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2005年 08月 27日

大分に行った話

K国さんのご自宅に泊まりに行ったことを、まだ書いていませんでした。

一度しか会ったことのない人のおうちに、泊まりに行ってもいいものか?
と、ちらりと思っていたんだけど、そこらへんは自分の勘を信じて。

思ったとおり、K国さんのご家族はすばらしく温かく、私は多大な感銘を受けて帰りました。
私は仕事の都合でたった一泊、ほぼ24時間しか滞在できなかったけど、最高の思い出を作れました。

では写真でさっとご紹介。

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↑まずは長年の憧れ、熊野磨崖仏へ。
おばちゃんの横顔のようだけどこれが不動明王だったとは、憧れたわりには知りませんでした。





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↑磨崖仏のある崖の麓に、こんな仏たちも。
銀色の、梵字が印刷してあるごく小さいお札が、石像にびっちり貼り付けてあるので、ぎんぎらぎんになっていました。






別府に移動し、いわゆる別府地獄めぐりの「海地獄」の色をしている温泉へ案内してもらいました。
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↑なんとも不思議な色のお湯です。

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↑これを撮ってくれたのはK国さん……ではなくて、奥様の美幸さんです。
サービスカットというのでしょうか!?
こんな写真が撮れるのも、ワタシと美幸さんの貸し切り状態だからですね。
美幸さんは「眞紀さんの色っぽい写真を撮ろう」とどっちゃり撮ってくれたのですが、ワタシにもいろいろと都合が……というわけでこの一枚で。


K国さんのおうちは、懐かしい感じのするおうちです。
私は田舎がないのだけど、田舎に帰ってきたな〜と(初めて上がるのに)感じてしまうおうちです。
そのわけは……

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↑たとえば、こんなとこ。(K国さん、無断でご自宅内部の掲載ゴメンナサイ)
柱の印は、コドモたちの成長の証。
こういうの、ヨワイです。ぐっときます。



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↑また、柱の下の方はこのようなありさま。
ガムやチョコレートのおまけに、シールがよくついてきましたね。
ああいうのを縦横無尽に柱に貼り付けてしまうご家庭、いまでもあるでしょうか?
住んでいる人の温かい気配、それを感じられる家が好きです。
いまはお子さんたちもそれぞれ独立して、夫婦おふたりで住んでいるとのことですが、この柱を見ると、お子さんたちとの思い出がぱあっとよみがえってくるんだろうな。
とか思ったりしました。






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↑翌日も朝から歩く歩く、登る登る。
ここは東椎屋(ひがししいや)の滝というところへのアプローチです。
気持ちがいい……でもとっても滑りやすいので気をつけましょう。
「アキタコマチ」はつるつるとよく滑っていました。




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↑ここは龍岩寺という、崖の頂上に建つお寺です。
超オーバーハングした頂上に、木の仏像が三体安置されています。
でも見えにくい。
だから肩車。
肩車してくれているのはK国さんの次男くんです。
後ろに立っているのが、忘れちゃいけない男前、K国さんです。



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↑大分は、日本一、石橋が多いところだそうで、こういう橋を見かけました。
手すりのない橋というのはヨッパライにとってはちょっと心配……




このほか、写真には載せていませんが、私の高校時代の同級生のお宅へ訪問しました。
そのお宅へ至るまでの経緯は、先月「新幹線の席で」に書きました。

同級生といっても、彼は一歳年上(ダブりってやつですか)だったので、私は怖くて自分から話しかけたことがありませんでした。
怖いタイプの人ではなくていつもニコニコ静かに笑っているような人だったけど、やっぱり高校生にとっての1年の差は大きいので。
ほとんど会話したことのない人のところへ、行ってもいいものだろうか、としばしまた迷う……でも結局、行ってしまう。
これも勘、これも縁。

