あぱかば・ブログ篇

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カテゴリ:歌舞伎・音楽・美術など( 206 )


2016年 09月 25日

FLOWERS BY NAKED 魅惑の楽園

会期終了してだいぶ経ってしまったが、去る8月26日、「FLOWERS BY NAKED 魅惑の楽園(公式サイトこちら)へ行ってきた。
私のブログを読んでくださったネイキッドの方が、ご招待してくれたのだった。
「ぜひ、我々の仕事も見てください」というお誘いに甘えて、東京ミッドタウンへ行ってみた。

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恥ずかしながら、ネイキッドという会社も、その事業についても寡聞にして知らなかった。
「ネイキッドは映像やインスタレーション プロジェクションマッピングなど 人々の体験をデザインするクリエイティブカンパニーです」とホームページにあるとおり、空間演出でのエキスパートらしい。
たしかに、うん、モノスゴク、イケてた。


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インスタで撮影した写真を、スマホからこの大きな画面に飾っていくことができる。



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プロジェクションマッピングを、花に当ててさらに立体的に見せている。
プロジェクションマッピングは平面的な対象を考えがちだが、ここまで凹凸の激しいものに大胆に当てていくのはおもしろいし、美しいと思った。


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水の中から水面を見上げているような気分になるが、枝(?)を揺らすと、雨粒のような水滴の波紋が葉の裏側に映る。

ひとつの大きな会場を区切って、いろいろな空間演出を次々と見せる。
各コーナーには、そのイメージにぴったり合う香りを流している。


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あまり注意を払われないところに、鳥の影が映りこんでいく。


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ここだけは会場のオリジナルな香りとは異なり、高田賢三のパフュームが使われている。
中央には、切り絵で繊細な葉が。


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「バニヤンツリー」に使われているのは、「未来紙」(とネイキッドの方が呼んでいた)という不織布。

この他にもたくさんのコーナーがあるが、ひとつの大きな会場に入り組んで並んでいるので、少しずつ他のコーナーが見えていて、全体の景色に影響しあっている。
遊園地に来ると、しばしばこういう風景がある。

ネイキッドの方が懇切丁寧な解説をつけてくださったおかげで、だいぶ舞台裏というか、ふつうの来場者が知らない仕掛けなどを教えてもらえた。
多くの人が見落としてしまいがちなところでも作り込んでいて、それを「実はここにこんなモノを映しています」とか、「実はこのコーナーの木はほんものの木を使っています」「これはここにセンサーが仕込んであります」と教えてくれる。
そうやって見ていくと、たしかに大変な人材と技術を駆使して、この空間を作り上げているのだとわかる。
しかし、多くのお客さんはそんなことを知らない。
自分の感じられる範囲で、自分たちなりに楽しんでいる。

ネイキッドは、その方針として、極力説明を排除して、見る人の感性に依存し、言い方を変えれば感性を信じて、種明かし的な説明がなくてもビビッドな体験となってくれることをめざしているとのことだった。
「説明はダサい」と切り捨てることで、お客を選別しているように思えるが、会場を見回す限り、来場者(ほぼすべてが女性!)の表情は皆幸せそうである。


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いかにも女性に受けそうなイベントだな……少しもちゃちなところがなく、隙間なく美しく、隅々まで幸せな感覚が満ちている。
物販コーナーも、女性の購買意欲にマッチしている。
さほど高くなく、気の利いたものだけが売られている。
うーんこれはモテそう。
代表の村松亮太郎氏が、やたらと男前なことが、会の成功を約束している感じ。


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メディアに出ているどの写真を見ても、隙なく色男だもんね。
たぶんこれだけのステキ空間を緻密につくりあげるのだから、相当の美的センスとカリスマを持った人なんだろうなとは想像がつくが、「モテそうな感じ」という直感は、おそらくこの村松氏の発するオーラによるものではないかと思った。

インタラクティブなデジタルアートというと、まずチームラボが浮かんでしまうが、ネイキッドがめざしているのは、チームラボとはまったく別のものだ。
両者を引き比べることには意味がない。
チームラボが「日本」「教育」に鋭く切り込み、古典への志向を明確に打ち出して、それをデジタルで表すことに徹底的にこだわっているのに対し、ネイキッドにとっては、デジタルはひとつの手段であり、美しいこの世の楽園を現出させるためには、アナログ的な手法もどんどん取り入れる。
たとえば、イミテーションの木にほんものの熱帯植物が混じり込んでいたり、切り絵しかり「未来紙」しかり、質量を持った「ほんもの」と、光や音や香りといった質量のないものをまじえて置くことで、その区別は曖昧になる。
多面的に快楽を引き出す。
チームラボが、見つめていると胸を締め付けられるような切なさが込み上げてくるのに対し、ネイキッドはその逆に、ひたすら胸の締め付けから解放され、快楽で満たされる感覚になる。

「FLOWERS BY NAKED 魅惑の楽園」は、東京では終了してしまったが、10月からは沖縄で開催されるようだし、東京では「SWEETS BY NAKED(公式ページこちら)」がスタートしている。
ああ、またも女性に大受けしそうなイベントなんですね。
映像(ましてや写真)ではネイキッドの魅力をうまく伝えきれないので、空間演出の最先端の仕事を知りたければ、会場に行ってみるしかない。
テクノロジーとマニュファクチュアの融合で、幸福感が呼び起こされる。


by apakaba | 2016-09-25 22:54 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2016年 07月 27日

デジタルだからできる、宇宙と自然の似姿のアート—チームラボ「DMM.プラネッツ Art by teamLab」

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“海賊王”に!!!
おれはなるっ!!!
本文とは関係ありませんが、『ワンピース』のブースもあります


「お台場みんなの夢大陸2016」に行ってきた。
10時の開場とともに、直行したのはもちろん、チームラボだ!

