あぱかば・ブログ篇

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2005年 02月 28日

入れ替わってゆく隣人

きのう、お隣が引っ越していった。
きのうは早朝から家族全員で一日中出かけていて、夜遅く帰宅したら、すでに空き家になっていた。

当欄05年1月11日分の日記「ふるさとは遠きにありて……」に書いたとおり、お隣の家は、3年前に前の住人が出て行ったあとを私の実家が買ったのである(ちなみに前の方が出て行ったときの話は、03年12月22日分「街は顔を変え、うつろう」に書いたことがある)。

梅雨入り前には、横浜から母と継父がやってくることになったので、3年間貸していたお隣のご家族に出て行っていただいたわけである。
もちろんいきなり追い出したのではなく、契約時に
「3年ごとの更新。最短で3年後に出ることになるかもしれない」
ということは承諾してもらっていたから、こちらとしてはなにも後ろめたいことはないのだが、やっぱりお子さんたちの転校や旦那さんの職場への通勤など考えると、なんだか気の毒かな……と思わずにいられなかった。

お隣のご夫婦は、家主が私の親だということを知っていたから、出て行かされる理由をすぐ察したことだろう。
悪いことをしているわけじゃないんだけど、やっぱり、ここ数ヶ月、なんとなくお隣の奥さんと会いにくくなっていた。
それはあちらも同じだったのかもしれない。
引っ越しが決まって以来、まるっきり顔を見なくなった。
もともとおつきあいがほとんどなかったのだけれど、「どうしたんだろう?倒れちゃったのかしら?」と疑うほどに、本当にぱったりと、奥さんを見かけなくなった。

年齢も私と同じくらいだし、おたがい子供3人ずつを同じ小学校に通わせていたのに、お隣の奥さんとは、なぜか最初から最後(に見かけた数ヶ月前)まで、うちとける機会がないままで別れた。
なんだかつかみどころがないひとだった。

一番近い場所では外壁どうしが1メートルくらいしか離れていないほどに密着して建っている家と家なので、そんな住環境では、とくに関心をはらっていなくとも、やはりお隣の生活のいろんな部分がわかってしまうものだ。
毎朝7時きっかりにトイレに入る人がいるとか、今日の晩ごはんは揚げ物らしいとかがわかってしまう。
こんな時間にまだ起きてるのかとか、知りたくなくても窓の灯りが目に飛び込んでくれば知れてしまう。
子供を怒る声も、聞こえてきてしまう。
自分のことを棚に上げていうけれど、お隣の奥さんが子供たちに対して怒っているとき、「あんな言い方しなくても、いいのになあ。」などと思っていた。
それもやはり、あちらも私のことを、同じように思っていただろう。
私が演劇部仕込みの大きな声で自分の子供たちをどやしつけている声は、そっくりあちらに聞こえていたにちがいない。
とにかく、じっさいには全然おつきあいがないのに、生活の深い一部分を知っているという、まことに奇妙な隣人関係が3年間つづいた。

2月末に引っ越すという話も、学校の友達を経由して人づてに聞いたのだ。
とうとう、挨拶もかわさないまま、ゆうべふっと消えるようにいなくなっていた。
勝手なもので、引っ越しの何日か前あたりにでも、最後の挨拶に来てくれてもいいのになあとちょっぴりだけ思った。
でも、そうやって離れていく人たちって、いるものだ。

今日になって、「もしも、お隣に、まったくちがうタイプの家族が入っていたら」と想像した。
3年前に入居してすぐに家族ぐるみのおつきあいになり、しょっちゅうお茶を飲みに訪問しあったりいっしょに出かけたり、ホームパーティーをやったりという、とことん仲よくなれる家族が入っていたら?
……そうしたら、たった3年で出て行ってもらうことを、ためらいなくできただろうか……?

