あぱかば・ブログ篇

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2006年 04月 30日

あのねあづま川さんはね。

本日はあづま川さんとのたのしい密会、そこでトンデモナイことが発覚!

あづま川さんはね、パスネットで東京近郊の私鉄ぜんぶに乗れることを、知らなかったんだよ!!
ご自分の利用する私鉄駅で買ったから、その鉄道会社でしか使えないカードだと、今日の今日まで思いこんでいたのさ!
どうりで飲み会のときとか、みんなを待たせていつも一人で券売機に並んでると思ったよ。

あづま川さん、パスネットで羽田に行くモノレールにも乗れるし、お台場に行くゆりかもめにも乗れるし、それどころか驚くほど遠いところにまで行けるんだぜ。
リンクした沿線地図を見て確かめて、どうぞおどろいてね。
手みやげ持って行かなかった私からのささやかなプレゼントにしてね。

追記:キョヤジ師匠より、モノレールはJRになってパスネットは使えなくなったとのご指摘。ありがとうございました。

by apakaba | 2006-04-30 23:56 | 生活の話題 | Comments(7)
2006年 04月 29日

1990年の春休み.22 パキスタン篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
思いがけないほどセリーム家での居候が長くなってしまい、旅人の身勝手で飽きてしまった。長距離バスでラホールを出て、いよいよ二人旅の再開へ。

2月11日(つづき)
 ヒロが眠ってしまうと私は話し相手もなくなり、久々に乗るバスに旅情を感じ始めていた。バスってそういうものなのよねー。
 風景はだんだんとディズニーランドのビッグサンダーマウンテンのような不毛な地へと移り変わっていった(貧困な比喩力)。
 大きな川を二つ渡った。川は赤かった。不毛の地も赤い土だった。
 こんな風景を見ようとはまったく予想もしていなかった。観光地でもないし、よくポスターに出ているパキスタンの風景ともちょっとちがう、写真にはならない、漠とした風景。

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ずっとこんな風景がつづく。

 道を走りながら、いろんな動物がよく死んでるなーということに気づいた。犬も牛も山羊も、道ばたで気楽に死んでいるのである。生きている動物も多ければ死んでいる動物も多い。
 幼いころに住んでいた町の川に、死んだ白い犬が何日も浮かんでいたことを思い出した。当時は気持ち悪いとも思わずに、まだある、どうなるんだろうとぼんやり眺めていた。ああいうのってもう見かけない。犬も猫ももはやその辺で気楽に死ねない。

 今日は父の命日なのであった。まったく忘れていた。母はもう動けるのだろうか(*1)。今年は父のお墓参りに行けたのだろうか。気がかりである。こっちからは連絡できても、向こうは私の足どりを知らないから心配しているかもしれない。
 しかしこんなところで気を揉んでいてもきりがないからもう考えるのをやめよう。

*1・・・母は胆嚢の病気で手術をしたばかりだった。

 T(*2)のことがすごくなつかしく思い出された。突然、いろんなことを思い出した。やっぱりTはいい。と思った。
 Tはやさしい。誰よりもやさしい。いろいろ不実なことをしてごめんなさい。と思って、ふいに涙ぐんでしまった。
 本当に私は、彼の愛に裏切りで応えてきている。
 ごめんね、ごめんね、と何度も手を合わせている。でもダメなんだ私。

*2・・・なんでしょうこの記述は。Tは当時つきあって別れた人。(だったかな。)荒れてましたね私生活が……ひどかった。

 私は6時間乗りっぱなしのバスの中で、あれこれいろんなことを考えてしまった。長距離バスはどうもすごく内省的になってしまうのである。忘れていたことを次々思い出す。でも実際には、バスの中は足のにおいが充満して、爆音でインド映画音楽が流れ、対向車と正面衝突寸前ですれ違う危険な運転に身を預けているので、ちっとも旅情どころじゃないのだった。

