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2005年 04月 28日

清水義範『大人のための文章教室』をほんの一部分だけ読んだ

中学受験生の家庭教師をしていることを前に書いた(2004年9月30日)。

今日やったテキストの文章は、清水義範の『大人のための文章教室』からの抜粋だった。
「大人のための〜」と書いてあるのに小学生が読解問題で解いているのだからヘンな話だが、“<です・ます>文体と<だ・である>文体”についての章を読み、生徒も子供なりにふーんナルホドと感じたようだった。

それによれば、…………
幼い子供は、作文を書かせるとまず絶対に文末を<です・ます>でしめくくる。
これは“先生に読まれるものだから”という意識が働いていることが原因だという。
先生に向かってナマイキな文章を書くのはよくないと思うから(すなわち読み手と書き手に上下関係を含めた一対一の構図が生じている故に)、カマトトっぽい丁寧言葉で作文を書くのだと。

しかし、子供が長じてきて、センセイに読まれるなどという意識から解放され、話者(書き手)が神のごとき絶対者として文章を書く喜びを獲得すると、<だ・である>文体へと移行していく。
この文章は他のだれのものでもなく、自分のものだ、自分の自由な表現の場なのだと知った子供の文章は、解放感にあふれている。
そこに立ち会うのはじつにドラマティックなことだ。
文章を自分のものとするために、できれば<だ・である>調で書くことをおすすめする…………と、いうような章だった。

アマゾンのレビューを読むと、本多勝一の往年の名著『日本語の作文技術』とたびたび比較されている。
私も20年ほど前に『日本語の作文技術』には目からウロコをばらばら落としつつ読んだ(ウロコが散らかるだろ)ので、あの執拗なまでの作文への追究ぶりに較べると、かなりあっさりした軽い切り口だなあという印象を受けた。
今どきは、こういうすらすらと読みやすいもののほうが、ウケがいいのかな。

国語の家庭教師をしていると、いろんな文章にちょっとずつ触れられる。
いつの間にか、生徒といっしょに膨大な文章を読んでいる(ただ読むばかりでなく、切り裂き抜粋しまとめ上げ、といろんな料理をする)。
まあ、中学入試用だから、出典を調べて一冊読んでみようかな?と思うまでの作品はそれほど多くないけれど、今日はこの機会に清水義範という人の本を、こんどは小説ででも読んでみようかと思った。

出典の『大人のための〜』は、立ち読みでいいや。
だって彼の言っていることが、私には当たらなかったから——私は小学校一年生の読書感想文で、とっくに<だ・である>文体を使っていた。
娘の「コシヒカリ」も、一年生のころに、「だ、とか書くとかっこいい」と言い出して、日記でたまに<だ・である>を入れていた。
ははぁ、幼いころから、カマトトではなかったんだねえ(或る意味、目からウロコ)。

アマゾンのレビューはこちら……『大人のための文章教室』

by apakaba | 2005-04-28 23:34 | 文芸・文学・言語 | Comments(23)
2005年 04月 27日

図書室改造、どうせ“読み聞かせ”をやるなら

毎年あれこれ学校の委員などをやっているが、今年度は、小学校の「図書ボランティア」というものに登録してみた(ほかにもいっぱいやってるんですが)。
今日、その話し合いで学校へ行ってきた。

学校の図書室を、子供たちがよろこんで集まってくる魅力的な空間に作り替えていこうということが目的である。
あらためて図書室を見回すと、たしかにヒドイ、ひどすぎる。
なんとな〜く薄暗く、床はワックスがけもしていないし、本はたいてい綴じがぼろぼろでカビやホコリが気になる。
こんな本じゃ気持ち悪くて手に取る気も起こらない。
品揃えもお粗末で、冊数だけはあっても、貸し出し中になっているのは「かいけつゾロリ(人気の児童書)」ばかり。

まず掃除をして、ディスプレイを工夫し、処分すべき本を選択するなど、図書室改造のハウツーを、代表者が近隣の学校の図書室を見学して勉強してきた。

私の子供たちは、比較的読書はするほうなので、本離れに悩んではいないけれど、とくに長男が小学生時代に、口を開けば「本買って。」というのには弱っていた。
中学生になった今では、家にある本や文庫本を中心に読むようになってくれたからよかったけれど、児童書ってハードカバーで高いんですよ。
次から次へと請われるままに買い与えていたら、お金が続かない!!
長男が幼いころには
「よしよし、本好きの子供になってくれてよかったわ」
なんてうれしがる余裕があったけれど、だんだん「本買って」と言われるとムカムカして
「たまには同じ本をくり返し読め!」
と逆ギレしていたものだ。

本離れの子供も、うちの長男のような金食い虫タイプの子供も、図書室の本がきれいで充実していたら、きっともっともっと利用してくれるだろう。
お母さんも助かるわ!