浅い縁、深い縁、縁と縁がゆきあう。
春には横浜で両親が土地との縁を片づけて、隣の家に入ってくる。

by apakaba | 2005-02-28 22:48 | 生活の話題 | Comments(6)
2005年 02月 25日

日記がブログへ完全移管終了!で、思ったこと

きのうまで、「アキタコマチ」と「コシヒカリ」がふたりとも胃腸風邪で学校を休んでいたから、私も家から出られずにいた。
その時間を使って、サイトのトップに書き続けてきた「日記」をこのブログへと移す作業を、完全に終わらせた。

2002年11月にサイトを開いて以来28ヶ月ぶん、きのうまでで総計443日分の日記は、移管作業のためにさっと目を通してみても、一つ残らずいとおしい。
「うまく書けた!さあどうだ!」とばかりにアップロードのボタンを押した日が全体の何割になるかはわからないが、なにより、書いて、残してみると、「その日いちにち」そのものが愛しい。

この2年数ヶ月、漫然と、なんの事件もなく私の日常は過ぎてきたけれども、しかもわざわざ人に読んでもらうほどのことが起きた日など、ほとんどないんだけれども、なにより自分のためには、書いてきてよかったな……と思った。
義務感にとらわれてしまったり、書くことが苦しくなっていたらこんなこと意味がないもの。

by apakaba | 2005-02-25 13:57 | サイト・ブログについて | Comments(14)
2005年 02月 22日

やけど回復期、ゴム手袋をしないと家事ができない。そんなとき。

右手にゴム手袋をはめてしまうと、洗い物はできるが包丁を使った細かい作業ができない。
この2週間で、「コシヒカリ」はずいぶん包丁使いが上手になった。

兄二人も、小学校1年生ごろから、刃物をぼつぼつ持たせるようにしてきた。
でも今回はワタシのやけどというやんごとなき理由で、家族の中で一番ヒマな「コシヒカリ(小1)」が家事の多くを受け持つこととなった。

チビでも、やらせればけっこうできるもんだな。
学校から帰ってきて「おなかすいたー」と言ってチョコレートやスナックばかり食べようとするから、
「そんなのばっかり食べたらダメ、りんごを食べなさい。」
と“口だけで(手が出せないから)”言うと、ちゃんと1個むいて食べるし、晩ごはんの支度も、鍋物のような準備の簡単なものはひとりっきりで材料を切れるようになった。

このやけどを負うまでは、「コシヒカリ」は
「大きいほうちょうだと、こわーい。小さいナイフでやりたい。」
と言って、いわゆる“果物ナイフ(ペティナイフ)”を使って野菜などを切っていたが、やがて
「小さいとちからが、はいらない。大きいほうが、きりやすい。」
と言うようになり、ふつうの包丁を使えるようになった。
私も以前からずっと、小さいナイフがきらいだった。
小さいとかえって重心が定まらず、よけいな力がかかって指を切ったりしやすいように思う。
「コシヒカリ」の小さい手に、大きい包丁はどうかとも思うが、今夜のきりたんぽ鍋の具材は、まあ、ちゃんと切れていた。

by apakaba | 2005-02-22 23:04 | 子供 | Comments(3)
2005年 02月 21日

生まれ変わるカラダ

やけどをした話を、2月12日に書いた。
やけどをしたのは2月9日の深夜だったので、もう2週間近くたっている。
ひどい部分はまだ赤い炎症がある状態だが、軽い部分は、死んだ表皮がビリビリむけてきている。
当初グローブのようにふくれた手がしぼんだため、軽い部分は真っ黒でシワシワな、老婆の手のようになっていた。
それを見るたび落ち込んでいた。

でも、日が過ぎて、ごわごわの汚い皮がすこしむけると、その下から真っ白でみずみずしい皮膚が出てくる!
自分の肌のことを“真っ白でみずみずしい”なんて、ふだんなら絶対に書くわけがないのだけれど、今回ばかりはご容赦くだせえ。
なにしろずっとホラー映画若しくは原爆資料館みたいな手だったものだから、新しい皮膚が出てくると、ほんっとに、うれしくてたまらないのだ。
やけどの軽かった指から、一本一本、むけては若返っていく。
日焼けも水仕事の手荒れもまったく経験していない手の皮膚は、こんなに白くてやわらかいものだったのか!
左手でそっとなでてみると、水分がたっぷりで、羽化したてのセミの羽みたい(さわったことないけど)。
うれしくてずーっとさわっていたくなっちゃう。
自分のカラダの感触を飽きずに楽しんでいたことが、前にもあったような覚えがある。
うーん、なんだったっけ?