 ラーワルピンディーに着いたのは夜7時ごろだった。
 群がる客引きを蹴散らすのも久々である。タクシーで安宿街のホテルへ直行した。
 
 それからすぐ夕食を食べに行った。じいちゃんが一人でやっている食堂へ入ってみる。
 私は辛いものが苦手なので、辛くないのはどれ?どれ?と身振りで尋ねたが、じいちゃんの前には三つしか置いてなくて、そのどれもが同じように辛そうであった。けれども笑顔のじいちゃんは、「辛くないのは、これ!」と確信に満ちて指さすので、その鍋に入っているなにやら材料の知れない煮込み料理を頼んだ。
 すると停電になり暗闇の中で食べることとなったので(パキスタンではほとんど毎日停電した)、予想通りかなり辛いその食べ物はとうとう材料がわからずじまいだった。

 お腹いっぱいにならないのでもっと食べたいけれど、残りの二つの鍋は今食べたものより辛いはずなので、あきらめてその店を後にし、屋台のチキンスープ屋に近づいてみる。
 また辛いのではとおそるおそる飲んでみたら、唐辛子味ではなかったのでおいしかった。といっても胡椒がかなりきいていて、ふつうの日本人なら煮詰まりすぎた味だと感じられるはずである。
 骨付きのチキンを食べてみたらスープにだしとられてカスカスだった。

 ヒロが甘いものが食べたいと言い出し、雑貨屋でお菓子を買う。私はコーヒー牛乳を買った。部屋に戻ってからそれらを食す。お菓子もコーヒー牛乳も粗悪きわまりないもので、一日の飲み食いの締めくくりがぶちこわしになってしまった。

 夜の街を窓から眺めていると、形容しがたいざわめきが絶えず部屋に流れ込んでくる。
 人々が出す声や歩き回る音や、映画音楽やコーランを吟ずるような響き、リキシャのエンジン音、その他諸々の雑多な音がうわーんと街を覆っている。これが深夜まで続き、夜明けから始まるのだ。インドでもそうだった。
 旅に出てから、しーんとした夜というものを一度も迎えたことがない。
 こっちに来て一週間くらいは、ずっとRC(サクセション)やらなにやらの“ふだんの生活の音”が頭から離れなかったのに、最近はいつもヒンディーあるいはパキスタン音楽しか頭に浮かばなくなっている。これだけ毎日聞かされていればこびりついちゃうけど。
 今でも、ふだんの生活の音楽が聴きたいと思うし、本をゆっくり読みたい。執筆(この日記のこと)に追われて読書どころじゃないけど。
 今すぐ会いたい、と思う人もいる。
 あのときあなたが言いたかったことは何……?と確かめてみたいような、私の前を通り過ぎていった何人ものひとたち……。でもこういう気分ていうのはすぐに現実に取り紛れてしまうことも自分でわかっている。
 今すぐ会いたいと思う人は今会えなければ意味がない。
 会いたい、と思わないようにするしかない。

by apakaba | 2006-04-29 17:39 | 1990年の春休み | Comments(7)
2006年 04月 28日

うちに来て2週間後のコーシロー

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だいぶ大きくなりました。

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私の布団をトイレと認識しつつあるようで、きのうおしっこ、今朝うんち、そしてまたおしっこをされました。

by apakaba | 2006-04-28 10:46 | 生活の話題 | Comments(9)
2006年 04月 27日

1990年の春休み.21 パキスタン篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
ラホールのセリーム家から出てパキスタンを北上したいのに、汽車に乗り遅れてしまった。

2月11日(日)曇
 きのう恥ずかしくも汽車に乗り遅れてしまったし、たくさんの男性や女性たちの遊び相手をするのにも正直言って疲れてきていたので、一刻も早く、確実にここから退散せねばならないと思い、今日は汽車ではなくフライング・コーチ(*1)を使ってみることにした。

*1・・・パキスタンの主要都市を結ぶ長距離バスの名称。列車は前日までに座席の予約が必要で、それがめんどくさいのだが、フライング・コーチの場合は一日に何本も運行し予約は不要なので便利。

 数日前からシェキが私たちといっしょについてくる、と何度も言ってきていたのだが、のらりくらりとかわしているうちに立ち消えになったようなのでまあよかった。あんなのがついてきたらたまらん。
 とにかく今ではシェキといっしょいにるのが絶対にイヤ!という気持ちになっていた。知り合って一週間でこれほど嫌いになってしまうとは。もう今やセリームとシェキが二人でいてもシェキにはまったく視線もくれなくなっていた。だがシェキと我々の板挟みのセリームが苦しそうでかわいそうなので、シェキの失礼な言動を彼に言いつけるのはやめることにした。

