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2016年 03月 21日

金魚の夢は、吉夢? 凶夢?

子供のころから、たまに金魚の出てくる夢を見る。
決まって嫌な内容だ。
だから金魚が出てきた時点で、夢の中ですでにブルーになっている。
金魚は好きだが、見ているうちに生々しい悪夢を思い出してきゅうに気持ちが悪くなることもある。

初めて見た金魚の夢は、小学生か中学生のころ、私が大事に飼っていたリュウキンと同じ形の金魚が、金魚鉢から跳ねて飛び出してしまい、床をそのままサササササササッと私の足元まで猛スピードで近づいてくる夢だった。
金魚鉢から一歩(足はないけど)出た金魚は完全に無力で死ぬしかないと思い込んでいたのに、そんなふうに床を這ってこられることに仰天し、叫び出すほど怖かった。

高校生くらいのころ、お椀でけんちん汁かお雑煮のようなものを食べようとした瞬間に、目の前の金魚鉢から赤い和金が跳ねて、お椀に飛び込み、みるみるうちに煮えてしまったという夢も見た。


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赤犬だけど巻き毛じゃない



今朝は久しぶりに金魚が出てきた。
大きな水槽が割れて、大量の赤い和金が床に流れ出してしまう夢だった。
そういう内容の夢はこれまでも見たことがあったが、ちがっていたのは、いつものように私が「また金魚の夢か。また嫌な展開か」とブルーな気分になるよりも早く、「なんとか救わなければ」と考えるところだった。
水槽が割れたのは人がたくさんいる場所だったので、すでに人の足で踏み潰されてほとんどの金魚はずたずたになっていた。
指でつまむと、ただでさえ小さな和金の身は、すでに半分にちぎれている。
それをゴミ箱に放る。
まだ生きているような一匹を、口の中に入れた。

口に入れて、どこかへ運ぼうとしていた。
それをしている自分が、吐きそうなほど気持ち悪かった。
けれども“今までの自分とちがう行動だ”という自覚もあった。
最初の夢では、足元に這ってこられただけでぞっとした。
次の夢では、具材のようになってしまった金魚でも、口に入れるなどとうてい考えられなかった。

少し広い場所に出て、口から金魚を出して、床に置いてみると、動かない。
口の中でも動いていなかった。
すでに死んでいたのかもしれない。
口の中に入れれば、踏まれたりして傷つく心配はないけれど、水の中ではないから呼吸ができないではないか。
なぜそれがわからなかったのだろう。
自分の馬鹿さ加減にがっかりした。

そもそも水の中に放さず、ふたたび床に置いたら生き返るはずがなかった。
しかし見ていると、頭が上がって、口がパクパクした。
生きてた、と思う間もなく、金魚ではなくなって、とても小さな犬に変わっていた。
飼ってくれる人を見つけなければ……と、赤い巻き毛の犬を見て思ったところで終わった。

「『たまに金魚の夢を見る』という人は初めて」と言われたことがあり、夢占いではどういう意味があるだろうと検索してみた。



うーん、ピンとくるようなこないような。
私の夢に共通するのは、「金魚は金魚鉢や水槽から出てしまい、死ぬか瀕死」なこと。
とくに「泳ぐ金魚を眺め」てはいないこと。
そして「とても気分が悪い」ことだ。
じゃあいわゆる「凶夢」ということ?
今朝の夢の最後の最後で、いちおう瀕死の金魚を救って、それが犬に生まれ変わったのは、悪くない兆候かしら。


by apakaba | 2016-03-21 15:12 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 02月 22日

コーシロー10歳

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年をとったコーシローはとても不細工。
一日中、ふがふがと独り言を言いながら横になっている。
気が強くて、飼うのが本当に大変な犬だったけど、じいさんになってどうにかこうにか、飼えるようになった。
友達から「雄の柴は3年かかる(飼いならすのに)」と言われたけれど、10年かかってしまったじゃないか。
にゃんにゃんにゃんの猫の日に、誕生日だ。
どうせ犬だし特になにもしない、代わりに、今日一番不細工だった写真。


by apakaba | 2016-02-22 22:53 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 02月 19日