この日には、なにも予告しないで、いきなり突撃訪問したのです。
出てきたのは、高校時代の面影そのまま、のような、ちょっとちがうような男性でした。
昔はもっとひょろっと華奢な感じだったのが、だいぶ体ががっちりしていて、もちろんそれなりにおじさんになっているけれど、なんというか、当時とはちがう「いい男」になっていました。
当時はあんなに緊張していたのに、約20年ぶりに再会してみたら、私ってばまあぺらぺらとよくしゃべれること。
年の功ってスゴイわ……と我ながら感心するというかあきれましたね。
「矢吹さん、お仕事が一段落したら、ウチの息子を弟子入りさせてやってくださいよ、この息子が木をいじったり、なんか作ったりするの大好きなんで!」
「あ〜いいですよ、それじゃ木工教室、やりますか。」
「ウワーありがとうございます、本気で行きますから。」
とかどんどん淀みなく言葉が出てくる……不思議不思議な感覚でした。
はい、もちろん本気でまた会いに行くつもりです。

20年前の飄々とした雰囲気はそのままに、いい感じに年をとっていっている人だなぁ……きっと今、彼の人生が幸せなんだろうなあ、とほんの1時間足らずご一緒しただけでもわかりました。
ここへ至るまでの道はおそらくまっすぐではなかっただろうけれど、いろいろなことを受け容れて生きていくという姿勢が伝わってきて、ああ、いい大人に会えたなあ、と満足感でいっぱいになりました。

実はこのとき、矢吹さんはとてもお仕事が忙しくて、私には会えそうにないと連絡を受けていたのですが、K国さんが「大丈夫、行くと言うと準備したりして余計な気を遣わせるから、予告なしでちょっとだけ顔を出せば大丈夫」と、突撃を決めてくれたのです。
私一人だったら、「そうか忙しいなら会うのはムリだな」とあきらめてしまうところでした。
ここはK国さんの判断にお任せして、ヨカッタです(ちょうど休憩時間だったのでゆっくり話せた)。
K国さんには感謝しています。

この大分行きはただの旅行ではなくて、一学期を病気と怪我で全滅させていた次男「アキタコマチ」のホームステイという大きな目的がありました。
家からずうっと出られず、フラストレーションの塊のようだった「アキタコマチ」を、ふだんの生活とはまるっきりちがう環境に置いてやりたいと、思い続けてきました。
このココロミは大成功しました。
K国さんは我が家に現れた救世主のようなお方でした。
「アキタコマチ」はすばらしい夏の思い出を作ることができたようです。
K国さん、矢吹さんをはじめとして、K国さんのお子さんたちや奥さんの美幸さんなど、たくさんの大人の姿を見て、「なるほど世の中にはこんなにたくさんの、いい人生を生きている大人がいるんだな」ということを、家に閉じこもっていては決して知ることができない事実を、知り得たのだと思います。

かさねがさねありがとうございました。

by apakaba | 2005-08-27 14:57 | 国内旅行 | Comments(12)
2005年 08月 26日

勘三郎『法界坊』、なつかしい、だからアウト。

客足の落ちやすい盛夏のひと月、歌舞伎座では「納涼歌舞伎」と称して、ふだんの二部構成(昼の部・夜の部)から三部構成にして席の値段を下げ、演目も若手を登用したり怪談を採り上げたりといった工夫をする。

新・中村勘三郎の『法界坊』を観てきた。
小悪党で生臭坊主の法界坊が、行きがかりで次々に人を殺めたあげく、自分も殺される。
しかしこの世と惚れた女への執念すさまじく、亡霊となって出てくる。
その姿は、なんと生前の坊主の姿ではなく、惚れた相手にうり二つの着物姿であり、しかもクライマックスではもとの坊主だった自分と、自分が殺してしまった罪のないべつの女性(彼女もやはり惚れた男に執着したまま死ぬ)のふたりが代わる代わる表れるという、相当の役者でなければ演じきれない難役だ。
生前のコミカルな小悪党ぶりと、亡霊となってからの気持ち悪さと凄まじさのギャップも表さなければならない。

