あぱかば・ブログ篇

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カテゴリ:生活の話題( 518 )


2016年 11月 21日

ママ友のお通夜に行く

ゆうべ、ママ友のお通夜に行ってきた。
娘が幼稚園から中学卒業までの間に一緒だった人で、さほど親しくなかったが長いお付き合いだった。
大学生の娘の友達と、そのお姉ちゃんの二人姉妹は、そろってしっかり者だから、もうおうちのことなどは助け合ってきちんとできると思う。
それより、これからさまざまな悩みを乗り越えていくはずの二人のお嬢さんは、女性の先輩としてのお母さんと、もっと話したかっただろう。

斎場に着くと、昔のママ友の顔がたくさん見えた。
幼稚園の卒園以来、ほとんど会っていない顔などを見ると、あの当時ののんびり過ごしていたことを思い出す。
私はものすごく泣いてしまうタイプなので、もっと楽しい場での再会を願って、誰とも話さないよう遠くに並んだ。
パパと二人のお嬢さんは、涙も見せず気丈に並んで立っていた。
長く臥せっていたというので、心の準備はできていたのだと思う。
こちらは寝耳に水だったから、やっぱり正体なく泣いて、「いないいないばあ」の「いないいない」のように顔全部を両手で塞いでいた。
娘と同級生のお嬢さんは、しばらく会わないうちにスッキリと美しく成長していた。
そしてお姉ちゃんの方は、喪服も着物姿で、もうすっかり一人前の女性になっていた。
小学生の頃、「あっ、『コシヒカリ』ちゃんのママー」と手を振ってくれていたことを、私の顔を見てお姉ちゃんは思い出してくれただろうか。


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亡くなった日の空



パパはまだまだ現役でお勤めだし、金銭的に困ることはないと思うが、それでも自分の子供たちと同年輩のお嬢さんたちを見ると、ほんの少額でもお香典を持って参列してよかったと思う。
いくら未来のある若い人を応援したくても、私が直接にできることは何もない。
これが最初で最後の、直接渡せる現金だ。
「がんばって」と心の中で祈った。

亡くなったママと、最後に話したのはいつだっただろう。
最後に会った時、とても幸せそうだった。
長らく専業主婦だった彼女は外で働き始めて、「毎日勉強になることばかりよ。私ってなんにも知らなかったんだなあって。とっても楽しいの!」と、職場の楽しさとやりがいを話していた。
それまでは、パパのことと娘たちのことしか話していなかったから、「ずいぶん幸せそう。仕事を始めて、すっかり変わって別人みたい!」と驚いたのだ。
周りのママ友も、口を揃えて同じことを言っていた。
その幸せそうな姿が、昔のママ友の間での、共通の思い出になったのだった。


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その翌日の空



人が亡くなると、その人にまつわることをとりとめなく思い出す。
そして自分の身に置き換えたりする。
もし今、私が死んだら、ママ友はやっぱり「ミタニさんと最後に会ったのはいつだっけ」とか「いつもこんなことを言ってたよね」と話したり思い出したりするのだろうか。
私が死んでも、私が書いたものは山のようにネット上に残る。
ブログや仕事の記事を読んでほしいなあ。
私を知ってほしい。
私の考えていたことを。
生きていた印を残したい。

しかしママ友が亡くなるのって堪(こた)える。
他のつながりとは違った重さを感じる。
ご本人の分と、その小さかった子供たちの分と、考えることが増えるからなのかな。


by apakaba | 2016-11-21 16:38 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 11月 08日

見た夢をそのまま書いてみる(誕生日)

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本文と関係ありませんが、早稲田大学近辺にある、悪夢を見そうなビル。
昔からあった。
革マルのアジトとかいわれていたけど、ほんとはそんなことありません


母と二人でバス旅行に行くことにした。
だが母は実際の母とはぜんぜん別人のようだ。
とても体が大きい。
いや、私の体が幼児並みの小ささになっているのかもしれない。
でも心の中は、現在の自分だ。

いろいろな観光スポット(一つも覚えてない)をまわり、すでに暗くなってきて、休憩のあと乗客はバスに乗り込む。
私は母の胸に抱っこされて席に着く。
やっぱり幼児だ。
もしくは母が巨人。

バスは異常な勾配の坂道を下り始める。
その角度は、道路の角度ではなく、ジェットコースターの角度だ。
それを猛スピードで走っていく。
乗客は皆、恐怖のどん底。
あちこちから叫び声が上がり、パニックになるが、運転手の姿はわからない。
こんな状況では席を立つことができないから、それぞれの席にしがみついたまま、運転手に「止めて!止めて!」とむなしく叫ぶばかりだ。

