あぱかば・ブログ篇

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2006年 03月 31日

弥生三月サヨナラの月。

今月は夜遊びしてないなー。
その証拠に、今月のカレンダーを見てよ。
22日以外は全部書いている。今までで一番書いた月だった。すご〜い。
22日は、たしか腰痛がなかなか完治せず、家事がたまっていて、しかもとっても疲れていてパソコンを開く気になれなかったのだった。
個メールはやっていたような気がするけど、メールと、不特定の人に発信するブログは別世界なので。

そういう日ってありませんか。
なんかもう「パソコンいいや」ってなってしまう日。
私の場合、今月は22日がそうだったのね。

なので毎日必ずブログを更新している人って、よほど規則正しい暮らしで、よほど潔癖で、よほど精神が安定している人なのではないかと想像する。

関係ないけど、今日はクルマにETCをつけてみた。
あれって音声が出るんですね。
ETCをつけたクルマに乗らせてもらって、キカイにしゃべられた経験が1回しかないので、かなりびっくりする。
乗ってエンジンをかけるたびに、几帳面にいちいちびっくりする。
4度目くらいにはさすがに学習して、「あと何秒かすると、『カードが挿入されていません』という音声が出る。そこでビックリしてはいけない、ワタシ!」と肝に銘じるのだけど、いざ音声が出るとやはりちょっとだけビックリする。
心臓に悪い。早く慣れよう。

明日から新年度ですねえ。
散ればこそ、いとど桜はめでたけれ。憂き世になにか久しかるべき。ナンテな。
一人で立つ歌・立たない歌。「世の中に たえて桜のなかりせば」

by apakaba | 2006-03-31 22:22 | 生活の話題 | Comments(12)
2006年 03月 30日

1990年の春休み.17 パキスタン篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
パキスタンのラホールで、日本語で声をかけてきた二人組の片割れ、セリームの家に居候。

2月9日(金)晴
 朝寝坊して、朝食のために下に降りると、セリームが目を覆いたくなるような姿で「オハヨゴザイマス」と登場した。シャワーを浴びた直後らしく頭がびしょびしょで、ランニングシャツとズボンをかろうじて身につけている。ゆうべは徹夜で凧揚げをしていたらしい。
 そこで私はスバヤク、セリームのハラが出ていることを知ってしまった。ぜんぜん太っていないのに、下腹部だけがひどく堕落している。
 「あんたどうしたのそのお腹。」
 「日本で仕事(ウエイター)してたときによくビール飲んでたからねー。そのせいだヨ。」
 「だってムスリムは飲んじゃいけないんでしょ。」
 「ここにいるときは飲まないけどね。日本ではネエ。でもちょっとだけだヨ。お腹もちょっとしか出てないヨ。まだダイジョブだよ。」
 と言うがちっともダイジョブなお腹ではなかった。うーん見なければよかった。

 私たちがジーンズとトレーナーを着ていたら、フェルドーサはがっかりした顔をしている。パキスタンの服を着てほしかったらしい。そこで、ぜひまた着たいわっ!という姿勢をふたりで見せると、彼女は喜んで新しい服を出してくれた。私は、きのうのグレーのはあまりに地味だったので、今日は黒とピンクのを着てみた。カンフー姉ちゃんのようになった。
 またお化粧をされてしまった。
 私もヒロにメイクしてもらい、屋上に上がってふたりで凧見物へ。私たちは屋上に行けるのに、他の女性たちは上がってこられないからかわいそうだ。なんとなく我々だけがいい思いをしているような気がする。セリームは
 「早く屋上に来なさいヨ。」
 と誘うが、私たちが行ってしまうと、フェルドーサたちは他人の男がいっぱいいるから私たちと遊びたくても呼び戻せない。階段の上がり口までたびたびやって来て、こっちが気づくと必死で手招きする。
 上がりっぱなしでは悪いので下に降りていくと、シャバナとガザラも来ていて、歌を唄ったり『大きな栗の木の下で』を教えたりして遊ぶ。絶対に凧のほうがおもしろいけれど。

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快晴の屋上、凧揚げの名手ジェダ。ジェダはフェルドーサの兄。
手前に見える赤いものが凧です。

 まったくのんきなひとときであった。
 すんごくいい天気で、きのうよりずっとずっとたくさん凧が揚がっていて、うとうとしてしまう。
 長いすに寝そべって目を閉じると、夏の海岸で肌を焼いているような気分になった。
 きのうよりさらにヤル気を出してアンプとスピーカーも屋上に上げたので、ひっきりなしにすごい音量でいろんな音楽がかかっている。
 みんな自分の聴きたいテープを好き勝手に入れてしまうので、どんどん曲が変わる。でもやっぱり、人気映画のサウンドトラックが最もたくさんかかっていた。あの音楽がみんなの共通のお気に入りらしい。
 でもセリームはねばり強くPet shop boysをかけていた。Pet shop boysが好きなのは彼だけらしく、必ず即座に誰かが入れ替えてしまうのだが。

