あぱかば・ブログ篇

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2005年 05月 30日

子供の学力低下

*この記事は、2004年11月に、メインサイトの随筆欄に書いたものを転載したものです。

私は、自宅で幼児と小学生に勉強を教える仕事をしている。
仕事柄、教育情報をいろいろ勉強している。
先日、勉強会で、来年の4月に出される小学校の教科書の見本を見てきた。

来年度に教科書改訂があることをご存じだろうか。
来年度から使用される教科書は、現行の教科書の内容から、3割内容が増えるのである。
ゆとり教育の考えのもと、この30年で、公立小学校・中学校教科書の内容は半分がカットされてきた。
つまり私が子供だったころの半分しか学ばないままで、義務教育を終了することになる。
複数学年に渡って履修してきたことを、すべて単学年で学習する。
授業時間は昔よりずっと少ないから、新幹線授業になる。
それがピークに達したのが2002年教科書改訂で、このときの教科書(つまり現行教科書)こそが、30年前の半分の教科書なのである。
カットされた内容は、中の下レベルの子供が解けずに悩んでいた内容であり、それによって「ボクは、ワタシは、勉強できてる」と思いこむ子供が増えた。

教育界では『2002年ショック』と言われたこの教科書が出されたとき、文部科学省は、次のように宣言した。
「これからは、学校・家庭・地域の3つで子供の学力向上を図るべし」
すなわち学校だけではもう面倒見きれませんという、公の宣言である。

同時に、通知表に“絶対評価”が導入された。
これまでの“相対評価”にくらべ、担任の先生の胸一つで評価を決められるため、たいていの子供の成績は、表向き、アップした。
教科書改訂に関しては、学校から家庭へのお知らせはしなくてもよいので、親たちは、自分の子供の学力を過信してしまう。

しかし、全国で学力診断テストなどおこなうと、おそろしい結果が出てくるのである。
他の科目より、まず一番目に見えてわかるのが、算数の学力低下である。
小4の半数が、2桁同士のかけ算が、できない。
80×40なら、正答率は48.2パーセント。
47×64になると、正答率は40パーセントとなる。
3桁×2桁の問題は、それ自体が出題されない。

できなくったっていいじゃん、電卓あるんだから、と言えるレベルだろうか。
2桁同士のかけ算さえできないのは、さすがに笑えないだろう。
我々大人から見たら、なぜ計算ができないのか、それがわからない。
なぜなら我々は、小学生時代に、練習問題をたくさん解いているからだ。
ゆとり教育で、プラクティスの時間がばっさりと切られた。
先生はもちろん解法は説明しただろう。
しかし、“わかる”と“できる”は、また別の問題なのである。
自分でやり方をわかったと思っても、実際に解けるかといったら、できなかったりする、そして実際解けなければ、勉強は意味がない。
この30年間、一貫してゆとり教育を提唱してきた文部科学省も、さすがにこの学力低下は目に余ったらしく、最後の改訂からたった3年で(見直しにはまる1年かかるから、実質はたった2年で)来年度の改訂となった。

では、ゆとりで増えた余暇のおかげで、いまの子供たちは暇をもてあましているのか、といったらそんなことはない。
子供たちはそれなりにいっぱいいっぱいで暮らしている。
逆に、私たちが子供だったころ、いまの子供たちの2倍の勉強量で、毎日ひいひい言っていただろうか。
これも、そんなことはない。
小学校時代をふりかえって思い出すのは、遊んだ記憶ばかりで、勉強の重圧に苦しんだ記憶など、一つもないのである。
つまり、子供というのはいつでも、与えられた環境の中で、それなりに暮らしていけてしまう、スポンジのような弾力性と柔軟性を持っているものなのだ。
ゆとり教育を責めているわけではないが、ゆとりにしたところで子供のためになっているかといったら、それは完全に勘違いであるということだ。
子供の学力を向上させたいのであれば、難しい問題をカットしてはいけない。それでは学力低下スパイラルにはまってしまう。
ちょっと難しい問題を入れて、いつでもちょっと負荷をかけるのが必要だ。
高いところを見ていなければ自分の正しい位置が分からない。