私は抱っこされているので進行方向の後ろ向きになっており、まるで背中から落下していくような恐怖を存分に味わう。
私はジェットコースターならどんな激しいものでも怖くない。
でもこんな異常な坂道で暴走するバスは怖い。
自分が泣き叫んでいるのか、声も上げられずに震えているのか、それもわからない。
バスは他の車やバイクを今にも引っかけそうになりながら、猛スピードであぶなく脇をすり抜けて行く。
そのたびにキャーッという絶叫と、嗚呼という安堵の嘆声が上がる。

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ある日。
ネパール料理店のパニプリ。
コロコロ、かわいくて大好きなスナック



はっと気づくと、また休憩になっている。
私は靴紐が何メートルもある白いスニーカーを履いている。
スニーカー自体はプレーンな形だが、紐が何メートルもあるから、それが足の甲のところで束にまとめてあって、とても邪魔くさい。
私はその靴紐の束を頬張る。
邪魔だから食べようとしている。
埃くさい、スニーカーのにおいが鼻をつく。
なぜ私の夢は、しばしばにおいがあるんだろう……と、いうところで目が覚めた。

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ある日。
ハラミステーキ、おいしうございました



今日は長男「ササニシキ」の誕生日だ。
朝、学校(大学院)へ行く前に、コーヒーを淹れていた。
長身なので、台所でわずかに腰を屈めている。
スエット上下を着ているが、ズボンが下がって、下着のパンツもゴムがゆるゆるで一緒に下がって、お尻が半分くらい出ている。
びっくりして、「あんたパンツ穿いてないの」と聞くと「穿いてる」と言う。
「ゆるいパンツは捨てて新しいのを買いなさい。そんなんじゃだめ。お尻の穴まで見えそうだよ。」
「うひひっ。新しくしたいと思っている。」
「新しくしなよ……」
「このパンツはおかーさんが買ってきた。」
「どんなパンツだって古くなったらゆるくなるんだから、そしたら処分しなさいよ……」
「いや、かなり最初からあっという間にゆるゆるになった。それを(おかーさんのために)穿いてあげてる。」
「ありがとうよ……」

バカな母親だが息子もバカだ。
人の親になってからの人生の方が、長くなったことに今朝気づいたが、この息子との関係はこのあとどう変わるんだろう。


by apakaba | 2016-11-08 17:42 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 08月 02日

俗っぽい夢をそのまま書いてみる(恥)

Facebookの機能で「過去のこの日」というものがある。
通知を毎日受け取って、過去の今日に何を投稿していたのかをふりかえれる。
人に見せなくても、自分が書いたことを見るのはおもしろい。
今日、まるっきり忘れ果てていた4年前の今日の朝に書いた投稿が出てきた。

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久しぶりの恵比寿「新東記」



おはようございます。
今朝は堺雅人の夢を見てナイスだった。

夫が堺雅人になってた。
堺雅人は弁護士(リーガルハイ)ではなく産婦人科医で、一晩に難しいお産を3つこなしてへとへと。
昼までで仕事が終わり、義父母も交えて家で食事会をするが、赤ワインがぬるすぎたり冷えすぎたりしている。
私は特大のグラスで、ぬるいワインに氷をざくざく入れてあっという間に飲んでしまうが、堺雅人は疲れすぎていてなかなか飲み始めない。

私は隣室に行って(けっこうなお屋敷住まい)しばらく客人や子供たちと話したりしてから食堂にもどると、堺雅人は冷え過ぎのボトルを胸に抱いて温めていた。
キャアアーそのボトルになりたいと思いながら、ステキな妻らしく余裕の足どりで彼に近づいていって、
「(仕事の成功)おめでとう。私が注ぐわ」
と、そっと胸のボトルを取り上げて、彼のグラスに注ごうとする。
すると彼のグラスにはすでに一杯分のワインが入っていた。
「なんだ、自分でもう入れてるんじゃないの。」
と、ボトルを持ったまま行き場を失い、自分のグラスに注ごうかなと思うが、私のは彼のきゃしゃなグラスと似ても似つかない、バケツみたいな特大グラスで、氷がまだ入っていて、ウワーあたしって夫に似つかわしくない下品な妻だわ、育ちの悪さがこういうときに出るわ、この家に嫁いできたのがまちがいだったわ、としょんぼりする。