 セリームは今日初めてパキスタンの服を着ていたので、私はかなりカンドーした。
 彼はラディカルな人なので、きっとそういう伝統的なものはキライなんだとばかり思っていたのだ。うれしくなっちゃった。最初は違和感があったけど、よく似合ってるな、と思った。
 パキスタン服を着た男は、なんだか知らないけれど、よく股をかくのである。とくにシェキがヒドイ。でもセリームはそういうことはしないのでよかったよかった。

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凧揚げに夢中のセリーム。隣にいるのはシャーという、他称プレイボーイ君。


 そのうちに私はセリームが好きになってしまった。ヘンな話でしょう。奥さんがいなきゃいいのになあ、と思ってしまった。
 本当に私はホレっぽくて困ってしまう。そんな気持ちはすぐに消えるということもわかっていたが、それにしても奥さんのいる人でもすぐ好きになってしまうというのはかなり危険なことではないでしょうか!と、口には出さなくても、屋上で一人でマジに悩んでしまった。
 これからのOL生活(*1)を思うと……ああ不安。まあ楽しくはなるけどね。

*1・・・実際に配属されたらOLではなく営業職になったのだが。

 その瞬間の気持ち、というか、気持ちをとりまくすべてって、忘れられないよ。
 声が聞こえないほどの大音量のPet shop boys(I love you,you pay my rent)、まぶしい空の凧揚げ、乾燥しきった暑さ。気持ちをとりまくすべて。好きな気持ちがなくなってしまっても、きっと思い出す。

 みんなだんだんと凧に飽きてしまい、下手クソな人々はクリケット(*2)にうつった。屋上に残ったのはセリームと、フェルドーサの兄のジェダとその弟のペジ(*3)だけになった。
 3人は真剣に凧が好きで、とにかくひたすら揚げまくっている。
 ペジは昨晩はイヤな奴、と思っていたが、すごい熱心な凧少年だった。
 このときは一番キモちよかった。
 もう本当に言葉では言えないほどの、いいなあーーーという時間だった。
 しかしそれはつかの間だった。
 ピンクの薬で眠くなってしまったのだ。私はヒロを置き去りにしてさっさと部屋に戻り、1時間半眠ってしまった。

*2・・・パキスタンではクリケットが盛んで、TV中継もよくやっている。
*3・・・帰国後、このペジからラブレターやらプレゼントやらをじゃんじゃん送られてほとほと弱った。彼は当時18歳。


 Pet shop boysが頭に大反響しつつ目が覚めた。
 あーこの起き方ってとてもよくないみたい……と思いつつ起きあがった。

by apakaba | 2006-03-30 20:36 | 1990年の春休み | Comments(8)
2006年 03月 29日

1990年の春休み.16 パキスタン篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
パキスタンのラホールで、日本語で声をかけてきた二人組の片割れ、セリームの家に泊まらせてもらえることになった。

2月8日(つづき)
 食後にシャバナとガザラの家に遊びに行った。
 シャバナがラジカセで映画音楽をかけ、それに合わせてダンスを見せてくれた。なんとなく日本舞踊に似ているような感じもした。あまりにうまいので驚いた。彼女がこんなことができるとは……うーんただの気さくな美人の姉ちゃんかと思ったぜ。
 シャバナは運動神経がよさそうなのに、きっとダンス以外なにもしないんだろう。もったいないことだ。
 さっそく私たちもそのダンスに挑戦してみたが、ただ汗だくになっただけだった。
 パキスタンの服は化繊なので汗を吸わないから、べたべたと肌にはりついて気持ち悪いのだ。しかもみんな同じ服を何日も取り替えずに着ているのだ。あまりに気持ち悪いことだと思います。男物は気持ちよさそうなのに。
 そしてこの街は、というかこの国は、気楽にしょっちゅう停電してしまうのだ。誰もあわてないのだが病院なんかは大丈夫なのだろうか。気長な性格にもなるなあとナットクしてくる。

 私たちがY.W.C.A.を去ってここに来たのにはもう一つ大きな理由があった。
 「木曜日にはオールナイトで凧揚げ大会をやるヨ。屋上に上がって、糸を切る競争をするンダヨネー。夜はライトで照らして揚げるの。おもしろいヨ。」
 凧揚げ大会(*1)という言葉が私たちの耳には限りなく魅力的に響いた。夜の凧揚げというのも見てみたかったのだ。

