あぱかば・ブログ篇

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カテゴリ:歌舞伎・音楽・美術など( 204 )


2017年 06月 21日

名古屋平成中村座、歌舞伎座六月大歌舞伎連続ツイート

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名城公園に建った芝居小屋




6月4日、名古屋平成中村座夜の部、義経千本桜、川連法眼館。何度も見た演目だが役者が変わるたび新鮮に驚く。扇雀の佐藤忠信は意外なかっこよさ。いつも女形で見ているので、颯爽とした登場に、本来の佐藤忠信らしさが出る。だが狐忠信は妙味あるもおばさんのような発声、あれは難役だなあ。(続

2)勘九郎義経は立っているだけでも気品と憂いのある名演。つまらない役者だと“義経”千本桜にならない。弁天娘女男白浪、注目の七之助の菊之助は……うーむ敢闘賞。見目はかなりパーフェクトだが男に戻った時に戻りきれてない……それではおもしろさが半減。あれは勘九郎がやるべき役では。(続

3)勘九郎なら女でもなかなか見栄よし、男に戻って凄むセリフを聞いてみたい。七之助は赤星のときが素晴らしかった。亀蔵南郷はワルの魅力出しきれず、七之助との絵的な釣り合いもいまいち。仇ゆめ、まるで知らない演目に不安大、でも勘九郎に泣かされるかもという期待も大。いかにも勘三郎好み。(続

4)期待通りの勘九郎、愛らしさと図々しさと憂愁を湛えて恋する狸に。七之助も面目躍如の艶、やっぱり兄弟は相性バッチリ。平成中村座らしい悪ノリ、芝居小屋ならではの大仕掛けな舞台、ずっと応援していきたい。今回は最高の席で、至近距離で見る七之助の美しさに仰天。2回、目が合ったぞ!ほんと!


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なんと花道のすぐ脇。
「勘三郎の目」が芝居小屋のあちこちに描かれている。



6月11日、歌舞伎座昼の部、名月八幡祭。松緑新助は、うーん敢闘賞。真面目さはよく出ているが芝居が一本調子になりすぎ?狂気へ進みきれず。ファムファタール美代吉は笑也の見目がかなりいい線。だが芝居が通り一遍で異常性を出しきれず。以前の雀右衛門では見目は少し落ちるも芝居が抜群だった(続

2)とことんクズな女の美代吉がこの話の見せ場だと思うが。誰かやってください。ただし魚惣は歌六よりも猿弥がはまっていた。浮世風呂、なんですかねこの踊りは……よくわからないが幕開けのシルエットはカッコいい。弁慶上使、あいかわらず変な話だ……変な話も吉右衛門で説得される。(続

3)一度だけ契った相手が弁慶と知ったときの雀右衛門のあのシーンは、なんともかとも。長々とムフフな音楽が続き、過去の一夜がよみがえっているらしいのだが、居心地が悪い……今後の課題という感じ。あのムフフタイムを乗り越えると、雀右衛門の新しい芝居になる気がする。(終わり
2017年 06月 07日

團菊祭五月大歌舞伎連続ツイート

ライターの仕事に加えて新しい仕事を始めてから、ブログを書く時間がとにかくない。
ほそぼそと記録をつけていく。


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5月5日、團菊祭歌舞伎座昼の部、石切梶原。新・彦三郎さん、おめでとうございます。真面目で見目のよい梶原。松緑がだいぶ持っていってたけど良し。吉野山、海老蔵の狐忠信はきっとああだろうという予想通り、ああだった。うん、まるっきり狐じゃなくて海老のまま…誰か彼に狐になれって教えて!(続

2)菊之助の静御前は10年以上前にも見たが、完璧な見栄え。あの時にはこの若さでこれほどやれるかと驚いたが、ちょっと伸び悩み気味?美貌は良し。魚屋宗五郎、待ってました菊五郎宗五郎。大好きです!菊之助がこの域に達するのは何十年先か。時蔵とのペアは毎度スゴイ!しかし、思いっきり(続

3)笑った後で泣かされる。妹の生きていたあの頃をふりかえるくだり。見事。女房時蔵の愛情深さにも打たれる。名作。ブラボー黙阿弥。そして寺嶋家ご長男さん、お見事なデビュー。余裕綽々の舞台度胸、笑顔が愛らしい上に大物感たっぷり。これは期待大!だがあの子の円熟期に、私はこの世にいない(続


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4)5月6日、続けて歌舞伎座夜の部。壽曽我対面。劇中襲名披露で喝采。襲名披露はいいなあ。しょっちゅう見る演目だけど菊五郎が颯爽としていてほとんどカッコいい。怪物ですかあの人は。伽羅先代萩、菊之助が政岡にチャレンジ。痛恨の飯炊きシーン全カットにはがっかりしたが、今回に限っては(続

5)カットでよかったかも。荷が重すぎる気が。なにしろ玉三郎のあの飯炊きが目の裏に残っているうちは難しすぎる。だが菊之助は予想以上の大健闘だった。政岡をやることの気迫がビリビリ。母親らしい情愛を玉三郎以上に感じさせ、別の政岡像が立ち上がる。海老蔵登場からはいきなり海老蔵ショーへ(続