でもまあ、勘三郎なら、ヤルだろう。
もちろん実際、ヤッテくれた。
最後の一幕での彼の芝居は、それは見事だった。

しかし、それだけに残念。
この芝居の演出はいったいなんなの。
笑えるのかもしれないけど、とうてい歌舞伎じゃ、ないですねあれでは。
かなりいやーな気分になって歌舞伎座を出た。

今回の演出は、フリーの演出家串田和美氏だという。
どうりで、懐かしくも恥ずかしいわけだ。
小劇場でやる芝居を、歌舞伎座の大舞台で、勘九郎ではなく勘三郎が、やる意味は、ない。

私は中学高校時代に演劇をやっていて、それこそ懐かしくも恥ずかしい芝居を、一生懸命考えていた。
主人公が舞台を歩いていたら、ばさっと天井から脚本が降ってきて……ビックリした主人公がそれをめくっていると、脚本に書いてあるとおりのことが起きていく……いきなり婦人警官が登場して、主人公を逮捕しますと言う、とか。
身に覚えのない主人公は、徐々に婦人警官の語るレトリックに落ちていき、不条理な展開が続々とくり広げられる……とか。
一瞬の暗転のあと、あっという間に主人公と婦人警官がひょっこり客席から登場する、とか。そういう芝居。
(ちなみにワタシは婦人警官をやりました。)

中学生のときには人形の役をやったりもした。
舞台に最初から出ているけれどまったく動かず、時計が12時をさすと命を吹き返して動き出す、とかそんな芝居。

“ここからいきなり人物が登場したら、おもしろいだろう”
“観客と双方向的に、呼びかけたり、話しかけたりして作ったら、おもしろいだろう”
などなど、あのころ夢中になって考えていた手法、まさに小劇場ノリの芝居は、当時には自分たちでウケていたけれど、まあ長くやるもんじゃ、ないんです。
内向きの笑い。
その世界だけで完結する笑い。
小劇場の笑いは消耗品であり、その場の予定調和の輪の外から見る人間にとってはなんらおもしろくもないものなのだ。
今回の歌舞伎のノリはまさしく小劇場ノリで、なるほど高校演劇レベルと較べものにならないほどのうまい役者があれをやると、こんなふうにおもしろくなってしまうのか、と、妙〜に感心はしたものの、やっぱりあれだけのお金を払って観たくはなかった。

勘三郎はもの凄い。
もの凄い役者だ。
でもそれは、コクーン歌舞伎か、平成中村座で、やってくれ。

すくなくとも私は、歌舞伎には第一義に“凄さ”を求める。
凄いって「わ〜スゴーい」のすごいじゃなくて、本来の「背筋がぞっとする感じ」を持つ、“凄さ”のこと。
そもそもあのどっさり出ている女が本当は全部男だというのも、冷静になってみればもの凄い話だし、いまをときめく花形役者たちの芝居っぷりには、一般の人間が100年かかっても決して演じることができない、あの人達は、やはりふつうの人間じゃあ、ないんだ……とめまいを覚えるもの凄さ。
ある種の異常な世界。
その異常さを、見せつけられてこそ、胸苦しくなるほど歌舞伎が好きだ。

というわけで、9月は正真正銘正統派歌舞伎、『勧進帳』へ行って参ります。

by apakaba | 2005-08-26 13:08 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(22)
2005年 08月 24日

高野山、いろいろな写真とともに

高野山から下りてきて、ちょっと日が経ってしまったので、残りの話は写真を見ながら。



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空海が開いた金剛峰寺は、長年の憧れの地。
ずっと抱いてきたイメージよりも、厳めしい感じのしない穏やかな場所に感じられました。
しかしこの石庭だけは、一同感嘆のうめき声をあげましたね。
日本一の面積を誇る石庭だそうです。
石庭といえば京都の竜安寺をはじめとして、禅宗の庭が有名ですが、ここはめずらしく、禅寺ではない石庭です。

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境内の木々はもちろん、周囲の森が借景となり、この庭を超えてはるか遠くまで軽々と意識が運ばれていくような、すばらしい庭です。


