってくれ。お前が俺の代わりだ。」
と、自分の黒いネクタイと数珠を渡し、いつになく真剣に頼んでいた。

「アキタコマチ」は、喪主である叔父から葬式カメラマンを頼まれた。
「お前は写真に才能があるらしいじゃないか。才能は伸ばさないと。親戚に配る写真集も作ってくれ。費用と日当は出すから。」
とノリのいい叔父に言われ、「アキタコマチ」は大張り切りして二日間の葬儀を撮りまくった。
生まれて初めての、写真でのバイトだ。

完全密葬にしたので、気楽な集まりである。
精進落としの食事は、なんとインド料理屋で。
インド人スタッフに、
「イェー カーナー バホット アッチャー ヘイ(このごはんはとってもおいしい)。」
なんてヒンディー語でしゃべったりして、ワイワイと過ごした。

ふと、我に返って周りの顔を見回して考える。
「……そうか。この人たちのほとんどが、祖母に抱っこされて、いろんなもの口に突っ込まれて、うんと甘えて育ててもらったんだ!抱っこされていないのは、私のような嫁や婿数人だけだ!」
そう思い至ると、急に込み上げるものを感じた。
「ここにいる人たち、子供・孫・ひ孫、みんなみんな、祖母を身体的に覚えているんだなあ。」

でも、私は祖母に抱っここそされなかったけれど、ここにいる誰よりも緊密に祖母とつながっていることが一つある。
私にとって祖母は、“ときを隔てた旅の同胞”なのだ。
世界を股にかけた旅人という日記を6年前に書いた。
早くに伴侶を亡くしていた祖母はお金のかかったパックツアー、私は完全個人旅行という差はあるにせよ、偉大な旅の先達であることには変わりがない。
アジアはもちろん、アフリカ、北米南米、ヨーロッパ、太平洋の島、とにかく行っていないところがない。
北極と南極以外はどこでも「行ったことあるわ」といっていた。
私が若くして嫁いできて、どちらかというと周囲に反対されそうな国へ旅行するのが好きだという気持ちを、誰よりも理解してくれた人だ。

「あら!ネパールに行くの、いいわよねえネパール。あたしが行ったときにね、飛行機がね……」
「インドに行くの!あたし世界でインドが一番好きだわ。でもトルコも好きだわー。そうそう、アフリカ行ってラクダに乗ったときにね……あんたラクダに乗ったことある?」
「眞紀ちゃん、いっしょに上海行かない?買い物したいのよあたし。でも上海もずいぶん変わったらしいわね。あたしが行ったのはもう何十年前だったかしら……たのしいわよ上海!でも香港でもいいわ!とにかく買い物よ、おもしろいモノ買いに!」
「イランはおしゃれができないのがつまらないわ、観光で見るものはステキだけど!」
「イグアスの滝に較べたら、ナイアガラの滝なんてちっぽけに見えるわよ!あんた行ったことある?ないの?あらーすごいわよイグアスの滝は。行ってご覧なさい!」
「サマルカンドに行ったときね、火事になっちゃってね!」
「これはねえロシアのマトリョーシカ人形。でもこれ出来が悪くって。」
「ダマスカスではねえ……あ、ペトラはちがうか、ヨルダンか。ずっと昔だからなにがなんだかわかんなくなっちゃったわよ。」
「えっ、あんたダライ・ラマさんに会ったの!じゃあこれ(お土産)御利益あるわね、お仏壇にあげとかなくちゃ!」
「あたしはね、きれいなとこよりも、汚くってごみごみして臭いとこが好きなのよ!歩いてるだけでわくわくしてきちゃうの!」
「この箪笥はあたしが買ってきたのよ、ええっとー、ベトナムだったかな?中国?どっかで。」

まだ元気だったころ、世界各国からのお土産でごちゃごちゃな祖母の部屋で、そんな話を聞くのがとても好きだった。
祖母はもちろん先進国にもひととおり行っていたが、私に向かってするのは、たいてい“汚くってごみごみして臭くてわくわくする”ところの話ばかりだった。
祖母にとって私は、“旅の話がワカル、ときを隔てた後輩”だったのだと思う。
だから私が旅に行くというと、誰よりも本気で羨ましがり、お小遣いをくれて、誰よりも本気で土産物を喜んでくれたのだ。

インド料理でにぎやかに精進落としをして、ひ孫の一人がカメラマンをして……という型破りの送り方は、豪快に旅をして大往生を遂げた祖母にはふさわしいものだったと思う。

by apakaba | 2008-09-03 23:48 | 生活の話題 | Comments(11)
Commented by キョヤジ at 2008-09-04 01:18 x
「旅」が終わった日、だな。

合掌。
Commented by apakaba at 2008-09-04 08:34
キョヤジさん、弔いということで、こんな長くなってしまいました。
こんな長文じゃ読む人いないよね……と思いつつ。ペコリ。

晩年に脚を骨折して歩けなくなってしまったんだけど、「絶対また歩いて旅をする。まだいろんな国へ行きたい」といって、痛いリハビリもがんばっていたみたいです。
でも、歩けなくなっても、「ササニシキ」が車椅子を押して歌舞伎座へ行ったり、寝たきりになるまではだいぶ遊び回っていましたね。
いい人生だったと思います。
Commented by 那由他 at 2008-09-04 10:09 x
まずお祖母さんの御冥福をお祈りします。
彼岸へ旅立っていかれたんですね。