私の教室に、体験学習にやってくる子供は、ひとり残らず「続けてやりたい。絶対入りたい。」と言う。
なんだか知らないけれど、これまで何十人も来た体験入会の子供で、「勉強やりたくなーい。」と拒否してきた子はひとりもいない。
最初はお母さんに無理矢理連れてこられた子供も、かならず「おもしろかった。続けたい。」と言うのだ。
しかし、やはり各々の家庭の事情で正式に入ってくれない場合もある。
お金の問題、他の習い事との関係などでやめていく子もいる。
それはそれで仕方がないと思うが、たまに、母親はつづけてほしいと思っているが、父親が反対しているから続けられません…というケースがある。
父親は「学校で勉強しているんだからまだ塾なんていいじゃないか。小学生のうちは遊んでいればいい。学校の成績がふつうならそれでいい」と言うのだと。
こういうのは本当にがっかりだ。
義務教育の現状を、まったくわかっていないお父さんだ。
あなたの時代とは違うのですよ、昔の半分の教科書を使っているのですよ、しかも絶対評価なんだから通知表は甘くつけてあるんですよということを、言いたいけれどお父さんがいらしてくれない限り、直接は言えないのがもどかしい。
こんなところで私が言っても仕方がないのかもしれないけれど、ここを読んだ小さい子供を持つお父さんとお母さんには、知っていてもらいたい。
子供の学力は、学校だけではまかなえないということを。
自分の子供にそれなりの学力をつけてほしいと思うなら、お金をかけなければ、いまの日本ではムリだ。

元来、教育というのはすべての子供に平等に開かれた、世に出るためのチャンスだったはずだ。
ところが今では、親にお金がなければ満足な教育さえ受けられない状態になっている。
子供が難関校へ進学するかどうかが、親の年収で決まってしまう。
成熟化社会の行く先はこんなところなのだろうか。
高等教育を受けられる子供と、お粗末きわまりない義務教育しか知らずに育つ子供。
日本のあらゆる局面で目立ち始めた“二極化”は、教育界でも例外ではないのだ。

by apakaba | 2005-05-30 23:21 | ニュース・評論 | Comments(4)
2005年 05月 29日

“不登校”でも“引きこもり”でもなく

すでに幾度か各所に書いているとおり、次男の「アキタコマチ」が、数ヶ月前から胃腸の調子を崩している。

先月、大学病院に入院して、尿検査・採血・レントゲン・内視鏡・MRIなどおこなったが、胃壁に若干萎縮のあとが見られるものの、ポリープなどはなく、どの数値も正常値だった。

そんならもう明日からでも学校へ行かれるだろう?
と思っていたら大まちがいで、退院して一ヶ月たつのに、まだ一回も、始業時刻から登校できていない。
それどころか、だいたいは欠席して、家で苦しんでいる。
行けても一時間か二時間くらい。

これといった病因がないのに、吐き気と腹痛で学校へ行けない。
多くの人は「ああ、早い話が学校がイヤってことね」と思うことだろう。
けれどもそういう感じでもない。
学校に早く行きたい、明日は行きたい、と毎日言っている。
ただ、日がたつにつれ
「今日も行けなかった、また今日も行けなかった、オレは一体いつになったら元気になってちゃんと学校へ行けるんだろう?」
という、焦りと敗北感は募っていくようである。

こういうときこそ、親は大きくかまえて子供の苦しみを受け止めなければと思うのだけれど、24時間いっしょにいて、朝起こしたときからずーっと「ううっ!ああっ!」とうめき声をあげ、いっしょに食事をしている間じゅう「むかむかする、気持ち悪い吐きそう」と言われつづけ、買い物にさえもゆっくり出られない毎日が何ヶ月も続いてくると、さすがにぐったりだ。
「行け馬鹿野郎!お前は病気じゃないんだ!!」と蹴りそうにもなってくる。

一番苦しんでいるのは本人と頭ではわかっていても、息子とずっといっしょにいると、こちらまで胃がむかついてくるし、なぜか下痢もしやすくなってきた。
この生活、いったいいつまで続くんだろう。
もうイヤ〜〜〜〜〜!とだれかに当たり散らしそうにもなった。
(それでも、私はサイトをやっているので、(激流)掲示板を眺めているのが息抜きになるのである。
ブログでのコメントにも、本当に救われ、励まされた。ありがとうございます。)