でもボトルを取り上げるときに至近距離で見た夫(堺雅人)はすっごいかっこよかった。
ほんものの夫より身長が15センチくらい低いが、男は身長じゃないぞオーラだぞ。



なんですかねこの俗っぽい夢はね。
今日読むまで、さっぱり忘れ果てていた。
なんでも記録しておくと苦笑も含めておもしろいなあ。


by apakaba | 2016-08-02 22:07 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 07月 09日

なぜ、着付けボランティアに参加しているのか

今年に入ってから、新しいボランティアをふたつ始めた。
ひとつは、すでに書いているとおり、近隣の公立中学で勉強を教えるボランティア(中学生に勉強を教えるボランティア講師になる(前編))。
もうひとつは、留学生に振袖(男子には袴)を体験してもらうための着付けボランティアだ。
この着付けのほうは、メイクアップとヘアメイクも含め、記念写真もたくさん撮る。
私は、着物の自装すらおぼつかないから、振袖の他装など生まれ変わっても無理。
そのため、現場の写真を撮る記録係として参加している。

若い留学生の皆さんは、世界にはたくさんの国があるのに、留学先として日本を選んでくれた。
一生におそらく一度しかない、思い出に残る体験をしてもらい、日本をもっと好きになってくれることを願って活動している。
着物の着付けは、体が密着する。
なにひとつ自分ではできない赤ちゃんのように、下着姿の皆さんは所在なさげだけれど、着付け担当の人たちが寄ってたかってみるみるうちにお姫様のように美しく振袖姿に仕上げてしまう。
そのお手並みの鮮やかさは、すぐそばで見ていても感動的だし、ファインダーを通して留学生の顔がどんどん輝いていくのを見るのは、心がとろけそうになるくらいにかわいくて、うれしい。

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初参加日の準備中。
ヘアメイクコーナーで


このブログに留学生の顔写真を載せることができないのは大変残念だが、想像してほしい。
顔かたち、髪の色、肌の色、言語が異なる若者が、日本語を一生懸命話しながら、振袖を着て一人残らず幸せそうに笑ってくれているのを。
そのスナップをあとから眺めているだけで、みんな自分の娘や息子のように思えて涙が出てくるほどだ。
自分の旅の経験から考えても、行った国は好きになるし、そこで人と交流があればあるほど、帰ってからもその国のことが気にかかる。
私がいろんな国へぼけぼけと出かけていた時代と現在の国際情勢は、較べようもないほどに激しく変わってしまった。
日本が無害で有益な国として、世界に愛されていた時代は過ぎてしまった、と痛感する事件が続出している。

仕上がった振袖姿ももちろんすばらしい思い出だが、あの、体を他人に預け、体を密着させて着付けをした時間そのものが、彼女や彼らにとっての一生の宝物になってくれるはずだ。
万が一、将来のどこかの時点で自分の国と日本との関係が悪くなったとしても、きっとあの留学生たちは、着付けの体験の日を思い出す。
私が撮った写真を思い出して眺めることがあるかもしれない。
髪をといたり、顔に触れたり、体に密着して自分を美しくしようとがんばってくれている日本人のみんなの、真剣な顔、爆笑している顔、視線を交わす顔——。
それは、彼らにとって、まちがいなく日本での真実の時間になる。
そのときのために撮ってる。

中学生に勉強を教えるボランティアでも同じだが、私ひとりでは、なにもできない。
でも人と一緒にやると、自分でも何かの役に立てるという実感がある。
本当に小さなことだが、やっぱり日本と世界をつないでいきたいと、今この時代ほど切実に思ったことはない。

(この着付けボランティアの団体については、名称などは伏せています。決してあやしい団体じゃ、ないっす!不用意に紹介して運営の方に迷惑がかかるのは何なので!)


by apakaba | 2016-07-09 17:26 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 06月 26日

中学生に勉強を教えるボランティア講師になる(6月)

中学生に勉強を教えるボランティア講師になる(前編)
5月に、2回に分けて書いたとおり、今年度から地元の区立中学でボランティア講師を始めている。
今朝また行ってきた。

5月の中間試験が終わって、学期末試験に向けて勉強をしている。
だがやはり1年生たちは、未だ小学生のように無邪気だ。
中学生にとって定期試験がどれほど大事か、まだ実感がないのね。

私は、「こういう自主学習の場に来ているからには、勉強をしろ。点を取れ!」というスタンスを明確に打ち出して、生徒さんたちに接している。
友達との交流は、部活や休み時間にやればいい。
学習塾と学校の授業は、先生の教えてくれることを聞けばいい。
だが最後に鉛筆を持って試験で点を取り、この先、数限りなく待っているいろいろな試験を突破していくのは、自分自身だ。
そのためには、自分で正しい勉強をしなければならない。
自主学習がどれだけ良質かで、点数は決まる。