6)この演目の面白さは前半女だらけ、後半男だらけとまるっきり変わること。海老蔵の仁木弾正はばっちり。はまるときは大ハマリする海老蔵。深みも因縁も何もない、ただナチュラルに悪いだけの奴。吉右衛門がやったときは、弾正の悪党ぶりに深い情念を感じさせ、最期は殺した千松と同じ場所、同じ(続

7)姿で果てるところに、この芝居の壮絶な因縁を覚えたものだが。そんなのは一切ナシ。ただもう底なしに悪い奴、それが海老蔵の弾正。おもしろい役者だ。扱いかねる男。浅草祭、松緑は踊りがうまいなあ〜。運動神経抜群なんだろう。亀蔵もいいのだけど、松緑の方が頑張りを感じない。つまりうまい(終


by apakaba | 2017-06-07 18:14 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 04月 08日

四月大歌舞伎、連続ツイート&ロバート・メイプルソープ展

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パクチーと春菊のサラダ


4月4日、歌舞伎座夜の部、傾城反魂香。繰り返し見ている芝居だが、吉右衛門は今回が一番いいように思う。3月の国立劇場の立ち回りではやや軽く感じられた芝居が、吃又では味方となる軽み。菊之助の女房は真心がこもる表情ながらも、やっぱりちょっと美人すぎ?もう少し世話っぽさが出ても。(続

2)帯屋、うむむむ〜白状すると、私は、上方歌舞伎が……苦手なんです……江戸歌舞伎の方が合う。藤十郎の風貌、異様な若さにたじろぐ。14歳の娘に手を出し妊娠させるのもありえそうな優男ぶり、だが、如何にしても台詞の不明瞭さ、声量の足りなさは。役者は、声が出なければ。孫の壱太郎、(続

3)舌が長いのか、才気を感じるいい芝居なのにやっぱり台詞が不明瞭、残念。女形の時の声の方がうまく響いている。美女でもないが妙な魅力がある少女、ああいう女って手強いですね。少女の恋でもない段階まで関係が進んでいることも匂わせる。染五郎、楽しげだがう〜む。見目が少しステキすぎかな(続

4)奴道成寺、猿之助は踊りがうまいなあ。多くの女形が、踊ること(動き)に精一杯で、周りへオーラを発するまでに達しないのに、猿之助が踊ると場を支配する力がすごい。客席がピンとする。だがこの演目では道成寺という「物語」の必然性は限りなく薄まる。やはりオリジナルは物語が完璧である。(続


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おまけ)同じ銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開催中のロバート・メイプルソープ展へも。学生のころ衝撃を受けたきりのメイプルソープ、今にして見ると、あの頃の感覚とはなんだか違う。女性をただの美しい物体のように撮る客観性と、男性を執拗に撮りまくる粘着性、ゲイならではの力とは思うが(続

2)今見ると、男性の撮り方は愛と嘲笑的諧謔性とがないまぜでは?むしろ滑稽味が感じられた。同族嫌悪でもあるのか。ストレートの男が撮る女は性的な存在だが、メイプルソープの女はまったく性的ではなく、だからといって男を撮っても、やっぱり性的とも言い難い。ねじれ。孤独。芸術の手前の冷笑(続

3)肉体の写真に較べて、花などの静物写真は完璧な美をたたえている。プリントの美しさにもうっとり。プリントはいいなあ。何十年もたってから同じ写真家を見るのは意義あることだと思った。シャネル・ネクサス・ホールは初めて来たが、すばらしいホールなんだなあ。入場無料とは太っ腹。(おしまい)


by apakaba | 2017-04-08 23:11 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 03月 31日

歌舞伎座三月夜の部、国立劇場ツイート

3月のうちに3月中に見た歌舞伎はメモしておくことにした。
めずらしく連続投稿。
ここしばらく、仕事ばっかりでぜんぜんブログを書いていないしね〜。

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こちらは国立劇場の舞台。


三月大歌舞伎夜の部、引窓。幸四郎はもうやれる役が決まってきている。セリフをただ軽く流している。流すだけでも可笑しみがあるから、笑うシーンではないのに、観客がつい笑ってしまう。あれは芝居全体を壊す。かなり扱いかねる役者。早く白鴎になってください。しかし相撲取りがヤクザ稼業(続

2)すれすれだった時代。今も「興行」ではあるが、暗い影は当時に及ぶまい。けいせい浜真砂、また奇妙な芝居だねえ。なんで五右衛門が女ですか。藤十郎って一体おいくつなの。罰ゲームじみた装束の仁左衛門ほんの数分の登場、仁左衛門なら何を着てもよろし。4年ぶりの助六、4年ぶりのドキドキ。(続

3)口上の最中から、あの袖の奥にはあの絶世の助六が控えていると思うだけで胸がしめつけられるほどの高揚感。こんな芝居はめったにない。海老蔵助六、余人をもって代えがたしとはこのこと。不世出の美貌。千両役者。壮大な大根役者。ほんとに不思議な男だ。団十郎助六時代には花道が退屈で退屈で(続

4)「いつまで傘を開けたり閉めたりしてるんだ、とっとと舞台へ出てくれ」とまで思っていたのに、海老蔵の花道はいつまでもずっと花道にいてほしいと願うほど。観客全員うっとり。逆に言えば「セリフは下手だから喋るな」ってことだが。セリフはだいぶうまくなったがこれ以上の上達はないか?(続