 朝ごはんは久々にトーストと卵だった(ここしばらく朝からパキスタン風ごはんだった)。私はトーストにジャムをつけて5,6枚食べてしまった。
 なんと今朝はセリームの父ちゃんが家にいるではないか。これだけ長く滞在していながら、父ちゃんと共に朝食をとるのは初めてだった。それだけ私たちが連日朝寝坊していたということなのである。
 私はこの父ちゃんがとてもコワイ。父ちゃんは我々のことをどう思っているのだろう。どう見ても喜んでいるふうには見えない。席を共にしていても、全く私たちなど存在しないかのように押し黙ったままなのだ。そして突如として食事中に右手を使うよう指導されてしまう。私はこの右手使いに極度の緊張を覚えている。
 セリームはこの家でどういう存在なのだろうか。それも気になるところである。もし彼がこの家でまったく役に立たない放蕩息子だったら、放蕩息子の友人である我々は父ちゃんからすれば相当のイカレポンチになってしまう。セリームに限ってそんな評価はありえないとは思うが、父ちゃんこわさのあまりあらぬ想像までしてしまう。

 フライング・コーチの乗り場までセリームとシェキがバイクで送ってくれるというので、ふたりで出かけようと言ってくるのを待っていたけれど、ちっとも来ない。バイクを友だちに借りに行っているらしい。ヒマを持てあました私たちは、フェルドーサに誘われるまま再び彼女の結婚式のビデオを見ていた。
 金(きん)をたくさん使ったものすごくきらびやかな婚礼衣装を身につけた彼女は、終始、肩が凝るほど下を向いていて、にこりともしない。結婚式はもっとにこにこしてたほうがいいんじゃないかなと思ったんだけど、あれはおそらく角かくしと似たようなものなんでしょうね。
 しかしあれじゃほとんどがっかりしたような顔に見える。新郎(セリームの兄)とは言葉どころか視線すら交わさない。本人同士が結婚式当日に初めて顔を合わせることも当たり前の国だから、まあいきなりそんなにベタベタと仲良くなるわけでもないだろうけれど、やっぱり新郎・新婦のあのよそよそしさは理解できない。

 初夜のために飾り付けられたベッドルームにはもうぶったまげてしまった。幼稚園のお遊戯会あるいはクリスマス会のような信じがたい状態になっている。色とりどりの紙で作った花が壁中に貼られ、ダブルベッドには天蓋がついていて、その天蓋から、よく七夕の飾り付けのために作る折り紙を鎖状にしたやつ、ああいうので金モール製のものが垂れ下がっているのだ。
 円筒形の枕はサテン地で覆われ、アメリカの甘ったるいキャンデーのように両端を縛ってある。
 なんなのよこれは。この部屋であのよそよそしい二人がいったい何をしろというの。朝目が覚めたら自己嫌悪に陥ってしまいそう。しかもこの飾り付けのまま、数日間過ごさなければならないという。なにもここまで周囲が盛り上げなくてもいいのではないでしょうか。と私は思ってしまった。

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旅行というより、もはや“生活”。
だらだらするのにも飽きたよう。右からセリーム、私、ヒロ、セリームの兄。


 そうこうするうちに、やっとセリームたちが現れて、出かけることになった。
 きのうヒロが悲惨な思いをさせられたので、今日は私がシェキのバイクの後ろに乗ろう、と決心していた。きのうの今日でヒロがシェキと組むのでは、彼女があまりにもかわいそうだからである。
 ところがシェキは、予想に反して私にはまったくきのうのような波状攻撃をしかけてこなかった。日本にいるときトラックのドライバーをしていたことがある、という話題を出しただけだった。
 セリームに注意されたのか、今日はその気がなかったのか、私がコワイのか、そのうちのどれかだと思うが、些か拍子抜けしてしまった。
 私はヒロのことで完全に頭にきて、今日は真っ向からあんたと勝負しまっせ!という気持ちになっていたのにである。