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ふつうの家屋ではまず見ないでしょう。
“蔀(しとみ)”ですね。
源氏物語やなにかには出てくる言葉ですが、これまでに実際には見た記憶がありませんでした。



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この写真の主役は前方の人間ではなく、中央奥の灯籠の向こう側にある低めの木です。
西行が植えたといわれる桜の木、“西行桜”です。
ほんものは焼失してこれは後年になって植え直された木のようですが、夫はバシバシと10枚ほど撮りつづけていましたねえ。

散る花の庵の上をふくならば風入るまじくめぐりかこはむ

という歌が山家集に収められています。
高野山に籠もっていたころに詠んだ歌だそうで、あのあまりに有名な“願はくは花のもとにて春死なむ”といい、この人ってほんとに桜の花が好きだったんだなあ、としみじみしました。


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8月のまんなかでも、ほんのちょっぴり紅葉が始まっていて、得した気分です。
その朱(あか)は、霊宝館で見た曼荼羅の朱を思い出させます。
霊宝館ではちょうど曼荼羅の特別展示を開催していて、曼荼羅が大好きな私は天にも昇る思いでした。
両界曼荼羅図は別名血曼荼羅と呼ばれます。
ほとんど色を失っている曼荼羅の、なぜか朱色だけが最後に残っているのです。
平清盛が、みずからの頭の血を絵の具に混ぜて描かせたといういわれを持つのです。
青空に映える根本大塔(西行桜の写真、一番奥の目立つ塔)も朱。
高野山の朱は、特別な朱です。


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この写真の主役は、やっぱり私ではなくてこの橋なんですね。
いよいよ奥の院、この川から先は、撮影禁止区域になるのです。
参道の両側にそびえるのは樹齢1000年の杉の大木、その木立の合間に数限りない供養塔が立ち並ぶ。
きっと霊的なものを強く感じるにちがいない……と期待して行ったのですが、事前学習の足りなさが知れるけれど、思いもよらなかったことに、なんとまあそこには企業の供養塔がどっさりだったのでした。
有名企業が競うようにして、広い敷地を買い、ぴかぴかの塔を建てているのです。
これには心底おどろきました。
会社で亡くなった人の冥福を、こんなところでいっぺんにまとめて祈願していたのか!!
織田信長や武田信玄、また毛利家や伊達家などの、歴史に名高い人物や名家の供養塔も、もちろんどっさり。
参拝者・観光客もどっさり。
成仏したい、そしてこの世でしあわせになりたいの。
もしかしたら、ここは日本のどこよりも、煩悩が満ちている場所なのかもしれないなあ。

夜9時になると、街頭スピーカーから、ちゃちな音質で、録音された女声のアナウンスが流れます。
おそらく宿坊に泊まっているお客さんたちに、宿坊へ戻りなさいと呼びかけているのでしょう。
山へ上がってくる際の、ケーブルカーのアナウンスといい、路線バスのアナウンスといい、こういう部分はどうしてこんなに、苦笑を誘うほどに俗っぽいのでしょうか。

短い滞在だった高野山は、気候もすばらしく、文化財がよく保存されていて、見苦しい観光地とはほど遠い場所でした。
それでもとことん俗っぽい部分もあるし、滑稽にさえ見える部分も、やはりあるのです。
それでこそ日本の名所、なのだなあという感想を持ちました。

by apakaba | 2005-08-24 23:22 | 国内旅行 | Comments(16)
2005年 08月 19日

高野山、小さいお寺めぐり

私は嫁いですぐに次々と子供を授かってきましたが、嫁ぎ先の両親は私たちの子供に関してほとんど口出しをしないで今日まできてくれています。
ただ、ひとつだけ頼まれたことが
「二文字の名前を、つけないでほしい」
ということでした。