机間巡視していると、まだまだ子供だねえ。

数学の計算問題をドリルでずらーっと解いている男子。
「イコール(=)がないよ。」と指摘すると、不思議そうな顔をする。
「あのね、イコールは橋なの。数字は橋を渡って、自由に右、左に行っていいの。でも橋の左右はいつでもぴったり同じになっていないといけない。それがイコール。
どんなに長い式もイコールでつなぐ。イコールのない式は、式じゃないの。それはもう数学として根本的に成り立ってない。イコールは絶対に忘れちゃだめ。」
我ながら文系そのものな教え方だ。
この「イコールは橋だよ」は、小学生に勉強を教えていた当時、毎度言っていた教え方だった。

英単語をどうしようもなく覚えていない女の子。
赤字で直していても、自分のミスに気付かず、誤答に丸をつけたり、赤字で直した単語も間違っていたりする。
しかも単語の途中から、ばらばらな順番で書いたりしている。
たとえば「picture」を直すのに、「c,i,t,u,p」といった順番で書く(その方が難しそうに見えるが)。
「あなたはせっかく字も丁寧で問題集もいっぱいやっているのに、こんなに英単語を覚えてないんじゃ、おそらく試験では自分でもびっくりするくらいに失点するよ。ほら、選択問題はちゃんとできているでしょう。英語ができないんじゃなくて、英単語を覚えてないってこと。
あなたが何よりもしなければならないのは、まず単語の練習だ。一文字目から書くんだよ。」

漢字の問題で「要点を押さえる」「感情を抑える」の「おさえる」を、女子グループがそろって取り違えて書いている。
「“要点”は、『ここ!ここ!』って(人差し指で机の一点をグリグリと指してみせる)大事なとこを押してることだよね。“抑える”の方は、抑制の抑という字だね。湧き上がってくる感情を、グッと抑えつける(手で押しもどす動作)こと。だから手へんがつく。両方とも手へんだけどね。
漢字は『当たったー、外れたー』じゃいつまでも身につかない。どうしてこの字を使うんだろう?って考えることで、もう間違えないの。」

英文を書いている男子は、すべて最後のピリオドを打っていない。
「これのために、失点してしまう。無念の限りだと思わない?せっかく文が正しく書けていても、ピリオドを忘れただけで点が取れない。点(ピリオド)のために点を落とすなんて、ばかばかしい。絶対に忘れたらいけない。」

とにかく「(試験で)点を取ろう。つまらないミスで点を落とすな」という意識を徹底する。
「あなたには力がある。失点を防ごう。そのためには勉強の仕方を知ろう」と励ます。
効率的なノートの作り方や、ドリル学習の仕方を教える。ビシビシと。
まあ本当は、いくらやっても凡ミスを防げないのは「力がない」のだけれど、見ている人間が「君には力がある」と言い続けないと、誰だってやる気なくすもんね。

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本文とまるで関係ありませんが。
ハンバーガーがけっこう好き。
新宿にあったハンバーガー専門店


「点を取れ」というと、すごく即物的というか、点取り虫みたいな悪いイメージがあるかもしれない。
しかし、定期試験や高校入試で明暗を分けるのは、その1点かもしれない。
その子その子のせいいっぱいの知的レベルに、届かせたい。
1点のために、望むものに届かない悔しさは、自分や、自分の子供たちの挫折を見て、よくわかっている。
その1点を落とさないための勉強を教えたい。

中学生は「挫折を知る時期」だ。
小学生までの、ぼんやりした夢が広がる未来から、だんだんと現実に向き合い、自分という人間の限界を知っていく時期なのだ。
1点の失点が波紋になって、自分に自信を失わせていく結果に、ならないように。
今日、声をかけた子たちが、私のしつこく言う「点を取ろう」の意味をわかってくれるといいなあ。
女子たちに「先生のベルト、かわいい。おしゃれ。」とか言われるのもうれしいけどね……。


by apakaba | 2016-06-26 17:44 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 06月 12日

新宿数時間の旅

きのう、東京で遊んだことがほとんどないという友達のリクエストに付き合う半日。


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新宿御苑に行ってみたいと。
私も2回くらいしか行った覚えがないな。
遠くに見える、タダナラヌ風格を備えた建物はなに?
こっちまで歩いてきたことがなかった。


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どことなく異国情緒が漂うこの建物は、旧御涼亭(ググってね)というらしい。