祖父母たちなど親類もみんな心配していて、中には
「心療内科とかカウンセラーに相談するべき」という人もいた。
これはもう典型的な“不登校”だからぐずぐずしているヒマはない、一ヶ月学校に行かなければそれは立派な“不登校”。新学期からほとんど学校に行っていないのは完璧に不登校。手遅れになる前に、専門家へ相談に行くべきだ、と。

しかし夫と私は、家庭が壊れていて親子関係が崩れているような場合にはそれも有効だと思うが、我々と「アキタコマチ」の関係には信頼関係があると思うので、家庭で見守っていきたいと考えた。
なのでカウンセリングに行くことは、しない。

そう決めたからには、私もイライラしないように気をつけて、家でゆっくり会話をしよう。
なにが原因なのか、つきとめようとしてもあんまり意味はないと思う。
兄弟関係とか、勉強の成績とか、気を遣う優しい子なのをいいことに親があまり手をかけてやらずにここまで来たということもあるだろうし、原因をこれと突き止めてそれを克服しようとしても、仕方がないように思える。
のんびりしたペースの子供なので、なるべく追い立てずに、だんだんともとの生活に戻せるようにしていこうと考えている。

この生活の中で、彼はかなりの量の本を読んでいる。
勉強をするほど元気は出ないようだが、読書ができるくらいに回復してからは読みっぱなしで読んでいる。
それからお気に入りの本の表紙絵をまねて水彩画を描いたり、家庭科で買った「裁縫セット」をあけて、針を使っている(いまは男の子も家庭科をやる。女みたいという意識はなく、図工の感覚に近い)。
そういうことをしていると体の不調が軽くなるらしい。
学校を休む暮らしが永久に続くわけではなく、もとの体にかならず戻るよ、そして何年もたったら「あんなことがあったねえー」と笑い話になるよ……と息子に話している。


先日、退院のときにどっさり渡された胃の薬がとうとう切れてしまった。
そうしたらやはり、飲んでいたときより苦しみが強くなってしまった。
もう大学病院に通う必要はないと思い、風邪のときにたまに行っている近所のお医者さんに行ってみた。

これまでの経緯を説明した。
「なるほど。もう調べ尽くしてなにも出なかったわけですね。
病気には、二種類あります。ひとつはポリープ、潰瘍、がんなどがあり、その病因をとりのぞく。
もうひとつは、機質的なもの……なんだか下痢しやすい、とか、喉が痛くなりやすい、とか、もともとそういう体だってことです。
こう考えてはどうでしょう。自分は病気だ病気だ、どうしたらいいんだろうと悩むのではなく、そういう自分を、“受け入れる”というふうに。
そういうもんなんだ、これが自分だ、と受け入れてみるのは。
これは長くかかると思います。一ヶ月、二ヶ月、ことによっては一年くらいの長さを見た方がいいかもしれません。それくらいゆっくり考えていいと思います。
ただしかならず治ります。
一生このままってことはありません絶対に。
大丈夫、キミは治ります。
これだけ大学病院で詳しく調べたんだから、キミは病気ではない、そういう体なだけです。
だからもう大学病院に行って何度も血を採られたりする必要もないんだ。」

「アキタコマチ」の顔は、先生の言葉を聞いているうちにどんどん明るくなった。
我々両親が考えていたのとまったく同じことを話してくれた。
他人から聞くと、親から聞かされるのとまたちがった効果があるようで、“やっぱりお父さんとお母さんの言っていたことは合ってたんだなー”とも思うようで、帰り道は
「オレ、あの先生スキ。行ってよかった。」
と飛び跳ねていた。


まあこんな調子の暮らしです。

by apakaba | 2005-05-29 12:00 | 子供 | Comments(14)
2005年 05月 21日

雑草花粉の花粉症に苦しむ

スギ花粉で辛い春を過ごしたみなさま、おつかれさまでした〜。

私は、スギのアレルギーはさほど強くないのだが、雑草花粉が苦しい。
5月になると、カモガヤなどのイネ科の雑草が出てきて、いまとにかくぐったりしている。

アレルギー特有の、ぽたぽたたれてくるような粘りけのない鼻水なので、花粉用マスクなどしていても結局しょっちゅうマスクをはずして鼻を拭かないとだめ。
(前から思っていたんだけど、あの使い捨て花粉マスクって、とめどなく鼻水がたれてくる場合には意味がないんじゃないかな。)