「DMM.PLANETS Art by teamLab(案内のページはこちら)」は、開場したらどこよりも先にめざすのが正解だ。
チームラボの展覧会は、いつだってとにかく行列するから。

入場してまずやることは、靴と靴下を脱いで裸足になること。
そしてズボンやスカートの裾をまくりあげること。
床が鏡張りだったり、水を使ったインスタレーションがあるためだ。

真っ暗に近い通路に、浅く水が張ってある。
すべて裸足で館内をまわるから、足を洗うことが目的なのはわかっているけれど、屋外の暑さにバテている体が一気に引き締まる冷たさ。
ダレていた意識がギュッとかたまり、この先の部屋で何が起こるのか、ただそのことだけに気持ちが集中する。

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「やわらかいブラックホール—あなたの身体は空間であり、空間は他者の身体である」

通路はすべて極端に暗くなっていて、小さな坂やふわふわのマットが部分的に敷かれていたりする。
裸足だからこそ、その感触に驚き、楽しむことができる。
視覚を奪われる分、足の裏が敏感になる。
中でも、展示室へ入る前に通過するこの小部屋は、必死で四肢を使わなければ次へ進めない、大仕掛けのふわふわ具合だ。
どんなにとりすました人でも、ここをスマートに通り抜けることは不可能。
このときは空いていたが、混雑したら阿鼻叫喚の有様となるだろう。
童心に帰れないなら、帰らせてみせようチームラボ。大幅に字余り。


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「Wander through the Crystal Universe」

私はチームラボの“追っかけ”なので、銀座でも大阪でもシンガポールでもこの作品を見た。
が、今回の「クリスタル ユニバース」は、これまでの展覧会より格段に広くなっている。
光の集合で宇宙空間を表したこの作品がこれまでとちがうのは、広さだけではない。


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いきなりヘボなモデルでスミマセン。
足元が、鏡張りになっているのだ(だからミニスカートの人は会場でショートパンツを借りましょう)。
そのため、ずーっと果てしなく、光の空間が続いているように見えるのである。
合わせ鏡をうまく使うと、永遠に鏡の中の世界が続くように思われた。
あの子供時代の驚きに戻るのだ。

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「人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング—Infinity」

この部屋も、暗さと鏡張りのために、広さの感覚をつかみづらい。
しかも自分の足が見えない。
膝までが、白く色をつけた水に没しているからだ。


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光で鯉が泳いでいる様が映し出される。
その一方、花が一面に咲いていく様も見える。
はじめは、このつながりがわからない。
やがて、「あっ、わかった!」
人に鯉がぶつかると花となるのだった。
皆、夢中になって鯉の像を追いかけ始める。
水がとても冷たくて心地よい。

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人々が水面の鯉を追うことで、水面は花でいっぱいになり、忙しくなる。
いつの間にか、鯉はあやしい光を帯び始め、もとの鯉の色ではなくなってくる。
彗星のように、光跡を長く引きながら……


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皆、いつしか鯉を追うのをやめ、水に見とれていると、鯉の光跡はますます長く伸びていき、個々の区別がつかないほどに混じり合ってしまう。
自分の足元を見るのに夢中だった人々が、ひとつの大きな空間へと収束していく。
光のマーブルをうっとりと眺める。
暗い中に鯉が泳ぐのを見、人の動きの影響を受けて花になると知り、やがてまたも宇宙空間に放り出されたかのような心持ちとなる——そんな、ここにいる人々の心の「高まり」にぴたっと沿う。なにもかもが。
映像の移り変わる速さ、暗さ、空間の広がり、水の冷たさ、それらが皆、高まりをリードし、寄り添っている。


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高まりがピークに達してから、徐々にまた、もとの鯉と花へ。
このころには、下半身がかなり冷えている。
足が濡れても、タオルが用意されているから大丈夫。
タオルは、10万枚用意されているという。


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「Floating in the Falling Universe of Flowers」

最後に入ったのは、ドーム空間に1年間の花が現れては消えていく作品。
ここはもう、「永久にこの部屋にいたい」と思ってしまった。

以前、さめない夢の世界へ——「チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」のレビューの最後に「目覚めてもさめない夢があるとすれば、それはチームラボだ。」と書いた。
この作品は、半円のドームいっぱいに花の映像が移り変わり、またしても床が鏡張りになっているため、上下の感覚さえあやしくなってくる。
用意されたソファに寝転んで見ていると、360度を花に取り囲まれる。
目を開けても閉じても、網膜に花が焼き付けられていく。
星などひとつも映っていないのに、感じられるのはやはり宇宙。
花の宇宙を体ひとつで漂う、自分も花のひとひら。

