<   2004年 12月 ( 14 )   > この月の画像一覧


2004年 12月 31日

おおみそか

雪の中、子供たちは水っぽい雪をわざとはねとばしながら歩く。
「ササニシキ」が
「びしゅ!オレはいま80ハジケトブサ。『アキタコマチ』のはぜんぜん飛ばない。15ハジケトブサだ!」
よく、こんなふうに勝手に単位を作っている。
兄が言い出すとすぐに下の子供もそれを受け入れ、
「あっ『ササニシキ』お兄ちゃん、オレのはもっとすごかった。87ハジケトブサだった!」
とか言い出す。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色……」
「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山ぎは……」
「あんたなに始めてるの。」
「こういうのをすらすら言える大人ってかっこいいと思う。だからオレは今から覚えることにした。」
兄がぶつぶつ言っていると、下の子供はやっぱりそれを聞いて覚えていく。

コドモ時代、兄の影響力は絶大だ。

一年前の大晦日、私は今日とまるっきり同じように、掃除・料理・掃除・料理で働いていたけれど、「ササニシキ」は部屋で受験勉強をしていた。
ひと月後に落ちてしまった。
私のやることは毎年同じでも、子供のことを思うと、一年は長い時間だな。
また一年たったら、ここになにを書くことになっているか。
たのしみ、だけどさすがに長男は親離れしているだろうなあ。

私のサイトを見てくれる皆さま、新しい一年が幸せでありますように。
私も幸せに暮らしたいなあ。

by apakaba | 2004-12-31 23:48 | 子供 | Comments(0)
2004年 12月 28日

今年の世相漢字

今年の元旦に書いた日記を、覚えてくださる方はいるだろうか。
一年が経とうとしているこのごろ、あの日に書いた文章をしきりと思い出す。

漢字能力検定協会が主催して公募で決定する「今年の世相漢字」は“災”という字に決まったと13日のニュースで見て、まったくひどい年だなあと思っていたら、この年の瀬に来てスマトラ沖地震でさらに災の字を多く目にすることとなってしまった。
私は新聞記者の娘なので、この時期にこういうニュースを知ると反射的に“ああ、10大ニュース差し替えだなあ”と考えてしまうのだけれど、刻一刻と状況を知らされるにつけ、とっさにそう考えたことを恥じるような甚大な被害だ。

「はかない、一瞬の偶然の積み重ねで、この一日をなんとか生きてる。
それをつないで、一年を生きられる。」
と元旦の日記に書いた。
人って、ほんとに簡単に死んでしまうな。
どうして毎年、クリスマスに浮かれて、大掃除に追われて、おせち料理を考えて、元旦を迎えられるのか、そのほうが不思議なくらい。

スマトラ沖地震で最終的に何万人の人が亡くなるのか、わからない。
大好きな旅行にも出られず、でも洗濯機を替え、壁紙を張り替えて少し幸せな自分と、一瞬にして命を失った何万人もの人々の幸せ、ただちに引き比べることはどうしたってできない。
でも、よりによって“災”なんて字をはめられる一年をまあどうにか過ごしてこられたことは、厳粛に思い返そう、と年の瀬の今は思っている。


(そんで関係ないけど2004年1月分の日記はどれもおもしろいぞ。
思わずだーっと読み返してしまったよ。
1月26日分に、スピティ対談の元となるようなネタも、さりげなく書いてあったねー。)

by apakaba | 2004-12-28 23:50 | ニュース・評論 | Comments(0)
2004年 12月 27日

内回り・外回り

朝から3人の職人さんが入って、廊下・階段部分の壁紙を全部張り替えた。
大掃除を前にして、もう大掃除が済んだかのようにすがすがしくなった!

中古の家を買ったので、3年半前に入居してから、ちょこちょこいろんなところを直している。
越してくる前のリフォームから、すべて同じ会社に頼んでいる。
当随筆欄『トイレ改装工事、AとBの差』でも書いたとおり、いつも頼んでいるところが信頼の置ける会社なので、他のところに頼もうという気がしない。

今回は、階段の手すりも、ついでに替えた。
うちの階段は右に2回折れている回り階段で、右側の二カ所に、古びた手すりがついていた。
壁紙込みで見積もりを取ると、ふたつの見積書を持ってきた。
金額が8万円もちがう。