*1・・・しかし実際には、年に一度の大会というような大がかりなものではなくて、休みの前日に若者が集まって遊ぶという程度のことだった。この国では金曜日が休日。

 今夜はオールナイトだー!ということらしく、セリームの家にだんだんと近所の若者が集まってきた。みんなけっこう生活レベルは高そうな人々である。当然、男ばかりだ。そのうちの半分はジーンズ姿で、もう半分はパジャマのようなパキスタン服だった。
 さっそく私も凧揚げをしようと思ったのだが、風邪がすっきりと治らないので先に病院に行った。始めは行きたくなかったけれど、こんな経験はめったにできない!と思い直して、セリームにバイクで連れて行ってもらった。
 とてもイージーな町医者だった。
 そして私はそこで生まれて初めて、服を脱がずに聴診をしてもらった。医者が聴診器を出したのでシャツをがばーと脱ごうとしたら、先生は「そのままでいいのだ!」としかつめらしい顔でそれを止めた。イスラム教だからかと思ったが、後でヒロに
 「えっ、今までいつも全部脱いでたの?子供じゃないんだからそんなことしないでいいんだよ。」
 と言われた。知らなかった知らなかった。

 病院で出してもらった薬は、四日前にヒロが薬局で買ったのとまったく同じものだった。
 激しく毒々しいピンク色をしていて、トローチのように大きいやつだ。この薬はものすごく眠くなる。私たちはいまやこの家で一番の人気者、スターのコンビなので、フェルドーサやシャバナたちの遊び相手も凧揚げに来た男性陣の相手もしなければならない。眠くてだるかったがせっかくの大歓迎なのでしかたがない。とにかくにこにこしていた。

 夜になると巨大なサーチライトを屋上に運んで、よく見えるように白い凧を揚げ始めた。
 虫のように白い凧がひらりひらりと翻っている様はなかなかにカンドー的であった。隣の家の屋上から揚げている凧に糸を絡ませて落とそうとする。ただそれだけのことで、べつに賞金も順位も出ないのだ。しかしセリームを含めた数人は、「よしっ!えいっ!やったっ!」というような歓声をあげて熱中していた。

 そのうちにもうこの場ではとても一人一人紹介できないほど多くの人が集まってしまった。
 魅力的な人もたくさんいたのだが割愛します。すみません。
 それにしても若い男があれだけ集まって、アルコールがまったくなし、というのは相当にブキミだ。そしてあれだけ盛り上がってしまうというのが相当にすごい。
 ブレイクダンスをする者、映画音楽のダンスをする者、黙々と痛んだ凧の修理をする者、エアロビクスをする者(これはセリーム)。
 私たちもジャパニーズのダンスを見せろ!と強く言われ、しかたなく普通のディスコダンスをした。実にばかばかしい……とこっちは赤面しているのに、若者どもは大喜びなのだ。こういう場で男女が同席して遊ぶというのは普通ありえないので、とにかく異常な盛り上がりようだ。

 凧に飽きるとみんなが輪になって、セックスの話をしていた。一人が、ジャパニーズのセックスはどうなのだ!いつごろどのようにしてやるのだ!と真剣に聞くので、人によっていろいろなのだよ。一概には言えないのだ。と答えてやった。
 こんなにレベルの低い話で大喜びしているのだから困った若者である。異性に対して常に抑圧された生活だから、ささいなことに過剰反応をしてしまうようだ。
 でもセリームだけは他の連中とちがってまったくイヤらしいところのない人だなーと思った。初めて会ったときの警戒心がウソのように解けてしまい、今ではクラスメイトの家に遊びに行っているかのように感じられるほどであった。
 セリームには着替えている途中で入ってこられてもぜんぜん動じない。枯れているのである。

 そこで私は、自分がなぜセリームにこれほど親密な気持ちを持つのかが突然わかってしまうのである。
 昔とても親しかった誰かに似ているような……と前回書きましたがまさにその通りで、クラスメイトというのもやっぱりその通りで、彼は私が大学1年生のころにおつきあいしていた同じクラスの男性にそっくりだったのだ。顔じゃないよ。
 なんにでもすぐ夢中になってのめり込んでしまうところや、夢中になるとすごい大声を出して騒ぐところや、猥談が嫌いなところや、妙にジジくさいところも。そうかそうだったのか。今ではもうまるっきり離れてしまったけれどこんなとこで再会するとは。ヒロもほぼ同時にそのことに気づき、
 「いやーなんだか懐かしいねえ。」
 と笑った。卒業を控えた私たちは、クラスメイトとの思いがけない再会に楽しい気持ちになった。

by apakaba | 2006-03-29 16:08 | 1990年の春休み | Comments(5)
2006年 03月 28日

最近観たDVD羅列。

頭痛、微熱、鼻づまりのため、気合いの入った映画評を書くことができませーん。
ここ一ヶ月くらいで観たDVDはこんなものでした。

『親切なクムジャさん』
ゆうべ観た。イ・ヨンエさんは、あいかわらずお美しい。女優の顔と、取り替える?という記事を書いたとおり、あの顔になら、明日取り替えてもいい!