ミタニ家は代々、二文字の人間はろくな死に方をしない、ということらしいのです。
家財をつぶしたあげくに蒸発とか早死にしたりとかなんだとか、まあいろいろとあったようです。
夫は当然、一文字の名前です。
二文字でさえなければ、三文字以上でもべつにいいけれど実質的に三文字以上というのはさほど選択肢がなく、父親も一文字なことだしそれじゃあみんなでそろえて、ということになり、子供は全員一文字の名前にしました。
こんなのダサイとか友だちにいるしとか言っているとネタ切れいちじるしく、これはなかなかの苦労でした。

家族5人の名前を連ねると、私だけが二文字の名前で、あきらかにヨメ、あきらかに他人、という感じがひしひしするけれど、子供たちはそれぞれ自分の名前を気に入っているので、まあいいでしょう。

高野山の高室院という小さなお寺が、我々の泊まった地蔵院から歩いて3分くらいのところにあります。
そこは、夫の祖父が分骨されているお寺なのだそうです。
夫の祖父は、早くに亡くなりました。
夫が生まれるよりほんの少しだけ前に、病死してしまったそうです。
そう、二文字の名前でした。

夫も会えなかった、でも夫に似ていたというおじいさん。
曾孫は、こんなのです。ぞろぞろ連れてきました。
一文字の名前に、そろえてみました。
ま、ワタシはヨメなんで、二文字で失礼します。

高野山は金剛峰寺と奥の院だけではありません。
小さいお寺がひしめきあうように、寄り添うように軒を並べているのです。
そこに一千人のお坊さんたちが、暮らしていて、修行しているのです。
見事な木の彫刻が施された門と、もしかしたら秘仏のひとつふたつ、それにたいていきたない犬がぼんやりと門前に座っている、すべてをまわるのは難しいけれど、どこも味わいの深いお寺です。



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by apakaba | 2005-08-19 23:24 | 国内旅行 | Comments(10)
2005年 08月 18日

高野山、宿坊体験

家族5人と夫の両親の7人で、ぞろぞろと高野山の宿坊に泊まりました。

私は、10年ほど前から高野山に行ってみたくて、行くからには宿坊に泊まりたいとずっと思っていました。

宿坊のイメージは、こんな感じでした。
ぎしぎし軋む板張りの床に、敷くだけ無駄なようなせんべい布団を敷いて、国立病院の入院患者のように、夜9時には電気も消されてしまって、アルコールなんてもってのほか、一汁一菜の粗食に一日数回のおつとめ、ユースホステルみたいに食事の配膳や片づけもみんなでやったりする。
ところが今回泊まってきた宿坊は、そのイメージのちょうど対極でした。
建物が近年焼失したため、たいへん新しく、すみからすみまで、“ピカピカ”とマンガによくあるダイヤ型のマークが見えるみたいにきれいで、大浴場・シャワートイレ完備、布団はふかふか、お部屋は次の間つきで、5人がゆったり寝られる広さでした。



c0042704_038299.jpg←スバラシくきれいだった宿坊、地蔵院の前にて。
関係ないけどとうとう、長男「ササニシキ」に背を抜かれた。は〜。















食事は完全な精進料理でした。
三の膳まで出る豪華な夕食に、はじめ度肝を抜かれるけれど、よく見ると全部が野菜だけで作られています。
イカのおつくりと見えたのはこんにゃくのうす切り、お肉のような揚げ物は山芋をおろして作っているのでした。
だしも鰹や煮干しの香りは一切せず、昆布でとっているので、めずらしい味に感じられました。
ただ、全体に甘い味付けがしてあり、揚げ物も多いので、全部食べきるのがやっとというくらいお腹一杯になります。
宿泊客用にとくに豪勢に作ってあるのだろうから心配ないとはいえ、もしもお坊さんたちがこんなに糖分や油を毎日摂取していたら太るだろうなと思いました。

