あぱかば・ブログ篇

apakaba.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:ニュース・評論( 83 )


2016年 07月 03日

“あの人”がいますか

c0042704_19421806.jpg

先週、吉祥寺のハモニカ横丁で飲んでいた。
ホールスタッフのチーフを「バングラデシュ人かな?」と直感して、尋ねてみると果たしてそうであった。
彼は我々のテーブルにちょくちょく来ては、冗談を交えてちょこっとだけしゃべっていった。

「バングラデシュ、行ってみたいと思って、何年か前に調べてたことがあった。バングラデシュってすごく海抜の低いところが多くて、川がいっぱいあって、バングラデシュとインドの国境をまたいだところに、シュンドルボンていう自然保護区があるわけよ。
そこに行きたくてねえ。
船のツアーが出てるから、それに乗って川をさかのぼると、トラとかね。出てくると。運が良ければね……」
などと、私がべらべらとしゃべって楽しく飲んでいた、その数日後に。
ダッカでテロ事件が起きてしまった。

バングラデシュ人の大多数はイスラム教徒だ。
イスラムとテロリストの区別がついていない人間が、世界には多すぎる。もちろん日本も。
つい先ほど知ったが、日本の最高裁が、日本国内に住むイスラム教徒への警察当局による監視を容認したという(こちら)。
なんと恥ずべきことをするのか?
イスラム教徒は、イスラムの名を語るテロリストを、他のどの人々よりも憎悪している。
当たり前だ。
それがなぜわからないのか?

ハモニカで何度か言葉を交わした、明るい顔のあのチーフも、もしかしたら数々の嫌な思いをしてきているのかもしれない。
今ごろ、自国の首都で起きたテロで自分の住む国の人間を殺されたということに、激しくショックを受けているはずだ。
そこへこれ以上、あの人を傷つけることを言う酔客などが現れないことを祈る。
テロが起きるたび、いつもいつも、“あの人”たちの顔が浮かぶ。
その国の人が。
そうやって、極々個人的な思いを持つことだけが、無知による偏見から遠ざかる一歩になると信じている。
愚かなネットニュースを見るたびに落ち込む……。


テロについて前になにか書いたなと思ったら、これだった。)


by apakaba | 2016-07-03 20:30 | ニュース・評論 | Comments(0)
2016年 04月 15日

熊本地震翌朝の日常

c0042704_17343166.jpg
うちのハナミズキは年々、花の色が赤くなっていく。
なんで?

夫、長男、次男、娘に「行ってらっしゃい」と4回言って、部屋とトイレの掃除をして犬の散歩に行く。
川沿いの遊歩道は、花がいっぱいだ。
桜やハナミズキなどの街路樹、雑草、人の家の庭木、どれも同じにきれい。
川にはサギが白い羽毛をふわふわ光らせている。
セグロセキレイが飛びたつ。
カモが水の中で何度も頭を水に突っ込んで逆立ちしている。
カモが逆立ちするたびに、周りの水が金色にキラキラ輝く。
さらさらとせせらぎの音を立てているのに、陽光のせいで水は粘性を帯びているように見える。
ぬめぬめしたぬるそうな水の中を、太った鯉が底へともぐっていく。

c0042704_17361951.jpg
練り物とキャベツ煮、厚焼き玉子、いんげんとハムの豆鼓醬とオイスターソース炒め、豆もやしのナムル、きゅうりの塩昆布浅漬け、胡麻塩ごはん
あ、5品作ってた

早朝、熊本の地震のことを考えながらお弁当を作っていたら、手と頭の動きが完全にばらばらになっていて、4品の予定がいつの間にか5品作っていた。
自分を取り囲む、毎日同じの、花や生き物にあふれた風景が一瞬のちにはあたりまえではなくなる国に住んでいる。
依って立つはずの大地が信頼できないものになる。
地震は、足元を揺らし身体を揺らして、心の奥底を根こそぎ倒す。
大地への信頼を萎えさせていく。
日本で生きることの根源的な喜びを見失わせる。

c0042704_17391897.jpg
うちのハナミズキが赤いから白いハナミズキより好きだったが、最近白いのもいいなと思い始めてきた

どうしても、どうしようもなく、地震が起きると気持ちが滅入る。
早い復興を。
熊本にも、4月の新生活を始めたばかりの人たちも多くいることだろう。
花や生き物のある見慣れた風景が、早く戻るように。


by apakaba | 2016-04-15 17:49 | ニュース・評論 | Comments(0)
2015年 11月 16日

「パリ同時テロで思うこと」から一夜明けて思ったこと

c0042704_16485456.jpg
1999年、イスラエル、死海。
イスラエルは歴史もものすごいけれど、自然もものすごい。
塩分が濃く、目や鼻粘膜を刺激される。
永遠の憧れ、イスラエル。