『理想の恋人.com』
おもじろぐながっだー。ジョン・キューザックが好きなんだけど、魅力をまったく発揮できず。
ダイアン・レインは『コットン・クラブ』のとき「こんなにきれいな人っているの?!」と思ったのに、見る影なし、悲しい。

『ドン・ジュアン』
ここ数ヶ月で一番のザケンナ映画。ペネロペ・クルスとエマニュエル・ベアールってとんでもない美人をそろえておきながらこの駄作っぷりは一体。ジョニー・デップ版『ドン・ファン』はあんなにステキーだったのに、このドン・ジュアンは太鼓腹のおっさん。むしろ絶対に口説かれたくないタイプ。

『アップ・タウン・ガールズ』
ナンジャコリャ映画。ギョロ目のブリタニー・マーフィーがもともとちっとも素敵だと思えないところへ騒々しい役柄、ぜんぜん乗り切れず。

『ふたりの5つの分かれ路』
フランソワ・オゾンの新作なので期待したけどおもしろくなかったな。
「いま、もう決定的にふたりがダメになった」「いま、愛が芽生えた」というふうに、時間をさかのぼって見せられていくのはなるほどだったけど。

『やさしくキスをして』
タイトルはナンジャコリャだけど、ここ一月で一番おもしろかった。
グラスゴーで暮らす女性音楽教師とパキスタン人青年の恋の話。ふたりは結婚したいのに、パキスタンの家庭が許さない。ファミリーへの愛と、恋人との愛と、選択を迫られる様子が丁寧に描かれていた。

『マイ・ネーム・イズ・ジョー』
『やさしくキスをして』がおもしろかったので同じケン・ローチ監督作品を観てみたけど話の大筋がおんなじという感じがしてちょっとね。主演の男性がブッシュ大統領に似ていたな。

『きみに読む物語』
主演のライアン・ゴズリングが秀逸だった。ぼけてしまった妻に若いころの恋愛を語る夫というストレートな夫婦愛。結婚している人間なら、「自分だったら?」と考えずにはいられないでしょう。

『エレファント』
コロンバイン高校の銃撃事件当日の話。おもしろくなかった……ごめん。眠かった。ワタシはドキュメンタリー調より、俳優の演技力に注目したいタイプなので。

『ステルス』
派手に爆発炎上してたなあ。

『ハモン!ハモン!』
ペネロペちゃんのエッチな魅力全開で、スペイン映画のおおらかさがいっぱい。
最後のシーンは舞台劇を意識しているようだけど画面を見ている側にはちょっと間延び気味。

『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』
ジム・キャリーが好きなのですがイマイチ活躍しきれていなかったような。物足りない、もっと暴れてくれえ。

『エターナル・サンシャイン』
暴れないジム・キャリーもやっぱりいいわ。前言撤回。人生の刻まれた顔、いいねえ。

『ハイド・アンド・シーク』
まあこんなもんでしょ映画。ダコタ・ファニングちゃんはさすがの演技かな。デニーロは普通でした。

もっと観たような気がするけどもう思い出せない。
今月はあまり良作に恵まれなかった。

by apakaba | 2006-03-28 15:48 | 映画 | Comments(11)
2006年 03月 27日

このしつこい頭痛は、ひょっとして……

腰痛がよくなったと思ったら、鼻が詰まる〜。
きのうから頭痛がとれない。
鼻の奥に、なにか炎症があるのかな?
蓄膿じゃないと思うけど……弱っちいカラダ、もうイヤ

by apakaba | 2006-03-27 23:17 | 健康・病気 | Comments(10)
2006年 03月 26日

洟ダラダラなのでだらだらと書く

おとといから花粉症がいきなり悪化して、なにも手に付かない。
今日はとくにひどくて、朝から熱が出た。
頭痛は、ゆうべビールを飲み過ぎたせいだけじゃないと思う。
鼻の下がむけてぼろぼろ。
鼻水に血が混じってくるしー。粘膜系がヨワイんだってばよー。
テーマ・推敲なしで書きます。こんな日を過ごしましたとさ


朝から熱がつらいので、午前中の家事を終わらせてから少し寝た。
熱が下がったので家族の昼食を作り、山下達郎のサンデーソングブック(東京FM)を聴く。
今日は宮川泰さん追悼特集
ザ・ピーナッツ、園まり、植木等らの名曲が流れる。
ザ・ピーナッツの歌のうまさはどういうこっちゃ。
完璧なユニゾン。
あれが一発録りだったんだからまったく昔の歌手って驚異的に歌がうまい。
しかし『ウナ・セラ・ディ東京』は宇宙戦艦ヤマトの『真っ赤なスカーフ』と楽曲の運びがほぼいっしょなんですけど、宮川さん。