5)雀右衛門揚巻、先代雀右衛門おばあさん(?)時代に見たのでそれに比べたら美しいが、玉三郎揚巻に比べるのは酷。ちょっと世話女房っぽい。くわんぺらはミスキャスト。歌六では真面目に演じすぎ、あれは幸四郎や仁左衛門がやるから生きる。白酒売菊五郎は自在の境地。この芝居の真髄は(続

6)コメディーなのに、今回はコメディーがうまい人が菊五郎以外いず(海老蔵も下手)残念。今になると、勘三郎より三津五郎の抜けた穴の大きさを思い知る。4年前、三津五郎の通人は絶品だった。出てきただけでワーッと沸く。勘三郎の代わりはいても三津五郎の代わりはいないのでは?それにしても(続

7)先代の団十郎から、生き写しの海老蔵まで、美貌の助六を見ることのなかった人々(団十郎助六時代)は、助六という芝居がよくわからなかったのでは?今から歌舞伎を見る人は幸せだ。海老蔵の助六を、まだこれからもずーっと見られるのだから。引っ込みの海老蔵の、決意した表情は瞠目。ガンバレ(終

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団十郎が植樹したという熊谷桜。
国立劇場はさくらまつりの期間中でした。




国立劇場、通し狂言伊賀越道中双六。前回の上演も見たが、やっぱり妙な話だ。こちらの歌六はよし。雀右衛門もよろし。この二人、3月は国立劇場と歌舞伎座を掛け持ちして大変な忙しさだ。吉右衛門は年だなあと感じる。体が、動かなくなっている様子ではなく、逆に軽くなっている。年とともに、(続

2)殺陣では若い者が動いて大幹部クラスはあまり動かずやっつける方が様になるが、吉右衛門は自分が動いてしまい、動きにグッと重さをつけることができなくなっているので、腰が軽く見える。やはりもう鬼平ではないなあ。そろそろ立ち回りは卒業では。菊之助の白塗りやよし。役にも合っている。(終)


by apakaba | 2017-03-31 16:25 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 03月 31日

歌舞伎座、二月昼夜、三月昼の部ツイート

ふと見返してみたら、昨年9月以来、歌舞伎ツイートをまったくしていなかった。
毎月欠かさず見に行っているのに〜。
今年の2月からの分だけでも、書いておく。

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2月3日の初日。
帰りに寄ったポーラミュージアムアネックスでやっていた青木美歌個展。



猿若祭二月大歌舞伎昼の部、猿若江戸の初櫓。勘九郎の足さばきの軽さよ。宙から吊られているいるように、軽々と舞台を踏む。大商蛭子島、女好きな頼朝松緑は適役なのかよくわからない。長い割にはさしたる見所なし。四千両小判梅葉、やっぱり黙阿弥が好きだなあ。菊五郎は黙阿弥にばっちりはまる。(続

2)一番の見せ場の大牢シーンは、妙に長く、様式美(美というかなんというか)が興味深い。男祭り状態の牢獄、テレビなどの取材もなかった時代、さぞ一般大衆の目には恐ろしく、奇異で、のぞいてはいけない世界を覗くような気持ちになったことだろう。扇獅子、うん、正直いって忘れちゃったごめん(続

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3)二月夜の部、門出二人桃太郎。中村屋さん、おめでとうございます!兄桃太郎はばっちり歌舞伎になっているぞ。弟桃太郎はまだ人形みたいだ。何を見ても感慨深い。この子達が歌舞伎座で大役をやるころには、私は生きているのか。パパ勘九郎はじめ皆さん、うれしそう〜。贅沢な犬猿雉も大ハマりだ(続

4)異様なメイクの犬染五郎、メイクなしでいけそうな猿松緑、やたら生真面目な羽ばたきの雉菊之助、3人どれもこの役以外ありえないほど。特に菊之助の生真面目な羽ばたき姿が忘れられない。絵本太閤記、うーむ多くは言うまい。芝翫がアレなので、全体に退屈に。がんばれ。梅ごよみ待ってました!(続

5)菊之助の美貌は非の打ち所なし。演技もはまっている。出色は勘九郎の最近めずらしい女形。そこそこの美貌といい性格といい、いるねこういう女、と思わせる説得力ある存在感。児太郎も同じく。男が最後に選ぶのは結局このタイプか〜とうなずかされる。だから女二人の「しらけるねえ」が最高。(終)


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三月大歌舞伎昼の部、明君行状記。初日のせいか、梅玉はセリフが入ってないような。明君というか普通に梅玉じゃないか。しゃべってるのが。亀三郎との熱の差が……梅玉は毎月ほんとに忙しい。話も、真山青果はいつもおもしろくない。なんであんなになんでも言葉で説明するのか。説明のための台本。(続

2)義経千本桜碇知盛、待ってました仁左衛門知盛。比類なき美しさ。後半血まみれも、いつもより血糊が多めな気がします。銀平女房は玉三郎以上の人は見ていないが。巳之助くんもいい役がついてる。安徳帝右近の美しさは知盛がひれ伏したくなる実在感あり。それにつけてもこの話を見るたびに、(続

3)平家物語という物語の凄さをひしひしと感じずにいられない。「浪の下にも都のさぶろうぞ」と安徳帝に言い聞かせ自害していくシーン、女房たちの着物が海に漂うビジュアルなど想像すると果てしない気分になる。やはり名作中の名作。当たり前だが平家物語あっての歌舞伎作品だ。読破まで遠いが〜(続