というわけで、一年間活動していくことになったんですよ。

活動のひとつとして、本の“読み聞かせ”があがっている。
私は“読み聞かせ”という言葉自体が、おしつけがましい感じがしてどうも好きではないのだが、ようするに朗読をして、子供にお話のおもしろさを知ってもらおうということだ。

じつは、自分の子供たちには読み聞かせをした経験がほとんどない。
でも芝居系は割合に得意分野なので(当欄2003年7月5日分参照)、私だったらいくらでもやれると大風呂敷を広げてきた。

ひそかに野望を抱いているのだ。
最初のうちはせりふの多い冒険ものなどを読んで「あのおばさんはうまいなあ」と思わせておき、「あのおばさんが読みに来るなら聞きに行こうかなあ」と集まってくるようにして、じりじりレベルを上げていって最後には夏目漱石の『坊ちゃん』『夢十夜』くらいは読みたいねえ。
小学生に、迫真の朗読で『夢十夜』の“第三夜”でも聞かせてみたら、……ぞくっと、こわすぎるかね?

夏目漱石 『夢十夜』全文

by apakaba | 2005-04-27 23:27 | 文芸・文学・言語 | Comments(11)
2005年 04月 26日

筍ばっかり食べてる

ここのところ、毎日たけのこを食べている。

まずなんといっても、うす味で煮る(炊くというのかな)。

それからたけのこごはん。
たけのこだけをしっかり味つけして『たけのこごはんの素』を作っておき、ごはんを炊くときにいっしょに加える人もいるが、私はたけのこに味をつけないままで、お米といっしょに炊飯器にかけて炊くほうが好き。
そのほうがより歯触りと香りがいいように感じる。

そのあと、お吸い物にすることもあるが、たいていは焼いてしまう。
こんがりとソテーにして、バルサミコ風味のソースをテキトーに作ってかけて食べる。
今夜はバルサミコ酢と砂糖と醤油だけで作ったが、2年前の日記を見てみたら、もっとあれこれ入れたソースを作っていた。
2003年5月。ラ・ブランシュの“筍のソテー”を、記憶を頼りに真似してみた

2年前、テキトーながらもガンバッテますね……
でももう今年はいいや、たくさん食べたよー。
また来年〜。 
来春までは水煮を買って、青椒牛肉絲でも作ってることにします。

by apakaba | 2005-04-26 23:13 | 食べたり飲んだり | Comments(15)
2005年 04月 22日

おとなの女の人がトシを言うこと

私の家に勉強に来ている生徒が、
「せんせー、せんせーは何歳?」
と聞く。
1年生になったばかりのおしゃまな女の子だ。
リスみたいなくるくるした目で、どう答えるのかと私の反応をうかがっている。
「わたしは、ええと今37歳。9月にお誕生日が来ると、38歳。」
と答えた。

その子は目をまんまるにして、
「へええー!せんせーよくそんなこと言えるね。はずかしくないの?」
「どうして?」
「だってともだちのお母さんとか、おとなの女の人は、みんな『いやあね、そんなこと聞いたらダメなのよ』とか、『失礼でしょ』とか、はずかしがって答えないよ。えっへっへ。だからせんせーにも聞いてみたの。」
「あー、そうね。そういう人は多いね。なんでそういうふうに言うのかねえ。わたしはちっとも恥ずかしくないよ。トシをとるっていいことだよ。たのしいよ。自分のトシをかくすなんて、ばかばかしいことだよ。」
「そうだよねえ。どうしていやがるのかなあ。わかんないなー。」
「人に言えない人生を歩いてるってわけでもないでしょ。自分のだいじな1年1年だよ。隠す必要なんてないの。」

べつの1年生の女の子
「そうだよートシをとるっていいことだよー。だってトシをとれば、天国に行けるもん!」
「いや〜、ワタシはさすがにまだ天国には行きたくないなあ……。」

年を隠したい気持ちがわからないわけでもないが、隠したことがない。
最近は、めんどくさいので「もうすぐ40歳」とか、むしろ上の年齢に近づけて言うこともあるくらいだ。
隠したり、1歳でも若く、と偽ったりするほうがむなしいような。