スーパーへ買い物に出ると、街には花粉対策使い捨てマスクを付けている人がたくさんいた。
花粉症に縁のない夫は、「君もああいうのを付けて防御したらどうだ」と言うが、甘いわ。
いつも思うんだけど、すでにとめどなく洟が垂れてきているところへマスクなんかしても、結局しょっちゅう外して鼻をかまないといけないんじゃないの?
家の中では、いつも両鼻にティッシュを突っ込んで(牛の鼻輪のように)いて、あれが一番確実で快適。人に会えないけど。
だったら、外出のときには、鼻輪をやった上からそれを隠すためにマスクをするっていうのはどうよ!?
名案じゃーん。
もしかして道行く人もみんなやってたりして。

帰宅後、ネットで気に入りブログ徘徊。
コラムニスト小田嶋隆のブログ、いつもおもしろいけどトルシエ改宗バナシがもう最高。

日が暮れたので徐々に花粉症も軽快してきた……これから、夜になると元気になります。
こんな半日だった。

by apakaba | 2006-03-26 18:21 | 健康・病気 | Comments(7)
2006年 03月 25日

眞紀の由来

私が勉強を見ている、小学生用の国語教材に、作文教材がある。
3年生用では、『あなたの名前の由来を、おうちの人に聞いてみましょう。』という題材がある。
名前の由来と、それを聞いてどう感じたかを書く。
それぞれの子の名前に、おうちの方の思いがこもっているものだなあと、採点のとき、いつも感動する。

海外旅行へ行き、そこの人間と親しく言葉を交わすようになると、名前を教えあうことになる。
由来を教えてくれることも、よくある。
そして「マキ、あなたの名前にはどういう意味があるの?」と尋ねられる。

私の亡父の職業は、新聞記者だ。
眞紀の眞は、真実だ。
紀は、しるすことだ。
「漢字でね、マはtruth、キはwriting、真実を書くって意味。父はjournalistだったから。」
この説明は我ながら気に入っている、というかそういう自分の名前を気に入っている(今の新聞記者が真実を記しているのかどうかの議論は置いておいて)。
私の名前に、“美”とか“麗”とかついていたら、う、こんなアタシでごめんよという気分だったかもしれないけれど、書くことにまつわる名前をつけられたことは、亡父からのとてもストレートなプレゼントだと思っている。

ジャーナリスティックな文章を書くのは得意ではないが、書くことが好きだ。
サイトつながりで新しく知り合う人が、
「あ、ミタニさんて知ってます。たくさん文章を書いている方ですよね。」
という認識をしてくれているのはうれしい。
まあ、そんなにたくさん読んでくれる人はいないけど、認識だけでもうれしい。
写真をやっている人に“気に入りの一枚”があるように、私にも気に入りの“日記”はいくつかある。
3年前の今日の分、『集まり散じて……大学の卒業式を思い出した』なんかも、わりと気に入りの日。読んでね。
ちょうどいまブログで連載中の、「1990年の春休み」の春ですね。
(先日、この日の話をしたら「あのー、そのころってさ。オレらって……いわゆる、どういう関係だったっけ?」と自信なさそうに聞かれた。まったく男ってヤツはよう)

by apakaba | 2006-03-25 13:37 | 生活の話題 | Comments(21)
2006年 03月 24日

1990年の春休み.15 パキスタン篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
パキスタンのラホールで、日本語で声をかけてきた二人組とともに、親戚の家に上がったりして仲よく過ごす。でも私の風邪が悪化してダウン。

2月8日(木)晴
 私たちの泊まっているY.W.C.A.は、入り口を入るとすぐに二十畳ほどの広さのホールがある。宿泊客はそこでおしゃべりをしたり新聞を読んだりしていた。
 古いピアノがあったので、ちょっと弾いてみた。ここ50年ばかり誰も触っていませんとでもいうような代物だった。音はめちゃくちゃに狂ってるし弾くと上がってこない鍵盤はあるし、たちまち指も真っ黒になってしまった。
 Y.W.C.A.と同じ敷地の中に小学校があるのだが、そこにあったピアノもやはり似たようなものだった。なんか考えてしまったよ。あんなに音が悪いという事実を体験しちゃうと。ホールのピアノはともかく、小学校の音楽の時間にはあのピアノを使って合唱したりしないんだろうか。ここの子供らには、私のうちの古いヤマハでさえ、素晴らしすぎる音色に聞こえちゃうんだろうな。