きのう、「パリ同時テロで思うこと」を書いた。
そのあともニュースサイトやSNSを読んでいるうちに、私の考えは完全にまちがっていたとわかった。
いや、書いたこと自体はまちがっているとは思っていない。
「人間は同じだ」と言いたかった、それは別に引っ込めるつもりはないのだけど……思惑が外れた。

イスラエルがいかに非人道的なことを自国や中東でしているか、アメリカを始めとする有志連合が、空爆によって一般市民を巻き添えにしているか、それは誰でも知っていると思うし、多くの人はそのやり方に反対もしくは疑問を持っていると思う(そう信じたい)。
私は、むしろ「たしかにこれらの国がしていることはひどいけれど、でも、そんな国でも、行ってみるとみんなやさしい」ということを言いたかった。
フランスもイスラエルも、アメリカもイギリスも。
完全に悪い国なんてなくて、遠くからだと、その国の悪い部分、まちがったことばかり目につくけれど、中に入ってみればいい面もたくさん見えるんだと。

私は、日本人がシリアなどの国をかわいそうに思うあまり、フランスがテロ攻撃を受けても、日本では「有志連合で空爆していたんだから自業自得だし」と冷たい視線しか向けられないのではないか?と考えて、いわば先回りして、きのうの記事を書いたのだった。

でも、twitterやFacebookを追っていると、「ほとんどの日本人はフランスに親しみを感じているからことさらにトリコロールを掲げて哀悼の意を示すけど、シリアなどで何人殺されようと、そんなことはしないくせに」と、思ってもいなかったことで、人々は猛烈にイライラしていた。
あれれ。
そんな反応があるとは、思いもよらなかったよ。
取り越し苦労でしたよ。
え、みんなそんなにフランスが好きだったの?!
私は、「いや〜フランスもけっこういいとこあるよ。人が死んだのだから、空爆もやっているけど、政治とは別に一般市民を悼もう」というつもりできのう書いたのに。

人の心ってすれちがうのね。
きのう「人の心を荒らし、人の心を分断する」ことがテロだと書いたけれど、まんまと日本の(私の)タイムラインは荒れている。
どうしてそんなにトリコロールにイラつくんだろう?
「そもそもトリコロールという国旗の成り立ちは云々。だから哀悼にふさわしくない」とか言い出す有名人も出る始末。
窮屈すぎる〜。
悪いがただの逆張りにしか見えない。うーん、悲しい。

もしも、将来、日本に同じことをされたら。
そして、どこかの国のSNSで、「日本は親米路線を強めすぎたからテロの標的になった。日本の死者よりもっとたくさんの人が日々死んでいるのに。」とか議論されていたら、げんなりだなあ〜。

東日本大震災後にネットを見すぎて、長く情緒不安定になっていた。
こういうときはあまり一生懸命いろんな意見を知ろうとしすぎないほうが賢明かと思えてきた。
きのう書いたとおり、きれいごとで空疎に響くかもしれないけれど、私はやっぱり私の旅の経験を信じようと思っちゃった。


by apakaba | 2015-11-16 18:11 | ニュース・評論 | Comments(2)
2015年 11月 15日

パリ同時テロで思うこと

c0042704_16415387.jpg
1999年、パリ、オルセー美術館


パリの同時テロはとても悲しい。
パリのテロに関して、twitterやFacebookを追っていると、いろんな意見があって疲れてしまった。
こういうとき、最後に戻ってくる拠り所は、結局、自分の旅の思い出。

私は、現在のアメリカ・イスラエルの同盟関係や、軍隊のやり方に反対している。
心情的には完全に中東の、イスラムに肩入れしている。
それはヨルダンやシリア、その他の国のムスリムの人々から、涙が出るほどの親切を受けて旅をしてきたからだ。
旅の途中、宿がない、道がわからない、英語が通じない、いろんなことで心細くて困り果てていたとき、いろんな形でムスリムの人々が助けてくれた。

