2017年 03月 12日 ( 1 )


2017年 03月 12日

影絵体験授業での出来事から

きのうの続き。
きのう、「日本はより排他的な方向に向かっていると感じる」と書いた。
私も、ネットに何か書くことにも、息苦しさを覚えている。
言いたいことがあっても、「こんなことを書くと見知らぬ人から攻撃されるのではないか」と心配になり(実際、何度かそういう目にも遭っている)、いつしか当たり障りのないことだけを書くようになってきている。

4月から、学習支援教員の仕事を始めたら、きっとさまざまなことを言いたくても言えなくなるだろう。
プライバシーの問題があるし、そうでなくても、障害者の話題はとてもセンシティブなものだからだ。
「障害」という漢字を使うことの可否からして、しばしば議論の的となる。
「学習障害」「注意欠陥多動性障害」という言葉も、今後は「限局性学習症」「注意欠如・多動症」といった表現に置き換えられる予定だそうだ。

今はまだ、仕事を始めていない身分なので、多少ざっくばらんに、先週あったことを書いておこうと思う。
先週、私の所属している影絵人形劇団が、近隣の小学校で6年生を対象にした影絵体験学習授業を受け持った。
体験といっても手加減なしの指導で、本格的な劇を上演する。
複雑な動きをする人形を動かす人形チーム、高度な演技が必要とされる声チーム、背景画像を場面に合わせて転換していくPCチーム、そして楽器の演奏や効果音、エンディングの歌をリードする担当の音楽チームの4チームに分かれる。
とにもかくにも時間がないので、猛烈な勢いでたたき込み、あっという間に本番の録画までに仕上げていく。

私は声チームを担当していた。
3組まである学年の2組担当だったが、リハーサルからは他のクラスの声の指導も全部やっていた。
マイクの前に張り付いて、声の出し方や演技のコツなどを、その場で初めて会う子供にバシバシ伝授。
2組以外の子たちは、いきなり出てきてあれこれ教えたり褒めちぎったりするおばさんが誰なのかわからないまま、あまりの真剣さ(だって時間がぜんぜんないから)が伝わっていうとおりにする。
みんなそれぞれにがんばって、いい演技だ。

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受け持ちの2組を特訓中。
みんな上手。
それにしても、背丈が小学生に埋もれてしまいます。



その中で、マイクから完全に体が離れてしまい、しかも声が小さく棒読みなので何も聞こえないという男子がいた。
下を向いて、台本の文字を追うのに必死だ。
その子の肩を抱きかかえて体ごとマイクの近くへ持って行き、「マイクに口を近づけて!声を拾ってないよ!セリフは聞こえなくちゃ意味がないの。」と励ます。
その子は抱えられるままに、棒読みを続けている。
棒読みなのは反抗しているのではなく、本当に一生懸命読んでいるからのようだ。
体重が腕にのしかかって重いので、
「ちょっとしっかり自分で立ってくれる?!重いよキミ!」
と言ったとたん、いきなり彼の目つきがガラッと変わった。
私をにらみつけて「死ね。」と吐き出す。
その目つきと言葉で、「今はいったん引こう」と即判断し、ぱっと離れた。
彼は「くそばばあ!死ね!死ね!」と、私をずっと罵り続けた。
担任の先生がなだめに入っても、その場で座り込んでしまい、「あのばばあがいるなら、もうやりたくない!くそばばあ!あんなばばあ大っ嫌いだ!」
そして会場の体育館を出て行ってしまった。

休み時間になり、在校生のお母さんたちに聞いてみた。
彼は学校で知らない人のいない、問題行動の有名人だった。
子供が卒業して久しいため、ほとんど私だけが知らなかったのだ。
彼は(おそらく)ADHDであり、投薬もしているという。
投薬治療レベルの子を、予備知識ゼロで指導にあたらせる学校側も学校側だと思うが、在校生ママは当然知っているので追及するほどでもないのかもしれない。
そのときはたまたま、知らなかったことがかえって功を奏したのだと思う。
他の子と区別しないで、その子を見た瞬間に抱きかかえて指導していた。
その様子を見ていた人たちは、「あの子があの場にいて台本を読んでいるだけでも奇跡なのに、あんなふうに(抱えられるがままに)されてもそのままやっているということに驚いた」という。
それは、別に私に力量があったからということではなくて、単に私には彼に対する先入観がなかっただけだ。