だから家にいるときには、ティッシュを細く折ってリング状にして、両端を両鼻に突っ込んでいる。
つまり牛の鼻輪のようにする。
どうせマスクでは間に合わないしマスクより鼻水を吸い取ってくれる。

「眞紀ちゃん、ティッシュを両鼻に詰めちゃうといいよ。」
中学生のころ、アレルギー性鼻炎でひどいバカ面をさげていたとき、同級生のかわいい女の子が教えてくれた。

「もうね、鼻かまないの。ずっと詰めっぱなしにして、ティッシュがびちょびちょになって、鼻水が輪っかのまん中からピチョンと落ちるまで詰めっぱなしにしておくの。そしたら鼻輪をはずして、ブーンと思いっきり鼻をかむと、すごくすっきりするの!」
大きい目をくるくるさせてその子が言う。
そしていま鼻をかんだばかりのようにケラケラうれしそうに笑う。
そうなんだー、こんなかわいい子も、家ではティッシュ詰めてるのね。

それ以来、20年以上、私も鼻輪を作って詰めているのです。
ティッシュの輪が右と左からだんだんびちょびちょになっていくのをじっと待っているのは、なかなか快感。
鼻輪の濡れていくスピードが速いほど、「オオッ、今日はキテルナー。」となぜかうれしい……でも急な来客のときに、うっかりそのまま玄関に出そうになったことが何度もある。

by apakaba | 2005-05-21 12:02 | 健康・病気 | Comments(21)
2005年 05月 20日

ひとつ、わかるようになった

子供の病気でサイト更新がままならない日々が続いていたが、今日は少し時間がとれたので、メインサイトでずうっと頓挫していたイスラエル旅行記のリニューアルを完成させた。

しかし、アップロードボタンを押しても、画面はきのうのまんまの動かないまま。
何度ためしてもだめ。
公開設定を洗い直してもだめ。

いよいよ困って、私が使っているHP作成ソフトの会社のサポートセンターに電話した。
それによると、「キャッシュがたまりすぎている」ことが原因とのこと。
フラッシュを使ったサイトはキャッシュをためやすく、本当はアップロードされているのにブラウザに最新の画面が表示されなくなるとか。

“キャッシュを空にする”をやったら、ワーイちゃんとアップされたのが見えたよ〜!
そんなことも今まで知らずにやってきたんだからだめだわ。
でも、おかげさまで今日も一つお利口になったことよ。

みなさまも、メインサイトの更新情報と内容がずれているということがあったら、キャッシュを空にしてみてください。
そして整理整頓されたイスラエル旅行記も読んでね。

by apakaba | 2005-05-20 23:46 | サイト・ブログについて | Comments(3)
2005年 05月 19日

冴えない

書くことがない毎日ってわけではないんだけど。
子供が具合悪いと、私も文章を書く元気がなくなっていくの。
文章って元気がないと書けないので。
子供が元気ないならそういうときこそ親が元気にならねばとは思うんだけど、同調してしまうというか、いっしょにどんよりしてしまうのね。

私は昔からそう、人が寝込んでいると、明るい笑顔で励ますよりも、自分も調子が悪くなっていっしょに寝込んでしまうタイプ。

by apakaba | 2005-05-19 14:21 | 生活の話題 | Comments(8)
2005年 05月 14日

職場体験、やるとしたら

「ササニシキ」の中学では、2年生のときに『職場体験学習』というものが必修になっている。
7月に一週間、学校へ行かずに職場へ直行・直帰し、さまざまな労働を体験する。

受け入れ先は、老人ホーム・児童館・図書館・スーパー・理容店・神社・飲食店・クリーニング店・回収業者・ペットショップ・エステサロン・動物病院・自動車小売店など実にバラエティーに富んでいる。