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「於物魚踊(あゝ満ちて魚踊れりと)」と書いてあるらしい。
かわいい窓。

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昭和天皇ご成婚の記念に、台湾在住邦人からの寄贈で建てられたという。


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天井のつくりも凝っている。
もとはどんな天井画がはまっていたのだろう。


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楽羽亭というお茶室で、お茶とお菓子休憩。
外国人観光客がしばしば散歩をしてはここにも入ってきていた。
お茶碗はデザインもそれっぽく、さらに「御苑」と書いてあって、なんだかありがたいムードね。


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「楽羽亭」の文字の横に、「中曽根康弘」とある。
ステージ風に仕立てられた、やや謎の間取りのお茶席だった。


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ラクウショウ(落羽松)は、楽羽亭とは特にだじゃれでつながっているわけでもないみたい。

新宿御苑には、意外と人が来るものだな。
自分も東京に住んでいながら、みずから行こうと考えたことがなかった。盲点。

続いて「ゴールデン街をちょっとだけ見てみたい!」というので、その発想もなかった……と思いつつ。

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明るい陽の光のもと、人影もまばら……


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あのあたりが、火事になったところか。
私には、学生のころ何度か来たことがある程度で、とりたてて思い出もない場所だ。
だが白日のもとのこういう場所を歩くのは好きだ。


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夜は名店(!)「ひつじや」で、羊の脳みそその他でおいしく飲む。
たくさん飲む人ほどお得なお店だ。

京都の友達、神戸の友達など、遠くの友達が来ては「これぞ東京という場所を案内してほしい」と言われたことがあるが、そう言われてもねえ……と頭を悩ませてきた。
渋谷、浅草、表参道、代官山、いろんな場所に行ったけど、新宿でお金をかけずに歩き回るというのは気がつかなかったなあ。
新宿の一番のどかなところと、一番猥雑なところを歩いて、ナイスな組み立てになった。
そしてひつじやはあいかわらずの名店(!)だったことよ。


by apakaba | 2016-06-12 23:30 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 05月 24日

自然を見分ける

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散歩道に雑草が花を咲かせていて、毎日それを見ながら歩く。
「はるじょおん。ひめじょおん。」
花を見ていると、小さい子供だったころの自分の声が聞こえてくるときがある。
花の名前に詳しい母に、よく尋ねていた。
でも「はるじょおん」と「ひめじょおん」の区別は、わからないままだった。

娘の「コシヒカリ」が、「この花はなんていうの?」と聞くから「はるじょおん。いや、ひめじょおんかも。」と答える。
が、結局いまだに区別がつかない。

Wikipediaで見てみると、「はるじょおん」と40年以上信じていたのは実は「ハルジオン」といい、漢字では「春紫苑」と書くらしい。
はるじょおんじゃなく、ハルジオン。
ハルジオンは帰化植物らしい。
そしてハルジオンにそっくりなヒメジョオンは、「姫女苑」と書くらしい。

ここまで見てかなり物知りになった気分だが、その見分けにここ何日か難儀していた。
自力で見分けるのは不可能と思い知り、ネットで「ハルジオン ヒメジョオン」と入れると、すぐに続けて「違い」と候補に出てきて、一発でわかりました。
便利な世の中。
コブシとモクレンも、あやめと菖蒲とかきつばたも、なんでもネットに聞けば一発ね。

でもね、実は私は、ハトの雌雄の見分けがつくのです!
ハトって、そこらへんにいっぱいいるねずみ色のカワラバト、いわゆるドバト。
一羽じゃなくて、たくさん群れているときに、「あれはオス。あれはメス」と言える。
どうしてわかるのかはナイショ。
今までその特技を披露したことは、自分の子供たち以外には、2回しかない。


by apakaba | 2016-05-24 21:50 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 05月 20日

中学生に勉強を教えるボランティア講師になる(後編)

きのうの前編の続き。

「定期試験前の土日の午前中に学校へ来て自習をする」ということが、この活動の主目的らしい。
実行委員長によれば、講師(=私)の役割は、板書したり、問題集を一から解いたりする必要はなく、見回りをしながら生徒に話しかけ、勉強をするように仕向けることらしい。
騒いだり遊んだりしてしまう子を注意する役目は講師ではなく、見張り役のお母さん(現役の保護者)が当番制で来てくれる。
なるほど。
学校や塾の“先生”と、家で注意をする“お母さん”の、中間くらいの仕事ね。