4)どんつく、ご贔屓巳之助くんが踊ってます。今月いい役がついてる。早く八十助にしてあげてー。しかし松緑も踊りがいいねえ。あの人たちの運動神経ってなんなんだろう。海老蔵謎の表情な若旦那、彼ってどうしていつもああいう妙な表情なんだろう。夜の部にやってくれるからいいんだけど。(終)

by apakaba | 2017-03-31 15:16 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 02月 09日

映画音楽演奏会と、影絵人形劇団のこと

きのうの朝、NHK総合テレビ「おはよう日本」の中で、「FILM SCORE PHILHARMONIC ORCHESTRA(フィルムスコア・フィルハーモニック・オーケストラ)」が取り上げられていた。
2月5日にこの楽団の創立記念演奏会が開かれた。
行きたかったのだが、私は所属している影絵人形劇団の公演の本番があって、行くことができなかった。

今回のコンサートの特徴は、映画音楽の演奏、それも映画音楽界の巨匠ジョン・ウィリアムズの楽曲を演奏するということだったらしい。
テレビで指揮者のヤマトススム氏の話を聞いて感じ入った。
「映画音楽は、クラシック音楽に比べて軽く見られている。演奏会でも、映画音楽の演奏会をやるというと、『なーんだ』という反応になりやすい。
しかし映画音楽は決してクラシックよりも劣るものではなく、耳にしただけで、その映画がよみがえったり、そのシーンが鮮やかによみがえったりしてくる大事な音楽だ。
映画音楽のすばらしさを、お伝えしたい。」
氏は大体このような内容のことを語っていた。
映画を夢中で見た人間なら、誰だってうなずくだろう。
とくに、ジョン・ウィリアムズが音楽をつけた映画は、超有名な作品ばかりだ。

そのコーナーを見ながら、音楽というものが俳優の演技や風景描写にいかに大きく関わってくるかを考えていた。
映画を撮るとき、通常、俳優は音楽のない状態で演技をする。
音楽家は、音楽のない映像を見て、その場面に沿う音楽や、テーマ曲を作曲するものだ。
音楽のない状態で演技する俳優たちは、さぞ気分が盛り上がらないだろうなあなどと思った。
映画を見ていると、まるで俳優は音楽を聴きながら演技をしているかのように、演技と音楽が不可分なもののように見えているからだ。
それほど、音楽の力は大きい。


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本文とまるっきり関係ありませんが。
ある日。大久保、「ムット」


なぜ朝からこのように思いが巡ったかというと、実は、このオーケストラの楽団員の一人、Sさんは、影絵人形劇団の音楽担当者だからなのだ。
2月5日はふたつの公演が重なってしまい、彼女は今回は影絵の方を不参加にして、オーケストラに参加していた。
影絵の公演は、今までになく上演時間の短い「ミニ公演」だったとはいえ、私はとても心細かった。
彼女はすべての演目の音楽と効果音を担当していて、主題歌もBGMもすべて作曲・演奏してきた。
図書ボランティアという小規模な団体として発足したのが12年前、本格的に影絵人形劇団を名乗り始めてから5年。
その5年間のほとんどすべての声の主演は私がやっている。

Sさんと、とりたててママ友というわけでも旧友というわけでもない。
しいて名付けるなら「盟友」といったところだ。
影絵の練習期間中、私と彼女はぼつぼつと打ち合わせをする。
彼女は「アナタの声を聞いて音楽がイメージされるんだから、早いとこ声を仕上げて!」と思っている。
私の方は「アナタの音楽を聞いて演技がイメージされるんだから、早いとこ音楽を仕上げて!」と思っている。
どちらかが圧倒的に早く仕上がるということはまずない。
いい言い方をすれば刺激しあって、悪い言い方をすれば寄りかかりあって?、本番に向かって徐々にブレがなくなっていく。

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さらにある日。イングリッシュ・フルブレックファスト


ずっと一緒にやっているので、あまり細かく説明しあわなくても、音(向こうからすると声)を聞くとだいたい方向性がつかめる。
阿吽の呼吸でやっている。
ラストに感動的な楽曲ができあがると、「この作品に対して、こういう解釈か。だったらこの曲のイメージに合うように演技を変えよう」と、今まで出してきた声を変えたりする。
効果音やBGMの入るタイミング、盛り上げるタイミング、切れるタイミングを、声を出しながら「オッ、そうきたか」「やっぱりね。ここでぴったりストップすると思ってた」と、内心にんまりする。
にんまりするのは、本番中が一番多い。
つまり本番に一番阿吽の呼吸が働いている。

映画と影絵、することは別だけれど、テレビのコーナーを見て、自分のしてきた活動を思い返していた。
自分はとてもおもしろいことをやってきたんだなあと思っていた。
そして、映画音楽も影絵も、音楽がその作品を忘れがたいものにすることは同じだなとも思っていた。

それにしても、100人規模のオーケストラに参加したSさんは、私とはまったくちがう場に身を置いて、かけがえのない体験をしたのだと思う。
おつかれさまでした!
次回こそは、聴きに行きたいなあ。
影絵の公演と重ならないといいなあ。


by apakaba | 2017-02-09 22:30 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2017年 01月 12日