100人以上の中学生が街中に散らばっていき、どう考えても足手まといながらも一週間職場を体験するなんて、想像しただけでもご苦労さんというか、かわいいなあというか。

「あんたはどこに行きたいの。図書館なんていいじゃん、本が好きだから。」
「いや、ちがう。」
「もう行きたいところ決めてるの。」
「うん、オレは“銭湯”がいい。」

てっきり図書館と言うと思っていたので、驚いた。

「へえ!銭湯!どうして?」
「おもしろそうだから。」
「でも番台に座らされたらどうするの、女湯も見えてハダカをいっぱい見ないといけないよ、そしたらどうするの(初代『金八先生』で野村義男がそんな役をやっていたことを思い出しているワタシ)。」
「そんなのやらされるわけないじゃん。」
冷静でおもしろくないヤツだ。

「デッキブラシででっかいお風呂場の掃除をやってみたい。」

自分が行くみたいに、わくわく。職場体験。

by apakaba | 2005-05-14 23:24 | 子供 | Comments(17)
2005年 05月 13日

落書きをしてしまう子

自宅のリビングで近所の子供たちに勉強を教える教室をやっている。
子供が全員帰ったあとで部屋を掃除していると、しばしば落書きが見つかる。

椅子の座部に、私がいつも幼児さん相手に書いている花丸が鉛筆で書いてある。
鉛筆削りの側面に、ハートマークに囲まれた女の子の絵が描いてある。
食事をするテーブルをそのまま勉強机にしているが、そのテーブルにも、たまに鉛筆でなにか塗ってあったりすることがある。

どうして、どうして、人の家のものに書いてしまうんだろう?
私はそういうことを絶対にしない子供だったので、はじめのうち、理解できなくて苦しんだ。

「だれがやったの!」
と問いつめても解決にならないと思い、だまってしばらく観察していると、どの子もそれなりに一生懸命に勉強している。
子供たちの態度から考えても、私にいたずらをしてからかおうとか、わざと困らせようという子はひとりもいない。

手が勝手に動いてしまう……なんて、大人なら決してゆるされないことだけれど、そうとしか説明のしようがない。

私のところに来ている子供は、園児と低学年ばかりである。
まだまだ、神様からの預かりものといった感じの小さい子だ。
所有の概念とか、自他の区分けとかが、まだあいまいなんだろうなあ。
ワークシートの片隅にちょこっと書いている落書きが、ただ延長してしまっただけ。

褒められることじゃないんだけど、叱る気になれない。
「きょうしつないのおやくそく : らくがきはいけません」
なんて壁に張り出せば簡単だろうが……

by apakaba | 2005-05-13 23:55 | 生活の話題 | Comments(7)
2005年 05月 10日

一文無し、でも母の日……

先週の日曜日、
「母の日かー。資金難だけど、まあ、鉢植えの花でも買ってこよう」
と思い立ち、子供ふたり連れて花屋へ行く。

私は私の母に、安い蘭の鉢植えを買った(義母にはすでに花束を贈ってあった)。
「コシヒカリ」が、
「わたしもおかーさんにお花をかってあげるー。」
とついてきて、ピンクのカーネーションをバケツから一本すいっと抜き出し、店員さんに
「これください。」
としっかりした声で頼んでいる。
私は知らんぷりで他の店員さんに、鉢植えのラッピングを頼んでいた。

一本きりのカーネーションにリボンをかけてもらい、「200円です。」と言われたら、
「あ!おさいふがない!」

「どうしよう『アキタコマチ』おにいちゃん、お金出して。わたしおさいふわすれてきちゃった。」
「コシヒカリ」はさすがに私に頼むのは気が引けたようで、とっさに兄に泣きつく。
「アキタコマチ」は、
「どうしてお金を忘れちゃうの。買い物に行くときはまずなによりも最初にお金を持ったことをたしかめないと、だめなの。お金持たないで買い物できるわけないでしょう。」
とまったくの正論を言う。
でも、あーあ、「コシヒカリ」は「ひーん」と泣き出してしまった。

私がお金を出せば早いけれど、どうしよう。
店員さんも困り、気まずい状態。
「アキタコマチ」にこっそり「ちょっと、とにかく今は出してあげな。持ってるんでしょ?」
と言い、「アキタコマチ」がお金を払って収まった。