またまた別の、保育園時代の子

去年の5月に、2回つづけて、前に勤めていた保育園で見ていた子たちのことを書いた。

保育園時代の子


保育園にはさほど長く勤めていなかったから、思い出が少ない。
それだけに、最初に見た子のことはいつまでも覚えている。

私はその子を「あーちゃん」と呼んでいた。
あーちゃんは、前に書いた「こうくん」や「つーちゃん」と同じ年、今は2年生になっている男の子だった。
あーちゃんは人気のある子だった。
クールで頭がよくて絵がとびきり上手で、保育園いちの問題児も、あーちゃんのことは尊敬していた。
メガネをかけた大人びた子で、男の子同士にありがちなくだらないケンカをしたり、感情をむき出しにして怒ったりは決してしなかった。
ご両親も、なんとなくアートの香りのするすてきな感じの人たちだった。

しかしご両親は忙しいようで、あーちゃんは土曜日も保育園に預けられていた。
土曜の保育は平日よりも格段に子供の数が少ない。
保育園は幼稚園に較べてはるかに保育時間が長いので、子供達はそれなりに疲れている。
土曜も終日保育園にいるのは、幼児にとってやはり過酷なことなのだ。
しかも、土曜保育は同じ年の友達がほとんど来ないため、年下の子たちと同室で長時間遊ばなければならない。
これは一番年齢の高いクラスの子、とくに元気をもてあます男の子にとっては苦痛なことなのだ。

あーちゃんと同い年で土曜も来ていた子は、そうとうの暴れん坊で、誰彼なくボカスカ殴ってしまうような子だった。
この子も「ザ・男の子」という子でかわいかったけれど、どちらかというと絵を描いたり本を読んだりしていたいあーちゃんと、本気の取っ組み合いすれすれの遊びをしたい肉体派のその子では、長時間一緒にいたら双方にストレスが溜まる。
肉体派の子はあーちゃんに手荒くつっかかり、大人なあーちゃんはひたすら耐えていた。

ある日、私が彼らの保育室に入ると、当然のように肉体派の子ががばっと体ごと飛びかかってきた。
その子にひととおりかまってやると満足して立ち去った。
その一瞬の隙に、あーちゃんがスルスルっと寄ってきた。
きっと上手に描けた絵でも見せてくれるのだなと思って膝をついて待つと、まったく思いがけなかったことに……あーちゃんがぎゅっと抱きついてきた。
そんな子じゃないと思ってた。
今まで一度も、こんな子どもらしい甘えを見せてこない子だった。
知的でクールでおしゃれで、ふだんはあーちゃんとしゃべっていると、体の小さい大人と話しているような感覚だったのに。
私のような下っ端パートタイマーに、こんなことをするほど、あーちゃんには、抱えきれない疲労があったのか。
すごい力で抱きついてきたから、私も力を込めて抱きしめかえした。
ほんの数秒のできごとで、あーちゃんの気持ちが私の体に流れ込んできた。

ぱっと離れて何事もなかったかのように立ち去った。
それっきり、卒園するまで、あーちゃんは私にスキンシップを求めてくることはなかった。

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一度でも抱きしめた子は、どんな子であっても忘れられない。
精神年齢の高いあーちゃんが、小学校に入ってそれなりに苦労することを予感していた。
2年前の3月に卒園してから、一度も会っていない。
あーちゃんはどうしているかな……幸せだといいな……と、思い出してきた。

あさって、あーちゃんの入った小学校の近くで、私の所属している影絵劇団の公演がある。
私のいる劇団が本拠地にしている小学校とはちがう小学校に進んだから、彼は私の劇を見たことがない。
あさって、あーちゃんが来てくれるといいな。
君のためにやるよ。
あれ、あの声は……と、あーちゃんが遠い記憶をたぐってくれるようないい声を、出せるように準備しておくよ。


by apakaba | 2016-02-19 21:16 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 02月 14日

とりあえずiPhoneで1枚いっとく

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濁った池には曇り空。
清掃員は、生首もついでに回収するのだろうか。


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晴れた空には寒桜。
一本だけ咲いた桜には、グレーのコートを着た人々がヒヨドリのように吸い寄せられる。


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室内灯でエステラ・ガリシア。
窓の逆光と室内灯、スペインの金色がうまく出るか。


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スペインバルは自然光。
ありきたりのパエリアも、逆光だと意味ありげ?