四季の花々は、遠く小さく映るものもあれば、ドキッとするほど大きく映し出されるものもある。
しかし飛んで行く先を目で追っていると、どの花も、必ず、等しく、散っていく。
なんとなく消えていくのではない。

「作品は、コンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている」との解説どおり、四季が一巡しても、巡りきた次の春は、さっき見た春の花の光景とは同じではない。
同じ季節でありながら、まったく同じではない。
流転し、変容し、しかも、途切れることがなく、永久に続いていく。
デジタルアートの真髄だ。
人工物の究極の結晶であるデジタルだからこそ、「自然」の姿をこんな形にして見せることができる。



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この部屋は、愛が芽生えること間違いなし。
うっかり友達以上恋人未満の相手と行くとあぶないですぞ!



これまでチームラボの展覧会には数え切れないほど行っているが、この「DMM.プラネッツ Art by teamLab」は、展示数がグッと少ない分、彼らの目指すものが、よりキリリと引き締まって見えた。
暑い中の行列覚悟で、行くべし!お台場!

※私がリクルートの仕事で作ったまとめサイトも見てね!
シンガポール「アートサイエンス・ミュージアム」でチームラボが常設展示。早くもマストスポットに!


by apakaba | 2016-07-27 17:14 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2016年 05月 23日

歌舞伎座團菊祭五月大歌舞伎、昼の部連続ツイート

22日、歌舞伎座昼の部、鵺退治。なんだってこれを54年ぶりに再演してみた?意義がワカラナイ。なんかあのふわふわしたかわいい奴が鵺なの?退治というよりハグハグしたい感じ。梅玉の姿は美しいが声が小さく、やや迫力不足。かわいい着ぐるみ相手じゃ迫力も出にくいが。すたれていく演目って(続

2)それなりに理由が……。寺子屋、松王海老蔵、しわぶく姿は元気そのもの、仮病使うなと思ってしまう。悲劇の面影なし。角度が完璧に決まった時の美しさは他の追随を許さないものの、演技があれでは。海老蔵の求める歌舞伎は芝居より歌舞伎らしさを感じる見た目なのか。全く扱いかねる役者よのう(続

3)菊之助の千代は説得力あり大健闘。源蔵松緑、悪くないけど真面目な人が苦しんでる感じ。ギラつく狂気を加えてほしい。勘九郎がやっぱりよかった。また通しで見たいいい話だけど、仁左衛門の菅丞相を追想するだけで泣きそうになる。彼以外考えられない。でも仁左衛門の松王も見たい…欲張り…(続

4)十六夜清心、きました黙阿弥!すばらしい菊之助。一人の人間に宿る善と悪が、グルリと入れ替わってしまう瞬間の秀逸さよ。ダークサイドを描かせたら黙阿弥は一流。癪が起きた松也くんの胸元に手を差し入れてからの揉み合いは、そうじゃないのにまるでBL。見てはイケナイ世界まで想像させる(続

5)歌舞伎にちょくちょく現れてくるBL要素は、もっと注目していいと思う。人の命が軽く、貞操観念も軽く(刑は重いが)、男色へのハードルも低かった時代。菊之助のぬるぬるした不気味さは、セリフまわしの一本調子を補って余りある。にしても十六夜時蔵、芝居はいいけどいくらなんでも年齢差が(続

6)菊之助の方が美しいじゃないか!って思ってしまったら、入れ込めないもん。時蔵は世話物の婆役ですばらしさを発揮するのに。しかしこの芝居、初めて見たけど菊之助主演の通しで見てみたい。外道に堕ちるところまで堕ちた坊主を見たい。楼門五三桐、吉右衛門&菊五郎、そりゃ出るだけで大拍手(続

7)しかし歌舞伎ってほんとに不思議な芝居だ。通しでやることはめったになくて、ほんの一部分だけを取り出して上演するんだから。予習していること前提。「絶景かな絶景かな」なんて最たるもの。あれだけいきなり見たら、意味不明すぎて戸惑うばかりだろう。しかし熱狂してたな。孫はうれしいね!(終

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本文と関係ありませんが、ある日の昼食

夜の部は初日に行った。
そのときのツイートはこちら→歌舞伎座團菊祭五月大歌舞伎、夜の部連続ツイート


by apakaba | 2016-05-23 15:18 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2016年 05月 03日

歌舞伎座團菊祭五月大歌舞伎、夜の部連続ツイート

歌舞伎ツイート、今年に入ってからずっとさぼってしまった。
とりあえずきのう行ってきた歌舞伎座から書いていこう。
3月と4月の分くらいはふりかえれるかな。

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5月2日初日、歌舞伎座、團菊祭五月大歌舞伎夜の部。寺嶋和史初お目見得とあって取材陣どっさりの祝祭ムードたっぷり。勢獅子音羽花籠、おじいちゃん二人を従え堂々の花道……のはずが、いきなり転んで意気消沈、菊之助に抱っこされたままとなった。まだ2歳児だからねえ。がんばれ。(続