でも!
旅の途中で、私にやさしくしてくれたのは、ムスリムだけじゃなかった。
ヒンドゥーも、仏教徒も、ユダヤ教徒も、クリスチャンも、シーク教徒も、どの人たちも、旅人の私に、圧倒的にやさしくしてくれた。
悪の権化のようなイスラエルでも、ユダヤ人はやっぱり明るく気さくで、やさしかったのだ。

私は、旅の中で人からひどい目に遭わされたことがあまりない。
いや、ちょくちょく遭ったかもしれないけれど、忘れてしまう。
でも親切にされたこと、いっしょに笑ったそのときのことは、ずーっと覚えている。
だから、どの国も行けば等しく好きになる。

フランスへは、90年代終わりから2000年代始めにかけて、立て続けに行った。
フランスで、嫌な思いをしたことが一度もない。
きっと住んだりすればそれなりに嫌なこともあるだろうが、通り過ぎるだけの旅人には、彼らは猛烈にやさしかった。
やさしくて明るくて英語が下手でテキトーで、フランス人はいいなあという思い出しかない。

完璧な国家などない。
日本もさまざまな問題を抱えていて、やるせない気持ちや怒りを覚えることは多々あるけれど、私は日本が一番好きだから、生まれ変わっても日本人がいいし、日本に暮らしたい。
どの国へ行っても、「少しなら住んでみたい」と思う場所はあるけれど、「ここに骨を埋めたい」と思ったことはない。
どの国もいいところと悪いところがあって、すごく乱暴にいうと、その意味ではどの国も「同じ」に見える。
人が生きているという点で、そっくり同じに見えるのだ。

パリのテロに対して哀悼の意を積極的に示すことに、違和感を覚える人がいる。
「中東ではもっとひどいことが日常的に起こっているのに」「フランスに親近感を抱くのは内なる差別だ」と。
その意見もわかるけれど……でも、私には、フランスで今、恐怖と悲しみのどん底に突き落とされた人たちと、他の国々の苦しみはまったく同じ重さに見える。
フランスでも、他の国々でも、私が旅の途中で受けた親切や笑いかけられた数は、まったく同じだったから。
人の心を荒らし、人の心を分断する。
それこそが、テロリストの思う壺ではないのか?

人は生きている。
人間は同じだ。
どんなに空疎に響いたってかまわない。
これが、私が長年旅をしてきてたどり着いた、拠り所だ。


by apakaba | 2015-11-15 17:54 | ニュース・評論 | Comments(0)
2015年 09月 11日

犬の救助

c0042704_09005572.jpg
大雨で被災された方々に、お見舞いを申し上げます。

きのうの鬼怒川決壊で、犬ごと救助される人の映像とか、犬を背負って避難しているおじいさんの写真とかを見る。
東日本大震災のとき、避難しなければならない住民が、動物と一緒に避難できないという話が問題になっていた(話題にならないだけで、今も続いているだろう)。
大水の被害を見ていると、いつも「鎖でつながれている犬は助からないなあ」と思う。
あんなにあっという間に水が出てしまっては、鎖を解く暇もない。

ネット情報を見ると、「人命の方が大事なのに」と言う意見(ていうか自席発言)が必ず現れる。
犬どころじゃないだろ。
その犬を助けている暇があったら、他の人間を救助しろ。
云々。

c0042704_09293811.jpg
きのう、鬼怒川の犬たちが全国の視聴者の涙を誘っていたころのコーシロー


自分ならどうするかな。
やっぱり、犬を連れて行ける限り、連れて行こうとするだろう。
でも、もしも災害時に「犬か、子供か」のどちらかを選ばなければならない場面になったら、犬は捨てて、子供を助けるしかないだろう。
それが人間だし、親だから。

でも、子供がいなくて、夫婦に犬しかいなかったら。
もしくは犬と自分だけの暮らしだったら。
その人にとっての犬は、私にとっての犬とは、存在の重みが段違いだろう。
そういう人に向かって「たかが犬だろう、置いていけ」と言えるか。
「家族を置いていけ」と言うに等しい。
この大雨で逃げられず、死んじゃった犬はかわいそうだけど、やっぱり死なれてしまった飼い主は、本当に気の毒だなあと思ってしまう。
助かった方々(と、犬)は強く生きてほしい。
なんかすごく傍観者的発言で気が引けるけど、あっという間にあんなことになってしまって、とりあえず今それしかいえない。

追記:
これを書いたら「犬以外の生き物はいいのか、ということになりかねない」という意見があった。
「犬」は一例であり象徴のつもりで書いたのだが、どうやらそれを理解しない人もいるらしい。
「犬」は一例であり象徴です。


by apakaba | 2015-09-11 09:39 | ニュース・評論 | Comments(2)
2014年 06月 13日

なぜ、ワールドカップは格別か?