「赤ちゃんがね、お腹から出たばっかりのときの、自分のお腹、さわったことあるー?あれすっごい気持ちいいの!ぽよんぽよーんてして。
それが、赤ちゃんが出て、まだ分娩台の上に寝てる間じゃないと、もうちがうの。あとからさわっても、あのやわらかさはなくなっちゃうの!」
産婦人科の待合室で、近くに座っていた妊婦同士のおしゃべりが、私の耳にも入っていた。
二人目の子供の妊娠中、
“へええそうなの?どうせ生んでしばらくはお腹もだぶだぶしてるじゃない?そんなにちがうんだー。私もさわってみよう。”
心の中でその会話に加わっていた。

二人目のお産の直後、分娩台でお腹をさわってみたら、うわ、ほんとに気持ちいい。
ぽよ〜んぽよ〜んと、波打っている。
「翌朝の氷枕」といった感触。なんともたまらないさわり心地だった。
三人目のときも、もちろんさわりましたとも。
産褥期のお腹とも、もちろん現在の贅肉の感触ともまったくちがう、あのわずかな時間にしかさわることのできない感触だった。
「ああ、私、もう一生このさわり心地をたのしめないんだわ。」
もしももしも、息子たちの奥さんや娘の出産シーンに立ち会うようなことになったとしても(決してないとは思うが)、そのときに生まれたばかりの赤んぼほったらかしで産婦のお腹を夢中でさわるなど、万が一にもありえないもの。

この先、またひどいやけどを負って、だんだん皮膚が再生して、ビリビリむいてきれいな皮膚が出てくることは……ひょっとしたらあるかもしれないけど……もう、それはカンベンしてほしいなあ。

by apakaba | 2005-02-21 11:49 | 生活の話題 | Comments(4)
2005年 02月 19日

東京都美術館で、「アキタコマチ」のお面とミュシャ展を見た

昨年の12月14日に、次男「アキタコマチ」が区の図工展に選ばれた話を書いた。「ゆかいなお面」というものを作ったのであった。
(その話→当選!!
そうしたらこんどは、その作品が東京都公立学校美術展にまで選ばれたのだという。
今日で会期が終了するので、この前とおんなじお面を見に、またゾロゾロと出かけていった。

東京都全部(都下・島嶼部も含む)の、小学校から高校までの作品を一堂に展示している。
うちの区の代表は14作品しかなかったので、これはずいぶんたいしたものだとは思ったが、12月の感想と同じく、これがそこまですばらしいお面だったのかどうか、正直いうとよくワカラナイ。
美術ってそういうものなんだろう。
絶〜ッ対にこっちがうまい!なんてきっぱり決められるようなものでは、ないものな。
かつて離島が大好きだった私などは、「島嶼部」のコーナーでは思わず微笑みながら見てしまった。
八丈島・大島・神津島などの小学生は、“流木を動物に見立てて”とかいかにも島らしい作品を出していて、「かわいいなあ」「海岸で一生懸命さがして、拾ってきたのかなあ」などと想像する。

「うまいねえ!みんな上手だね!でもオレって、すごい!こんなにちょっぴりしか選ばれないところに入ってるんだから。ああ、きっと学校で表彰されるな。今日は最高にいい日だ!」
「アキタコマチ」は、前回の展示よりさらにぴかぴか顔を輝かせて、展示を見て回っていた。

会場の東京都美術館では、館内で現在ミュシャ展を開催しているので、帰りにこちらも見た。
本物の色は、たしかにとろけるように美しい、だけどなんか、“漫画オタク”“アニメオタク”っぽい画風だなあ。
これを100年前にやったから、革命的にスゴかったのだろうなあ。
「アキタコマチ」も
「マンガっぽいね。」
と言いながら歩いた。

また他のブースでは、東京芸大の学生たちが作品展の準備に追われていた。
トルソーやオブジェなどをわさわさと運んでは位置を決めている。
「アキタコマチ」は、その様子をじいっと見つめていた。