2)あの子が海老蔵長男とともに将来の團菊祭を背負って立つと思うと感無量、そして彼が円熟の演技を披露できる頃には私はもういないんだろうなと思うとまた感無量。あの子たちが歌舞伎の未来だ。勢揃いの中でも、芝雀は雀右衛門になってから美しくなったなと注目。風格が出てきた。(続


3)三人吉三巴白波、大好きな演目。何度も見たが、やはり菊五郎。菊之助は美貌と女のときの演技は文句無し、男に帰った時の戻りがつまらない。私が見始めた頃の菊五郎はすでに容色は落ちていたが、男に戻ったときの面白さは抜群だった。でもさすがにもうやらないだろうから、菊之助がんばってくれ(続


4)海老蔵のお坊の意味不明さよ。どうして彼はいつも海老蔵なんだろうね。見目は申し分なし、セリフは言わないが吉。松緑の和尚も然り。セリフがかわいい。和尚は不気味さと闇の大きさを漂わせて、あとの二人に「この人なら兄貴にしよう」と思わせるものがなければ。かわいくなってはダメ。(続


5)3人とも好きだが3人とも足りない。それだけ伸び代があると思いたい。黙っていれば歌舞伎っぽいがセリフが。いかに役者にとってシャベリが大事かを再認識。時今也桔梗旗揚、松緑の熱演に打たれる。いつもより3割増しでギョロ目です!男女道成寺、菊之助がす、すばらしい!(続

6)道成寺はどの道成寺も興味の尽きない作品だが、男女もナイス。菊之助はしたたるばかりの美貌、キュッと上がった口角はファムファタルそのもの。玉三郎という異界の巨人に相当特訓されているのだろう。手ぬぐいや着物で顔が見え隠れする瞬間も色気たっぷり。それに引き換え、海老蔵が……(続

7)ま、またも意味不明な海老蔵っぷり。蛇でもなんでもなく、とにかく海老蔵ショーになってしまう。この踊り、そういうのじゃないのにー。しかしピタリと決まった瞬間は大輪の花のように美しい。ほんと、私が役者なら絶対共演したくないタイプ。美貌の二人がきっちり決まった見得は絵巻物の美しさ(続

8)正直なところ、長年、團菊祭が嫌だった。それは團十郎が苦手だったから。「五月はまあいいんじゃない」とパスしてた。若手に世代交代して、一気に華やいだ五月に。この“海老菊祭”はしばらく楽しみ。吉右衛門の孫お披露目で「まだ海のものとも山のものともつきませんが」の挨拶にも胸キュンね。


by apakaba | 2016-05-03 17:40 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(2)
2015年 12月 23日

歌舞伎座十二月大歌舞伎、夜の部連続ツイート

今月はいろんなことをしていたので、歌舞伎のツイートが遅くなっちゃった。
ふだんより少なめツイートです。

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東京芸術劇場で「レミング」を見た。
うーん。私はおもしろくなかったな。


すっかり日が経ってしまったけど、12月6日、歌舞伎座夜の部、妹背山婦女庭訓、杉酒屋。七之助が、か、かわいい。見目麗しく、昔より色っぽさが出てきて素敵。児太郎、ここだけの話だけど女形よりタテ役の方がよくないか。なんかかっこよくなってきちゃったし、世話物のお兄ちゃん役とか合いそう(続

2)道行恋苧環、松也くんはふつうの演劇だったらきっと十分うまいのだろうけど、歌舞伎座では沈むなあ。存在感まだまだ。二人の美女に愛されるほどの色男には達していない。七之助、おぼこからちょっとはみ出た、あだっぽさがにじみ出ていてうまい。松也くんとすでに深い仲ということが窺い知れる(続

3)三笠山御殿、玉三郎が…か、かわいい……ッ!七之助よりはるかに年上なのに、七之助より可憐でいい女ってどゆこと。あんなかわいい女がいたら到底ほっておけないでしょう。いじめのシーン、「はい」と消え入りそうな返事をする声が……たまらん。あの「はい」の声だけでも、真似してみたい!(続

4)ストーリーは例のごとくメチャクチャだが、とにかく玉三郎のかわいさに身悶えした、今年最後の歌舞伎鑑賞であった。その次の週に寺山修司の「レミング」を東京芸術劇場で見たが、まったく乗り切れなかった。演技の厚みが、歌舞伎とはあまりにも違っていて。歌舞伎見ちゃうと現代劇はつらい。(終


by apakaba | 2015-12-23 17:31 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 11月 11日

歌舞伎座吉例顔見世大歌舞伎、夜の部連続ツイート

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ある日の散歩道。
歌舞伎、そして自分の人生の、来し方行く末を思う今月


11月7日、歌舞伎座夜の部、江戸花成田面影。堀越勸玄初お目見得。想像よりはるかに小さくて、花道から出てきたとき「あれ?いない?」と本気で思った。海老蔵が黒い袴を着けているものと……海老蔵の腰にまで届いていない小ささ!仁左衛門、菊五郎、梅玉、藤十郎、染五郎、松緑を従えての挨拶。(続

2)夕方の2歳児なんて大抵は機嫌が悪いものだが、勸玄くんは難しげな表情ながらも頑張っている。しかしこの子が大役者になり、団十郎になったとき、私はこの世にいないであろう。そう思うと大喜びの観衆の中で寂寞たる気分になる。これから長くがんばってね。仙石屋敷、梅玉の伯耆守は前半若干(続