 フライング・コーチの乗り場に行く前に、アメリカン・エキスプレスに寄ってトラベラーズ・チェックを現金に換えた。そこで予想外に時間を食ってしまった。なぜなら窓口の人がとにかくものすごく仕事が遅かったからである。それはこのアメックスに限ったことではまるでなく、人々はいつでもどこでもとにかくものすごく仕事が遅い。待つほうも気が長いので特にトラブルは起こらないのだが、日本で暮らすセリームには耐え難いらしく、
 「ちょっとーおじさん早くしてヨー。なにやってるのー。遅いんだからもうー!」
 と日本語で罵っていた。けれども私たちから見れば、セリームだって十分すぎるほどのんきでやることが遅いのよ。

 セリームは、会社でも午後2時くらいまでしか人々は働かないので、いつまでたっても経済が発展しないのだと言う。でも私は限りなくうらやましくなってしまったぜ。2時に仕事が終わったら、残りの時間を使ってなんだってできるじゃありませんか。夢のような話である。

 アメックスに並んでいるときに、日本人のビジネスマン二人に会い、少し話をした。感じのいいおじさんたちであったが、セリームが突然
 「ボクはネ、日本に住んでて、日本でケッコンとかしちゃったのネー。」
 などと言い出したので、面食らったようであった。やっぱり最初はインチキくさいガイジンだと映るようなのである。セリームは自分でも「ヘンなガイジン」などと言って自らを低めていた。
 彼はどうもまだ敬語をマスターしていないらしく、おじさんたちに向かって「そうだヨネー。」などと言ったかと思うと突然「“お兄さん”たちは、仕事は?」とキャバレーの呼び込みのような言葉を使ってしまっていた。
 セリームは本当はもっともっと奥の深い人なのだが、やはりつきあいが浅いと軽々しいガイジンとしか思われないだろうし、自らもきっとそのほうが楽なときもあるのだろう。なんだか日本での彼の生活を垣間見たような気がした。これほど日本語ができても、やっぱりいろいろと苦労してきたんだろうな、と思った。

 このあとフライング・コーチの乗り場まで送ってもらい、とうとうセリームたちとサヨナラした(と言っても5日後には再会することになっているのだが)。
 バイクで彼らが去っていくとき、切実に寂しくなってしまった。この一週間、バカみたいにいつもいっしょにいて、会話に少しの苦労も感じないで、緊張感も覚えないで過ごしてきたのである。もう本当に我々はセリームなしでは生きられなくなっていた(*2)。またもとのふたりきりである。フライング・コーチに乗り込んで、じろじろ周囲から見られるのも久しぶりだ。

*2・・・と思っていたのは私一人で、ヒロはさほど寂しいと感じていなかったらしい。私とセリームは、あとでヒロが「疎外感を覚えた」と語ったくらい、やたらと仲良しであった。


 バスに乗ると、ヒロは恥ずかしいくらいに眠りこけてしまった。バスはラホールで最初に見た映画のシーンのような、典型的なパキスタンの田舎道を走っていった。菜の花がたくさん咲いていた。
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by apakaba | 2006-04-27 00:15 | 1990年の春休み | Comments(4)
2006年 04月 25日

1990年の春休み.20 パキスタン篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
ラホールのセリーム家から出てパキスタンを北上したいのに、汽車に乗り遅れてしまった。

2月10日(つづき)
 セリーム家のだらだらとした生活に訣別し、新たな気持ちで旅を立て直そうとしていたのに、私たちは結局セリーム家に舞い戻ってきてしまった。
 汽車に乗り遅れた、と、しょんぼりしながら言うと、女性たちはみんな大ウケして出発の延びたことを喜んだ。
 失意の私たちは、それでも新聞紙を使って折り紙を教えたり、日本の歌を歌ったりして彼女らを楽しませることに専念した。明日こそは必ずこのラホールを出て北へ向かおう、と心中で固く誓いながらである。

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ロバが好き。セリーム家の前。

 夕方からは男性たちとまたしても遊園地に行った。といってもきのうの遊園地とはちがうところで、今度はなかなかおもしろかった。私たちに同行する野郎どもはいつのまにかどんどん増えて、7人でぞろぞろ繰り出した。ガイジンの若い女が取り巻きをはべらせているようで、周囲の目が気になったが、まさか「あんたとあんたは帰れ」とも言えないので仕方がない。
 きのうの仇敵アマは来なかったが、シェキは参加していた。けれども私たちの全身から発する「おまえは嫌いだあ〜」という嫌悪感を察したのか、それともセリームが私たちに近づかないように配慮してくれたのか、シェキはもっぱら男友達とばかりしゃべっていて、きのうのような失礼なことを言うことはもうなかった。よかったよかった。