だしの物足りなさを甘みで補うような味付けのため、お酒を飲みたいという気持ちも起こらないのでうまくできています。
(でも高野山ではアルコールは禁止ではなく、自由に飲むことができます。お酒のことは般若湯と呼ぶそうです)
昆布だしもおいしいけれど、やっぱり、やっぱり、鰹と煮干しは偉大だなあとあらためて強く感じました。
ここまで徹底した精進料理を食べたのは初めてだったので、私はたのしく食事をしましたが、おじいちゃん(夫の父)は「助けてくれー、食うもんがない」と連日悲鳴を上げていました。





c0042704_0384379.jpg←地蔵院の近くにある、ミャンマー寺院前にて。
ミャンマー寺院おすすめです。
日本のお寺にはありえないエンターテインメント精神にあふれています。
これは“なで地蔵”なのでお地蔵さんのお顔がつるつるです。
はしゃいでいるのは「アキタコマチ」です。
足が治ってこんなに元気になりました。











そんなわけで、お料理以外はまるで高級旅館と変わらないような我が地蔵院ですが、朝のおつとめ(勤行)だけは、宿坊らしいひとときでした。
6時過ぎからお坊さんが4人でお経をあげていました。
私たちも、正座して(しない人もいる)それをじっと聞きました。
ほかの宿泊客が、ひとりも朝のおつとめに出ないことにびっくりしました。
せっかく宿坊に泊まっているのにもったいない。

聞いているというか聞いていないというか、とくに感銘を受けたりもしないしなにも考えていないんだけれど、お経はたとえればジャズを聴いているときのような感じで。
聴いているのに聴いてない、内面へ意識が向かうような感覚が似ています。

宿坊つきのお寺にもいろいろあって、私たちの泊まったところは特別きれいで新しかったのですが、冒頭に書いたようなイメージにかなり近そうなお寺もたくさんありました。
あっちもよかったかな……とちらっと思ったけれど、こんなにすてきな宿坊もあるのか、と目からウロコだったので、やはりすばらしい体験になりました。

by apakaba | 2005-08-18 23:13 | 国内旅行 | Comments(19)
2005年 08月 10日

煩悩を断ち切れ。高野山行き

明日から、高野山に行きます。
宿坊に泊まり、勤行に出たりしようと思っています。
梅原猛の『空海の思想について』も、ばりばり読んでいます。
帰ったら煩悩を退散させて、リッパな人間に、なるぞー。えいえいおー。
行ってきまーす。

by apakaba | 2005-08-10 23:24 | 旅行の話 | Comments(11)
2005年 08月 09日

なぜ今、スリーサイズ当てクイズ

某所で、このワタクシのスリーサイズを当てる!という、どうしようもなく親父系セクハラな企画をやっているようです。
どうしていきなりそんなコトに……と展開の異常さにオドロキあきれながらも、やっぱり気になって見に行ってしまいます。

なにが気になるって、他人(しかも男性)から、自分のこと(しかもカラダ)が、どう映っているか、これほどはっきり数字で知れてしまうことってないでしょ。

やられてみて(というのかなんなのか)初めてわかったのですが、あの数字って、実際の数字から遠くてもショック、近くてもそれなりにショック、なものですねえ。
遠い数字の人ほど、「ああ、この人ってあんまりじろじろ人の体を見てないんだなあ」とわかってしまうのも、愉快。
逆にやたらぴたりと当ててくる人は、「なんなんだ……」って感じ。

会ったことのある人が、私と会ったときのことを思い出しながら考えている……という様は想像するだに頭が痛くなってくるけど、まー本気で怒るトシでもないから、べつにいいか。
セクハラ企画も相手(=ワタシ)見て始めてるんだし。
いろんなことを「まーいいか」と怒らなくなってくる、来月また誕生日が来るわ。

by apakaba | 2005-08-09 23:50 | 生活の話題 | Comments(13)
2005年 08月 08日

スキンシップ

暑い暑い、それでもコドモたちはくっついてくる。

自分の子供はだいぶくっつかなくなってきたけれど、夏休みの特別教室にかよってくる子供は、園児から低学年の子供が中心。
「ねえねえせんせー、これ、見てえー」と熱い手でぺたぺた私の体に触る。
赤ペンを持って問題の解説をしていると、ふんふんとうなずきながら、いつの間にかぺったりと半身を預けている。
暑いってばキミ……ただでさえ、子供は熱い。
満席になると、冷房の設定を3度下げないとダメなのだ。

