2008年 10月 11日

「だから」

皆さん「三連休」なんでしょうか。
うちは土曜も休みではないので弁当作りのため早起き。
ゆうべかなり遅くまで飲んでいて、朝起きるときに酒が残っていると自分で感じる。
でもがんばろう今日も。

また怪我、またサポート生活へに書いたとおり、2週間前に「コシヒカリ」が足の指を骨折した。
今日はギプスが取れる日。
「コシヒカリ」は、数日前から、
「どうしよう。ずっと洗ってないから、わたし、すっごく足が臭いの。これでギプスを取ったら……」
先生に悪いし自分も気持ち悪い、と思う乙女心のようだ。
整形外科ではそんなことは慣れているから大丈夫よ、と励ました。

整形外科は広い待合室の椅子がぎっしりなほど、患者でいっぱいだった。
私は座るとたちまち前後不覚に眠りこけてしまった。
順番がきたので、「コシヒカリ」が「おかーさん、おかーさん」と何度も呼んで起こした。
あとで
「待合室にいたひと全員がね、おかーさんのこと見てた。」
と恥ずかしがっていた。
隣に座っていた体格のいい女性が、めずらしそうに私の寝起き顔をいつまでも目で追っていた。
寄りかかったりはしていなかったはずだが。

骨折が治っているかを確認するため、レントゲンを撮る。
その間、私は主婦向けの雑誌を見ていた。
料理レシピで使えそうなページがあったので、ぼんやりしながらも主婦の習性で反射的に携帯撮影をする。
本屋さんでやってはいけません。
でも病院の待合室ではよくやる。

まだ痛みがあるので、一週間後と、さらにまた一週間後に来て経過を見るという。
寝起きなので忘れないように口頭でくり返す。
「ええとでは次に来るのは来週の土曜ということですね。」
「ですから一週間後、またさらに一週間後に見せに来てください。」
「はい。ではあと2回来るということですね。」
「ですから、一週間後と次の一週間後です。」

先生はなぜ冒頭にいちいち「ですから」を入れるかなあ。
寝起き頭で、先月の内田樹先生のブログ記事を思い出している。

アメリカの夢という、リーマンブラザース破綻に関する日記であった。
大組織が腐っていく過程について、プレーンな用例を用いて見解を披露していく。


無意味にえらそうにしている人間がそこここに目に付いたら、その組織は「末期的」であると判じて過つことがない。
「えらそう」に見えるのは、外部評価と自己評価の差が大きいせいである。
「自分の能力は過小評価されているのではないか」という不安をもつ人間は、自分への敬意を喚起するために「わずかによけいな身ぶり」をする。
「えらそう」というのはその「わずかによけいな身ぶり」のことである。
いちばんわかりやすいのは「アイコンタクトの遅れ」である。
こちらが声をかけても書類から顔を上げない、隣の席の人間とのおしゃべりを止めない。
こちらが質問すると、答えることよりも「私はそういう質問をされることをすでに予見していた」ことを誇示することを優先する人間(彼らは答える前に、「だから」という鬱陶しげな一言から始めることが多い)。
そういう人間が一定数いたら、そういう組織はもう長いことはない。



この箇所が、非常に“思い当たる感じ”がして、思わずにやりとしてしまい、心に残っていた。
だってそういう輩、ほんとに多いじゃない?
「ですから」を二度つづけて言われて、寝ぼけ頭にもとっさにこのくだりが浮かんだ。

「だから」はひとつの流行り言葉で、うちの子供たちも頻繁に使う。
でもそうやって、サブリミナル効果のように、対話する二者の関係性上の優位性を言外で決定づけることを、子供たちが自覚しているとも思えない。
言語について憂いながら、足の垢に驚いている娘を連れ帰った。

寝不足で疲れたな。
娘の足がまだ痛いので、私もどこにも遊びに行けず、つまらないことだ。

by apakaba | 2008-10-11 22:30 | 生活の話題 | Comments(2)
Commented by 喜楽院 at 2008-10-13 01:07 x
>いちばんわかりやすいのは「アイコンタクトの遅れ」である。
>こちらが声をかけても書類から顔を上げない、
>隣の席の人間とのおしゃべりを止めない。

激しく同意します。

でも、私はこうではありません、とは
決して言い切れない自分がいます。
Commented by apakaba at 2008-10-13 01:34
内田先生のブログを読んでいていつも思うのですが、なにか書いてどこかに発表することって、規模の大小にかかわらず責任を伴うことだと。
内田先生は、こうしてつねに世のおかしなことを見逃さないけど、同時に自分にも「そういう自分はどうなのよ」と問いかけていると思う。
読む立場の人間も、やっぱり「そうだよねえーおかしいよね。→そういう自分は?内田先生に追及されることをしてないか?」と、自問・自戒を忘れることができません。
それが正しい表現者との関係だと思ってます。
だから喜楽院さんはまったく正しいと思います。


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