「これは手すりの金額の差なのです。」
と言う。
リフォーム会社の男性の説明によれば、本来、手すりというのは、足下の安全のためには広くなっている側に取りつけるべきものである。
うちのような右回りの階段なら左側につけるはずなのだが、うちにはなぜかせまくなっている(いわゆるインコース側である)右側に設置してあるから、好ましい状態とはいえない。
左側に、ジョイントをつけながらぐるりと手すりを渡していくと、この金額になるのです……彼の説明はまったくもってごもっともだった。
ここの社員はみんなかならず正論を言うのである。

しかし8万円の差は大きいなー。
いままで、右側の手すりでべつに不自由なくやってきたしな。
「あのー、やっぱりいいです、安い方ので。右側のままで。」
もしも、これが何年か前あるいは何年かあとだったら、正論どおりに左側に思い切って付け替えていただろう。
でも、いまの我が家にはよたよた歩きの小さい子供も、よたよた歩きの老人もいない。
今が一番、手すりを必要としない人間が揃っている時代である。
だから安い方に決めてしまった。

それにしても、回り階段の手すりの基本はアウトコースって、知ってましたか?
言われればたしかにごもっともだけど、私はこれまで一度も意識したことがなかったぞ。
プロの言うことって、おもしろいなー。

by apakaba | 2004-12-27 23:53 | 生活の話題 | Comments(0)
2004年 12月 25日

サンタクロースたち

ゆうべ、11時ごろDVDで映画を観ていると、「アキタコマチ」が寝ていたところを飛び起きたという風情でよたよたやってきた。
「なにしてるのこんな時間に。」
「おかーさん、だいじょうぶなの。もうやっといたの?『コシヒカリ』にプレゼント置いたの?」
「まだやってないよ。あとでやるからあんたは安心して寝なさい。」
「オレ『コシヒカリ』に、“オレは杉並区サンタ会議というのに呼ばれて参加した”って言っちゃったから、ちゃんと忘れずに置いといてよ。頼むよ。おやすみ。」
なんなんだその杉並区サンタ会議というのは。
長男仕込みのホラ吹きだな。

それから1時間ほどすると、宿題の終わった長男「ササニシキ」が、
「これ、オレから用意した『コシヒカリ』へのプレゼント。」
と言う。
お菓子の空き箱にひどい字で“えんぴついれ”と書いてあり、中に使いかけの使い捨てカメラと短い鉛筆一本が入っている。
ださいぞ、ださすぎる……サンタがくれそうなものにはとても見えないんだけど。
「これはオレからってことで。オレが夜中にサンタと遭遇して、“オレもいっしょにプレゼントを置かせてください”と頼んだことにしたい。」
……キミたち、妹に対して、だんだん後戻りできない状況になっていないかね。

「ははあ、あんたもサンタ気分になってみたいってことだね。」
「そうそう。」
「なら置いてもいいけど、起こすんじゃないよ。寝てるのがかわいいからって頭をなでたりしたらだめだよ。」
「わかってるわかってる。」

うちでは小さい子にだけサンタが来るということにしている。
兄たちは、いつからプレゼントをもらえる側からサンタサイドに回ったのだろう。
ぜんぜん思い出せない。
自分たちにひとつプレゼントが少ないことを、なぜひがまないんだろう。
自分の子供ながらとても不思議だ。
自然と卒業していっている。

私は小学校3年生のクリスマスまで、枕元にプレゼントを置いてもらっていた。
内心、もうそろそろいいよという気持ちもあったのだが、親子ともお互いそれは言わずにという感じでいた。
でも父が、みずから白状した。
わざわざ口で言わなくてもいいのに、どうして言うのよ。
私はワーワー泣いた。
それからひと月半で父は死んだ。
“クリスマスプレゼント”というものそのものが、いいようもなくつらい思い出に成り代わってしまった。

うちの兄妹を見ていると、私とはまるでちがうコドモ時代を送っているなあと思う。
サンタのプレゼントのことは、あのまま、兄たちのホラがエスカレートして、どうにもならなくなって自爆し、最後は3人で大笑いして終わるんだろう。
私はなにも口出ししなくていい。
気楽なもんだ。

by apakaba | 2004-12-25 23:55 | 子供 | Comments(0)
2004年 12月 21日

後戻りできない、サンタたち

今年もクリスマスが近づいてきたなー。

子供たちが3人でクリスマスプレゼントの話をしている。
祖母や曾祖母から、なにを買ってもらおうかという相談だ。
兄二人はそれでいいのだがうちには末っ子のところにだけまだサンタが来る。
ディズニープリンセスのオルゴールをもらえる、と「コシヒカリ」は言っている。