「ああ、今日は最高にいい日。オレは今日のことをずっと忘れない。」
いろいろなレベルの美術に触れた半日、「アキタコマチ」は満足でいっぱいという顔をして言う。
「ゆかいなお面」も、まあ、うまかったんだけれども、この子の一番いいところは、こういう言葉を照れもなくすらすらと人に伝えられるところだ、と私は思う。

by apakaba | 2005-02-19 23:46 | 子供 | Comments(2)
2005年 02月 18日

「恋人までの距離《ディスタンス》」までのディスタンス

10年ほど前の作品だが、お友達からの推薦が偶然に続いたので、やっと見てみた。

アメリカ人の男と、フランス人の女の一日限りのラブストーリーだ。
ヨーロッパ旅行中に列車内で知り合って意気投合し、ウイーンで途中下車して街を一晩中歩く。
身近なことや観念的なこと、あらゆる話題を延々としゃべりつづけながら。
翌朝には、それぞれの帰途へ着くため、わかれていく。
ちょうど半年後、同じこの駅でまた会おう、と約束だけして、住所も電話番号も教えあわないまま。
このラストを見ていた観客のだれもが、
「おそらく、半年後にあの二人は再会しないだろう」
と、感じる——。

この話の続編映画「ビフォア・サンセット」が、ちょうどいま、恵比寿ガーデンシネマで公開されている。
あの日の半年後、観客の予想どおりに再会ができないまま、9年の歳月が流れ、パリでまた偶然再会し、また限られた時間を二人きりで過ごす、という話らしい。

主演の二人、イーサン・ホークとジュリー・デルピーが、とにかくうまい、うますぎる。
互いに惹かれていく気持ちを抱きながら、ひっきりなしにしゃべりつつ散策を続けるなんて、これほど難しい演技はないと思うのだが、見事に自然、しかも二人とも、思わず手を伸ばして触れてみたくなるほど魅力的だ。
路面電車の車内で、停留所いくつぶんなのか、ものすごい長回しのシーンがあり、その間の二人の自然さには圧倒された。
自然さに圧倒されるなんて変な表現だが、あの長いテイクを一度で撮りきるとは、監督も、役者によほどの信頼を置いていたのだろう。
旅先のつかの間の恋、といってしまうと身も蓋もないが、なにか「ああ、こういうことって、あるよね」と納得されられてしまうのは、ひとえに二人の演技力のおかげだと思う。

別れが近づいていく夜明け前、公園の芝生に横たわり、抱き合ったところでシーンが切れ、次の場面ではもう空が明るくなり、二人は街角を歩いている。
……あのあと、(セックスを)したのか?……
と、掲示板でのお友達が話題をくれた。
したのか、しないままだったのか、はっきり描かれていないところがとても官能的なシーンだった、とその人は語っていた(まあ、女性の着衣が変わっているので、ふつうに考えればしたという流れだろう)。

なので私も終わり間際のその重要なシーンに期待&注目して見始めた……のだが。
ん〜、してもしなくても、極端にいえば、おなじこと、ではないかなと。

ああやって、知り合ってからの時間がわずかしかなくても、そのあとの人生に決定的な余韻をもたらす(であろう)恋の相手に、「あ。」っと突然めぐり会ってしまうことって、ま、あるんですよね。
そういう相手にめぐり会うことはごくまれにしかない、けれども、彼らは最初に目が合ったときから、お互いがその相手だと感じとっていた。
初めて手をつないだり、初めてキスをしたり、腕を組んで歩いたり、たしかに「知り合って、まだ数時間しかたってないのに?」と思えば接近が速すぎるのだけれど、もう出会った瞬間から結ばれていたのだから、体の接近は心の結び合いをあとからなぞるだけの、“必然的なトレース”だ。
「近づいていく」のではなく、すでに「近かった」。
だから(セックスを)してもしなくても大差はないとも思えるし、言うなれば二度結ばれていくのを見せられるのだからよけいに官能的とも見える。