3)バタバタしているが、人のよさが印象づけられる。それにしてもこの話、ほんとつまんない芝居ですね。仁左衛門が大石じゃなかったら最初から最後まで熟睡だわ。でも仁左衛門だとたわいもなく感動してしまう。でももっといい演目がよかったなあ。だいたい、日本人はみんな忠臣蔵が好きだけど私は(続

4)それほど好きじゃない。仮名手本忠臣蔵で見て、初めて面白いと思うくらい。勧進帳、おそらく全演目中最もいっぱい見ている歌舞伎。また見てしまいました。幸四郎弁慶には、ええ、さまざまな思いが胸を去来しましたね。思えば初めて幸四郎弁慶を見たとき、彼は今の私くらい。働き盛りの年齢で、(続

5)そりゃ元気もあったわけだ。今あの衰え果てた弁慶を見て、これが幸四郎という役者なんだと。昔の幸四郎弁慶は、いちいちエッジが立っていた。そのキラリと光る瞬間の一つ一つを覚えていて、「またあれをやってくれ。あ、やってくれた」と楽しかった。古典的な歌舞伎が好きな向きからはバタ臭い(続

6)とかくどいとか言われていたが、あれはやっぱり魅力だった。でも今すべてのエッジは消え去った。義経に手を差し伸べられ感激して舞うところ、吉右衛門弁慶の目の先は遠い遠い道程を見ていた。幸四郎の目はなにも見ていない。濁った目の先には、俺はそれでもまだ幸四郎であり続けるという執着が(続

7)あるのか?もう染五郎を幸四郎にしてやれ〜。しかし、染五郎は幸四郎と同じ幸四郎にはなっていかないんだろうなあ。富樫よかったぞ。今までで史上最高の富樫は吉右衛門、その次くらいによかった(ついでに松緑のメイクは罰ゲームのようではないか?)。大幹部がそれぞれの境地に達している中、(続

8)幸四郎の老いを晒す弁慶は、あれはあれで彼の芸の到達点なのかもしれない。なんともいえない「業」を感じ、ただダメな弁慶を見たという嫌な気持ちではなく、大きく人生というものを突きつけられる。幸四郎という役者、私はどっちかというと好きだけどね(えへ)。ああいうどうしようもない人。(続

9)河内山、黙阿弥最高!先日、近松の芝居を現代劇で見たが、やっぱり義太夫の完成度が黙阿弥とは比べ物にならない。「名台詞」とは黙阿弥のためにある言葉。初役海老蔵、よく似合っていた。海老蔵はある意味始末におえない役者で、嵌るときは他の追随を許さない嵌り方をする。だがたいてい滑る。(続

10)嵌る嵌らないの振れ幅が大きすぎ、見る方はビクビク、共演者はさぞ恐ろしいだろう。彼はああいうペラペラな男が似合う。人生の苦悩とかは無理。それにしても十一代目に生き写しだ。今回は勸玄から幸四郎までを一気に見て、歌舞伎という芸能の大きな一つの時代に立ち会っている感慨を持った。(終


by apakaba | 2015-11-11 17:13 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 10月 27日

ボタニカルアート/石川美枝子と仲間たち展Ⅱ

京王プラザホテルのロビーギャラリーで開催されている、ボタニカルアート展に行ってきた。
石川美枝子さんとは、3年前にとあるパーティーでたまたま同席したときに、少しお話をした。
そのときは、石川さんが植物画家だなんてまったく知らなかった。
というか“植物画家”それ自体を知らなかった。
それ以来、東京で石川さんのほんもののボタニカルアートを見られる日を、ずーっと待っていたのだった。

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感激です……!!!!!!!!


花は人のために咲いているわけではないけれど、人は花に引き寄せられる。
ラフレシアは熱帯雨林を象徴する存在に思えた。
“花”の概念をすべて否定するような奇怪な容貌、謎の多い生態、しかしそれは、この花が熱帯雨林で生き延びるために選んだ進化の形だ。
......................
それは万人が「かわいい」とか「きれい」と感じる形ではなくとも、私にはきわめて感動的な孤高の姿に映った。
彼らの、生きるためのシビアな知恵に較べたら、人間など、どの人種であってもほとんど見分けがつかないほどおんなじではないか。


石川さんの描くラフレシアは、他の仲間たちのみなさんとは、まるで別の次元にいた。
仲間たちのみなさんの作品は、どれもとてもきれいで、温かく、植物への愛が満ちていた。

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だが石川さんの描く植物は、愛よりも温かさよりも、まずなによりも、その植物“そのもの”だった。
それでいて、紙の中の植物にグイッと手を引かれて立ち止まるほどに、“アート”だった。
写実をきわめて、その先にアートがあるというより、写実をきわめることで、植物がほんらい身につけているアートが映し出されている感じ。
植物の持つ、豊かさや、不気味さや、明るさや、はかなさ、そうしたものは、ただ透徹した観察と正確な筆致によってのみ描き出される。


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今日はギャラリートークもあって、3年ぶりに石川さんにお会いできた(後ろの方で一方的に見ていただけですが)。


……そう思いながら帰ってきて、検索をかけてみたら、私の考えていたこととまったく同じことをばっちり書いてくれているページがあった!