カフカの影が街を覆う__「METAPHOR カフカとの対話」とギャラリー・トーク


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ギャラリー・バウハウスのホームページより


御茶の水のギャラリー・バウハウスで、小瀧達郎写真展「METAPHOR カフカとの対話」が開催されている。
10日、ギャラリーのトークイベント「ギャラリー・トーク お正月カフカ プラハ×アフリカ×病室」へ行ってきた。
カフカ研究者の頭木弘樹さん、作家の田中真知さん、館長の小瀧さんによる鼎談である。

トークが始まる前に、小瀧さんの展示を見た。
ここ数年内に開催されてきた小瀧さんの写真展にはすべて行っているが、プラハの写真は、2012年の「VENEZIA」以来のすばらしさだ。
古いライカのレンズで撮られたカフカの街・プラハの、影と陰(sillouette と shadow)。
プラハを撮ることへの写真家の喜びと静かな興奮が、プリントされている。

ぐるりと一巡してみて、縦構図の写真が多いことにすぐに気づく。
元来が横構図であるはずの人間の視野からして、縦構図の写真というのは、それだけで意図的に切り取られた非日常への意志を予感させる。
小瀧さんの縦構図の写真は、視野をせばめられた不自由さが、風光明媚な風景写真となることをやんわりと、しかしはっきりと拒む。
展示作品すべてで、プラハという街を表す。
“この1枚”で完結する写真ではなく、ギャラリー全体をなんども歩き回り、断片を拾い集めるようにしてプラハを知っていく。
すべて見終わって初めて、プラハが立ち上がり、長く余韻が残る__そんな写真展だ。

川のほとりの街プラハをきっちりとらえた風景写真を見る。
中世から変わりのない美しい街のように感じる。
しかし、人影、彫像の輪郭、木の陰、ガラスのウインドー、いくら見ていても何を撮ったのか理解できない(だが惹かれる)光景、クローズアップで撮ったさまざまなもののさまざまなパーツといったものを見ていくうち、写真家にとってかならずしもプラハの“いい風景”が関心事なのではなく、ギャラリー全体でプラハという街を“表す”ことに関心があるのだと感じられる。
風景(=landscape)よりも、光景(=scene)や瞬間(=moment)を。
不思議な、ノスタルジックな、諧謔的な断片をバラバラっと撒く。
プラハにとって、欠けてはならないピース。


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陶然となるような小瀧さんの写真作品にかこまれて、トークイベントはスタートした。
いうまでもないことだが、真知さんも頭木さんも、徹頭徹尾人文系の語り口だ。
人文知が軽んじられがちな今の日本で、このように楽しく濃密なトークを聞けるのは快感でもあり、頼もしくもある。
プラハはカフカの生まれ育った街である。
頭木さんは二十歳の時に難病にかかり長期入院し、その後も入退院をくりかえしたという方で、ご自分が絶望の淵にある時にカフカの作品を読みふけったという。
カフカに関する予備知識がほぼない状態で聞いても、スルスルとカフカの人生や著作がわかってくるような気がする、大変お話の上手な方なのだった。

小瀧さんの写真、とりわけ、寄りで撮られた街角の断片(何なのか判別しがたい)を見ている時、しきりと諧謔的な精神を感じた。
「カフカに似ている。カフカみたいな街角だ」と思っていた。
カフカの文学作品に通じる、フッと笑うしかないような悪い冗談っぽさ、純粋がかえって仇になっていくような皮肉さ。
カフカとプラハが同義になる……だから展覧会名が「METAPHOR」なのか?
その印象は、お話上手な頭木さんによって明かされるカフカ本人の人となりを知っていくにつれ確信になっていく。
プラハが肉体を持ったものがカフカであり、カフカが遍在している街がプラハだった。

真知さんと頭木さんの対話を聞きつつ、しかしカフカという人は、一般的にイメージされている人物像よりも、はるかに“ふつうの”、さらには“健康的な”人だったのではないか、と思うようになっていった。
カフカは、精神的に異常性のあるタイプでもなんでもなく、たんに極度に感受性が強いだけで、言ってみれば「2クラスにひとりくらいはいそうな不思議ちゃん」タイプの人物だったように思える。
徹底的に弱くあることが強みとなるタイプの人というのは、洋の東西を問わずいつの時代にもいるものだ。
日本近代文学の作家たちだって、みんな極度に弱虫で偏食家で人並み以上に恋愛をしている。似たようなものだ。
そうなると、カフカと一般人を分かつものはたったひとつ、「書いた」ということになる。
プラハへの愛憎を終生持ち続けることでプラハの街と一体化し、もはや己の輪郭をぼんやりと失ってしまいそうなカフカは、書くことによって、書いたものによって初めて、くっきりと存在を刻印できたのだ。
それが、文学の力だ。