「もしかしておるごーるじゃなくても、かならずなんかもらえるんだよ。」
と自信を持っている。
「だってきょねんもうごくにんぎょうもらえたし。おととしはゆびわがきたしー。」
「ああ、それはオレがサンタさんと相談したからな。」
と口を出す「ササニシキ」。
口から生んだ覚えはないが口から生まれてきたような子供だ。

「オレが夜中にトイレに起きたときね。サンタさんが立ってたんだよ。それでキミは誰だって言うから、私はこの子の兄貴でございますって言ったら、この子にどのプレゼントがいいかいっしょに選んでくれって頼まれて、袋、袋はドラえもんのポケット並みに大きいんだけど、その袋の中から選んだんだよ、こんなにいっぱいあったら選べない!とかいって、結局指輪を選んだんだよ。」
「えー、ねえねえ、さんたさんてほんとにとなかいとかつれてるの。それでどうやってかえるの。」
「そんなことオレ知らないんだよ、だってサンタさんはオレのことを押して、入れ入れってオレの部屋に押し込んで、バタンてドアを閉めちゃったんだよ、だからそのあとのことは知らない。」
「そんなーー。」
「それでいったんドアを閉められたんだけど、サンタさんが『あ、忘れてた』って言ってまたすぐ開けて、指先からピシューッと目もくらむような光線を発射して、オレはそれきり記憶が途絶えたからあとのことはわかんない。」
「……。」

よくもまあ、次から次へと。
2年前にもそんな話をしていたな。
2年経って、いいかげんおしゃべりが止むかと思えば、さらにサンタ話が具体的になっているぞ。
その兄妹関係、いつまでつづくのだ?

by apakaba | 2004-12-21 23:58 | 子供 | Comments(0)
2004年 12月 20日

アル中?

毎朝ラジオを聴いている。6時台はtokyo-FMだ。
6時半ごろ、スマップが天気予報を帯でやっている。
メンバーがひとりずつ、週替わりで天気予報と数分間のトークをするコーナーだ。
もちろん録音だけれど、なにしろ毎朝なんとなく聞いているので、それなりに彼らのしゃべった内容がたまっていく。
最近聞いた中で、朝の寝ぼけた頭に残ったのは、中居くんの「ボクはアルコールが体から抜けることがまずない」と言っていたことだ。

彼はかなりの酒好きらしく、かならず帰宅すると飲んでいるという。
飲み会から帰ってきても、またひとりで飲むという。
去年骨折したから、その入院中は飲めなかったが、飲酒を始めてからその骨折までの間、飲まない日はなかったと。
たとえ熱があってもやっぱり飲んでると。
中居くんキミぁ……いわゆる“ア×中”ではないのかね。
お弁当のおかずを作りながらひとり心の中で突っこんでいると、すかさずラジオから
「いや、アル中ってわけじゃないんですけどね。」
とこちらのツッコミを見透かしたかのようなトーク。

アルコールは体から完全に抜けるのに48時間かかるから、つまりボクの体内には、つねにアルコールが、あるというわけなんです……と朝からうえっとなるようなことをつぶやいていた。

でも考えてみたら私も同じじゃん。
48時間体を干してるということは、まあまずないですね。うん。
「いや、アル中ってわけじゃないんですけどね。」

by apakaba | 2004-12-20 23:59 | 生活の話題 | Comments(0)
2004年 12月 17日

入浴中には

入浴中に読書をしている。
すこし前までは、子供が小さくてそれもかなわなかったけれど、それぞれひとりで入れるようになってからは細々と読んでいる。
電車通勤もしないし、部屋にいてもパソコンか家事か仕事をしていて、なかなか本を開けない。
お風呂の中で缶詰になると、どうにか読める。

ここ数ヵ月間、ずっとオースターのペーパーバック『THE NEW YORK TRILOGY』を読み続けている。
英文は苦手なので、進みはのろい。
ただ、セリフの部分が多いのが楽しい。

英文が苦手だから声を出して読まないと、どうも頭に入らない。
子供って黙読できないでしょう。あれと同じ。
お風呂の中でブツブツ英文を読んでいる。

私は中学・高校と演劇部にいた。
朗読したり、セリフを読んだりするのは得意だ。
英文でも、知らず知らずのうちに感情がこもっていって、脚本を読んでいるようにセリフ部分をしゃべっている。