 胸くらいの高さの仕切りでできた、なかなか難しい迷路をやった。おもしろかったけれど、そこは目の痛くなるようなにおいに満ちていた。迷路を歩いていると、男性たちは目が合うたびに鼻をつまんでから「立ちション」のジェスチャーをしてみせた。いちいちやってくれなくてもにおいでわかるよ、と思って進んでいると、ちょうどセリームと鉢合わせし、
 「ここでネー、男の人はよくおしっこをしちゃうんだヨネー。」
 とだめ押しするので、
 「うるさいねえ、わかってるってば!」
 と言いそうになった。

 このあとゴーカートと滑り台とブランコとボートに乗った。ここに来たらこういうことをして遊びましょうねえ、という見本のような遊び方である。
 遊びながら、セリームに男女の話をされた。
 パキスタンの女性は男性に笑顔を振りまくことはしないので、私たちがちょっとにこにこしただけでも、男性はすぐに自分に気があるとか、体のおつきあいもオーケーよ、と勘違いしてしまうというのだ。恐ろしい話である。
 けれどもそれできのうのセクハラ攻撃にも納得がいった。やっぱり私たちにも非はあったのである。セリームはそれとなく注意してくれたのかな。

 このあとバイクでビデオを借りに行った。ところが私はこのとき、まあよくあることなんだけど、鼻血を出してしまった。セリームは、
 「マキちゃんは鼻をかみすぎるからデス。だから血が出るんだヨ!」
 と母親のように怒っていた。しかしそう言いながら鼻血というものがどういうものなのか全く知らないらしく、(鼻の穴を)見せて、とか、薬とかバンドエイドはいらないの?などとおっぱずれたことを言うのであった。

 レンタルビデオ屋には洋画・邦画(パキスタンもの)・もちろんインド映画も豊富にそろっていた。さんざん迷ってから、『BIG(*1)』に決めた。

*1・・・12歳の少年がある朝突然大人の大きさになっていて、子供の心を持つことを強みとしておもちゃメーカーで大成功するという話。トム・ハンクス主演。

 家に戻ってから、私はセリームのお母さんに強くリクエストされ、大外刈りをセリームにかけた。セリームはたわいなくソファーにひっくり返された。仰向けの顔が「ショック!」という気持ちを物語ったかと思うと、がばと起きあがってやり方を熱心に何度も聞いてきた。彼はホントにのめりこみやすい性格なのだよね。しかし何度やってもうまくできず、再び三度私はセリームをソファーに思い切り倒してしまった。なんだか申し訳なくなってきた。でもお母さんもフェルドーサ(兄嫁)もものすごくウケて拍手喝采なのである。
 私ときたら彼女らの尺度から見れば考えられないくらいのおてんば姉ちゃんなんだろう。こういう女というのは眉をひそめるべき人物なんじゃないだろうか。とにかくなにをしても大ヨロコビされるのが不思議だ。

 そのあとは男5人ほどといっしょに『BIG』を見ていたが、みんな英語がわからず字幕も出ないので退屈していた。ヒロが一度日本で見ていたので、私は彼女から解説してもらい、楽しんで見ていた。
 しかし例によってシェキがラブシーンのときだけ興奮して大はりきりになってしまった。日本人の恋人の由美という人とのセックスシーンを独演しては他の男どもと爆笑しているのである。
 セリームは本当にそういうのがイヤみたいで、とうとう眠ってしまった。
 私は久々に見る洋画で心が温かくなってしまっていたのに、シェキのせいでぶちこわしになり、しかもみんな途中で見るのをやめて帰ってしまったのでバカみたいだった。