FIFAワールドカップが開幕した。
8年前、「めぐりきた、ワールドカップの季節」を書いた。
我が家でサッカーを見るのは私と夫と長男「ササニシキ」の3人。
ふだんはてんでバラバラに暮らしている私たちは、サッカーの国際試合のときだけ仲良くなる。
「ササニシキ」は、
「ワールドカップは、オレが受験するときにめぐってくる……」
といつも言う。
4年ごとの大会なのに言っていることがおかしい気もするが、彼が最初にワールドカップを意識したのは小学校5年生。
ドイツのゴールキーパー、オリバー・カーンにいたく感銘を受けていた。
受験生ではなかったが、ちょうど中学受験に本腰を入れ始めたころだ。

次は中3。
その次は浪人生。
その次、今年は法科大学院への受験生。
子供なりの人生の折々の節目、勉強しなければならないタイミングに、ちょうどめぐってくる。

私は中学生のころからワールドカップを見ているが、長男とちがってとにかく勉強をぜんぜんせずに学校をさぼってばかりいた。
中学でもワールドカップが気になって授業を抜けていた。
私に較べると、「ササニシキ」はえらいな。

c0042704_22482994.jpg
虫はスポーツをしない。毎日がサバイバル

スポーツは、見ない人はぜんぜん見ないけれど(そのくせなぜかオリンピックだけはやたら夢中になる人が多いけれど)、私はサッカーが好きなので、4年ごとに世界大会があってそれを人生に添わせるように見続けるというのはなかなかいいものだと思う。
何十年後にでも、見ていた人同士はその話題ですぐ盛り上がれるし、「あの年、オレはああだったこうだった」と思い返すきっかけになる。
やっぱりワールドカップは格別だ。←8年前と同じしめくくり

ワールドカップ、誰と見る?と、4年前にも書いていたことをすっかり忘れていた!
そして同じしめくくり!

by apakaba | 2014-06-13 22:50 | ニュース・評論 | Comments(2)
2013年 03月 21日

父親から娘に対する“ある種の”振る舞い

今日は、ずっと前からもやもやしていたことを書くことにする。
なにも資料に当たっていないのに書くのは気が引けるので、あくまで私見として読んでほしい。

気になっていたこと、それは、「娘に対して“ある種の”振る舞いをする父親というものが、確実にいるのではないか」ということである。

親と子の組み合わせとして、父と息子・父と娘・母と息子・母と娘という4パターンがある。
このうち、「父と娘」のパターンにおいて特に、親から子供へ、その“ある種の”傾向が目立つように感じていた。

たとえばこんな場面を見たことはないだろうか。
父親が、幼い娘と二人で歩いている。
娘はお出かけしてご機嫌だ。
今見てきた楽しいことについて、興奮して父親に語る。
父親はにやにやしながら娘にこう言う。
「(お出かけに)『行きたくない』って言ってたのは、誰だったっけぇ〜?」
娘は最初恥ずかしがるが、気を取り直してまた思い出を語る。
だが何度も何度も、娘がかんしゃくを起こして泣き出すまで、しつこく父親は繰り返す。
「『行きたくない』って言ってたのは、誰だったっけぇ〜?」
娘がかんしゃくを起こして泣きわめくと、さも愛しそうにあやまり、また娘が機嫌を直すとにやにやして「『行きたくない』って言ってたのは……」と繰り返すのだ。

これは私が六本木ヒルズを歩いていたときに、すぐ後ろでやり取りしていたことだ。
あまりにもしつこい父親の言動に、「ふざけんな父親!」とすごい形相で振り返ったら、泣きわめいていた女の子のほうが、自分に怒っていると思ってギョッとしていた。

これと似たようなやり取りは、いくらでも見かける。
娘のいやがることをわざとしつこく繰り返す父親。
かんしゃくを起こす娘。
その泣き顔を、にやにやしながら見つめる父親。
そのにやけ顔をますます憎く思う娘。

母親が年頃の娘に友達気分でベタベタくっついたり、息子にヒステリックにがみがみ怒ったり、イマドキの弱い父親が息子から「パパのバカ」などと言われてしまっているような光景は、しばしば見かける。
いずれも他人からは、愚かしく見える。
だが、父親が娘をいじめるのは、それらのどれよりも、ぞっとする。