帰りのクルマの中で、さっそく「アキタコマチ」が
「おかーさん、あの200円どうなるの、オレが立て替えてるんだけど。」
と言うので、私が払った。

留守番していた「ササニシキ」に顛末を話す。
「ササニシキ」は、
「お金を持ってこなかった『コシヒカリ』が悪いけど、どうして『アキタコマチ』がおかーさんから請求するの。それじゃ母の日のプレゼントはおかーさんが買ったことになる。そんなのおかしい。ふつう、『アキタコマチ』がお金を出したら、もうその場で“ふたりから”ってことにすれば、『コシヒカリ』も納得するし、『アキタコマチ』だって便乗してプレゼントができるし、みんながいい感じ。」
と、それなりに年長者らしいことを言う。

「わかってるけどさ……だって、『コシヒカリ』が、そういうときにいつもオレに頼ればいいと思うようになっちゃうし。オレはオレでプレゼントをしたかったんだよ。今は胃の具合が悪くていいプレゼントが用意できないし……“ふたりから”はいやだったの。」
「アキタコマチ」にも言い分がある。

トラブルの原因の「コシヒカリ」は、だれのお財布から200円が出たのかなど、すでにけろりと忘れて、
“ははの日カード はの日(←ははの日のまちがい)おめでとうございます”
と、ボール紙を小さく切ったカードを花に飾り、空き地で雑草も摘んできて花を増量してプレゼントしてくれた。

by apakaba | 2005-05-10 23:49 | 子供 | Comments(12)
2005年 05月 09日

(素人の)ブログって、「コメント欄」が命なんですなあ

ブログ隆盛の昨今、みなさまはそのブログの「記事」だけを読むほうですか、「コメント欄」も読むタイプですか。

ワタシは、訪れたブログで、たいていすべてのコメントをざっと読んでいる。
雰囲気のいいブログでは、コメント欄も活気があり和やか。
また、管理人のレス次第で、書き込む気が失せたり、つづけて書きに行きたくなったりもする。
芸能人とかのブログはともかく、一般人のブログは、コメント欄こそ命じゃないかと思う。

私も2月からメインサイトの一部をブログへ移行したが、とても、とてもおもしろい。
もともと「激流掲示板」と呼ばれてきた掲示板を管理していたけれど、ブログを始めたら書き込みがブログのコメント欄へじりじり移ってきている。
当意即妙のコメント、含蓄あふれるコメント、笑い崩れるコメント、数はさほど多くないけれど毎日愉快だ。
モト記事をとっくに離れてとんでもない方向へ話がずれていくのも愉快。

私のブログを訪れた方、ここはモト記事だけしか読まずに離れたら損ですよ!
コメントがついている日は、できれば全部読んでほしい。
コメント欄こそ「売り」です。それは私のチカラじゃないけど。

by apakaba | 2005-05-09 22:58 | サイト・ブログについて | Comments(14)
2005年 05月 08日

クルマの中で、なにを聴きますか

とりあえずラジオをつけるけれど、たいていはおしゃべりがうるさいのですぐに消してしまう。
CDを持ち込んでかけることになる。

信じられないことに、前のクルマはカセットテープしか使えなかったのだが、新車になったら(その話は2005年3月14日に書きました)当然ながらちゃんとCDも使えるようになった。

クルマの中では、ジャズやクラシックはかけない。
ボーカルの入っているほうが、眠くならなくて好き。
適当に口ずさめるし。
思い返してみると、私が車内に持ち込むCDは、

ボブ・マーレーのベストアルバム 『レジェンド』

ペットショップボーイズのベストアルバム 『ディスコグラフィー』

群を抜いてこの2枚なのであった。
なぜでしょう。

旅に誘われる、ってことなのかなあ。
この2枚は、学生のころにインド周辺をひと月半ほど旅行していたときの、思い出のアルバムなのだった。
ボブ・マーレーにはネパール、ペットショップボーイズにはパキスタンの思い出が重なる。
(その話は、いつかメインサイトの旅行記に書いていこう。)

資金難で旅に出ることが絶望的になってから、むしろこの2枚を引っ張り出すことが増えているなあ。
ああー。まったくせつない。

by apakaba | 2005-05-08 16:07 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(13)