 セリームは完全に眠っていたので、そのままにして私たちの部屋に帰った。
 しかししばらくするとセリームらしき気配が濃厚にする人物が上がってきた。
 寝ぼけてフラフラしているセリームを思うとおかしかった。しかしきのうのようなキモちはもう消えてきていた。やはり旅先の人なのかなーとも思ったが、そうではなく、あまりにクラスメイトしているからだ。知り合って数日でこれはスゴイ枯れ方である。

by apakaba | 2006-04-25 18:36 | 1990年の春休み | Comments(6)
2006年 04月 24日

1990年の春休み.19 パキスタン篇

<初めて読まれる方へ>
この旅行記は、私が大学卒業旅行でタイ・インド・パキスタン・ネパールを一ヶ月半まわっていたときの日記を、不定期に載せているものです。文章(註・レート換算含む)はすべて22歳当時のままです。
前回までのあらすじ
パキスタンのラホールで、セリームの家に居候。若者たちと遊園地などに行ってぼけぼけと過ごすが、セクハラにも弱り……

2月10日(土)晴
 そろそろこの家庭訪問責めの暮らしにも飽きてきたので、今日の昼過ぎの汽車でラホールを出て北上し、首都のイスラマバードや、アフガニスタンとの国境近くの街ペシャワールほうまで、一週間ばかりふたりで行く予定でいた。
 そのあともう一度このラホールに立ち寄り、それからパキスタンを出てインドに南下するつもりだった。

 それなのに私たちときたら自堕落にも11時近くに起き出した。セリームのお母さんはすでに5時過ぎに起きていたという。居候のうえにいぎたないとは最悪の二人だ。
 駅まで送ってくれることになっていたセリームたちは朝から出かけていたので、私たちは出された食事をのんびりと食べ、ヒマな女性たちの相手をして遊んでいた。
 遊んでいたというより実際には遊ばれてしまった。いとこのシャバナとガザラもやってきて、セリームの兄嫁のフェルドーサの婚礼衣装2枚出してきて私たちに着せ、ごちゃごちゃしたアクセサリーもつけて、無理矢理ふたりの手をつながせ「スマイル、スマイル!」と写真をバチバチ撮ったのだった。
 「恥ずかしいことになったわね。」
 「まいったなあ。こんなことしてたら、セリームたちが戻ってきてもすぐに出かけられないよ。」
 「うーん、でもこんなに喜んじゃってるからねえ。冷たくできないもんね。」
 衣装を脱ごうとすると、いいじゃないのもうちょっともうちょっと、と押しとどめる。しかたなくそのままの格好で、ビデオを見ていた。フェルドーサとセリームの兄の結婚式のビデオである。はじめはおもしろがって見ていたが、まるで編集していない撮りっぱなしのものなので、だんだん飽きてきてしまった。

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婚礼用のサリー。たしかにきれーですが……着せ替え人形はツライ。


 そこへセリームが現れ、私たちの花嫁姿を見て
 「な、なにをやっているの。汽車に遅れちゃうヨ!」
 と言った。やっと解放されると思い内心ほっとしながら、あわてて着替えて出発した。

 二手に分かれて、ヒロとシェキは私たちふたりの大きな荷物を運ぶためにリキシャに乗り、私とセリームがバイクに乗った。
 ラホールという街はつねに道が渋滞していて有名なところらしい。
 セリームはいつものように車やタンガー(乗合馬車)の間を縫って追い抜き始めた。でもヒロたちの乗ったリキシャは、バイクのように車間をすり抜けることができないのだから、こんな努力をして早く駅に着いても結局そこでリキシャの着くのを待つしかないんじゃないの?と私は思った。せっかくがんばってるから黙ってたけど。セリームはとにかく渋滞が許せない性格らしい。

 一方ヒロは、リキシャの中でまたしてもひどい仕打ちに一人で耐えていたのであった。これもあとになってから聞いた。シェキが、
 「ねえねえ、セックスの話をしよう。」
 と唐突に持ちかけ、
 「僕は今まで26人の女の人とセックスしたよ(なんなんだその正確な数字は)。」
 から始まって、とてもこの場では書けないような乱れた言葉を彼女に聞かせていたというのである。彼女は
 「いいかげんにしてよ!聞きたくないの、あんたのセックスの話なんか!」
 ととうとう怒鳴りつけて、耳をふさいでいたのだが、シェキはめげずに無理矢理彼女の耳にはしたない言葉をささやきつづけ、ひとしきり自分の体験談をすると、
 「ね、僕は話したから今度はヒロミちゃんの番。」
 ……と言ったという。
 ヒロばかりこんな目に遭って、本当にかわいそうである。私のほうはとっくに駅に着いていて、セリームと、見送りに来たニッカと3人で仲良く談笑していたというのに。