だとすれば、別れのときが来て「半年後に、この駅のホームで!」とあんなに必死で約束をかわしても、会えないだろうなという予想は、簡単に立つ。
なぜなら、あの二人は“会っても会わなくても、おなじだから”だ。
出会った瞬間にもう完成しているカタチに、半年後の再会など入る余地も意味もない。
一日限りで数年分の恋をいっぺんに味わってしまったら、心にそれが完璧なカタチとして位置を占めるだろう。
だからもう、いいんじゃない?
そんなふうに、観ている方には思えるからだ。

それだけに、半年後ではなく、9年後の再会という設定には興味が湧く。
どうして今になって、再会する映画を作ったのか、意図を知りたい。
これをハズしたら、本作の価値まで落ちるにちがいない。
新作では、さらにふたりきりの時間は少なく、ふたりきりの闇夜もなく、真っ昼間の85分間だけらしい。
どうやって「恋人までの距離《ディスタンス》」までのディスタンスを埋めるのか、埋めないままでまたわかれるのか、気になる気になる!

by apakaba | 2005-02-18 23:02 | 映画 | Comments(6)
2005年 02月 16日

Casa BRUTUS インド特集号が、スゴイぜ!!

やけどで数日間ダウンしていた間、ずっと今月号のカーサ ブルータスを読んでいた。

Casa BRUTUS3月号
2月10日発売
特集:そろそろインドに呼ばれてませんか?
マガジンハウス ¥880

ご存じのとおり、カーサはインテリアやコンテンポラリーアートの専門雑誌である。
インドでは超高級ホテルから、駅構内の簡易宿泊所、果ては地べたに布団を敷いて寝ていた私には、めくるページめくるページ、まあ興味深いこと、新鮮なこと。
この特集号には、バザールの喧噪も川に入って祈りを捧げるインド人も登場しない。
ただただ美しくおしゃれでカッコいいインドだけが盛り込まれている。

ル・コルビュジエの計画都市や、国内外の一流建築家による現代建築、世界のトップレベルのホテルのニューオープン、キッチュでモダンなテキスタイルや小物の紹介。
カフェ、レストラン、ショップの紹介写真も、こ、こ、これがあのインド!?と目をむく、ソフィスティケートされたスポットばかり。

……行ーきーたーいー。

旅行者には喧噪と混沌ばかりが強調されがちだけれど、あそこはだてに大国じゃない。
多様さ、の多様ぶりが、なにしろ激しい。

中でもおもしろかった特集が、「ザ・コンランショップ」の設立者テレンス・コンラン卿の『モダンデザイン巡礼の旅。』。
インド主要都市のモダンな雑貨店を精力的に渡り歩き、闊達なコメントとともに数多くのスナップに収まるコンラン卿は、とてもお茶目。
ほんとにモノが好きなんだなー。

名著『インド建築案内』を著した神谷武夫氏の短いコラム『インドとモダニズムの邂逅。』も必読。
近代建築の三大巨匠と近代インド、また日本との関わり合いの歴史までを、簡潔に語ってくれている。

インド好きとしては多少気になるところもあるけど。
ヒンディーをあいかわらず「ヒンズー語」と誤った表記をしているし。
(なぜヒンズー語と言ってはだめなのか、ご存じない方はこちら!)
コンラン卿が見つけてきたプラスチックの水差し、これの用途が、トイレで「手」ではなく正しくはシモを洗う(残りの水で手も洗いますが。)ということくらい、インド通のコンラン卿なら絶対に知っているはずなのに、カーサ編集部で意図的に切り捨てられたのか、あくまで「手洗い用」と書かれているし。
まあ、綺麗なインドを存分に堪能させてもらえるのだから小さいことには目をつぶろうか。

はあ。なんにしてももう一回、行きたい。

by apakaba | 2005-02-16 15:32 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(14)
2005年 02月 13日

高校時代に受けたインタビューとは。

2月9日分に書いたインタビューの話がやけどでとぎれてしまいました。

高校生のころ、テレビのインタビューを受けたことがあった。
友だちとふたりで、鎌倉の由比ヶ浜へ行った。
海岸で寝っ転がっていたら、えらく馴れ馴れしいしゃべり方の女の人が、「つきあってる人いるのぉ?」とかなんとか話しかけてきた。
女ふたり、ビキニで寝そべってて、カレシがいるわけないだろうッ。
いや、いたかもしれない、でもそんなとこでそんなことしてるんだから、どっちにしろうまくいってたはずがない。