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同じ花でも満開もあればつぼみもある



まんべんなく机間巡視をしていると、グッと勉強に集中している子は、私が通ったことにも気づかない。
こういう子(こういうとき)は、話しかける必要なし。
だが問題集の答え合わせをしている女の子……国語の文章題、解答欄の自分の誤答の上に、赤字を上書きしてしまっている。
「あのね、答え合わせをするときはね。自分の答えの隣に、赤で正答を書くのがコツだよ。
そうして、自分の答えと、よーく見比べるの。
解答欄に正答を書き入れると、きれいに仕上がって気持ちいいよね。
でも、これだと自分が最初に何を書いたのか、見えなくなっちゃう。
そうすると、いつまでも、自分がどうして間違ってるのか、見つけられないでしょう?」
女子生徒は、ギクッとして、おろおろする。
「ここはもう書いちゃったからねえ。じゃあ、次の問題からやろうか!」
一巡してくると、今度はちゃんと隣に赤書きをしていた。

漢字練習に飽きて、そろそろしゃべり始めた女の子、「もう書いたもん。」
「うーん、ていねいできれいに書いたねえ。たくさん書いたねえ。
こうたくさん同じ字が並んでると、だんだん合ってるんだかまちがってるんだか、目がチカチカしてくるねえ。
うーん、この字は横棒が1本足りないように見えるんだけど……」
「華」という字の最後の横棒が足りない字を、どっさり練習していた。

数学の計算練習をしている男の子には「途中の式も書くんだよ。間違ったときに、どこで間違えたか見直せるから。」
国語のノートなのに横書きにしている男の子には、
「自分が見るだけのノートだから横書きでもいいって思うのかもしれないけど、国語ってね、この先、君が数限りなくやらなきゃいけない試験のときに、横書きで出題される国語の問題は、一生ないんだ。だから今のうちに、縦書きにしておいたほうがいい。
だって勉強って、目で覚えるものだから。
試験のとき、頼りになるのは自分が作ったノートでしょう?」

国語の文章題を、「わからない、わからない!」と頭を抱えている女の子。
「空欄を三文字で埋めるの。でもいい答えが、見つからない!」
「うーん、それって……あなたの頭の中から答えを見つけようとしているから、出ないんじゃないの?
答えってたいてい、本文の中にもう書いてあるんだよ。
ほら、『文章中の言葉から当てはめなさい』って書いてあるし。
あなたの頭から引っ張り出そうとしても、まあほとんどの場合、失敗ですよ。
国語はね、答えをここ(本文)に聞くの。
自分で考えようとしないで、こっち(本文)から見つければいいんだって思えば、気持ちが楽でしょう?」
「あ、これか。見つかった!」

みんな、勉強というより、勉強の方法を知らない。
どうやったらできるようになるのか、わかってないまま、がむしゃらに手を動かしている。
ほんの少し、ものの見方を示すだけで、子供の勉強の世界はパーッと開けるのに。

自分でよくがんばっている生徒には、あまり話しかけないで、むしろちょこちょこと教えてもらう。
化学の元素記号や化学式を書き出している男子生徒には、「HNO3って……これなんだっけ?」「硝酸。」「そうか! 硫化水素はH2S……このSって?」「硫黄だよ。」「なるほどね!この立派な事典みたいなのはなんなの。」
「おばあちゃんが買ってくれた。」
「ふーん、それで毎回持ってくるわけだね。これ便利だねえ。大事にしなよ。」

なぜか3年生でロシア語の勉強をしている男子がいる。
「なんでロシア語よ?」
「え、オレもう英語は無理かなってあきらめてて……今からロシア語やれば、ふつうはやらないから、見込みがあるかと。」
「なんだそれー。先取りですか。」
「そうそう。」
「君おもしろいね。私なんか、ぼりしょーい、はらしょー、スパスィーヴォくらいしか言えないわ。」