担任の先生は、
「本番では私がしっかりついていますから、(あの子のことは放置しても)大丈夫です。」
とおっしゃる。
そのとおりに、ここは放置した方が賢明か。
短い休み時間、激しく迷っていた。
子供とはいえ見ず知らずの人間から、あそこまで激しく罵られたことも初めてで、精神的にこたえた。
このあと控えている本番でどうするかを決めかねたまま、ひとけの減った体育館に戻って立っていると、クラスメイトを追いかけながら彼が走り込んできた。
私の近くにわざわざ寄ってきて、「くそばばあ!」と叫んで走り去る。
でも、その顔は、ちょっと笑っていた。

一緒にいたメンバーは
「あれっ?あの顔は……(私のことを)気に入ってるかも。」
「うん、ひょっとしたら、かなり好きかも?」
と言う。
それで決めた。

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本番に向かう子供達を、見守っています(背丈は埋もれてるけど)


本番、体育館に子供達が戻ってきた。
声チームの子たちは、リハーサルのときに注意したことをちゃんと守って、さっきよりグッと上手になっている。
全員が立ってスタンバイしているのに、あの男子だけは座り込んでいて、先生が一緒に付いている。
私が他の子たちに声をかけているのを、膝に顔を埋めているようで絶対に観察してる。
「うまいねえ!」「よくなった!」「よし、いいよ!」と、できるかぎりの子供に触れながら褒めた。

劇の佳境に登場する彼の出番、とても、とても大事な役だ。
自分のせいで娘を目の前で死なせてしまい、嘆き悲しみ、やがて敵と和解して癒されていくという、難しい役なのだ。
こんな大役によくも付いたなと、冷静になると感心するが、この子がダメでは劇全体がダメになってしまう。
先生は「放置でいい」と言ったけれど、私はやっぱりリハーサルと同じように、他の子たちと同じように、彼に密着することにした。
また「死ね」「ばばあ」と言われるか……「こんなくそばばあがいるから、もうやりたくない!」と本番中にマイクを蹴倒して暴れるか……賭けに出た。
「マイクにくっついて!」「大きく!」と、声をかけてみる。
そのとおりにする。
「長く伸ばして。」「悲しそうに、悲しそうに。」
そのとおりにする。
上手な子に較べたら話にならないほどの変化なのだけど、それでも、あきらかに私の指示を聞いて、そのとおりに演じようと努力している。
「泣いて!泣いて!」
涙声を出そうとしている。
あの罵声とぜんぜんちがう、頼りなく、ひょろひょろした声の演技。
こっちも泣きそうになる。
「大事なセリフ。しみじみと悲しそうに読んで。」
努力すると口がマイクから離れそうになる。それを抱きかかえる。

「よし!よくできた!」と一言褒めてすぐに離れ、もう次の役の子の指導に、私は移った。
だから彼がどんな反応をしたかわからない。
ただ、そのほんの少しだけのふれあいで、私は多くのことをつかめた。

彼は孤独だ。
成功体験がきわめて少ない。
周りの子供も大人も、彼と真面目に接することをとっくにあきらめて、遠くに置いている。
私のような、事情をまったく知らない大人が突然真剣勝負でぶつかっていったから、気迫に圧されて応えようと反応した。
まだまだ、彼には希望がたくさんある。
そしてなによりも大きな収穫は、影絵の活動を通して私がずっと思っていたことを、確認できたこと__声の演技をすることは、セラピーになる。
こんな自分の日常とはまるでちがう、別個の人間として、言葉を発すること。
別の人生を生きること。
彼は今、きわめて貧しい言語の世界にいる。
「死ね」「くそばばあ」の罵り言葉は、言われた相手が必ず気分を害する効果的な武器だから発しているだけだ。
苛立ちや苦しみや、うれしかったこと、そうした自分の内面を掘り下げるためには、言語世界が広がらなければならない。
そのためにも、別の人間の言葉を獲得し、声に出して心から発することは重要なのだ。

影絵体験授業は、このようにして、スクリーンが破かれることも、マイクスタンドがぶっ倒されることもなく、無事に終わった。
そんな彼ももうすぐ小学校卒業……と、いうことは、このまま地元の中学校に進学したら、彼は来月から……私の生徒ってこと?!
ウワー。がんばらなきゃなあ〜。
たった一度の、たまたまの成功で、新しい仕事がこの調子でいくとは思っていない。
先は長い。
苦しむ子供の人生は、私よりずっと長い。
そこまでおめでたくはないが、4月になって不安でびくびく働き始めるよりは、この影絵での経験は勉強になった。
障害児に関する書籍を読んだり、専門家の講演会を聴講したりして座学もしているが、やはり現場は、得るものが格段に大きい。
もう「死ね」「ばばあ」と罵られても、平気だもん。


by apakaba | 2017-03-12 13:22 | 生活の話題 | Comments(0)