頭木さんから小瀧さんへの質問で、古いレンズを使う意味を聞いていた。
小瀧さんがこの展覧会のために使ったレンズは、30〜50年代の古いライカだという。
最新型のレンズはスペック勝負になっており、写りの正確さは古いレンズが敵うべくもないが、実際、人間の目はそんなには見えないわけで、「そこまで正確に写らない」古いレンズの方が人間の目に近い世界を映し出せるから、というようなご回答であった。
また、古いレンズは個体差も大きく、写りのクセもひとつひとつ違うので、自分(被写体)との相性もよりシビアになってくるのだと。
その話を聞くうち、もしかして、小瀧さんはみんなの認識と逆のことを言いたいのでは?と思えてきた。
古いレンズの方が撮り手の意志(腕)が入る余地があり、新しいレンズは緻密にできているからキカイ任せになりがちだ、と多くの人は思うだろう。
しかし小瀧さんの言いたいことはまったく逆で、古いレンズは個体差が大きい、つまり各々が不完全で愛すべき人間のように「性格」を持っている生き物のようなもので、撮り手はレンズに「いい被写体を見つけたよ。いい味出して写してくれ。よろしく」とお願いするような気持ちで、シャッターを切るごとにレンズにお任せするのではないか?
機械を扱うということは、元来完全な主従関係(というのも変だが)だが、古いレンズは使うというよりもっと人間くさく、「付き合う」「相棒」のような感覚のものなのではないか?
そんなふうに感じていた。
そうやって作られた写真は、暗室作業も含め、やはり芸術である。

文学・芸術は人間が生きる上で真に必要なものだという真理に肉迫する、すばらしい鼎談であった。
やっぱり、ギャラリー・バウハウスはいつも最高である!

以前書いたギャラリー・バウハウスに関連する記事はこちら。



by apakaba | 2017-01-12 17:48 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2016年 09月 30日

歌舞伎座秀山祭九月大歌舞伎、昼夜連続ツイート

歌舞伎ツイートをさぼりがちな今日この頃、昼の部と夜の部、両方ともいっぺんに転載しておく。

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だいぶ過ぎちゃったけど、9月11日、歌舞伎座昼の部、碁盤忠信。染五郎は優男系だけでなく、大きな立役も見栄えよくなったな。幸四郎より「吉右衛門に似てる?」と思ったが、むしろ祖父なのか。6月に見た碇知盛も、吉右衛門には遠く及ばないものの、「生き変わり〜死に変わり〜」には痺れた。(続


2)太刀盗人、とりたてて言うべきことナシ、錦之助のぼけっと店を見物している表情などがよし。一條大蔵譚、見るのは3回目だが吉右衛門は安定の芝居。若干声が小さくなった?心配。菊之助の美貌と、長成役吉右衛門の芝居に圧倒される様がよし。本心から驚き、本心から敬服しているように見える。(続


3)鬼次郎を梅玉がやったときもよかった。が、妻の梅枝は悪くはないが引き込まれるような切迫感が足りない。孝太郎のときが圧勝。武士の妻として危険を冒しつつ長成の元へ飛び込む覚悟がビシッと伝わり。花道の引っ込みでの表情、目の真剣さ。あの刃物のような覚悟を、梅枝が出せるのはいつ?(終わり


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9月前半には萩の花がきれいに咲いていたものだが


今日で9月も終わりなのか。焦って歌舞伎ツイート。9月20日、歌舞伎座夜の部、吉野川。吉右衛門がすごいすごいとの評判だったが、ううーん、これは、凄いのは玉三郎ではないのか。あの吉右衛門と互角以上、瞠目の母親。染五郎菊之助の若い美貌のカップルの前に「ママも昔はスゴかったのよ」と(続


2)立ちはだかる存在の厚みよ。毎度思うが不世出の女形。話は相変わらず無茶苦茶で、ついていけない観客多数。両花道の様式美。らくだ、爆笑しながらも江戸というなんでもありな時代を思う。半次、久六、馬吉、みんな世間のはみ出し者。現代なら精神障害のさまざまな病名がつくであろう人々。(続


3)ギャンブル依存症、ADHD、知的障害との境界あたりの、社会の周縁にいる人々。彼らは病気として隔離されることなく、これもヤクザ者すれすれの家主が住まわせて、なんとなく世間と行ったり来たりして、少し迷惑をかけて、生きていた。歌舞伎にはそんな人たちが、さりげなくたくさん出てくる(続



4)黙ってたたずんでいる染五郎の表情に、独特の(発達障害らしい)雰囲気を感じ、なるほどと腑に落ちた。他の芝居でも、ゲイもたくさん出てくる。三人吉三や白浪五人男は明らかにBL(レズビアンはついぞ見かけないのは、作者が男ばかりだろうか)。周縁に生きる人とそれ以外の世間を峻別しない(続

5)ままに芝居の題材にする。現代では生まれづらい芝居。染五郎の完璧なコメディアンぶりは、「コメディアン」という役回りの最も難しい部分(周縁の人であることを感じさせる)が凝縮していた。元禄花見踊、はい、玉三郎さんのもとにみんないらっしゃーい。まさしく全員を手玉にとる踊り。眼福(終


by apakaba | 2016-09-30 14:21 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2016年 09月 25日

FLOWERS BY NAKED 魅惑の楽園

会期終了してだいぶ経ってしまったが、去る8月26日、「FLOWERS BY NAKED 魅惑の楽園(公式サイトこちら)へ行ってきた。
私のブログを読んでくださったネイキッドの方が、ご招待してくれたのだった。
「ぜひ、我々の仕事も見てください」というお誘いに甘えて、東京ミッドタウンへ行ってみた。

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恥ずかしながら、ネイキッドという会社も、その事業についても寡聞にして知らなかった。
「ネイキッドは映像やインスタレーション プロジェクションマッピングなど 人々の体験をデザインするクリエイティブカンパニーです」とホームページにあるとおり、空間演出でのエキスパートらしい。
たしかに、うん、モノスゴク、イケてた。


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インスタで撮影した写真を、スマホからこの大きな画面に飾っていくことができる。