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花から見える世界、鯉から見える世界


ひとり、絶望的にやる気のない1年生の男の子がいる。
理科をやっているが、解答の字もメチャクチャで、答え合わせもしない。
そのわりには、ずっと座っている。
「やりっぱなしじゃなくて答え合わせをしないと、勉強にはならないよ。」
と言うと気に入らなかったようで、
「いいんだよ間違ってたって。答えが間違ってるからって何が悪いわけ? どうせ関係ないもん。」
中1にして勉強のステージから降りている。
「ふーん、ただまあ、今からまるっきり勉強がわからないままというのは、あまりにもつまんないよねえ。今からそれだとこの先の人生苦しいぞ。ま〜だま〜だ、試験だなんだと続いていくんだしね。
ここに来ているわけだし、この時間はがんばろう。」
と言ってみると、しぶしぶ解答集を取り出して答え合わせをする。
しかしマルバツだけつけて、見直しはしない。
「おお、いくつか合ってるところがあるじゃない。でも間違えたところを直さないと、ただのクイズと同じだよ。当たったー、はずれたー、って1回1回それっきり。間違えるのはいいんだよ。見直しが大事だよ。」
一応、まともなことを言うと、うるさくなってきたようで、
「あーもう帰りたいー。」
と言う。
「よし、じゃあ2時間目が終わったら帰りな。受付の人に断って帰るんだよ。
君がいてしゃべっちゃうと、周りの勉強している子たちの気が散るしね。また来なさい。おつかれさん。さようなら。」

だが次の時間になっても、まだいる。
「あれ、帰ってなかったの? 帰ってないなら、勉強するんだよ。」
どうも、帰るのは嫌なようだ。
私が机間巡視で近づいていくと、「また来たー。」と言って嫌な顔をする。
「君には勉強しろって言わないよ、言ってもやらないし。見回ってるだけ。勉強する子に教えるからね。」
少し突き放して、その代わりちょっとだけ体に触る。
通り過ぎるときに、背中や肩にちょっとだけ触る。
子供は言葉よりスキンシップで気持ちが動くことがある。
「絶望的にやる気のない子」と書いたが、こっちが先に絶望してはダメだ。
絶望しているのは本人で、あそこまでできないと、きっと授業を受けていてもちんぷんかんぷんで孤独だろう。
帰れと言われても帰ろうとしないのは、家に帰っても楽しくないか、怒られるからだろう。

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同じ花でも気分によって違うものに見える


私は、すべての子供は幸せになるべきだし、そのためには絶対に勉強をしなければならないと思っている。
目標は難関大学に入ることとか、そういうことではなくて、その子に合った最大限の努力をして、自分の幸せを自分で選べる権利を獲得できるよう、勉強をすべきだ。
くりかえし書いているが、世界の不幸は、正しく教育を受けられなかった人間が引き起こしていることばかりではないか。
そしてその犠牲になっているのも、正しく教育を受けられなかった子供。
世界の不幸を減らすのは、正しい教育を受ける子供を増やすことしかないと思う。
大人は、子供がその子に合ったレベルで(←これも大事)最大限に力を発揮できるよう、さまざまな形で手助けをするべきだと思う。
私の始めたボランティアなんて、たいした力にもならないけど、それでも、大人になっていく途中の子供の、知への入り口を開きたい。

6月に続く )


by apakaba | 2016-05-20 17:54 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 05月 19日

中学生に勉強を教えるボランティア講師になる(前編)

地元の中学校で勉強を教えることになった。
影絵劇団で一緒の人から「土日の午前中に来られて、子供に勉強を教えられる人。教えた経験があれば尚可。教員免許があれば尚尚可。誰かいませんか?」と相談され、「うーん、それは私かなあ。」ということで、急に決まった。
今年度12回、1年を通してのボランティア。といっても、教育委員会から少し謝礼金が出る。

その中学には、うちの子供が3人とも、(3歳差ずつなので)計9年間かよっていた。
自分の子供がとっくに卒業してから、また関わることになるとはなあ。
長男「ササニシキ」が中学生だったころに、当時の校長が始めた自習の場“土曜日学級”が、まだ続いていたとは知らなかった。
当時より回数が減り、その代わり日曜の朝もやることになったらしい。

5月の初めの週末からスタートした。
1年生が多く、2年、3年と、学年が上がるにつれ、塾などに通い始めるため、参加者は少なくなる。
40〜50人くらいの生徒が、思ったよりずっと熱心に自習をしていた。
五教科のどれをやってもよく、やる内容も本人の自由。
漢字練習をしたければするし、計算ドリルでも宿題のプリントでも定期試験のまとめでも、好きなことをしていい。
わからないことがあったら、机間巡視をしている“先生”(=私)に聞く。
土曜はボランティア要員の手が足りているが、日曜は来てくれる人がいなくて、“先生”は私ひとりだった。
休憩をはさみつつ、3校時分を勉強しつづける。
子供にとって、なかなかハード!