出かけるとき、いつもカメラを忘れる。
iPhoneよりきれいに撮れるってわかってるけど、出かけること自体がうれしくてカメラのことまで覚えてない。
いい光を見たとき、初めて「うーん1枚いっとくか」と思い出す。


by apakaba | 2016-02-14 12:50 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 01月 12日

大変遅くなりましたが、今年の抱負!

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毎年恒例、「ササニシキ」が書く我が家の絵馬。
今まで、なんだかんだと個人的な願いばかりだったが、今年は満を持して「世界平和」に。

自分の今年の抱負をずっと考えていたが、今年はやっぱり、
「声を出せる体をつくる」
にしよう。

影絵の劇団で声担当をやっていると、年々、喉が弱くなり、体が衰えていくことを痛感する。
でも劇のクオリティーとボリュームは年々アップ。
私のコンディションとは反比例じゃないのー!

今日、7ヶ月ぶりに声チームに復帰して1回だけ練習をやってみたが、演技のカンが狂っているのは徐々に修正できるとはいえ、声を出さない生活のツケでバテバテ。
しばらく自覚していなかったが、耳硬化症による難聴もやっぱり少し進んでいるとわかった。
ああ、また「聞こえ」と「発声」のストレスフルな日々がやってくるのね……

毎朝、発声のために少しずつトレーニングをしているが、それを増やして、さらに体を鍛えることにする。
そしてもっと発声の勉強をする。
ガンバロー!!!!!!


by apakaba | 2016-01-12 17:13 | 生活の話題 | Comments(0)
2016年 01月 03日

この先のお正月のことを思う正月

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次男謹製、伊達巻き。


年々、うちのおせちのおいしさがレベルアップしていくが、今年はやはり、次男「アキタコマチ」が2年間の調理学校の勉強を経てプロのコックになったことで、格段に手早くなり、味の完成度が上がった。
手先の器用さは当然あるが、やはり、漠然と料理を作っている素人とちがって、料理を科学として理解しているところがちがうんだろうな。

毎年、「いつまで、こうしてみんなでお正月を迎えて、手作りのおせちを食べられるだろう」と、さびしくなる。
それは子供達のほうも思っているようで、「オレたちが出て行ったら、おかーさんどうするの?」と聞かれる。

「作らないよ、こんなめんどくさいもの。みんなが食べるから作るんで、お父さんとふたりじゃやる気ないもん。お正月に集まることがなくなったら、まあ、旅行とか行っちゃうだろうな。年越し海外旅行とか、年越し国内旅行。家族がいなきゃそっちのほうが楽しいもん。」

いつか子供が誰も帰ってきれくれなくなったら、年越しの旅行に行こう。
みんなそれぞれの場所でがんばっているだろうと想像しながら。
それまでは大掃除をして、おせちを作って食べて、百人一首をして、初詣に行って、年始回りに行く。


by apakaba | 2016-01-03 12:48 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 31日

今年、猛烈に取り組んだことは?〜ドストエフスキー熱再燃

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下鴨神社のお屠蘇!