このお嬢さんたちが“おとなの女の人”になったときに、ワタシの言葉を覚えているかな〜。

by apakaba | 2005-04-22 23:36 | 生活の話題 | Comments(17)
2005年 04月 19日

アクセサリーは、大ぶりを重ねづけ。らしい

ファッション誌によれば、ネックレスやバングルは、ボリュームタイプが復権し、とにかくじゃんじゃん重ねてつけるのがインだそうな。
細いプラチナのチェーン、一粒ダイヤモンドのネックレスをVゾーンに、なんてもう完全にアウトなんだな。

高くなくてもいい。
量と色の多さで勝負。
ははあ、それならいくらでもあるわよ。

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左から、湯島聖堂の名物フリマ「楽市楽座(毎月開催されていたが現在は中止)」で買った青い石のネックレス。
夫の祖母がくれたさんごのネックレス。
グリーンと朱の大きいネックレスは、インドの山奥で、チベット人の露天商から買ったものだ。

同じ形のものをふたつ買うなんて、我ながら愚かだと思ったけれど、両方とも色が素敵で、とてもどちらか一つは選べなかったのだ。
グリーンはビーズだけれど、朱のほうは、これもさんごでできている。
かつてヒマラヤが海の底だったことを物語る、ロマンのかけらだ。
ダライ・ラマさんの法要の会場で買ったから、ま、持っていればご利益ご利益!と大盤振る舞いしたものの、帰ってからは結局ほとんど一度もつけていなかった。
ましてふたついっぺんにつけるなど、考えもしなかった。
でもやってみたら、すてきだった!
補色ってスバラシイ!
四つ全部つけると、無秩序な胸元がたいへん結構!
見ていて元気が出る。

でも……「うをッ。重い……」
これだけぶらさげるのはなかなかの重労働なのだった。

ところが、玄関を一歩出ると、もう重さのことはけろっと忘れ、たまに自分の映る鏡を見ると、色の氾濫に満足満足。
超セール品のスカートを二着買って帰ってきた。

そしてまた玄関から一歩中にはいると、「重い……」
いきなり重さがぐっと首に掛かってくる。
さっさとすべてのネックレスをはずしてしまう。
これがトシってことかなー。
きっと若いころなら、一日中よろこんでつけてただろうに。

by apakaba | 2005-04-19 23:58 | ファッション | Comments(13)
2005年 04月 18日

「男に馬乗りにされる」

兄「アキタコマチ」にいわせると、小学校2年生に進級した「コシヒカリ」は、“男にモテモテ”だそうだ。
私は娘が男にモテモテ状態でいる現場を見たことがないので、「ほんとなのー?」とか言っていた。

さっき「コシヒカリ」が言うには、
「あのねーわたしねー、男ふたりにはさみうちにされておいかけられたりすることがある。でもにげ足がはやいからにげちゃう。」
「へえ、そうなのー。追いかけてくる男の子ってだれ。」
「○○君と○○君と○○君と、あと○○君も。」
「えーっそんなにいっぱい。その子たちは、『コシヒカリ』を追いかけ回してなにをしたいんだろう?」
「わかんない。でもおいかけてくるの。でもたまにつかまっちゃう。」
「つかまったら、なにをされるの!?」
「うーん。あのねきょうしつのゆかがすべるでしょう。それで足がすべって、こう(四つんばいに)なっちゃったら、男の子が」
「男の子が!?」
「ここ(腰)にのっかってくる」
「なんだってええ〜〜ッ」
「それで“おんまさんぱかぱか”とか言う。それだけ。」
「……ふうん、じゃあ男の子たちはただ『コシヒカリ』にかまいたくてくっつきたいだけなのね。」
「よくわかんない。」

あのくらいの年ごろの男子って、どれくらいまで女子を異性として意識しているのか……知りたい、いややっぱり知りたくない。

by apakaba | 2005-04-18 21:40 | 子供 | Comments(7)
2005年 04月 16日

“鼻の下”

「コシヒカリ」は、私と顔をくっつけるのが好き。
顔の部分ごとにくっつける。
アタマとアタマ。
おでことおでこ。
まゆげとまゆげ。
まつげとまつげ(まばたきするとかならず、くすぐったがる)。
鼻と鼻。
鼻の下と鼻の下。
口と口(ちゅ。)。
アゴとアゴ。
ほっぺとほっぺ。
耳と耳。
首と首(これもかならずくすぐったがる)。

「ねー、なんで“はなの下”は名まえがないの。ほかはぜんぶあるのに。」
「そうね、どうしてだろう。“鼻の下”なんてかわいそうな名前だね。」
「じゃあわたしがつけてあげる。うーん。“ばへー”がいい。これから“ばへー”とよぶことにしよう。」