 ところで私の風邪は一進一退を遂げ、ちっとも全快しそうにないので、とうとうY.W.C.A.を引き払ってセリームの家にお世話になることに決めた。初めて会った日から「ボクの家に泊まるといいと思いマス。」と誘われてはいたが、そのころは彼らを信用しきれなかったし、家の人に迷惑をかけたくなかったのだけれど、今となってはもうセリームの人柄もよくわかってきていたし、連日の家庭訪問攻撃で家の人々は私たちを心から歓迎してくれていることもよくわかった。第一Y.W.C.A.のじめじめした棺桶のようなベッドではいくら寝ていても風邪が治りそうになかった。

 セリームの兄夫婦の部屋を空けてくれたのでありがたく使うことにした。十畳近くある部屋で、シャワールームも付いている。ダブルベッドがどかんと置いてあった。
 「今夜から私たち、夫婦のようにこのベッドで一緒に寝るのね。」
 「なんだか恥ずかしいわねえ。」
 掛け布団が一枚なので、夜中に引っ張り合いにならなければいいがとも思ったが、やっと腰を伸ばして眠れるのはうれしかった。
 セリームの兄の名前は聞かずじまいで、私たちはずっと「お兄さん」と呼んでいたが、その奥さんはフェルドーサという名で弱冠二十歳であった。彼らはいとこ同士だ。パキスタンでは結婚は親同士が話し合って決めるのが普通だという。恋愛結婚は異例中の異例だ。日本人の奥さんがいるセリームはこの異例に入る。
 フェルドーサは英語はできないが気さくな人で、身振り手振りでよく私たちを笑わせた。しかしお兄さんとしゃべっているところは滞在中一度も見なかった。
 「ほんとはあのふたり、愛し合ってないんじゃないのオ」
 などと勘ぐってしまうほどのよそよそしさであった。

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左が兄嫁フェルドーサ、右が親戚のシャバナ(後出)。


 セリームのお母さんとフェルドーサが、パキスタンの衣装を持ち出し、これに着替えなさいと言う。説明しにくいのだが、ポリエステルでできたパジャマのようなスタイルのものだ。
 ヒロは黄色と青の派手派手しい衣装を、私はグレーの上下という地味なものを選んだ。
 ちょうどそのとき、近所に住む親戚の女の子ふたりが遊びに来た。
 シャバナとガザラという姉妹で、シャバナは二十歳、ガザラは十六歳。私たちよりずっと年上に見えたのに実はずっと年下だった。きっとこっちはガキっぽく見えていることだろう。
 私たちは彼女らの格好のオモチャになってしまった。
 キャーキャー言いながら私たちの顔にものすごいメイクアップをした。それはもうまるで仮面ライダーやガッチャマンに出てくる、悪の星から来た邪悪な宇宙人のようであった。
 ふたりとも開き直って、みんなを楽しませることに徹した。
 パキスタンの衣装の上にかけるショールのような布(*1)を頭でリボン結びにして「踊り子よ(これはヒロがやった)」、両手でひらひら振りながら「あたし天女なの(これは私だ)」、ぜんぜんおもしろくないのにみんな大爆笑だった。

*1・・・女性たちはパジャマ風の服の上から必ずこの布をかける。形は長方形。その中心部で胸を隠すようにし、両端は肩から後ろに垂らす。せっかく服にきれいな模様があってもこの布で隠れてしまうし、動くたびにずるずる落ちてくるのでしょっちゅう肩の後ろに戻さなくてはならない。実にうっとうしい。イスラム教では女性が性的魅力を発揮することを厳しく禁じている。このため、身体の線を隠す服を着て、うっとうしい布でバストを隠す。

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男性の来客中なので、キッチンで衣装替えごっこ。


 まあなんというか、女性はヒマだ。こうしてフツーの家庭に泊まってみるとよくわかるけど、本当に女性隔離という戒律は生きている。
 たとえば家族以外の男性が家に上がってくると、挨拶もしないで台所に引っ込み続けている。他人の男に顔を見られちゃいけないからだ。外出もできる限りしてはいけないという。
 家から出ないで甘いチャイばかり飲んでいるから必然的に太る。お母さんもフェルドーサもものすごく太っている。単調な毎日なんだろうなー。
 働く女性というとTVのアナウンサーか銀行くらいでしか見かけないけど、やっぱり身なりも髪型も、きれいだよね。
 普通の女の人は、会ったこともない男性といきなり夫婦になって毎日同じことやって……、うーん、日本も少し前まではそうだったけど、女性のためにやっぱりその点は変わるべきだと思う。

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シャバナの妹、ガザラは16歳。まるでおばさんのように見えるが……キッチンでおちゃらけています。