今年は私にとって、「ドストエフスキー熱再燃の年」だった。
詳しくは上記のブログを読んでいただきたいが、このときの議論にいたく感銘を受けて、亀山先生の本を読んでみようと思ったのだった(公式ページはこちら→『カラマーゾフの兄弟』からチェルノブイリへ ──ロシア文学と日本社会)。

年が明けてから半年ばかり、私の読書はドストエフスキーの『悪霊』とその関連書籍一色になった。
『悪霊』はたしか大学生のころに読んだが、亀山訳で読み返した。

悪霊1
悪霊2
悪霊3
ドストエフスキー『悪霊』の衝撃
悪霊 別巻—「スタヴローギンの告白」異稿
『悪霊』神になりたかった男

すべて亀山先生の訳あるいは著作である。
『カラマーゾフの兄弟』が亀山訳で出た時、さっそく読んでみたことがある。
2008年に読んだ本、Best10! その3に感想を書いたが、 どうも亀山訳は軽い感じがしていた。
しかし、『悪霊』にはそんな印象は受けず、再読でもひたすらおもしろかった。

それから、今年の7月、ふたたび亀山先生と東浩紀氏のトークイベントに参加した。
「悪霊」が世界を徘徊している ──ドストエフスキーで読む現代という名前のイベントだったが、 内容は『カラマーゾフの兄弟』など他の作品や、現代ロシアと日本の病理についての議論で、これまたぞくぞくする楽しさだった。

他にもいろいろな本を読み、今年最後の読書、年内に読み切れず来年にまたぎ越す本はなにがいいかと考えていた。
亀山先生が初挑戦されたという小説を、読んでみようかなあ……
亀山先生が、昨年のトークのときから「書いている」とお話ししていた。やっと出たのだ。
まるで今年のテーマのように、ドストエフスキーに貫かれた今年をしめくくるのにふさわしいと思い、長編だけれど数日前から読み始めた。
その名も『新カラマーゾフの兄弟』。
『カラマーゾフの兄弟』から本歌取りしているものの、入れ子細工のように複雑な構造をなす小説である。
まだ13%しか読んでいないが(Kindleなので%表示になる)、かなり引き込まれる。
亀山先生は批判されることの多い研究者だが、二度じかにお話を聞いた印象では、知的な静謐さの下にギラギラした激しい異常性をあたためている方のようにお見受けし、とても好きになった。

誰でも同じだと思うが、読みたい本というのはきりがなくあるものだ。
しかし体はひとつで時間は24時間だから、読める本の数は限られている。
「今年はこれに集中した!」と言い切れる読書も、ひとつの方法かなあと思った今年。

だがドストエフスキーは中毒性が高い。
ひとつ読むと、もっともっと読みたくなる。
高校から大学生のころ、まさに流行り病いにかかったように読みふけった。
若い頃に読んでも、新訳でまた読み直したくなる。
来年、きっと亀山訳で『未成年』を読むだろう。
そしてきっと3回目の『カラマーゾフの兄弟』を読むことになるだろう。
そのとき、昔の原卓也訳と、亀山訳とどちらを選ぶか、今から悩んでいる。


by apakaba | 2015-12-31 18:08 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 24日

クリスマス・イヴ讃美礼拝に行ってみた

「われは我が咎(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」

1年が終わろうとしているからか、この言葉がしきりと浮かんでくる。
107年前に書かれた『三四郎』のラスト近く、里見美禰子が教会の前で、消え入りそうな声でつぶやく。
“ありえたかもしれないもうひとつの人生”の可能性を三四郎に見る、そんな時間とは、ここで訣別する。

また1年、罪を重ねて過ごした——と思う。
そう思わない人って、いるんだろうか。

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迷羊(ストレイシープ)ってことで。
ラム肉を焼くことにする。
塩胡椒、エルブ・ド・プロヴァンス、赤ワイン、はちみつ風味のバルサミコ酢、粒マスタード、シェリービネガーをぶち込んでマリネ(レシピなし)。
ブランデーを景気よくフランベして火事寸前。
ソースはマリネ液を煮詰める



「教会に行こうかなあ」
数日前から、なんとなく考えてきた。
クリスマス礼拝に出たくらいで、今年の罪咎がチャラになるわけじゃないんだけどさ。

娘がキリスト教会付属の幼稚園にかよっていたから、そのころは礼拝によく行っていた。
自分用の聖書を持っていて、礼拝に出たときにお話をされた箇所には線を引いていた。
だから私の聖書は傍線がいっぱい。

ところが、今朝、10年以上開いていなかった聖書を開けてみたら、傍線が、ない……どうして?!
あんなにたくさん引いたのに。
ボールペンで引いたから消えるわけないのに!