 ニッカはめずらしいことに、ヒロのことをあまり好きではなくて、私のほうが好きだと言っていた。たいていの男は愛想のない私より、美人でいつもにこにこしているヒロのほうが好きなのだ。
 ニッカは彼女のことを、ジョークのわからない堅物だと誤解していた。なんでそんなふうに思ったのかな。セクシャル・ハラスメントに対する態度は、私のほうがよっぽどカタイのに。
 こっちの男性は、二人連れのどちらか一人を気に入るとその女性にばかり話しかけてちやほやする。とてもそれが露骨なのだ。日本人の男ならああまで露骨にはできないと思う。
 ヒロとふたりでいるとそういうことが何度もあった。まあ80パーセントくらいの男はヒロのことを気に入るのだけれど、たまにはセリームやニッカのように私のほうが好き、というのもいる。べつにそのこと自体はどうでもいいのだが、あまり不平等な扱いをされるのはやはり気分がよくない。

 ヒロたちのリキシャがやっと着いたので、走ってホームに向かった。列車はちょうど動き出したところだった。
 空身だったら飛び乗れたが、ザックを背負っていては無理である。
 情けなくも、我々は列車に乗り遅れてしまったのだった。なんということでしょう。ゆっくりゆっくり、汽車は去っていった。
 今日こそラホールを出て、心機一転してふたりきりの旅に戻ろう、と決心していたのに。またセリームの家でだらだらとした一日を過ごすのか……。
 出鼻をくじかれて、私たちは実にがっかりしてしまった。

by apakaba | 2006-04-24 17:27 | 1990年の春休み | Comments(6)
2006年 04月 23日

「愛してるよ」は声だけ

映像のない夢を初めて見た。
映像がないから「見た」とはいえない、「聞いた」。
目をつぶっているのと同じ状態の暗闇のなかで、男の人の声で「愛してるよ。」と1回だけ聞こえた。
だれ?ときょろきょろしても真っ暗闇でなにも見えず、目を開けたらまだ夜更けでやはり暗闇だった。

なんだぁ?
愛が足りないのかなあ?

by apakaba | 2006-04-23 22:46 | 生活の話題 | Comments(10)
2006年 04月 22日

新語

子供3人とも、とにかくコーシローに夢中。
「アキタコマチ」が宿題などをなんにもやらないので、
「今、なにしてた。勉強は。」
と聞くと、
「ん、まだ。」
「じゃあなにしてたの。」
「コーシローを、……“ちょれくってた”。」
ああん?ちょれくってたってなんだぁ?

「アキタコマチ」の一番仲のいい子は大阪から来た子で、たまに言葉がうつっているので、一瞬「大阪弁のひとつかな」とも思ったが、それにしても聞いたことがない。

「ちょくれってたってなに。どこの方言?何語?」
「ん、どこの方言でもない。『アキタコマチ』語。」
だそうで、でも子犬を“ちょれくってた”ってなんだか雰囲気がよくわかる響きだと思いませんか。

by apakaba | 2006-04-22 23:19 | 子供 | Comments(8)
2006年 04月 20日

久々の子育てちゅ。

子犬が来てから、すっかり真人間になってしまったワタシ。
だらしない生活が専売特許だったのに、朝早くから夜遅くまで働きっぱなしだーい。
コーシローが起きている間はとにかく遊んでやってるか、しつけています。
コメントへのレス滞りがちですみません。
個メールの返信は気長にお待ちください。

あ、パソコンを修理に出していた間に書いてくれたコメントのレスは、すべての方宛に書きましたのでよければ。
今日はもう寝ます。

by apakaba | 2006-04-20 23:35 | サイト・ブログについて | Comments(9)
2006年 04月 19日

最後の赤ちゃん・最初の赤ちゃん

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日曜日から、子犬を飼い始めました。
生後2ヶ月の雄の柴です。
母親は豆柴なので豆柴のつもりでいたけれど、対面した瞬間、「う、でかくなりそう……」脚と胴回りががっしり太くて、豆柴サイズですみそうにないので、まあふつうの柴ってことで。