この男は、暴力傾向を持っているのではないか?
幼い女の子を、“ボクの小さい恋人”などと思っているのかもしれないが、愛情の表現が明らかに歪んでいる……泣かせたり泣き止ませたり、幼い女の子を自分の意のままに支配したいという欲望の表れに見えて仕方がない。
おそらく本人はいじめている自覚がなく、娘とのコミュニケーションだとしか思っていないのだろう。
わんわん泣きわめく娘を、心底「かわいい」と感じているのだろう。
そうでなければ、あんなにずっとニヤついていられるわけがない。

c0042704_21484077.jpg
お父さんたちは少年野球が好き。この人たちは“ある種の”男でないことを願う

いつのころからか、この傾向を持った父親のことが気になっていたのだが、たまたま読んでいた本に私がもやもやと考えていたことの例がずばりと載っていた。
『理系の子—高校生科学オリンピックの青春』(アマゾンのページはこちら)という、きわめて感動的なノンフィクションである。
私は一章読むごとに涙を流していた。
アメリカで開催される高校生の科学オリンピックに出場をかける、少年少女の青春の物語である。
この本で採り上げられている高校生の一人であるセイラという少女の生い立ちを読んでいて、「あっ、この父親!」と、手が止まった。
セイラは、両親が離婚して父親とたまに会うだけになるが、距離を置いてみると「父にはややサディスティックな振る舞いが多いことに気づいた」。
そうだ!
“ある種の”には、“サディスティック”という言葉が当てはまったのか!

セイラの父親は、ダチョウの牧場に娘を連れて行き、怖がる娘を柵に座らせて、ダチョウに今にも脚を噛まれそうになるのを見て喜んでいた。
セイラがバッタを怖がるのを知ると、わざとバッタをセイラに放り投げておもしろがった。等々。
まさにこれだよ、これ!私が街で見かけてはぞっとする、ある種の傾向を持つ危険な父親。

セイラの章で、父親のサディスティックな傾向に触れているのはほんのわずかであり、話のテーマはそこにはないのだが、私にはこの少女の人格形成に、父のこの性質がなにかしら作用しているにちがいないと思った。
わざわざこのエピソードを盛り込むには、意図があると思うからだ。

好きな女の子のスカートをめくるのと同じ?
男は好きな女の気を惹きたくて、わざと怒らせてみたくなる、それだけの話?
私には、どうしてもそんなふうに軽く受け流す気持ちになれない。
こういう、サディスティックなタイプの男に育てられた娘が、長じてDVなどの深刻な被害者になるような気がしてならない。
繰り返すがこれは私見だ。
ただ、もしこういうタイプの父と幼い娘のやり取りを見ることがあったら、ちょっと注意してその様子を観察してほしい。
私と同じように、ぞっとするかもしれない。

by apakaba | 2013-03-21 22:03 | ニュース・評論 | Comments(11)
2013年 01月 17日

悔いなく生きたいけれど

ふだんより少し早めに目が覚めて、“今、大地震が来たら、このまま裸足で、パジャマ一枚で雪が残る道に飛び出してしまうのかなあ。たちまち凍えてしまうだろう”と、布団にくるまったまま考えていた。
東京都庁に用事があって出かけたが、一階のピロティーを歩きながら“今、大地震が来たら、庁舎まるごと私の上に落ちてくるのかなあ。ぺちゃんこになって跡形もないや”と思っていた。

阪神淡路大震災が起きた当時、村山首相の初動の対応のまずさが激しく非難され、18年たった今でも「絶対に許せない」と言う人もいる。
東日本大震災が起きたときも、菅首相をなじる声は絶えなかった。
だが、それなら、いったい誰が総理大臣だったら、完璧な陣頭指揮が執れたというのだろう?
人を責めるのは簡単だ。
でも、どんなに迅速に、的確に対応できたとしても、大震災において“死者0”でない限り、トップの人間は「まだ救える命はあったはずだ」と責められ続ける。
失われた命は帰ってこない。

人を憎み、責めるより、悔い(をすく)なく生きたいし、逝きたい。
私は、もしも今日、都庁に下敷きになってぺちゃんこになっていたとしても、おそらくあんまり悔いはないし、誰も恨まない。
丹下健三のことも恨まないぞ。
それよりも、自分の意思と正反対のことが政治の力で決められ、変えられてしまうことのほうがよほど無念だ。

c0042704_2383921.jpg
今日の東京都庁

こんなものが設置されている風景を、異常だと感じなくなるのは異常だ。

by apakaba | 2013-01-17 23:13 | ニュース・評論 | Comments(2)
2012年 12月 11日

こないだの地震のこと

(Facebookに書いた日記を転載)