さんざんページをめくって探してがっかりし、「神の奇跡」と思うことにした。
調子に乗るな。
また一から、勉強しなおしなさい。
そういうことなんですね。

しかし、やっぱり神の奇跡を受け容れるには人間が小さい私は、「たしか、あの『三四郎』の言葉にも線を引いた。あれは『詩篇』に入っていた」と思い出し、詩篇の中を探してみた。
そうしたら、ちゃんと線を引いてあった。
消えていなかったのだ。
他にも印象的な言葉は自分で勝手に線を引いていたことを思い出した。
「“そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け”というのがあった。それにも引いた」
「“名はレギオン。大勢だから”にも」
その箇所を見ると、線が引いてあった。
そしてまたページをめくり直してみると、なぜか今度は傍線がたくさん見つかったのだった。


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我が家のシェフ兼パティシエは、今年からは他人様のクリスマスディナーを作る人になっちゃった。
仕方なく自分で。
盛り付けが私らしく「食えりゃいいだろ」的で、プロの仕事とぜんぜんちがうわ。
でもおいしかったー!



傍線が消えたのではなく、「たくさん聖書の勉強をした。だから私の聖書には傍線がいっぱい」と思い込んでいたそのことが、驕りだったのだった。
最初は、驕った心で探していたから、いくらめくっても見つからなかったのだ。
私の引いた傍線など、海の水のように膨大な聖書の言葉の中に入ってしまっては、一握りの砂みたいなものだったのだ。
神の奇跡は起こっていなかった。
でもすべては自分の心の中にあるということが、よくわかった。
神は、いるといえばいるし、いないといえばいない。
驕った心では、見えているはずのものが見えない。


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ちかくの教会は建て替えてピカピカ。美しくてかわいくてモダンな教会になっていた。
讃美歌を歌うのが好きなので、自前の讃美歌集(楽譜がついてるやつ)も持って行って歌いまくる。
今日は8曲もあった!

牧師さんのお話の中で、「2000年前、イエス・キリストが生まれた土地あたりでの平均寿命は30歳でした。そして生まれた赤ちゃんの三分の一は、6歳まで生きられず死んでしまいました。」とあった。
キリストが十字架に架けられたのも30歳くらい。
奇しくも平均寿命どおりになってしまったのか。
キリスト誕生の夜に羊飼いが登場するが、彼らは羊の番をしながら夜通し野宿していた。
無事に大人になったって、寒かったり暑かったり、獣に襲われたりして、やっぱり長くは生きられなかったんだろうな。
短く、はかない人生だ。

われは我が咎を知る……
我が罪は常に我が前にあり……

その詩句が頭にあるままで、「わたしたちの罪をおゆるしください。」とか「主の祈り」で声に出して言ってしまう。
当時よりも寿命は3倍近く長くなったが、生きている間の罪の数も3倍になってしまうのかなあ……なんて考えたりする。


by apakaba | 2015-12-24 21:11 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 20日

誰と全取っ替えしたい?

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バカ丸出しすぎる発言なので、紅葉の風景をお楽しみください


バカ話専用飲み仲間の忘年会で、P嬢が「もしも、顔も体も別人と全取っ替えできるとしたら、誰と替わりたい?」と言う。
私は「ペネロペ・クルス」と即答。
デビュー作『ハモンハモン』からずっと、ペネロペちゃんが大好きなんですよー!
P :え、そっちか! ガイジンか!
私 :うん。それか、マリオン・コティヤールでもいい。
P :またガイジンかよ……。日本人で!
私 :ええーどうせなら日本人なんかヤだ。ガイジンだよ。おっぱいが、バーンと。ゴージャスで。男がみんな腰抜かすような美女。
P :そして女友達はいない、と……
私 :いいよどうせ別人だから。