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プロジェクションマッピングを、花に当ててさらに立体的に見せている。
プロジェクションマッピングは平面的な対象を考えがちだが、ここまで凹凸の激しいものに大胆に当てていくのはおもしろいし、美しいと思った。


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水の中から水面を見上げているような気分になるが、枝(?)を揺らすと、雨粒のような水滴の波紋が葉の裏側に映る。

ひとつの大きな会場を区切って、いろいろな空間演出を次々と見せる。
各コーナーには、そのイメージにぴったり合う香りを流している。


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あまり注意を払われないところに、鳥の影が映りこんでいく。


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ここだけは会場のオリジナルな香りとは異なり、高田賢三のパフュームが使われている。
中央には、切り絵で繊細な葉が。


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「バニヤンツリー」に使われているのは、「未来紙」(とネイキッドの方が呼んでいた)という不織布。

この他にもたくさんのコーナーがあるが、ひとつの大きな会場に入り組んで並んでいるので、少しずつ他のコーナーが見えていて、全体の景色に影響しあっている。
遊園地に来ると、しばしばこういう風景がある。

ネイキッドの方が懇切丁寧な解説をつけてくださったおかげで、だいぶ舞台裏というか、ふつうの来場者が知らない仕掛けなどを教えてもらえた。
多くの人が見落としてしまいがちなところでも作り込んでいて、それを「実はここにこんなモノを映しています」とか、「実はこのコーナーの木はほんものの木を使っています」「これはここにセンサーが仕込んであります」と教えてくれる。
そうやって見ていくと、たしかに大変な人材と技術を駆使して、この空間を作り上げているのだとわかる。
しかし、多くのお客さんはそんなことを知らない。
自分の感じられる範囲で、自分たちなりに楽しんでいる。

ネイキッドは、その方針として、極力説明を排除して、見る人の感性に依存し、言い方を変えれば感性を信じて、種明かし的な説明がなくてもビビッドな体験となってくれることをめざしているとのことだった。
「説明はダサい」と切り捨てることで、お客を選別しているように思えるが、会場を見回す限り、来場者(ほぼすべてが女性!)の表情は皆幸せそうである。


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いかにも女性に受けそうなイベントだな……少しもちゃちなところがなく、隙間なく美しく、隅々まで幸せな感覚が満ちている。
物販コーナーも、女性の購買意欲にマッチしている。
さほど高くなく、気の利いたものだけが売られている。
うーんこれはモテそう。
代表の村松亮太郎氏が、やたらと男前なことが、会の成功を約束している感じ。


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メディアに出ているどの写真を見ても、隙なく色男だもんね。
たぶんこれだけのステキ空間を緻密につくりあげるのだから、相当の美的センスとカリスマを持った人なんだろうなとは想像がつくが、「モテそうな感じ」という直感は、おそらくこの村松氏の発するオーラによるものではないかと思った。

インタラクティブなデジタルアートというと、まずチームラボが浮かんでしまうが、ネイキッドがめざしているのは、チームラボとはまったく別のものだ。
両者を引き比べることには意味がない。
チームラボが「日本」「教育」に鋭く切り込み、古典への志向を明確に打ち出して、それをデジタルで表すことに徹底的にこだわっているのに対し、ネイキッドにとっては、デジタルはひとつの手段であり、美しいこの世の楽園を現出させるためには、アナログ的な手法もどんどん取り入れる。
たとえば、イミテーションの木にほんものの熱帯植物が混じり込んでいたり、切り絵しかり「未来紙」しかり、質量を持った「ほんもの」と、光や音や香りといった質量のないものをまじえて置くことで、その区別は曖昧になる。
多面的に快楽を引き出す。
チームラボが、見つめていると胸を締め付けられるような切なさが込み上げてくるのに対し、ネイキッドはその逆に、ひたすら胸の締め付けから解放され、快楽で満たされる感覚になる。

「FLOWERS BY NAKED 魅惑の楽園」は、東京では終了してしまったが、10月からは沖縄で開催されるようだし、東京では「SWEETS BY NAKED(公式ページこちら)」がスタートしている。
ああ、またも女性に大受けしそうなイベントなんですね。
映像(ましてや写真)ではネイキッドの魅力をうまく伝えきれないので、空間演出の最先端の仕事を知りたければ、会場に行ってみるしかない。
テクノロジーとマニュファクチュアの融合で、幸福感が呼び起こされる。


by apakaba | 2016-09-25 22:54 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2016年 07月 27日

デジタルだからできる、宇宙と自然の似姿のアート—チームラボ「DMM.プラネッツ Art by teamLab」

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“海賊王”に!!!
おれはなるっ!!!
本文とは関係ありませんが、『ワンピース』のブースもあります


「お台場みんなの夢大陸2016」に行ってきた。
10時の開場とともに、直行したのはもちろん、チームラボだ!