“ばへー”だそうです。
鼻の下の新しい呼び名は。

by apakaba | 2005-04-16 22:34 | 子供 | Comments(4)
2005年 04月 15日

「アキタコマチ」が入院してしまった

新学期がとっくに始まっているのに、5年生の「アキタコマチ」が一度も学校に行っていない。
胃酸が上がってくる感じがおさまらないらしい。

きのう、大学病院の外来で診察を受け、
「このままではずっと登校できないから、一度入院して、いろいろな検査を全部やったら?」
と勧められ、そのまま入院となった。

入院の手続きをしていると、看護婦さんの持っている書類に「ミタニ・アキタコマチ、緊急入院」と書いてあり、うわ〜おおごとっぽいなーと感じる。
でもその下の「病名」の欄には「胸やけ」と……ださいぞ。

病名がつかない病気だ。
それだけに、長くかかりそう!
潰瘍とかの大きな病気が隠れていないとは言い切れないけれど、まあ、それはなさそう。
入院は一週間から十日くらいだと思うが、親の精神的なサポートは、長く要るんだろうなー。
なるべく、面会時間にはめいっぱい長くいるようにして……会話をしよう。
それくらいしかできないしなあ。

by apakaba | 2005-04-15 14:42 | 子供 | Comments(8)
2005年 04月 12日

旅行記リニューアル中で、考えること

メインサイトをリニューアルして一ヶ月近く経つが、文章量の多い旅行記だけ、なかなか新デザインに移す時間がとれずにいた。
新学期になってから「アキタコマチ」が病気でずっと休んでいるので、私も家に缶詰。
この際、手つかずだった旅行記の欄を改装しちゃおう。

サイトに最初に載せたイスラエル旅行記を、半分くらい改装したところ。
何年も前に書いたものなので、読み返しては粗を手直ししているが、いつの間にか読みふけっていたりする。
自分で書いたのに「うま〜い!」と思っていたりするからおめでたい。


『 我々のほかに、観光客など一人も見あたらない。
 “グランドキャニオンのように雄大な景勝地”という、手垢まみれの惹句(じゃっく)とともに、一億年前と変わらない景色が、眼前にうち捨てられている。
 なんの音もしない。
 自分のしゃべる声が、乾いた大気に瞬時に飲み込まれていく。

 舌の上に、ゆうべのビールや、ワインやチーズやパンや、この国で口にしてきたさまざまな味が、不意に蘇る。
 ——中東和平交渉は、いまどうなっていたっけ?——
 この地の、豊かさと混沌を同時に思い、そのどちらもから完全に解き放たれた景色の前で、私はこの国を、とても愛しいものに感じる。(第10話)』


うわここかっこいい、誰が書いたの?!
ぅあ、アタシじゃん!
とか。

「ササニシキ」は、祖父母が撮ったホームビデオを見ていて、自分のおどけている場面が出てくるとずっと爆笑している。
何度も同じ箇所の自分を見て、本気で大受けしている。

明石家さんまみたい。
明石家さんまが、自分の出ている番組の録画を見て、涙が出るほど自分でウケているというのは有名な話だ。

DVDの特典で、「監督自身によるコメンタリー」がよくある。
あれを聞きながら本編を見返していると、
「このシーンの、あっ、ここ、この俳優のこの目がいいね」
「彼の後ろから当たっている照明の色がすばらしい」
「この大きなビルが主人公の心の閉塞感を表しているんだ」
など、ただならぬ思い入れを持って作品を見ていることがわかる。

反省とオメデタさ、冷静さと思い入れ。
なにが欠けても、モノは作れない。
私レベルでも、「ササニシキ」レベルでも、さんまレベルでも、一流映画監督のレベルでも。

とりあえず、せこせこリニューアルをつづけているので、ゼヒ見に来てください!

by apakaba | 2005-04-12 10:13 | サイト・ブログについて | Comments(7)
2005年 04月 09日

「アキタコマチ」のひとりごと

熱を測るときにさ、おでことおでこをくっつける人っているじゃん。
あれってほんとに熱測れるのかな。
そしたら体温計は脇の下にはさむじゃん。
脇の下と脇の下をくっつけたら、熱測れるのかな。
脇の下におでこをつっこんだら、熱測れるのかな。
おでこに脇の下の汗がくっつきそうでやだな。

by apakaba | 2005-04-09 11:07 | 子供 | Comments(4)