先週、東北中心の地震があった。
東京も震度4だった。
その日は朝5時にも千葉震源の地震があって、気分の悪いスタートだった。

新宿に飲みに行くために家を出る直前、ゆさゆさと、長々と揺れた。
震源から遠いなというのは地震のベテランになった今ではすぐにわかったが、この長さと、この酔うような横揺れは、東北震源、しかもかなりのレベルだと直感した。
家を出てからずっとTwitterを見っぱなしで、電車に乗っても見っぱなしで、「宮城に津波警報」とか、「福島原発で作業員避難開始」とか流れてきて、おそろしくてたまらず、iPhoneにかじりついていたら新宿に行くつもりが渋谷に着いてしまった。

まちがえて渋谷に着いたことにも気づかず、人波に乗ってふらふら歩きながら、しばらく呆然と(iPhoneにかじりつきながら)、周りの人々が「津波だって!」「また地震来るかな、こわい」「さっきの地震大丈夫だった?なにしてた?」とか話しているのを聞いていた。
おかげで30分も遅刻してしまった。

福島第一が爆発したら、福島は完全にアウト、東京も20分以内に関西まで逃げないと被曝するとなにかで読んだばかりで、そんなのワープ以外にないじゃん、運命を受け入れるしかないってことですね〜と呆れ笑いをしたばかりだった。
また津波が来たら東北はどうなるのだろう、原発はほんとに大丈夫なのかな?こうしている間にも、次の一発が来るのか?などと考えていると、電車や駅の人ごみがとても不思議なものに感じられた。
この中で、私と同じ心配でつぶれそうになっている人はどれくらいいるんだろう?
さっきの地震にまるで気づかず歩いている人もいるだろうし、ニュースを知らない人もいるだろう。

そして、自分にとって東日本大震災がいかに大きなものであるかもあらためて実感した。
あれは過去でもあるが、これからのことでもある。
たかが震度4でも、ネットニュースでここまで自分が動揺するなど、震災以前には考えられなかった。
駅を乗り過ごしていることも忘れて、どこを歩いているかも忘れてニュースに見入ってしまうなど、他のことではありえない。

震災はぜんぜん終わってない、記憶の風化なんてとんでもない。
生々しく、喩えではなくてほんとに生死を分ける、現在進行形の現実なんだ……と再認識した。
東日本は、体感しようとしまいと、毎日揺れまくっている。
ウソだと思うなら、Twitterの「地震速報@earthquake_jp」を見てみたらいい。
私は滅入るからたまにしか見ないけど。

こわくないほうがおかしい。

by apakaba | 2012-12-11 22:09 | ニュース・評論 | Comments(0)
2011年 11月 28日

大阪は、遠くにありておもふもの。ではなく。

ゆうべのtwitterのタイムラインは大阪一色でした。

橋下氏が府知事になった当初はけっこう歓迎してたんだけどな(府民じゃないけど)。
だんだんファッショな感じになっていって、素直に支持しかねるようになっていった(府民じゃないけど)。
石原氏が当選したときさんざん言われた「これが都民の選択か」の言葉を、そのまま返すときが来たな(ケンカするつもりではないです)。
都知事選のときは「石原・ワタミ・そのまんま・いっそ共産党か」という苦渋の選択だったけれど、大阪はさらに二者択一の苦渋っぷり。

生粋の関東人の私には、大阪は、遠くから見ていると、理屈もなく東京を嫌うだけ嫌っているウザイ存在。
でも旅行者として大阪に実際行ってみると、人情の温かさに感動する。
気軽にやさしい言葉をかけてくれるし、困っていると次々に助けてくれる。

表面に出てこない(差別などの)問題もたくさん抱えているし、行政にお金はないし、富裕の差は激しいし、ヨーロッパ(≒東京)へのぬぐいがたい嫌悪感とコンプレックス……大阪はアメリカに似ているなあといつも思う。
「アメリカの悪いところは離れていてもニュースなどで見えるが、アメリカのいいところは行ってみないとわかりにくい」とある旅ライターが書いていた。
私は、まさに大阪もそうだなと思っている。
あくまでもタビビトの視線ですが。

とりあえず、橋下さんがんばってください。

by apakaba | 2011-11-28 08:36 | ニュース・評論 | Comments(12)