犬を飼うのは20年ぶり。
最後に飼っていたのはマルチーズだったけれど、それ以前は雑種をテキトーにもらったりしていました。
昔は、犬はそこらへんで拾ったりもらったりするもので、餌もテキトー、生まれるのも死ぬのもテキトー、野良犬もよく歩いていたものでした。
幼いころには、川に死んだ犬が浮かんでいるのを見かけたりしました。
夫のほうも犬については似たような思い出しかなく、「犬って、買うものだったのか?ひょっとして餌も買うのか!」程度の認識しかないようでした。

でも時代は変わって、いまではみそ汁ぶっかけメシなど食べている犬は見かけません(夫の親戚ではいまだにそうやって雑種ばかり飼っています。希少な家です)。
私も昔ながらの認識を改め、イマ風に犬を飼うことに決めて、あれこれ準備して、日曜日に静岡へお迎えに行きました。
(その日の様子については、のこのこさんのブログ記事「わんこが行っちゃった日。」に詳しく書かれているのでそちらをごらんください。)

生き物を飼うのはそれなりに覚悟がいります。
それだけに、“縁”を大事にしたいものです。
私は以前から、のこのこさんのおうちの愛犬“コト”の写真をブログなどで見て、
「かわいいお顔の子だなあ。美形だし、家族にとっても愛されている顔。」
と思っていました。
のこのこさんのコトへの愛情も、文面からよくわかっていました。
だから、「コトに赤ちゃんが生まれるよ!」という話を聞いたとき、それまで「犬はいつかは飼いたいけど、いつになるかは未定」とずうっと思ってきた気持ちが、ぴたっと決まりました。
「あのおうちのコトの赤ちゃんなら、是非ほしい!」

写真で見ていたよりも、赤ちゃんはずっと“いい犬”でした。
体格や顔立ちや毛色が、想像よりもずっとすばらしいものでした。
どんなにヘボな見た目の犬でも、飼えばかわいいのはわかっているけれど、思っていたより「うーん!これはいいなあ。かわいいだけじゃなくて“いい犬”だ。」と感じられたので、感激もひとしおでした。

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いい形。

飼い始めてまだ数日しかたっていないけれど、ぐんぐん大きくなっています。
それにぐんぐん大胆になっていって、愉快です。
ちびのくせに、知らない人や不審な物音には「うう、わん、わん」と低い脅しの声を出すし、階段をぴょこぴょこ駆け上がったりできるようになりました。
もちろん起きているときはいっときも目を離せません、が……私がつくづく思うに、
「犬の赤ちゃんって、人間の赤ちゃんに較べたらなんてらくちんなんだろう!」

だってそうでしょう。
なにしろ、私がおっぱいを出す必要もないし、おむつもあてなくていいし、眠くなったらひとりで歩いてとっととハウスへ行って寝るし。
生まれて二ヶ月で歩いて寝床へ行ってくれるなんて夢みたいです。
人間なら下手すると、小学生にならないとひとりで布団に入らないことがあるかも。
夜はくんくん言わずに寝てるし。
(うちの子供は3人とも夜泣きをしていたので、10年間くらいは安眠と無縁でした。)
いまはおしっこが垂れ流しなのでしつけ中ですが、こんなの人間の赤ちゃんのトイレトレーニングからすればなんてこともないです。
おフロも歩いて入って洗っている間も立っていて、歩いて出て行くんですから。
というか子供3人でおフロに入れて、私はすることない。
らくです、犬の子はらくちんです。
それでこれだけ楽しませてもらえるんだからありがたいものです。

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コトママからもらう最後のおっぱい。

子犬の名前はコーシローです。
幸せな、4番目の子供です。
当代きっての歌舞伎役者の幸四郎にあやかり、いい男に育てます。
今日は、コトとコーシローにたっぷり愛情を注いで育ててきてくれたのこのこさんのお産の日。いま、分娩室に入っているそうです。
犬の赤ちゃんが去って、入れ替わりについにほんものの自分の赤ちゃんをだっこできるんだね。
人間の赤ちゃんはすべての動物のなかでもっともダメだけど、かわいくてかわいくて、いくらでも生みたくなるでしょう。
お互い子育て(?)がんばりましょう!

by apakaba | 2006-04-19 17:59 | 生活の話題 | Comments(20)