二言三言話してから、インタビュアーの女性は、あらためて、
「私たち、テレビ朝日の『親の目子の目』という番組を作っているんですよ。今回のテーマは、“高校生は、セックスしてもいいか?”ってことなの。ふたりに話を聞きたいの。思ったことを正直に答えてねっ。」
というのだった。
ええ〜ビキニ姿が全国放送かぁ、これってどうなのぅ、と、当時はまだ子供だったのでそれが真っ先に気になった。
寝そべっていたので起きあがろうとすると、スタッフの男性が
「あっ、そのままうつぶせに寝そべってだらーっとした感じがいいよ、そのままの姿勢でいこう!寝てて!」
といい、私と友だちはテレビのクルーに取り囲まれたまま、超リラックスした格好で取材を受けた。
すでに、心の中では
“なんか、やだなあオトナって。起きあがろうとどうだろうと私の勝手じゃない。テレビってこんなふうに作られていくのかー。”
という気持ちが生まれてきていた。

どう考えても親や身近な人間が番組を見ると思い、私は
「まだ独立していなくて、自分の行動の結果に責任を持てないうちは、やりたくてもガマンするべきだと思う。」
と優等生的回答をした。
一方友だちのほうは、
「好きだったら、べつにいいと思う。自然な気持ちだから。」
と答え、どうにもこれはシナリオどおりの二人だねえ、ボツになるわけがないな……と、語りながら思った。

案の定、放送された番組を見たら、何度もくり返し私たちのシャベリ場面が使われていた。
ちょろいもんだ。
ふと私のムネの下に出ているテロップを見ると、
「湘南海岸にて取材」
と書いてある。
……うそばっかり、湘南じゃない、ただの鎌倉由比ヶ浜じゃないの。
何年もあとで、『ダウンタウンのごっつええ感じ』の中で松っちゃんがやっていたギャグ「テレビの人間は、いつもそうか〜〜〜〜!」というせりふを、先取りして言ってやりたくなったぞ。

と、まあそんなようなことがあって、一般庶民としてテレビに出たり取材を受けたりすることに、すっかり不信感を持つようになっていったのでござるよ。
もう二度としゃべりたくないと思ったのね。
若かりしころのつまらんオモヒデです。

by apakaba | 2005-02-13 23:41 | 生活の話題 | Comments(4)
2005年 02月 12日

やけどをじでじまっだぁぁ

三日前の深夜、食事の後かたづけをしていて、沸騰湯を右手全部にかけてしまった。
主婦をやっていると、軽いやけどはそれなりにしてしまうこともあるので、「これしきのやけど」と、我慢して片づけを続け、ちょっと冷やして薬を塗って横になってしまった。

ところが、お湯をかぶってしまった当初より、だんだんだんだん痛みがひどくなってくるのである。
とても眠ることなどできない。
少しでも冷やすのをやめると、とたんに火にあぶられるような痛みが襲ってくるのだ。
しかたなく一晩中右手を氷水につけっぱなしにして、映画を見て朝を待った。
朝には右手が左手の二倍にふくれあがっていた。
もし皮膚がむけてしまったら一生のあとになると思い、とにかく手を動かさないように注意した。

皮膚科に行く道中もずっと保冷剤を当てていった。
治療のために、薬と包帯で治療をやってもらっているときが、地獄の苦しさだった。
3度のお産でも泣いたことがないのに、脂汗と涙がじっとりとにじんでしまった。

ありがたいことに、実家の横浜から母が手伝いに来てくれたので、家事を放棄して右手を動かさずにいることができ、そのためか思いがけないほど早くよくなっていった。

だいぶ腫れが引いた手を見て、母は
「ああ大丈夫大丈夫。これくらいならしばらくすればあとは消えるよ。やけどっていったら私はもっともの凄いやけどを見てるから。」
と言う。