でもやっぱり、スキンシップはだいじだな。
私からも、両手の手のひらでほっぺたをはさんで顔をぐちゃぐちゃにして褒めたり、アタマを軽くたたいたりなでたり、すこし大きい子には肩をたたいて励ましたり褒めたり、手を握ったりしている。
さわった子は、かわいい。
さわった子のことは、忘れない。

母が、よく「お風呂に入れてあげた子はかわいい」と言っていた。
スキンシップは、理屈じゃなくて愛情をこみ上げさせる。

“寝た男のことはカラダが忘れない”なんていうけれど、あれも結局おなじだろう。

私の大好きなマダムのKayさんは、会うときと別れるときはかならず、男でも女でも関係なく、ぎゅ〜〜っと抱きしめてくれる。
みんなそれがうれしくてたまらない。

抱きしめてくれた人のことは、忘れられませんもの。
子供でも大人でも、おんなじなの。
スキンシップが大好きなの。

by apakaba | 2005-08-08 23:25 | 生活の話題 | Comments(37)
2005年 08月 07日

禁断の世界へようこそ。iTunesミュージックストア、オープン

8月4日、ついについに、iTunesミュージックストアが、日本に上陸した!
(アップル配信の記事はこちら

100万曲以上の楽曲の中から、一曲あたりたった150円でダウンロードができる。
ロックやポップスだけでなく、演歌や昔懐かしい歌謡曲まで、「これもか!」というような曲もあるから、30秒の試聴タイムはもはやドレミファドンそのもの。
これははまるなぁ〜〜〜。
70年代や80年代の、あの歌謡曲やこの歌謡曲が、150円で手に入る……となったら、あれも買っちゃおうかな、これもかな、うわこれなつかしー、忘年会のカラオケ練習用にこれも……と、次から次へとなつかしミュージックを買ってしまう日本人が続出することでしょう。

インターネットをやるかやらないか、で、まったくべつの人生を生きることになるとかつて思ったけれど、このミュージックストアを利用するかしないか、音楽好きにとってはまた一つ岐路がやってきたぞ。
まったくべつの人生に、分かれてゆくだろう。
一つはCDをこつこつ買ったり借りたりしていくいままでどおりの人生、もうひとつはiTunesの、禁断の世界(はまること必至!)。

しかし、100万曲といっても、iTunesに賛同していない会社の楽曲はいっさい聴けない。
日本では、ソニーが音楽配信に独自路線をとりたいらしく、iTunesに参加していない。
だからソニー所属のアーティストの曲は、ダウンロードできない。
ソニー、ちょっと大丈夫なの?
大きなお世話だけど、流れを読めてないんでないの?

by apakaba | 2005-08-07 19:18 | 歌舞伎・音楽・美術など | Comments(17)
2005年 08月 06日

靴をまちがえるコドモたち

連日、朝から20人以上のコドモたちが、入れ替わり立ち替わり、勉強をしにかよってくる。
忘れ物があるのはしかたがないとしても、みんな、どうしてそんなに「靴を間違える」?

大人なら、べろべろに酔ってでもいない限り、絶対に自分の靴と他人の靴を間違えることってないでしょう。
ワタシたいへんなのよ。
みんなが帰った後、最後の生徒に「せんせー、ボクの靴、これじゃない。」と玄関で訴えられるのは。
とりあえずみんな、ダンロップの黒いサンダルをおそろいのように履いてくるのはやめてくれ。
今回は何人もの男子がめちゃくちゃに取り違えたのだ。
いくら近所のスーパーで安いからって、黒くて白抜きの字で“DUNLOP”って書いてあるあれ、あれは何足もそっくり同じでほんっとに迷惑……うわ、うちの子供もだった!

by apakaba | 2005-08-06 23:51 | 生活の話題 | Comments(13)