お風呂のドア越しに、子供が不審そうな声で「なにをしゃべってるの。」と聞いてくると急に恥ずかしくなる。
どうも英語をしゃべっているようだぞと気付いた子供が、立ち去らずに耳をそばだてているようなので、今度は黙って読もうとするが、そうすると頭に入らない。
邪魔をしないでほしい。
読書の時間くらい、好きにさせてほしい。
ここ10年くらいは、読書なんて二の次三の次で3人をお風呂に入れてきたんだから。

by apakaba | 2004-12-17 00:01 | 生活の話題 | Comments(0)
2004年 12月 15日

学力低下、こんな現状

子供の学力低下について、すこし前に、随筆欄で書いた。
今朝のラジオでもゆとり教育見直しについてのニュースをやっていた。

今日、次男の「アキタコマチ」から期末テストの答案用紙や、二学期中にやった調べ学習の提出物をまとめて渡された。
テストの点数欄で、真っ先に目が留まった。
点数が、書いてない。
どこにも書いていない。
かわりにポケモンのハンコが押してある。
ポケモンのなんだか名前の知らないキャラクターがOK!と言っている。
なんだこれは、なにがOKなんだ?

よく聞いてみると、全問正解の場合は100点と書かずにやはりポケモンのハンコで「パーフェクト!」と押され、誤答があった場合は空欄のままで返却され、間違いを直すとそこで「OK!」のハンコが押されて終わるのだという。
つまり最後まで、自分がそのテストで何点とったのか、わからないまま。
そんなことが行われていたのか!
幼稚園かよ!
二学期末のいままで、我が子のテストの答案用紙をちゃんと見てこなかったということがばれてしまったけど、いやびっくりしたよ!

それから、体のしくみや機能を調べるプリントでは、「アキタコマチ」は痰のことを書いていたのだが、これまた花丸の連発。
体についての体験を書く欄に、
『たんが出た。こん中に微生物やほこりが入ってるだな〜と思った。』
とある……ワタシが担任だったら絶対にゆるさない……“こん中”だとぅ〜〜〜?
人に読ませる正式な文章か?
なんてアホタレなんだと次男にがっかりするとともに、先生、“ん”のところを“の”と書かなければいけないことを、添削してくれないのか?と失望した。
“こん中”の欄にも、もちろん花丸だとも。

ゆるいよ……ゆるすぎる。ぬるすぎる。
これを読んで、“まあ、いいじゃないの”と思う人もたくさんいると思う。
でも、子供ってそうではないのだ。
大人が“まあ、いいじゃないの”と思っていると、かならず子供も“まあ、いいじゃないの”と言うようになっていく。
私のやっている教室でも、計算式のイコールがすべて抜けていたり、句読点が抜けていたりする子供がいる。
「まあいいじゃないの。答えは合ってるんだからいいでしょ。いちいちめんどくさいよ。」
と彼らは言う。
そこで情にほだされて「そうだね。今回だけマルにしてあげるヨ」
なんてやったら絶対にだめ。
そもそもイコールとはなんなのか、イコールという記号がなければ式として成り立ち得ない、ということから解説する。
まだ素直な子供のうちに根気よく説明してやらないと、どんどん世の中をなめきった子になっていく。
そして、取り返しのつかない少年・青年・職場で働く大人になっていく。
いるでしょそういう同僚や部下……“まあ、いいじゃないの”って態度に出ている人。

by apakaba | 2004-12-15 00:01 | 子供 | Comments(0)
2004年 12月 14日

当選!!

ここのところ、仕事が詰まっていて当欄を毎日更新できないのが残念で仕方がない。
話題がどんどん古くなっていく。
でも書かないと忘れていってしまう……家族のちょっとした記録は、とにかく書いておいてあとで読むのがたのしい。

日曜日、家族で区立の公民館へ出かけた。
次男「アキタコマチ」の作った“お面”が、区の図工展に選ばれたから見に行ったのだ。
自慢するつもりはないが私は中学生くらいまではデキがよくて、図工展とか作文コンクールとか理科の研究発表展とか、水泳大会とか運動会のリレーとかいろんなものにだいたい毎年選ばれていた。
初めて子供を生んだ当時、当然自分の子供もおんなじようにデキのいい子に成長するのだろう、と勝手に信じていた。
しかし3人生んですくなくとも現在までの間、ちーっともそんなことはなく、ははあそういうもんなんだなぁと現実を受け入れていった。
選ばれないことを、もうなんとも感じなくなっていた。