P :他にないの他に。
私 :うーん、じゃあシャーリーズ・セロン?
P :またか。
私 :うん、おっぱいが、バーンと……
P :お前大丈夫か……
だって日本人で誰かと全取っ替えしたいと思うほどの人って、いないからなあ。

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最後の一葉


P嬢は「自分なら、天海祐希さん。」と言う。
私は1ミリも天海祐希と替わりたいとは、思わないなあ。
とくに好きでも嫌いでもないけど、それなら自分のままでいいや。
しゃべっていて、私はほんとに日本人女優に興味ないんだなとわかった。
全取っ替えならペネロペちゃんだけど、他にもたくさんいる好きな女優って、みんなガイジンだもの。


by apakaba | 2015-12-20 13:43 | 生活の話題 | Comments(0)
2015年 12月 16日

見た夢をそのまま書いてみる(影絵本番)

台本が配られてからまだ一度も練習をしていないのに、突然「今日、これから影絵の本番です」と言われる。
しかも、今日は歌を歌う担当の人が休みなので、私が劇中の全部の歌を歌えと言われる。
場所は学校の体育館か講堂だが、その学校はまるで大型ホテルか郊外のショッピングモールのように入り組んでいて、どこがどこなのかさっぱり把握できない。
急な予定変更に驚きながらも、団員は自分の台本を取り出し、スタンバイを始める。
私は、自分の台本をなくしてしまった。
当然、セリフはひとつも覚えていない。
台本に細かく書き込んだメモも、まだ頭に入っていない。
自分の台本を探すために、その迷路のような巨大な生き物の腹わたの中のような学校の廊下を、早足で突き進む。

この学校の廊下はまっすぐではなくて、中国式庭園にかかる橋のようにジグザグになっている。
永久に続くように思われるその廊下は、ひとけがなく静まり返った箇所もあれば、白衣の学生(高校生くらいか)がどっとあふれかえっている箇所もある。
その群衆の中に栗原類がいる。
栗原類は感情のない目で私を見て、さっと消えてしまう。
台本のありかを知っているか聞きたかったがだめだった。

泳ぐように人をかきわけたり、なんのための教室かよくわからない部屋を通ったりしながら、結局校内を一周してしまい、むなしく団員の控え室に戻ってくる。
するとまっさらな台本の余りがまだ残っていて、私は仕方なくどさくさに紛れてそれを一部取り、なにもメモがないけれどこの台本でやることにする。
息を整え、いい声が出るか喉の調子を確認。
でも今回はうまくいかないと、やる前からもうわかっている。


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テニス部が練習をしていた


どうしてこんな夢を見たか、あまりにも簡単。
きのう、娘の学校で三者面談があり、久々に高校へ行った。
週末に映画をレンタルして、音楽大学が描かれている映画『セッション!』を見た。
しばらく公演がなかった影絵人形劇団だが、来年の2月と3月に立て続けに公演があり、ちゃんとできるのか不安を抱えている。
不安を抱えているのは、声がつぶれないかという不安と、難聴が少しずつ進んで、ますます聞き取りが悪くなっているのではないかという不安だ。
不安だから『発声と身体のレッスン』という鴻上尚史さんの本を買って、毎日熟読を続けている。
読み終わったらトレーニングを始めるつもり。

そんなふうに、学校や学校生活や影絵のことを考えていたから、こういう夢を見てしまうわけ。
いつもながら単細胞ね。
わからないのは栗原類だが、彼のインタビュー記事を読んだからかも(発達障害だったという記事)。

中学と高校のとき演劇部にいたから、しばしばこういう夢を見たなあ。
本番の幕が開くのに、セリフをひとつも覚えていない! 全部忘れた! そんな夢。
「テストの夢をよく見た」という人は多いだろう。
やっぱりプレッシャーを強く感じている証拠だな。


by apakaba | 2015-12-16 19:11 | 生活の話題 | Comments(0)