3年越しの念願叶って、やっとほんものの石川さんの絵を見ることができ、とても幸せだった。
ラフレシアを見たときの感動や、ボルネオ島の自然も懐かしく思い返せた。

ご主人の上島さんが書いたブログはこちら(ボタニカルアート展 Botanical art exhibition ―石川美枝子)。
ギャラリーの写真がたくさん載っています。






by apakaba | 2015-10-27 21:51 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 10月 26日

10月23日、新橋演舞場昼の部、スーパー歌舞伎Ⅱ 『ワンピース』

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『ONE PIECE』をスーパー歌舞伎でやるとネットで知ったとき、まずなによりも真っ先に目に飛び込んできたこの絵に、まじまじと見入ってしまった。
おだっち(原作者・尾田栄一郎)の絵のうまさ。
きちんと『ONE PIECE』のままなのに、ばっちり歌舞伎になっている。
なんと美しいことよ。
もうこれだけで、舞台の成功を少しも疑わなかった。
何ヶ月も、ずっと楽しみにしてきた。

だが、当日、新橋演舞場に着くと、ドキドキしている。
歌舞伎はしょっちゅう見に行っているけれど、「ドキドキ」することなんてない。
それも当たり前で、ふだん吉右衛門だの仁左衛門だののクラスの役者がやるのに、ドキドキする必要などないからだ。
最後に歌舞伎で開演前にドキドキしたのはいつだっけ……ああ、染五郎が初めて歌舞伎座で弁慶をやったときだ!
「見たことがない舞台、うまくいってほしい、うまくいくだろうけど、うーん、うまくいくだろうか? いや絶対大丈夫! とにかく、応援している!」
そんな、苦しくなるような期待。
あのとき以来だ。

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劇場内に入ったら、手を広げたルフィの人形にスポットライトが当たっているという、ふだんの歌舞伎とまったくちがう設えがしてあって、またズキンとなる。
カッコいい!
実は私は、『ONE PIECE』を読んでいないし、アニメも見ていない。
それなのにここまでドキドキワクワクできる。
かなり元が取れた気分だ。

だが舞台のおもしろさは、予想以上だった。
冒頭にナレーションが入るが、これを勘九郎・七之助兄弟が昼の部と夜の部を交代で当てている。
私は昼の部で七之助のナレーション、ごく短いものだが、冒険の幕開けにふさわしい爽やかさで、「いいなあ〜」とつくづく。
火、水、プロジェクションマッピング、大仕掛けな舞台装置、絢爛豪華な衣装、まったくすばらしい!
やはり、舞台にはこういうスカッとくるスペクタクルがなければ。

役者陣のひたむきさには、ハードウェア以上に感動した。
すでに大評判となっているが、中でも巳之助の熱演が出色。
ゾロはもう二次元から3Dで立ち上がってきたかのようにゾロそのもの、ボン・クレーのオカマ六方には客席も万感の思い、大向こうから「大和屋!」の声も飛んだ。
私も、完全に一皮むけて吹っ切れた感のある巳之助の、会心のボン・クレーには、大笑いしながらも泣けた。
ボン・クレーがおもしろければおもしろいほど泣けた。
お父さんに、見せることができなかった……
でも、父・三津五郎の早すぎた死が、巳之助の覚悟を固めさせたのかもしれない。

右近の碇知盛そのものの「白ひげ」は、予想外の名演だった。
知盛のように後ろに飛んで果てるのを、思わず今か今かと待ってしまった。
それくらい、どっしりと重く演じていて、今まで右近という役者を「まだまだ若手」と軽く見ていたことを反省した。


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他の役者も書き始めるときりがないほどにそれぞれすばらしかったし、アクションやダンスも最高だったが、ただ一人、猿之助のルフィだけに、最後まで違和感が残った。
『ワンピース』なのにルフィに違和感があってどうするんだという気もするが、そう感じてしまったのだから仕方がない。
原因はいくつか考えられる。
ひとつには、「アニメでの田中真弓がすばらしすぎるから」。
ルフィのイメージは、田中真弓の声に収斂されている。
他の配役はまだしも、ルフィだけはどうしても田中真弓の声が誰の脳内にも響き渡ってしまうのではないか。

また、歌舞伎の決め事と澤鷹屋の芸の縛りとのすり合わせの結果、一種異様なルフィができあがったとも思える。
海賊一味の立て役の中で、ひとり完璧な白塗りというのは、ビジュアル的に抵抗感がある。
いくら歌舞伎の“いいもん(善人)”は白と決まっているからといって、ルフィの雰囲気とは合っていない。
花道を何度か走って登場してくるが、誰よりもドカドカとうるさく足音を立てて走ってきそうなルフィが、スススススッと歌舞伎の“すり足”で登場してくるのも妙な気分だ。

白塗りはハンコックとの早変わりのために必要という理由もあるだろうが、それにしてもハンコックは猿之助がやるとギャグシーンでしかなく、もしあれが原作どおりボリューム満点の美女がやったら、まったくちがうシーンになっていただろう。
早変わりは、澤鷹屋である以上、どこかでやらねばならないのかもしれないが、とんちんかんなルフィとおばさんのようなハンコックではいずれにせよ見とれることも感動もなく、ただひたすら早業を楽しむ時間となってしまう。