 そして私は左手を使えない食事が予想外にものすごくつらかったのでした(*2)。
 最初のうちはあまり気にしていなかった。しかし、昼の食事中にヒロがコップを何気なく左手で持っていたとき、厳格そうなセリームの父ちゃん(なれなれしくもこう呼んでいた)が突如無言で彼女の手を摑み、そのコップをパシッと右手に持ちかえさせたのを見てから、一気にテンションは高まってしまったのである。
 左手ならもっとうまく食べられるはずなのに、ボロボロこぼしてジーンズの右膝ばかりが汚れてしまった。
 でもセリームのうちのごはんはどれもとてもおいしかった。特にチャパティーは絶品だった。

*2・・・イスラム・ヒンドゥー教では、左手は不浄の手なので。私は子供のころに字とお箸だけは右手を使うように特訓されたが本当は左利きなのだ。コップ、トースト、その他手づかみで食べるものは左手でないとうまく持てない。パキスタンのごはんは手を使う食べ物が多いんだなまた。

by apakaba | 2006-03-24 18:46 | 1990年の春休み | Comments(6)
2006年 03月 23日

1990年の春休み.14 パキスタン篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
パキスタンのラホールで、日本語で声をかけてきた二人組とともに、親戚の家に上がったりして仲よく過ごす。でも私の風邪が悪化してダウン。

2月7日(水)曇後雨
 眞紀さんの具合はケッテー的に悪くなってしまったので、セリームたちと会うのを断り、寝ていることにした。
 ヒロには申し訳ないが、日記の遅れを取り戻すのにいい機会よと言って休養につきあってくれた。
 彼女は私以上に執筆に真剣に取り組んでいるので、大幅に日にちが遅れてしまっている。
 たまに自分の書いたものをお互いに読み上げたりするのだが、彼女の執拗な描写にはいつも感嘆する。「ギャッハッハッハ」と笑い転げてしまう。彼女も私の書いたものを聞くと「ギャッハッハッハ」と笑っている。同じ行動をしているのに書いていることがまったく違う。
 ヒロの文章はわりとカタめで、一文が長い。
 私のは一文が短くて、私がしゃべっている言葉に似ているそうだ。
 「ところで私は思ったのですが……」「だってそうでしょう。」というような意味のないフレーズも多い。自分では意識せずに書いていたが言われてみるとほんとに多い。
 ぜんぜん違う文面なのにまれにふたりの表現がまるっきりいっしょのこともあり、そうするとやっぱりおかしくて「ギャーハハハ」と笑ってしまう。

 会うのを断るため、ヒロがセリームの家に電話を入れた。
 するとシェキとふたりでお見舞いに来てくれた。と言っても男子禁制のY.W.C.A.だから、結局は外で会わなければならなくなった。彼らの来た夕方には、なんとか出歩けるほどに回復していた。

 ハンバーガーショップに入って長話をしていた。
 ラホールへ来たときの列車の中で、ブット(元)首相を批判していた若い男性の話をして、「あなたたちはどう思う?」と聞いてみた。
 「ブットさんいい人だよ。僕はブットさん好きだよ。」
 とセリームがあっさり言った。本当は、彼女の政策に反対する側の主張はなんなのか、とかイスラム世界初の女性首相であることに国民は宗教的な立場からはどう思っているのか、とかいうことを聞いてみたかったのだけれど、なにしろ私たち自身が不勉強でこの国の現在をちっとも知らないから議論のしようがない。
 「ふーん、いい人なの、ハハ」
 これじゃアホみたいだアホみたいだと無念に思いつつその話題は終わってしまった。こんなふうに日本語で話せるパキスタン人に出会うとわかっていれば、もっと勉強してきたのに。なんちゃって。

 帰り道、シェキがまたとんでもないことを言い出した。
 私たちの今後の旅程を話していたときのことだ。
 私たちはこのラホールから列車で北西に向かい、アフガニスタンとの国境近くの街、ペシャワールまで行くつもりだった。すると彼は、
 「あっちの人たちは悪い人が多い。ベリーデンジャラス、危ないヨ。」
 と言う。紛争の絶えない国境地帯は、たしかに危険かもしれない。アフガニスタンから入ってきた武器商人がうろついている、という噂も聞いていた。
 彼は続いてものすごい常識はずれの提案をしてきた。
 セリームとふたりでペシャワールまでついてきて、ホテルではセリームと私、シェキとヒロが夫婦ということにして二部屋取り、周囲にばれるといけないからそのペアのまま寝泊まりしよう……というのだ。開いた口がふさがらなかった。武器商人よりそっちのほうがよっぽどデンジャラスだろオオーッ!
 一方セリームは、
 「そこまでしなくてもねえ。だいじょぶダヨねえ。」
 と言ったきり、シェキの常識はずれな提案を責めるふうでもない。幼なじみといっても4歳も年上だから、あまり強いことは言えないようだ。
 「そんな遠くまでついてきてもらったら悪いよ。ふたりで大丈夫よ。」
 ヒロといっしょに寝るのが目的だろオーッとどなりたい気持ちをぐっとこらえ、私は努めて穏やかにその申し出を断った。それでも彼は食い下がった。眉をひそめ首を振り、いかにも深刻そうに顔を寄せてくる。そのしゃべり方が実にキモち悪い。
 とうとうY.W.C.A.の門の前に着いてしまったので、
 「ホントに大丈夫。じゃあねえ、おやすみなさあい。」
 と無理矢理別れてきた。