戦争中、横浜の大空襲から母の疎開先へ逃げてきた祖父母(母の両親)は、皮膚が焦げて炭化するほどのやけどを負っていたのだという。
祖母の手の甲は皮膚がむけ、うじ虫がわいていたのだという。
「あんたのおばあちゃんの手にはすごいケロイドが残ってたでしょう。覚えてる?」

ああ!痛かっただろうなあー!
やけどって、ホントにホントに痛いもの。
もう亡くなったその祖母は、母と15歳しか年の離れていない継母だった。
年をとっても美人で色っぽい人だった(しらふで、黙っていればね)。
気合いを入れてお化粧して、爪もきちんと塗ると美しかった。
でもようく思い出してみると、手の甲には大きなケロイドがあったような覚えがある。
「あたしは美人。あたしはキレイ」
という女心が、なにしろ晩年に至るまで人一倍強い女性だったから、無惨な怪我のあとは、大空襲のおそろしい記憶とともに大きな傷になって残っていたのかもしれないなあ。

私の右手のやけどは、何年かたてば笑い話として記憶に残るだけとなり、あとはすっかり消えそうである。
ヨカッタ……

by apakaba | 2005-02-12 15:23 | 健康・病気 | Comments(12)
2005年 02月 09日

街頭インタビュー。「どうですか」は禁句だろう。

近所のスーパーへ買い物に行くついでに、いつものようにリサイクル品を出す。
家でペットボトル・牛乳パック・食品トレイを洗って乾かし、たまってくるとスーパーの入り口にある回収ボックスに入れるのだ。

今日はいやに人だかりがしているなと思いながら近づいていくと、テレビのクルーが10人ばかり、回収ボックスを利用するお客を待っているのであった。
うわ、イヤだなあ、私ああいうインタビュー大ッキライ。
絶対に取材を受けたくない……テレビになんか絶対映りたくないよー。
そう思って、自分では「話しかけないで」光線を発しているつもりだったのに、あ〜無念、マイクとカメラに取り囲まれちゃったよ。
小柄な中年男性が、マイクを手に立ちふさがった。

思いっきりうんざりした顔をしてみたので、たぶん使われないだろうな。
でも囲まれて逃げられなくなってしまったので、形ばかり取材を受ける。

「TB×ですが。いま、このボックスに入れられましたよね。いつも利用されるんですか。利用なさってて、どうですか。
きたきた、きたよ「どうですか」。
インタビューでこの言葉を使うのは、よほどのバカ者でしょう。
相手から意見を引き出すのに、もっともへたくそな問いかけの言葉だ。
よく、スポーツの試合後のインタビューとか、政治家へのインタビューでやってるでしょう。
マイクを突きつけ、
「さあ今日の試合、勝ってみて、どうですか!」
「選挙戦後半、どうですか!」
……あれでまともなコメントがかえってくると思ってるのだろうか。
あんたが聞かれてみなさい「どうですか」「どうですか」って。

「家から出すゴミが減るし、リサイクルになるので、しあわせだな〜と。」
オトナなので静かに答える。
「そうですかー。これはたまに当たり券が出て、それを使うとお買い物が安くなるんですよね。これは、どうですか。
「……しあわせです。」
「そうですねありがたいですよねー。当たり券があるのとないのとでは、どうですか。
「……あるほうが、しあわせだと思います。」
……まったくぅ〜〜〜……。

どうせ取材じたいが形式的なものなんだろう。
なんの番組だか知らないが、
「今日は、リサイクルの現場を取材してみました。ちょっと、利用なさっている方々に聞いてみましょう。」
とかなんとか言って、何人かの主婦から「とってもいいことだとおもいます。」という言葉が口から出て。
はじめっから台本が決まってる、こんなの放送して、それを視聴者が見て、はーお互い、ヒマだねえ。だからテレビがキライ。
うっかりと受け答えしてしまったのが無念だ。
高校時代以来、テレビカメラは遠回りしてでも避けてきたのに、バカだった。

ん、なんで高校時代かって?
その話はまた次回。

by apakaba | 2005-02-09 22:34 | 生活の話題 | Comments(7)