猿之助という役者は、「黒塚」の怪演を見てもわかるように大変な芸を持った役者ではあるが、美女でも二枚目でもなく、小柄なために大きな立て役も似合わず、なかなか彼の芸を生かす場を見つけづらい人だ。
おそらく狐忠信や土蜘のような、この世ならぬものをやるのがうまいのでは。
猿之助は、ルフィやハンコックよりも、ちょっとだけ出てきた“留め男”シャンクスが、自然な風格があって一番カッコよかった。

誰よりも一番熱いはずのルフィのセリフが、猿之助が言うとなぜかとてもあっさりと聞こえる。
これだと『ワンピース』の大前提(ルフィの熱さにみんなが動かされる)が崩れてしまう。
もしも配役を変えられるなら……、もしもルフィを、たとえば勘九郎がやったら。
ハンコックを七之助がやったら。
まったく別次元の『ワンピース』になるぞ。
まあ、実現はしないんだけど。
(ついでに、イワンコフを中車がやったら……いやこれ以上は申しません)

猿之助のあっさりしたルフィは、もしかしたら、演出家として奮闘した結果なのかもしれないとも思えた。
若手のよさを最大限に引き出し、本水のアクションも本来なら自分がやるところをすべて若手の見せ場にして任せ、あれだけの作品に仕立て上げることに心を砕いたのでは。
「おれは助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!」
これを、身を以て示したようにも見える。

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それにしても、この舞台の大成功は、おだっちの『ONE PIECE』が「歌舞伎に合っているから」というのは大きいと思う。
というより、『ONE PIECE』という漫画じたいが、もともと歌舞伎っぽさを持っているからではないか。
『ONE PIECE』のあの決めゼリフ(名言集が出るくらいの)は、歌舞伎の見得や名乗り(で観客が感じる爽快感)にきわめて似ている。
海賊なので、彼らの言葉は非常に乱暴だ。
それは、歌舞伎の世話物での荒っぽさとよく似ている。
「うるせえな、ばばあはすっこんでろぃってんだ!」くらいのセリフは、ぽんぽんと飛び出す。

『ONE PIECE』のセリフは、“声に出して読まれることを待っている”言葉なのだ。
漫画にもいろいろあって、吹き出しの中の言葉が黙読を前提として描かれている漫画は多い。
『ONE PIECE』のセリフは、目だけで読むと非常に汚い。
だがうまい役者が声に出してそれを言えば、命が入って胸に応えてくる言葉になる。
歌舞伎と親和性が高い作品なのだ。
これに目をつけた猿之助は、やっぱりすごい。
そして、スーパー歌舞伎の話が持ち上がるまで、歌舞伎をいっさい見たことがなかったというおだっちもすごい。
歌舞伎の世界を知らないのに、あんなに歌舞伎っぽい。
それはどこかで、日本人の持っている「心意気」が通じているからなのかもしれない。
(おだっちは「心意気」という言葉が好きだそうだ。)


by apakaba | 2015-10-26 17:15 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)
2015年 10月 24日

歌舞伎座芸術祭十月大歌舞伎、夜の部連続ツイート

今月は、月に3回歌舞伎に行くめずらしい月だった。

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夜の部終了後の遅い夕食。
サラミと黒イチジク、ルッコラの前菜

22日、歌舞伎座夜の部、芸術祭十月大歌舞伎、壇浦兜軍記。ただただ玉三郎に口あんぐり。「この前もこの先も、何十年も見られないものを、いま見ている」という、芸術の神髄に触れる時間。琴の演奏中に弦から目を離し、会えなくなった恋人を思い出す表情。琴、三味線、胡弓を演奏する離れ業、(

2)このあと誰が継げるというの。いくら玉三郎が後継者を育てたいといったって無理だよ。しかし妖怪のような玉三郎を受ける菊之助、引けを取らない美しさ。白塗りのいい男をやったらいま一番。あんなに色男になっちゃって大丈夫?このあと菊五郎の妙味を身につけられるの?逆に不安。彼はちょっと(続

3)富司純子さまの美貌を受け継ぎすぎて、かえってそれが芸の幅の障害になってしまいそう。髪結新三、万感の思いが去来する演目。これまで幸四郎、勘三郎、菊五郎、三津五郎で見てきた新三だが、見れば見るほど、新三というのは、表面の明るさ軽さに似合わず、思ったより難しい芝居(役どころ)(続

4)なのだと思い知りつつある。初役の松緑、おめでとうございます。ご祝儀気分の配役陣だが、やはりセリフが一本調子でまだまだ。だが見た目の新三っぽさはもしかしたらこれまでの錚々たる新三役の中で、一番では?松緑の新三は出からすでに悪の雰囲気を前面に出している。これまでの新三はそこが(続

5)やや弱く、愛嬌が先立っていた。松緑は声の音域がせまいことが致命的。魅力的な声の演者は声に幅があり、セリフの1音目に倍音を出すことがある。声の幅が演技の幅になる。黙阿弥のすばらしい名調子を身につけてがんばってください。勘三郎あたりでは愛嬌が先立って新三の異常性がわかりづらい(続