 最初はふたりとも同じように見えていたシェキとセリームが、出会って数日でセリームは大好き(特に私が)、シェキは大嫌い(特にヒロが)になってしまった。
 初めてバイクに乗ったときの組み合わせがそのまま行動中のペアのようにしだいに定着していき、私はセリーム、ヒロはシェキと主にくっついていた。
 私は出会った日からセリームと非常にうちとけた感じでつきあっていた。
 昔とても親しかった誰かによく似ているような、昔から友だちであったかのような錯覚を覚えるほど、彼は親しみやすかった。若いのにどことなくジジくさいというか、枯れた感じのするのもよかった。
 しかし気持ち悪いシェキといつもいっしょのヒロは、だんだん彼らと遊ぶのがつらくなってきつつあるようだった。このままではヒロがかわいそうすぎるので、今度バイクに乗るときはヒロに当たり(セリーム)を譲って私がはずれ(シェキ)と組もう、と思った。

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左に大きく写っているのがセリーム、中央がシェキ、右側がシェキの兄。兄弟で体型おんなじ。でも兄はシェキと大違いでとってもいい人だった。

by apakaba | 2006-03-23 23:07 | 1990年の春休み | Comments(3)
2006年 03月 21日

ディズニーランド、集団デート?の顛末

きのうの日記に書いた「ササニシキ(中2)」が、ゆうべ11時になっても帰ってこない。
中学生のくせにふざけるなと思っていると、『アクシデント発生!』の携帯メール。
「あとで話すけどまだディズニーランド。でも○○(友人)の親がいるから大丈夫」の文面で、初めて保護者がいたのねと知る。
私がイメージしていた集団デートの様子とは、だいぶちがっていたような。

それから眠いのをがまんして起きて待っていたがちっとも戻ってこない。
帰ってきたのが午前1時10分すぎだった。
夫は無益な殺生を避けたいらしく、先に寝てしまった。
ここまで遅いと「なにやってたの!」とかどなっても意味がない。
説明しなさい、と事情を聞く。

なにをどう叱ったらいいのか迷うような出来事だった。

閉園まぎわに『スペース・マウンテン(暗いドーム内を走るジェットコースターですね)』に乗ったら、整備不良とかで、下降が始まる直前に停止してしまった。
コースターに乗ったままで何十分か、待たされた。
そして電気がついたままでとりあえず1回走った。
そのあと、スペース・マウンテン本来の楽しさを味わっていただいていないのでとかいう説明をされ、もう1回、ちゃんと暗くした状態で、乗せてもらえることになった。
そうしたらこんなに遅くなってしまった……十数人のメンバーがいたが、一人も欠けずに残った。
誰かが遅いから帰ると言っても、女子たちが盛り上がっていて、帰ろうとする人を引き留めてしまう。
この時間になってしまったら、一人で帰るのはかえって危険。
保護者もいるしということで、みんなで帰ってきた——。

……山中の遭難みたいだな。
友だち数人で行っていたなら、どんなことをしても帰らせるところだが、この状況ではこれ以外にはなかったかな。
「事情が事情だから今回だけは許すけれども、二度とないようにしなさい。」
と言って寝かせた。

私も反省した。
メンバーをほとんど聞いていなかったし、お友だちのご両親が引率してくださっていたとは初耳だった。
親二人で、十数人の子を真夜中に連れ帰るなど、あってはならないし万が一のことがあったら、責任の所在がどうなるのか。
そのご両親も、子供の集団を前にして、帰るとは強く言えなかったのだろう。
もしも私だったらどうしていただろうか(まあそもそも引率なんかしないんだけど)。

中学生は難しい年代だな。
私は子離れが早すぎるのかもしれない。
息子が中学生になるとき、もし地方の私立校に入って寄宿舎生活、なんてことになったら、気楽でいいねぇ、たまの休みに顔を見るくらいでちょうどいいやとか思っていた。
あ、そのような受験はしていませんが。
子供を信頼しているのはたしかだけれど、やっぱりまだ子供だ。
帰宅時間の約束とメンバーくらいは、聞いておくべきだった。

今日の「ササニシキ」は12時半まで眠っていて、1時から小学校の同窓会へ出かけていきました。

by apakaba | 2006-03-21 14:45 | 子供 | Comments(19)