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本文とは関係ありませんが、このランチの翌日に初めて講師のボランティアに入ったので……


1年生は、知っている顔が多い。
私がいつも影絵の公演をしている小学校の6年生だった子たち。
それから、昨年度、「キャリア教育授業」の講師になって話をしに行った小学校の6年生だった子たちが入学してきているからだ。
(その話は「キャリア教育授業の講師になる」「子供に手抜きをするな」として書いた。)

影絵を見ていた小学校の子たちには、「私のこと知ってるでしょう。」といきなり話しかけると、「え?」
「影絵をやってたよ。いつも主役の声をやってた人。」と言うと、「ああ!」表情が変わる。
キャリア教育の講師で行った小学校の子たちには、「君を知ってる……君に一度会ったよ。」と話しかける。
「私の話を聞いてた。『私の夢は、三つありました。』っていう話。」
「ああ! 思い出した! ええっと、何になりたかったって言ってたっけ……。」
「『教えること、演技をすること、文章を書くこと、その三つを叶えたい』って。」
「そうだったそうだった!」
「思い出した? 今日からは“先生”になったんだ。」
にやっとすると、向こうもしたり顔でにやっと笑って、もう知り合いだ。
名札を見て、私の名前を思い出してくれた子もいた。
不良ぶって「そんな話をしに来たっけ? オレなんにも覚えてない。」と、わざと「あんたなんか知らない」みたいなことを言ってくる子がいる。
「ああ、君は欠席してたね。あの日。」と即答すると、「えっ? オレ、そうなの? 欠席? してたっけ……」と戸惑う。

そんな感じで、たったひとりの日曜日の先生だったのだが……

中学生の勉強は、内容も高度になってくるから、覚えていないことも多い。
予習もなしに全教科をひとりで見るのは不可能だ。
だが、実際に行ってみると、彼らはまだ、勉強という長い長い道のりの、もっとずーっと手前の位置にいるのだった。
ノートの使い方、字の書き方、誤答の直し方、暗記の仕方といった勉強の方法。
そしてそれ以前に、「勉強ってなんだ?」「なぜ勉強をするのか?」そんな話をしなければならない、とわかってきた。
後編に続く)


by apakaba | 2016-05-19 21:41 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 05月 06日

思いつき横浜方面ドライブ

横浜在住の友達から、私の生まれ育ったあたりをドライブしようとの提案。

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大船観音を見ると、高校生のころ、制服のまま学校をさぼって鎌倉方面へ行っていたことを思い出す。
何十年ぶりの大船駅はすっかり変わっていたけど、大船観音は同じだったねえ。


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ここは私のたってのリクエスト、「田谷の洞窟」だ。
最後に行ったのは大学4年のときかな?

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横浜南部の人間で、田谷の洞窟を知らないのはモグリだよ!
久方ぶりに行ったけど、なつかしい〜そして楽しい〜。
そして当時には気にも留めなかったことを、おもしろいと感じたりする。

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小柴のどんぶりやへ移動!
あなごの天ぷらおいしうございました。


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それにしても、前に「ササニシキ」と来たときも天気が悪かったねえ。→「ササニシキ」の横浜ドライブ
天気がよかったら、別の風景になったことだろう。

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このあと、私が小学校3年生から結婚するまでを過ごした家の近辺まで行ってみた。
かよっていた小学校は、なんにもなくなって空き地になっていた。
住んでいた家は、建て替えられて、まるで別の新しい家が建っていた。
でも近所の表札を見ると、ほとんどが昔と同じだった。
よく行っていた温水プールや、公園や、小中学校時代に通学したり友達と遊んだりしていた道を車で走った。

親も住んでいないから用事もないし、もう二度と来ることもないかもしれない。
なんだか変な気分だ。
胸が締め付けられるほど懐かしいってわけでもないけど、あんなに長い年月を思い出とともに過ごしたのに、もう縁が切れた、と実感した。

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そのあと、なんとなく川崎大師へ寄って帰る。

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カッコいいデザイン。


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す、すいてる。ひとけがほぼない。
お参りをしたあと、振り返ったところを撮るのが癖……というのは、前に書いた。

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昔っから思ってたけど、川崎大師ってカトマンズに似てるよね。
電車や高速に乗っていて、遠目から見ると、カトマンズに似ていて強烈に惹かれる。


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がっ、近づくとそんなにネパールでもない。

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閑散とした参道。
遠くに来てしまったという感覚。
横浜より、東京に近づきつつあるのに。

思いつきのドライブの割には、充実した半日だった。
横浜はノスタルジーしかない。
今はもう東京の方が好きだけど、横浜は、右を見ても左を見ても、ただただ懐かしく、子供だったころの自分のことを、次々と、とめどなく、思い出しては、恥ずかしい気持ちになる。
大人になるのは楽しいことだ。


by apakaba | 2016-05-06 22:29 | 生活の話題 | Comments(0)