そしたら選ばれた。
最初、たいして行く気はなかった。
どうせ作品は持って帰ってくるんだし、交通の便の悪い会場までわざわざ行っても見るのは一瞬とわかっていたし。
しかし、公民館への案内図を振り回しながら持ってきた「アキタコマチ」の誇らしげな顔!
“たかが図工展で、そんなにうれしいのか。”
ああ、そういえばおかーさんは子供のころしょっちゅういろんなものに選ばれてたよ……と言いかけてやめた。
「よかったねえ『アキタコマチ』。うれしいなあ。お父さんもいっしょに、5人で行こうか。」
と替わりに言うと、さらにぱああっと晴れやかな顔!
「お父さんも来てくれるの!うん、行こうみんなで!オレが!オレが初めて選ばれた図工展に!!なんとこのオレが選ばれたんだよ!オレが苦労した“お面”を見せるから!」

長男坊でなにかと注目される「ササニシキ」と、末っ子の女の子でやっぱり注目される「コシヒカリ」に挟まれ、当サイトでもどこでも、次男の影は薄い。
学業も運動もいまひとつ、でも、やさしくて気の利く、私のお気に入りの子供だ。

日曜日、5人で行った。
ほんとに、見るのは一瞬でした。
うまくできてる、といえばできてるような気もするけど、学年で3人しか選ばれない“お面”の中の一つに選ばれるほど、あれがうまいのかどうなのかはよくわからなかった。
でも、まあ、きっとうまいんだろう。
なんとなく、次男の人好きのする性格が審査点を甘くしているような気もする。
それも才能のうちかな。
他にも、近所の子供たちの作品が選ばれて飾ってあり、ほほえましく見学した。

区民の税金で建てたとても立派な公民館の入口に「アキタコマチ」が立ち、デジカメで写真を撮った。

by apakaba | 2004-12-14 00:03 | 子供 | Comments(2)
2004年 12月 11日

ピカソ・躰とエロス展

明日で会期が終了してしまう『ピカソ 躰とエロス』展に、やっと行ってきた。

美術の世界ではピカソが一番好きと何度か書いているとおり、ピカソ展があれば、たいていは行っている。
今回の展示は、これまで私が行ったピカソ展の中でも、相当の上位に入る、高い展示内容だった。

色をたくさん使った大作もいいけれど、私はむしろいたずら書きの漫画みたいな、そこらへんにあったザラ紙に鉛筆でさっさっと描いたような作品が好き。
そういう絵の中に、彼のブレのなさ、迷いのなさがよく見えるのだ。
女性や子供を描くときの、二重まぶたのライン、唇のライン、顎のライン、いくら目を近づけて見ても、鉛筆の線を消して描き直した跡がなく、一気に描いたなとわかる。
それらの線は右にも左にも一ミリも動かしようがないほど完璧な軌跡を描いていて、シンプルなのに優美で、しかもひとめでピカソの線とわかって、この人は本当に本当に絵がうまいのだと見せつけられる。

ピカソと聞いてまずキュビスムを思い浮かべる人も多いだろう。
人間の身体や静物が、めちゃくちゃに伸びたりデフォルメされたり。
でも、あれらをいくら見ていても、「精神を病んでいる……」という感想が、彼に限ってまったく出てこないのである。
きら星の如く名を連ねる近代画家、それらの多くは——ドガ、ルドン、ゴッホ、ルソー、ユトリロなど——見れば見るほど、「病んでいる……(だからこそ、目を離せない魅力をたたえている)」と思わされるけれど、ピカソだけは、あそこまで無茶苦茶をやっても、心に不安をかきたてられることがない。
驚きに目を大きく見開いて、もっともっと見ることを欲する。
私生活も無茶苦茶、絵も破天荒、なのになぜか健全さがある。
あの素描の中で引かれたラインに表されるような“ブレのなさ”が、素地として根底にあるからだと思う。
それはきっと、彼の魂のブレのなさだ。
本来なら子供しか持ち得ない“凄み”だ。

子供は夢中になると周りが目に入らなくなるけれど、ピカソの作品は8万点あるともいわれているとおり、想像を絶する多作な芸術家だ。
そんなところもまるで子供そのものだ。
止まらない、止まらない、だって描きたくって、作りたくってしょうがないんだ!

“20世紀最大の芸術家”と言いならわされるとおり、観るたびに魅了されてしまう。

by apakaba | 2004-12-11 00:04 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(0)