6)が、新三というのはサイコパス的人格破綻の小悪党。絶対友達になりたくないタイプ。向こうから歩いてきたらよけて通り過ぎたいタイプの男。松緑の醸し出す新三ははまっている。亀寿の勝奴も悪そうでいい。染五郎ではかわいくなりすぎ、菊之助では菊五郎新三と一心同体すぎ、亀寿の距離の取り方(続

7)は、小悪党の下でいつか親分を出し抜こうとしている小悪党らしさ、とてもいい。しかし左團次大家、どうなの。役柄の説得力はあるけど、スピードがやや遅くて私の求める大家ではなかった。要するに三津五郎。三津五郎の大家が忘れられない。新三を見ながら、彼の声が聞こえる。帰ってきてくれ。(続

8)大家の妻も普通。やはり髪結新三は役者にとって奥の深い演目なんだな。時蔵の忠七は盤石。時蔵、今月ほんといいわ。昼の部でツマラナイ常盤御前で立ってたと思ったら文七女房で見事なくそばばあ。夜の部では白塗りのなよなよ二枚目。大活躍。昔は全然好きな役者じゃなかったが最近目覚ましい。(終

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さつまいものムース、魚介のジュレ



おまけ)22日夜の部では仁左衛門夫人と菊之助夫人を見かけたが、ああいう世紀の色男を夫に持つってどういう気持ちなんだろう。常人の理解を超えているわ。舞台の夫を見て、私たちが感じているように「ステキ……!!!」って思うんだろうか。まあどっちにしろ彼らの妻にならないからいいんだけど……


by apakaba | 2015-10-24 10:36 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(2)
2015年 10月 17日

歌舞伎座芸術祭十月大歌舞伎、昼の部連続ツイート

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これは11日のランチですが。
新宿ゲウチャイ、私にはちょっとからすぎた鴨肉のセンヤイ
iPhoneを新しくしたら写真がとてもキレイ!うれしい!


10月12日、歌舞伎座昼の部、芸術祭十月大歌舞伎、音羽嶽だんまり。うん、若い人ばかりなので、うん。児太郎は父よりいいと思うが、素顔がけっこう男っぽくかっこよくなってきてしまったのが逆に足をひっぱるかも?矢の根、まあ盤石ですかね。なんで江戸時代の人って曽我兄弟が好きなんだろう。(続

2)一條大蔵譚、くうう〜仁左衛門が、どの角度から見ても、う、うつくしーッ。吉右衛門とまったく違うタイプの大蔵。甲乙つけがたいが作り阿呆の仁左衛門の関西弁に軍配か。あんなバカ殿、腰元全員キュンキュンしちゃう。どんな阿呆でもいいから全力でお世話したくなる!そしてぶっかえり後の(続

3)美貌たるやどうだ。オレンジ色の素っ頓狂な着物がビカビカの美貌で乱反射。吉右衛門の大蔵では頼もしさ勇ましさを秘めていたが、仁左衛門の大蔵はより悲哀が前に出てくる。役者の違いなのだ。鬼次郎菊之助も、梅玉のときはいい役とも思わなかったが菊之助だと役柄にはまっている。仁左衛門の(続

4)ものすごい名演に打たれていることがわかる。作り阿呆からのぶっかえりを、心底から驚き、恐れ入っているのが伝わる。孝太郎もはまっていた。前はちっともいいと思えず、父の美貌を継がなかったことをひたすら悔しく思っていたが、今になると彼はむしろ秀太郎のようになっていくのか。なるほど(続

5)人情噺文七元結、志ん生で聞いていた落語だけど、まあ菊五郎はもはや非の打ち所がないですな。出の瞬間からすべてが完璧。そして時蔵、なんだってあんなに最高なんでしょうか。あの人はお姫様じゃダメで、世話物がほんとにばっちり。この夫婦の魚屋宗五郎も完璧だったが志ん生かこのコンビかと(続

6)いうくらいに笑い転げる。それにしても菊五郎の脚。とうてい70過ぎとは思えない鍛えた脚だわ。角海老の玉三郎、毎度思うが桁外れの役者。妖気がドライアイスのように充満していく。客席がシーンとなる。あのセリフ回し、真似したいねえ。最初から力が抜けているのに、さらに所々でふぅっと(続

7)力が抜け、セリフの中の間のあけ方が…他の役者には絶対にできない、耳目を一手にひきつけなければ納まらない、強烈な演技のスケール。体の奥底からむずむずしてくるような…異界の入り口を見せられるような感覚に囚われる。しかし皆さん、ほんとにいい演技するねえ。最高だったよ昼の部!(終わり

おまけ)演技について考える。下手な役者は、「解釈」がない。伸びる役者は、どんなに小さい役でも、読み込んで、解釈を重ねる。その意味で夜の部の亀寿さんに期待している。夜の部、髪結新三の勝奴の解釈が筋書きに出ていた。未熟な役者は所作やセリフを覚えるので一杯なんだろうな。私もがんばろう。


by apakaba | 2015-10-17 16:50 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)