人の死は悲しいことなのですが、読後感はなぜか爽やかなものでした。

身体的にお祖母さんを覚えているお身内の方たち、旅という経験でお祖母さんと繋がっている眞紀さん。

お葬式、法事の形からも、お祖母さんの生き方、往き方、逝き方を感じました。

最後の最後まで、素晴らしい人生だったことでしょう。

お祖母さんの心意気とお祖母さんと作ってきた思い出が お身内の皆さんの心の中にいつまでもありますように。
Commented by 那由他 at 2008-09-04 10:13 x
追伸

先ほどの書き込みに、書き忘れましたが、眞紀さん始め、お身内の皆さん、お疲れが出ませんように。
Commented by apakaba at 2008-09-04 10:34
那由他さん、長文におつきあいいただいてありがとうございます!
わがままなお嬢さん育ちで、食べ物も人も好き嫌いがどっさり、男前大好き、その上ヘビースモーカーの破天荒な人でしたが、愉快な人でしたよ。

100歳近くまで生きたので悲しいよりもやれやれ無事見送れたという達成感でいっぱいでしょうね。
とくに、介護にかかりきりだった義母は。
義母は「バリの旅行は無理だと思う」と言っていたけど、7月中に亡くなってくれたので(?)無事にバリ旅行にも行くことができました。
旅がなにより大好きだった祖母が「ご苦労さん。あたしはもういいから、行ってらっしゃいね」と行かせてくれたのかなーと思いましたよ。

もうすぐ四十九日になり、形見分けどうしようなどと義母は言っています。
私は「なにか、旅のニホヒのするものがほしいなー。」とか今から予約入れています。
Commented by ogawa at 2008-09-04 22:16 x
まずは皆様、お疲れのでませんように。
満中陰で一区切り、次は一周忌ですね。

旅の偉大なる先達に合唱。
Commented by apakaba at 2008-09-04 22:44
ogawaさん、長文ですみませんです。
「祖母が亡くなったら、旅とのつながりのことをどうしても書きたい。」と何年も温めてきました。
温めてきましたっていうのも妙ですが。

1ドル=360円の時代から、ほいほい闊歩してきた人です。
それでも50歳から海外へ行き始めたようですよ。
長く元気に生きるって、すごいね。
意志と少しお金があるとなんでもできるのね。

私は、旅の思い出話の恰好の聞き手だったようです。
すごい珍エピソードの宝庫でした。
今どきの若いモンがひっくり返るようなことを、旅の中でたくさん経験していました。
「ちゃーちゃん(祖母の愛称)は、あれほどのエピソードを持っているなら、その気になれば旅の本くらいいくらでも書けるのになあ」ともったいなく思ったこともあります。
でも祖母はそんな欲はさらさらなくて、日記さえつけず、語るだけにとどめて逝ってしまいましたね。
それもその人の生き方だなあと思いましたよ。
Commented by kaneniwa at 2008-09-05 02:03
“ときを隔てた旅の同胞”という表現、
何かアンテナにくるものがありました。

「死後の世界」 というと、おどろおどろしいもの、
オカルト的なものとして語られがちですが、
依然として地球という星はあり、日本という国は
首相がちょこっと辞めたぐらいのことはありますが、
まだまだ存在しています。
そのおばあさまが亡くなられた後のこの世界は
おばあさまの死後の世界ですね。

BYマーヒー
Commented by ぴよ at 2008-09-05 02:57 x
まずは日が経ちましたがお祖母様のご冥福をお祈りします。
お祖母様にとって、最も幸せな最期だったんじゃないかな?
自分を愛してくれる人達、自分が愛した人達が見舞ってくれて、そして苦痛もなく旅立っていく・・・これ以上の幸せはないでしょ。

旅の先達を喪ったけれど、先達の心意気は既に充分に受け継がれているじゃないですか。
きっとお祖母様は今頃この日記を天国で読まれて、さぞかし喜んでいると思いますよ。いいお弔いになりましたね。
Commented by k国 at 2008-09-05 10:22 x
私もバアちゃん子だったので、母親よりも小さい頃の思い出は多いです。
明治28年生まれで満州育ちだったせいか、大陸的で大らかな人でした、なぜか読んでると印象がダブって見えました。
つい思い出してしまった、昔話や満州の話を布団に背中合わせで寝てよく聞かされました。
本当は母親の叔母さんで苗字も違っていたけれど,そんな事はまったく関係なくて私の優しいバアちゃんでした。
バアちゃんが亡くなって長女が生まれたので28年前です。
私も危うくあっち側に行きかけたけど、押し戻してくれたんだと思ってます,眞紀さんもきっと御祖母ちゃんが合いたくて最後に呼んでくれたのでしょう、大往生ですね。
Commented by apakaba at 2008-09-05 16:50
祖母レス。
マーヒーさん、ときを隔てた旅の同胞という言葉は、メインサイト所収の芭蕉『おくの細道』評のときに、浮かんでいました。
芭蕉せんせいとは300年のときを隔てているのであまりにもダイナミックですが……
人が亡くなっていくのはごく当たり前のことですね。
私もいい人生を生きていい死に方をしたいなあ。ほんとに。

ぴよさん、ありがとうございます。
祖母は、紙版あぱかば時代によく喜んで読んでくれていましたよ。
読書が好きな人だったので、「眞紀ちゃんの書くものはおもしろいわよ!」と、いろんな人に無理矢理読ませていました(あくまで自分本位なヒト)

K国さん、人が生まれたり亡くなったりすることって、ひとつも無駄がないことだなー、意味のあることだなーと思いますね。
私は年寄りの愛情を知らずに育ち、嫁いできてから夫の祖母と接するようになりましたが、やっぱり年寄りの愛情っていいですね。
K国さんもあっち側からよくぞ押し戻されていらっしゃいました。


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