「DMM.PLANETS Art by teamLab(案内のページはこちら)」は、開場したらどこよりも先にめざすのが正解だ。
チームラボの展覧会は、いつだってとにかく行列するから。

入場してまずやることは、靴と靴下を脱いで裸足になること。
そしてズボンやスカートの裾をまくりあげること。
床が鏡張りだったり、水を使ったインスタレーションがあるためだ。

真っ暗に近い通路に、浅く水が張ってある。
すべて裸足で館内をまわるから、足を洗うことが目的なのはわかっているけれど、屋外の暑さにバテている体が一気に引き締まる冷たさ。
ダレていた意識がギュッとかたまり、この先の部屋で何が起こるのか、ただそのことだけに気持ちが集中する。

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「やわらかいブラックホール—あなたの身体は空間であり、空間は他者の身体である」

通路はすべて極端に暗くなっていて、小さな坂やふわふわのマットが部分的に敷かれていたりする。
裸足だからこそ、その感触に驚き、楽しむことができる。
視覚を奪われる分、足の裏が敏感になる。
中でも、展示室へ入る前に通過するこの小部屋は、必死で四肢を使わなければ次へ進めない、大仕掛けのふわふわ具合だ。
どんなにとりすました人でも、ここをスマートに通り抜けることは不可能。
このときは空いていたが、混雑したら阿鼻叫喚の有様となるだろう。
童心に帰れないなら、帰らせてみせようチームラボ。大幅に字余り。


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「Wander through the Crystal Universe」

私はチームラボの“追っかけ”なので、銀座でも大阪でもシンガポールでもこの作品を見た。
が、今回の「クリスタル ユニバース」は、これまでの展覧会より格段に広くなっている。
光の集合で宇宙空間を表したこの作品がこれまでとちがうのは、広さだけではない。


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いきなりヘボなモデルでスミマセン。
足元が、鏡張りになっているのだ(だからミニスカートの人は会場でショートパンツを借りましょう)。
そのため、ずーっと果てしなく、光の空間が続いているように見えるのである。
合わせ鏡をうまく使うと、永遠に鏡の中の世界が続くように思われた。
あの子供時代の驚きに戻るのだ。

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「人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング—Infinity」

この部屋も、暗さと鏡張りのために、広さの感覚をつかみづらい。
しかも自分の足が見えない。
膝までが、白く色をつけた水に没しているからだ。


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光で鯉が泳いでいる様が映し出される。
その一方、花が一面に咲いていく様も見える。
はじめは、このつながりがわからない。
やがて、「あっ、わかった!」
人に鯉がぶつかると花となるのだった。
皆、夢中になって鯉の像を追いかけ始める。
水がとても冷たくて心地よい。

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人々が水面の鯉を追うことで、水面は花でいっぱいになり、忙しくなる。
いつの間にか、鯉はあやしい光を帯び始め、もとの鯉の色ではなくなってくる。
彗星のように、光跡を長く引きながら……


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皆、いつしか鯉を追うのをやめ、水に見とれていると、鯉の光跡はますます長く伸びていき、個々の区別がつかないほどに混じり合ってしまう。
自分の足元を見るのに夢中だった人々が、ひとつの大きな空間へと収束していく。
光のマーブルをうっとりと眺める。
暗い中に鯉が泳ぐのを見、人の動きの影響を受けて花になると知り、やがてまたも宇宙空間に放り出されたかのような心持ちとなる——そんな、ここにいる人々の心の「高まり」にぴたっと沿う。なにもかもが。
映像の移り変わる速さ、暗さ、空間の広がり、水の冷たさ、それらが皆、高まりをリードし、寄り添っている。


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高まりがピークに達してから、徐々にまた、もとの鯉と花へ。
このころには、下半身がかなり冷えている。
足が濡れても、タオルが用意されているから大丈夫。
タオルは、10万枚用意されているという。


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「Floating in the Falling Universe of Flowers」

最後に入ったのは、ドーム空間に1年間の花が現れては消えていく作品。
ここはもう、「永久にこの部屋にいたい」と思ってしまった。

以前、さめない夢の世界へ——「チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」のレビューの最後に「目覚めてもさめない夢があるとすれば、それはチームラボだ。」と書いた。
この作品は、半円のドームいっぱいに花の映像が移り変わり、またしても床が鏡張りになっているため、上下の感覚さえあやしくなってくる。
用意されたソファに寝転んで見ていると、360度を花に取り囲まれる。
目を開けても閉じても、網膜に花が焼き付けられていく。
星などひとつも映っていないのに、感じられるのはやはり宇宙。
花の宇宙を体ひとつで漂う、自分も花のひとひら。

四季の花々は、遠く小さく映るものもあれば、ドキッとするほど大きく映し出されるものもある。
しかし飛んで行く先を目で追っていると、どの花も、必ず、等しく、散っていく。
なんとなく消えていくのではない。

「作品は、コンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている」との解説どおり、四季が一巡しても、巡りきた次の春は、さっき見た春の花の光景とは同じではない。
同じ季節でありながら、まったく同じではない。
流転し、変容し、しかも、途切れることがなく、永久に続いていく。
デジタルアートの真髄だ。
人工物の究極の結晶であるデジタルだからこそ、「自然」の姿をこんな形にして見せることができる。



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この部屋は、愛が芽生えること間違いなし。
うっかり友達以上恋人未満の相手と行くとあぶないですぞ!



これまでチームラボの展覧会には数え切れないほど行っているが、この「DMM.プラネッツ Art by teamLab」は、展示数がグッと少ない分、彼らの目指すものが、よりキリリと引き締まって見えた。
暑い中の行列覚悟で、行くべし!お台場!

※私がリクルートの仕事で作ったまとめサイトも見てね!
シンガポール「アートサイエンス・ミュージアム」でチームラボが常設展示。早くもマストスポットに!


by apakaba | 2016-07-27 17:14 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)